「こんにち、誰もがラジオを使う。私のような老耄でさえも。」
帝国暦一八一九年三月二十日のミルダネスの日記は、この時代の情報戦の特徴を表現している。
***
時は遡り、帝国暦一八一九年三月十八日未明、憲法制定国民議会の緊急放送の後、帝都バーレンハイム郊外。
「ミルダネス? あの〈御大〉?」
〈中央評議会書記局筆頭書記〉にして〈祖国革命指導者〉を名乗る革命派最高指導者、帝国左派論壇の主、ローゼティエン・ブルガネスは、海賊ラジオ局で制憲議会の緊急放送を耳にすると、その神経質そうな口角を歪めて、率直な驚きを口にした。
「ミルダネスの〈御大〉といえば、年齢は確か——。」
「七十を過ぎている。士官学校の教本で散々読まされましたからな。〈祖国統一期英雄列伝〉というやつですよ、同志ブルガネス。」
ブルガネスの問いに、〈無断除隊〉者の大佐が応じる。
「同志大佐。それでは、〈御大〉の摂政任命は脅威になるかね?」
「いいえ、同志ブルガネス。〈御大〉は脅威にはなりません。
世界大戦勃発を前に隠居した臆病者です。生きているかどうかも怪しいものだ。」
「では、これは欺瞞?」
「それに類するものでしょう。〈偽〉臨時政府と〈反動〉帝国軍の首脳は、いずれも主要都市にあって我々の包囲下にあります。
救援しようにもまともな指導者がいない。その事実が明らかになれば、反動どもの士気は崩壊し、我々の勝利は確実になる。」
海賊ラジオ局の壁面には、各主要都市の地図が張り出されていた。帝都バーレンハイム、工業都市モナシュテーリア、そしてその他多数の大都市の上に、赤と白のピンが刺さっている。
帝都バーレンハイムの白いピンには、人名が刻まれていた。〈ヴィクタリース〉、〈ヴァイネス〉、〈ボアライト〉、〈シルヴァニス〉、〈マルクヴォー〉。皇女派、皇子派、共和派、そして中立派を代表する帝国政治・行政の指導者たち。モナシュテーリアの白いピンには、帝国経済界の要人たちの名もある。
そしてそれら白いピンを、赤いピンの層が取り囲んでいる。革命派民兵の赤い海の上に、既成勢力の白い小島が浮かんでいた。
「生死すら曖昧なミルダネス老人の名を出すのは、連合国介入までの時間稼ぎのつもりというところか。見苦しい。」
「軍人たるもの、そして貴族たるもの、せめて名誉ある最期を遂げてもらいたいものですな、同志ブルガネス。」
「軍人が真に軍人たらんとし、貴族が真に貴族たらんとすれば、革命など必要ない。
結局、彼らは自らの延命しか考えていないのだよ、同志大佐。」
ブルガネスは深いため息をつくと、紙巻煙草に火をつけた。
「やるかね、同志大佐。」
「折角ですが、願掛けとして煙絶ちをしていまして。」
ブルガネスが煙草を勧めると、大佐は笑顔を浮かべつつ断った。
「ほう、革命戦士ともあろう者が随分と——。」
「迷信的、ですか? それをおっしゃるなら同志、この〈野戦放送局〉も、随分と。」
二人が囲むテーブルには、壁に張り出されたのとは別の、バーレンハイムの地図がある。
「円、およびそれに内接する正多角形は、最も幾何学的に安定した形だ。これは科学だよ、同志大佐。」
「生憎と、砲術教範は苦手でして。幾何学はどうにも。」
大佐はとぼけて見せるが、ブルガネスはこの大佐が砲兵出身であることなど知っているし、大佐にしてもそれは先刻承知だった。
「いずれにしても、我々は——。」
ブルガネスは、地図の中心、宮殿の位置に煙草を押し付ける。
一陣の風が吹き、ブルガネスの腰まである長髪を揺らした。
「〈歴史〉を包囲する。文字通り。」
***
帝国暦一八一九年三月十九日午後、ミルダネスの摂政任命受諾演説の後、帝都バーレンハイム郊外。
帝都郊外の廃屋に、革命派民兵のキャンプが形成されていた。
「おい、聞いたかい。ミルダネスだってよ、臨時政府の新しい親玉は。」
ボロボロの野戦服を着た中年女性——元帝国軍軍曹の革命派民兵——が、コーヒーを勧めながら、若い民兵へ声をかける。
「ミルダネス? 誰だそいつは。」
若い革命派民兵は、それよりもコーヒーだと言わんばかりに、乱暴に応じた。
「お前さん、知らないのかい? 〈常勝元帥〉ミルダネスだよ。教科書にも載ってるだろ。」
中年の革命派民兵が声高に笑う。
「ガッコに真面目に行ってりゃ、こんなトコで管巻いてねえよ。」
若い革命派民兵は不貞腐れたようにコーヒーを飲み込むと、「アチ!」と叫んだ。
「それにしたってお前……。これだから若い連中は。」
「おいおい、若い連中の中でもこいつは別格だよ。
俺は知ってるぞ。その時のテストで満点もらったんだ! 今でも実家に飾ってあるよ!」
中年の革命派民兵が呆れると、別の若い革命派民兵が茶々を入れる。
中年の革命派民兵は顔をしかめて、同年代の民兵の所へ歩いて行った。
こんな会話が、帝都郊外のあちこちで交わされていた。
多くの帝国人にとって、ミルダネスとは英雄であり、帝国の歴史そのものである。しかしそれは、多くの時代、多くの国の若者にとって歴史がそうであるように、黴の生えた知識とも言えた。
特に、大戦直前に生まれた〈新世紀世代〉にとって、祖国統一戦争にしてもその後の植民地戦争にしても、まるでおとぎ話のような遠い昔の話である。彼らにとって現実とは、終わりなき世界大戦であり、果てしなき欠乏であった。
「——大尉殿、コーヒーはいかがです?」
中年の革命派民兵が、今度は同じくボロボロの野戦服に身を包んだ革命派民兵に、コーヒーを勧める。
「ありがとう、同志軍曹。だが〈殿〉はやめてくれ、いかにも帝国軍式だ。」
「いやあ、私らにとってはいつまで経っても大尉殿は大尉殿ですよ。」
二人は、ここが武装蜂起の拠点であることも忘れて、高らかに笑った。
「そうか。いつまでも私は〈大尉殿〉か。
——もしかすると、元帥閣下も。」
「若い連中はあまり気にしていないようですが、やはり大尉殿は。」
ああ、と首肯すると、〈大尉殿〉は深いため息をついた。
「私にとっても、ミルダネス元帥閣下はいつまでも〈親父殿〉だ。あの声を聞けば、尚のこと。
それが、敵味方になってしまった。」
「どうしたもんですかね、これは。」
「どうもこうもあるまい。既に我々は血を流したのだ。他の連中は知らんが、私は今更引き下がれんよ。」
「私らの仕事は〈アレ〉の設営でしょうに。まったく大尉殿は、律儀なんだか何なんだか……。」
軍曹と呼ばれた革命派女性民兵が、窓の外を見上げる。
廃工場の屋上に、粗末なバラック小屋ができていた。
「〈アレ〉にしても、結局は人殺しの片棒担ぎだ。
——あと何個だ、同志軍曹。」
「全十二箇所中、三箇所と聞いています。我々の受持ちは四箇所ですが、今朝の作業で最後の一箇所が粗方仕上がりました。それを抜きにすれば他所の隊の受持ちだけで、二箇所ですね。」
「それなら一同コーヒーを飲み終えたら、私と同志軍曹、それと最低限の守備要員だけ残して、後の者を他所の応援に回そう。」
「人民裁判所の方には回さなくてよろしいので?」
「それこそ愚問だよ、同志軍曹。
若い連中は血に酔いやすいが、子供から酒を取り上げるのは大人の仕事だろう?」
***
帝国暦一八一九年三月二十日、帝都バーレンハイム、帝国学士院会館。
「したがって、中央評議会は——我——であり——すなわち、革命の大義——皇——反動——。」
皇族たちの詰める会議室に置かれたラジオからは、時間を問わずひっきりなしに、革命派によるラジオ放送が流れ続けていた。
「いい加減ラジオを切れ! 頭がどうにかしそうだ! 誰だ! ここにラジオを置いたのは!」
皇子中将宮ヴァイネスが、テーブルを叩いて叫ぶ。
「わたくしが持ってこさせました、兄殿下。これは敵情収拾のために必要なことです。」
皇太女博士宮ヴィクタリースが淡々と応じる。その視線は卓上の地図に向いており、ヴァイネスを一瞥もしない。
ヴァイネスは、強く舌打ちした。
「労働——搾取構造——植——解放を——しかし、列強——独善——祖国の人民を結局は——。」
「なら、せめて音量を下げろ。思考にも会話にも集中できん。」
ヴァイネスは頭を掻きむしると、何とかこう絞り出した。
「あら、それは失礼を。わたくし、集中すると何も聞こえなくなるものですから、つい。」
ヴィクタリースは悪びれずに応じると、皇太女侍従に命じてラジオの音量を絞らせた。
「——革命——たる者は………………。」
「……よし。
ヴィクタリース。お前にかかれば、革命派の妨害放送も形無しだな。」
ヴァイネスが皮肉を言いつつ破顔する。大戦の戦局が悪化して以来久しく心から笑ってないが、この憎らしい妹にして政敵の浮世離れした態度が、この極限状況下ではやけにおかしかった。
「これは、妨害放送などではございませんよ、兄殿下。」
ヴィクタリースが相変わらず地図の一点を見つめながら、ヴァイネスに応じる。
「どこがだ。支離滅裂な演説を断片的に繰り返して、我々を撹乱しようとしているだけなのではないか?」
ヴァイネスが鼻を鳴らす。
「戦場ではよくある手だ。平文の無線通信と見せかけて、相手を撹乱する。
——やはり耳障りだ、切るぞ。」
ラジオのある方へ歩き出そうとするヴァイネスの手を、ヴィクタリースが掴んだ。やはり、地図を見続けながら。
「いけません、兄殿下。この放送には意味があるのです。」
「意味? どんな意味があるというのだ。
ブルガネスとかいう叛徒の首魁、穴居族の女だそうだが、家具でも絨毯でも作っていれば良いものを——。」
ヴァイネスはそう言いかけて、背後にいる皇太女侍従が、穴居族の女性であることを思い出した。
「——中佐、他意はない。許せ。」
「解っておりますとも、中将宮殿下。まだ幼いみぎりに、殿下の身の回りのお世話をしていたのは私ですから。
それより博士宮殿下、この放送の意味とは?」
皇太女侍従の中佐が問うと、ヴィクタリースは初めて地図から顔を上げて、答えた。
「意味はいくつかあります。
まずは、革命派に対する純粋な鼓舞。各地の守備隊や共和派民兵の報告では、革命派は民兵と〈無断除隊〉兵の混成部隊のようです。それをまとめ上げるには、強力な理念と指導力が不可欠でしょう。内容を聞く限り、断片的ではあっても、革命の大義と思想を謳う内容なのは明らかです。
次に、断続的な放送の必要性。兄殿下もお聞きのとおり、革命派の放送品質には揺らぎがあります。それでも放送を続けなければならない状況に、彼らはある。
——兄殿下。士官学校では、ミルダネス元帥摂政公のことを、どのように教えますか?」
ヴィクタリースがヴァイネスに水を向ける。
「そんなもの、決まっている。建国期の英雄、〈常勝元帥〉。帝国の歴史と共に歩んだ英傑。
第一、戦前のミルダネス閣下は士官学校や軍大学の教壇にも立たれたのだ。己自身、随分と扱かれた。
——あの巨躯と威厳を前にすると、己が皇子であることすら忘れそうになるよ。軍政上の方針は異なるが、あれは人物だ。それを知らぬ者はいない。」
ヴァイネスが応じると、ヴィクタリースは口角を上げた。
「そう。だからこそ、わたくしたちはあの方を摂政に選んだ。あの方の記憶は、帝国人の奥深いところに刻まれているから。
——それは、革命派も同じとは思われませんか?」
ヴァイネスがゆっくりと口を開けるが、声が出ない。
「お取り込みのところ、失礼しますよ。」
会議室に、一層煤けた背広を纏ったボアライトが入ってくる。
「ヴィクタリース博士、ヴァイネス将軍。先ほど、バーレンハイム北部で革命派民兵の集団投降がありました。」
ヴァイネスは、驚愕の色を一層濃くした。
「馬鹿な! 包囲している側が包囲されている側に投降だと?! 何かの間違いではないのか!」
「ヴァイネス将軍、私自身が指揮官を引見して来たのです。事実ですとも。」
ヴァイネスの追及に、「心外な」という風に長耳を立てて、ボアライトが応じる。
「軍事的にありえん! まったくの下策だ! ——大方、素人民兵が恐慌状態で駆け込んできたのだろうが!」
「いいえ、将軍。むしろ逆でしたよ。やけに統制の取れた集団でしたので確かめてみたら、投降してきた民兵全員が、元は帝国軍の脱走兵でした。
前線での行方不明を装って、部隊ごと脱走していたようですな。」
「——〈無断除隊者〉共か。それも、組織的な。帝国軍の面汚しめ。」
ヴァイネスが眉間に手を当てると、ヴィクタリースがボアライトに歩み寄る。
「それで、ボアライト会長。投降の動機はわかりましたか?」
「ええ、ヴィクタリース博士。誰も彼も、言うことはこれだけでしたよ。
『ミルダネスと戦いたくない。ミルダネスに吊るされたくない。』とね。」
「ありがとうございます。
少し休まれたら、今度はシルヴァニス伯のところへ行っていただけませんか? 食料配給の件で、ご相談があるそうですから。」
「ええ、引き受けました。職人仕事なぞしていると、方々駆けずり回りますからなあ。なんの、なんの。」
ボアライトはそう言い残すと、皇太女侍従の持ってきた紅茶を一気に飲み干して、また出掛けてしまった。
「嵐のようなやつだ。いや、砲弾おやじとでも呼ぶべきか。
内戦が片付いたら高射砲に詰め込んでやれば、喜んで飛んでいきそうだ。」
ヴァイネスがまたも皮肉をこぼす。
「確かにお前の言うとおり、役には立つ男だ。こういう戦いでは、特にな。
しかし、わからんことがある。なぜ奴らの放送はこうも不安定なのだ?
やはり、雑音を流し続けて情報を撹乱しようとしているようにしか、己には思えないが。」
ヴァイネスの疑問は尤もである。
最初にブルガネスが海賊ラジオ局から放送したとき、その放送は安定して、確かに帝都全域に届いていた。ヴァイネス自身、当初は公共ラジオ局が革命派に占拠されたものと疑ったほどである。
しかし現在の革命派は、ほとんど一日中ひっきりなしに放送を続けていながら、放送品質が安定しない。声を聞くに生放送で、ブルガネス自身が放送していそうなことはわかる。時間帯によって安定することもあれば、今のようにほとんど聞き取れない場合もある。ヴァイネスには、これが解せなかった。
「わたくしも、そこに引っかかっているのです。
今、マルクヴォー元帥閣下にお願いして、調べていただいています。」
「それが、手がかりだと?」
「はい、兄殿下。
わたくしの考えでは、そこに何かが——いいえ。」
ヴィクタリースは卓上に置かれた地図に、大きな円を描いた。
「きっと、すべてが。」