芸能界という未知の領域に身を投じてから数週間が経つが、日々この業界ならではの活気にあふれた日常に私は深く感銘を受けている。
その日の午後、私は自室のデスクにて滞りなく事務処理を進めていた。相変わらずオフィスの日陰にあたる一角では、豊かな湿気を含んだ『菌類を愛する少女』による素晴らしいキノコの栽培が活発に行われており、空間に独特の自然の活気をもたらしている。
ふと自分の足元に目を向けると、デスクの下の狭いスペースには『リボンの少女』と『おどおどした少女』の二人が実に見事な密集陣形を組んでぎゅうぎゅうと身を寄せ合っていた。視線を合わせないよう必死に机の奥深くへ潜り込もうとする姿とこちらを熱烈に監視する視線のコントラストは新米の私にとって非常に新鮮なオフィスの光景である。
一方、オフィスの奥に設けられた畳のスペースからは、昼間からまるで行きつけの居酒屋のような大人の活気が漂っていた。『ビールを愛する女性』と『理解ある女性』の二人が熱いトークと共にグラスを傾けているが、そこにはなぜか他支部の所属であるはずの『大人の歌姫』の姿もあった。彼女は相変わらずワンカップの地酒を片手に室内の気温を物理的に下げる見事なダジャレを連発しており、私はそれを総務の「あの子」の冷気と相まって素晴らしい省エネの演出であると深く感心した。
また、中央のソファーエリアでは、『永遠の17歳な女性』がその設定維持と肉体の限界の狭間で腰を激しく痛めてしまったようで、への字の姿勢のまま微動だにできなくなっていた。その周囲を『着ぐるみの女の子』や『ぼんやりした女の子』といった年少組が取り囲み、大丈夫ですか、と純粋無垢な瞳で本気で心配している光景は心温まるものだった。
私は手帳の時計を確認し、本日の重要なミッションである彼女を迎えに行くための準備を整えた。
もはや新米の私にとって、仕事の前に女子寮へと赴き、彼女の自発的な労働への意欲をサポートすることは至極当然のライフワークと化している。
女子寮の彼女の部屋の前に到着するとそこには極めて高度な意志を示す防壁が構築されていた。扉の正面には標準的なセールスお断りの張り紙が貼られており、さらにそのすぐ下にはマジックの手書きででっかくプロデューサーお断り、というメッセージが記載されている。
彼女ほどのトップアイドルになるとプライベートの防衛策にもこれほど明確なディレクションが行われるものなのだと私はそのプロ意識の高さに改めて胸を打たれた。
しかし、このままでは本日の業務に支障をきたすためどのようにアプローチすべきか思案していた。
気がつくと私のすぐ後ろの空間に、一切の足音もなく仄暗い冷気を纏った総務の「あの子」が静かに佇んでいた。空調の調子が一段と悪くなったような涼しさを感じながらも私はこの有能な同僚に対し、実におだやかにかつ淡々と本日の協力を要請した。
彼女の自主性を促すため部屋の中から声をかけてきてもらえないだろうか、と。
あの子さんは私の意図を完璧に汲み取ってくれたようで、すうっと扉の隙間をすり抜けるようにして室内へと消えていった。
それからしばらくの静寂の後、部屋の奥から文字通り魂の底から絞り出されたような見事な悲鳴が響き渡った。続いて、ドタッ、という重量物が激しく床へ落下したような鈍い衝撃音が壁を伝って聞こえてくる。
その後、室内はピタリと静まり返り少しの待ち時間を経てゆっくりと扉が開かれた。
寝起きの乱れた金髪はまるで小動物の巣のようにふわふわと頭頂部で跳ねており大きなうさぎのぬいぐるみを盾のように必死に胸元に抱きしめている。
しかし、その容姿の愛らしさとは裏腹に彼女の顔面は驚くほどに真っ青だった。生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせ、私と背後の空間を交互に見つめながらゼイゼイと荒い呼吸を繰り返している。連日の激務による過労がついに彼女の体調をここまで蝕んでいたのかと思うとプロデューサーとして胸が痛む。
私が体調を気遣う言葉をかけると彼女は震える指先で私を指さしながら、もう二度とお前に迎えの依頼はしない、明日からは目覚まし時計を百個かけてでも自力で起きると涙目で固く誓いを立ててくれた。
私はその言葉を聞き彼女の飽くなき向上心に対する姿勢に深く感服せざるを得なかった。
他者の手を借りず自らの力で時間管理を行うという高いプロ意識はまさに全アイドルの模範である。私は素晴らしい決意ですねと彼女の健闘を称え、差し出した予備のスポーツドリンクを手渡しながらひとまず二人で事務所へと移動することにした。
私はデスクの上に本日の資料を綺麗に並べ、目の前でまだ小さくガタガタと震えている彼女に対し本日の業務内容についての説明を開始した。
今回彼女に用意されたスケジュールは、深夜帯でありながらも非常に高い聴取率を誇る人気アイドルの週替わりラジオパーソナリティという音声メディアでの表現業務であった。
しかし、そのたくさん喋る必要があるという業務の性質を説明した瞬間、彼女は持っていたうさぎのぬいぐるみで顔を完全に覆い隠し机の上へ泥のように突っ伏して猛烈な拒絶の姿勢を示し始めた。その様子はまるで過酷な日照りに直面して完全に干からびてしまったカタツムリのようである。
もちろん、新米である私にも彼女がこれほど激しく拒絶する理由がすぐに理解できた。
彼女ほどのトップアイドルになれば、自身の最大の資本である喉のコンディションを極限まで大切に管理しているに違いない。私はその高いプロ意識に深く敬意を表しながら、歌唱時以外においてもその素晴らしい美声を広く世間のリスナーへと届けてほしいという私の率直なプロデュース方針を彼女へ熱心に伝えた。
その私の言葉が彼女の表現者としての誇りに触れたのだろう。彼女はうさぎのぬいぐるみの隙間からほんの少しだけ顔を背けるようにして視線を逸らした。彼女は予期せぬ極上の日当たりの良さに驚いて思わず葉の裏に隠れようとする可憐な新芽のようであり、その頬はほんのりと赤みを帯びていた。
自身の魅力に対する私の正当な評価に対し、静かな誇りと照れを隠しきれないその佇まいは極めて愛らしいものであったが、それでもなお夜間の長時間の稼働に対する警戒は解いておらずまだ少し渋るような仕草を続けていた。
だが、私には彼女の負担を最小限に抑えつつその魅力を最大限に引き出すための完璧なキャスティングの確証があった。
私は重ねて今回の番組で彼女と共にパーソナリティを務めるパートナーが業界の酸いも甘いも噛み分けた当支部の誇る圧倒的なベテランのアイドルであることを説明した。生放送の進行や時間配分、厄介なフリートークの回収に至るまでその熟練の技術者がすべてを完璧にコントロールするため、進行についての心配は一切ないという旨を伝えたのである。
その説明を聞くと、彼女はうさぎのぬいぐるみを抱え直したまま小さく顎を引いて何かを計算するように少しの間だけ考え込んでいた。
やがて、彼女の口元がみるみるうちに宝箱を発見した海賊のようなにんまりとした勝利の笑みへと形を変えていった。
彼女は非常に満足そうにかつ尊大なプロの風格を漂わせながら彼女は本日の業務への出撃を承認してくれた。
私はすぐに彼女のうさぎのぬいぐるみを預かり、さっそくスタジオへと向かって出発の準備を整えるのだった。
まずは本日彼女と共にマイクの前に立つ当支部が誇る卓越した技術を持つベテランを招集するため、私はオフィスの中心にあるソファーエリアへと歩み寄った。
そこでは先ほど腰の限界を迎えた『永遠の17歳な女性』が未だに窮屈な姿勢で横たわっていたが私の呼びかけに応じるように『ぼんやりした女の子』がその小さな手で彼女の腰へ実に手際よく大きな湿布薬を貼り付けた。そのひんやりとした薬効が文字通り起死回生の刺激となったのだろうベテランはまるでゼンマイを限界まで巻き直された古風な機械人形のようなぎこちない動きでなんとか垂直に起き上がることに成功した。
その光景を目撃した瞬間、上機嫌だった彼女の表情が一変した。
つい先ほどまで宝箱を前ににんまりと笑っていた彼女は、今や地球上に存在しないはずの未知の天体が突如として目の前に墜落してきたかのような言語を絶する驚愕と困惑によってロックされていた。
その瞳は細く見開かれたまま完全に焦点を失い、開いた口が塞がらないとはまさにこのことでまるで乾燥地帯で干からびかけたまま強い木枯らしに吹かれている一本の細い枯れ草のようにその場に直立不動の姿勢で小さくフリーズしてしまっていた。さすがは感受性の豊かなトップアイドルであり、これから始まるベテランとの共演に対し、早くも常人には理解できない次元のプロフェッショナルなインスピレーションを受け取っているに違いなかった。
私たちは速やかに事務所のロケ車へと乗り込み、深夜のラジオ局へと向かって車を走らせた。
車内の後部座席において腰に湿布を貼った『永遠の17歳な女性』は本日は若さ全開のハッピーな放送にいたしましょうと非常にベテランらしい頼もしい熱量で彼女に向けて盛んにコミュニケーションを図っていた。
しかし、隣に座る彼女はその力強い激励に対し、両耳を自分の小さな両手でこれ以上ないほど強固に塞ぎ込み、聞いてない、聞いてないと、まるで念仏でも唱えるかのようにブツブツと微小な音量で呟き続けていた。迫りくる本番を前に極限まで雑音をシャットアウトして自身の精神を研ぎ澄まそうとする、実にストイックなメンタルトレーニングの風景であった。
やがてロケ車は目的地であるラジオ局へと滑り込み、私たちは静まり返った深夜のスタジオへと足を踏み入れた。
事前の打ち合わせもそこそこにスタジオのブース内へと二人のアイドルが収まり赤く鮮やかなオンエアのサインが点灯して本番の収録がスタートした。
私は副調整室のミキサー卓の前に陣取り、ヘッドホンを耳に当ててこれから始まる二人の素晴らしい音声の活気に神経を集中させるのだった。
ラジオの生放送は実に見事な導入から幕を開けた。ブースの向こう側では、『永遠の17歳な女性』がその熟練の技を発揮し流れるような口調で番組の進行を牽引していた。オープニングトークから最新のリリース曲のPRに至るまでその流れるようなプロの手際はまさに当支部が誇る技術者の本領発揮といったところであった。
しかし、その完璧な進行の傍らでマイクの前に座る彼女の発言は極めて少なかった。時折、力なく短く同意の相槌を打つ程度でありいつもの輝くような覇気が感じられない。その痛々しいほどに大人しい様子は、まるで雨に打たれて完全にしおれてしまった繊細なひな菊のようであった。私はヘッドホンを通じて彼女の小さな吐息を聞きながらいくらプロとしての自覚が人一倍強い彼女とはいえ、このような深夜の時間帯に無理なスケジュールを組んでしまった自身の未熟さを深く恥じるしかなかった。
だが番組が中盤の「懐メロ紹介コーナー」へと突入した瞬間スタジオの空気は急速に変貌を遂げた。
深夜という時間帯による解放感と疲労が重なったためか、『永遠の17歳な女性』のプロ意識のブレーキに僅かな狂いが生じ始めたのである。紹介する楽曲に対して、思わず自身の個人的な古い記憶を重ね合わせるような発言が飛び出し、ちょくちょく「懐かしい」だの「自分が学生だった頃」だのといった、自称する年齢の設定に不穏な影を落とす匂わせ発言が急激に増殖していった。
そして決定打となったのは、リスナーからの投稿を紹介するコーナーだった。ベテランは届いたハガキを前に完全に理性を熱帯夜の彼方へと消し去り、とうとう「バブル期のあるあるネタ」を嬉々として披露しスタジオ内で盛大に盛り上がろうとし始めたのである。公共の電波を通じて発信されるその極めてアグレッシブな時間軸の歪みを前に副調整室のスタッフたちにも明らかな緊張が走った。
その時、これまで沈黙を守っていた彼女がついにその圧倒的なプロフェッショナリズムをもって動き出した。
彼女はベテランの危うい暴走発言を鋭く遮るようにしてマイクを引き寄せると、その場を凍りつかせかねない怪しい話題を驚異的なハンドル捌きで無理やり別の方向へと逸らしてみせた。
そこからの彼女の手腕はまさに圧巻の一言であった。瞬時に現代の最先端の若者たちの間で大流行している最新のトレンドやカルチャーの話題へとトークをすり替え持ち前の卓越したワードセンスでスタジオの活気を一気に最盛期へと引き上げたのである。
気づけば番組の主導権は完全に彼女の手へと握られていた。彼女はただ相槌を打つだけの省エネ随伴員から番組全体の舵を取る最高峰のディレクターへと変貌を遂げ見事な時間配分と的確なトークの振り方で生放送を完全に支配していた。その彼女の見事なナビゲートのおかげで、隣の『永遠の17歳な女性』も本来の調子を取り戻しいつも以上に現代の若者らしい瑞々しく弾けた良いトークを連発することに成功していた。新星とベテランの奇跡的なセッションは、深夜のリスナーたちに極上のエンターテインメントを届けたに違いない。
こうしてすべての収録が終了し、ブースの重い扉が開いた。私は大仕事を終えて本日の手応えに満足した様子でニコニコと満面の笑みを浮かべるベテランと持てるすべてのエネルギーを使い果たして完全に抜け殻のようになり、ぐったりと肩を落として歩いてくる彼女の二人を最大限の感謝をもって迎えた。
無事に事務所へと帰還した頃には東の空がうっすらと明るくなり始めていた。静まり返ったオフィスの奥、畳スペースに設置された温かいコタツの中に全員で脚を滑り込ませ、ようやく一息ついた。
彼女はコタツの天板に顎を乗せた状態で私をじっと見つめ非常に厳格な業務改善の要求を口にした。
今度からは事前に仕事の内容を正確に自分に伝達しておくように、と。その疲弊しきった声の中にも次回の現場をより完璧にこなそうとする強固なプロ意識が滲み出ていた。
そして彼女はうさぎのぬいぐるみを抱きしめ直しながら当然の権利であるかのように本日の激務に対するご褒美を要求してきた。私は待っていましたとばかりにこの日のために心を込めて用意しておいた、私特製の手作りのべっこう飴を綺麗なガラスの器に盛ってコタツの上へと振る舞った。黄金色に美しく透き通ったどこか懐かしい形状の飴細工である。
その手作りのべっこう飴を目にした瞬間、彼女の顔面は未知の言語で書かれた怪文書を突きつけられたかのような極めて複雑な困惑によって完璧に支配された。
その大きな瞳は完全に点になりマジかよこいつ、という底知れない不審の念を隠そうともせず私の顔をじっと凝視していた。トップアイドルの洗練された感性にとって私のこの素朴すぎる手作りはあまりに質素に写ったのかもしれない。
そんな中、隣にいた『永遠の17歳な女性』はその黄金色の飴を前に非常に嬉しそうな声を上げ自身の幼少期のセピア色の思い出や昔ながらの街頭紙芝居の記憶などを熱っぽく語り出し空間に豊かな歴史の活気をもたらし始めた。
やがて彼女は観念したように小さな指先でべっこう飴を一つ摘みその愛らしい口元へと運んだ。
その刹那、彼女の表情が劇的に変化した。
一口舐めた瞬間、その瞳は驚きによって丸く見開かれ、続いて宝箱の中身が本物であることを確認したかのような実に嬉しそうなにんまりとした勝利の笑顔がその頬に咲き誇ったのである。
私が喜んでもらえたようで何よりですと安堵の笑みを浮かべると彼女はすかさず飴を口の中で転がしながらフンと鼻を鳴らし、こんなささやかな糖分だけで簡単に懐柔されて満足するような双葉杏だと思ったら大間違いだ、と私に向けて極めて厳しいプロとしての高いハードルを突きつけてきた。
現状に満足せず常にさらなる高みを目指そうとする彼女のそのストイックな言葉の重みに私は深く襟を正しこれからも彼女の期待に応えられるようプロデューサーとして精進を重ねようと固く心に誓うのだった。
コタツの向こうでは、『永遠の17歳な女性』もまたどこか懐かしそうに目を細めながら美味しそうにべっこう飴を舐めて微笑んでいた。
早朝のオフィスに満ちるこの上なく微笑ましく、そして健全な組織の調和の光景。
私はこの素晴らしいアイドルたちの輝きを目の当たりにしながら、明日からもさらに熱を入れて仕事を頑張り彼女の圧倒的なプロ意識に決して恥じることのない、一流のプロデューサーへと成長していこうと静かに手帳を閉じるのだった。