黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_04 古新聞の屋根の下

 4月の上旬に差し掛かった頃、少しだけ状況は上向いていた。

 

 足繫く通っているうち、蚤の市で掘り出し物が売ってそうな品揃えの店がマギーにもおおよそ分かってきた。人によって求める品は異なっている、マギーが欲しがっている品は、辺土のポレシャ居留地で供給不足となっている資材や物資が多い。

 

 例えば、しっかりした木板やタープ(シート)。鉄くずに釘、簡素な工具の類。これらは確実にポレシャで良い値を付けた。勿論、蚤の市に流れてくる事は少ないのだが。あとは、痛みの少ない布に比較的に頑丈なピューターの食器類。電子部品なども鉄板だった。

 

 ズールは大都会だけあって、古新聞や煙草の吸いさしなどもいくらでも手に入るが、それを目当てに駆け回るのは割に合わなかった。自由都市に拠点がある訳でも無し、ついでならともかく、それを集める為に時間を掛けても、稼ぎとしては全然見合わない。ニナは小遣い稼ぎをしているようだが、程ほどに収めているのは賢明だろう。

 

 ポレシャ居留地の雑貨屋のカウンターで、マギーが仕入れたガラクタを引き取った爺さんが半ポンド紙幣を数えている。

「7、8、9……これで 17ポンドと9シリング 」

 老店主が30枚ほどの紙幣を差し出してくる。

「やったね!」ニナが飛び上がった。

「お、おう……やったぜ」些か女の子らしくない合いの手を打ってから、しかし、マギーは、僅かに首を傾げている。

 多いように見えて、運搬の人件費と旅の危険性は度外視している。それで、純利益は52クレジット。先週は爺さん、風邪を引いて店を閉めていた。なのでおおよそ2週間分の取引だった。日当2日分の稼ぎというのは、決して馬鹿にならない金額だが、まともに働いた日々の賃金と比べるべくもない。正直、労力に見合っているかはマギーにも確信できなかった。

 

 マギーたちの後ろで買い取りを待つ客たちが、羨ましそうに光景を見つめていた。居留地で暮らす廃墟漁り(スカベンジャー)の兄ちゃん、姉ちゃんらだ。視線には、羨望とも嫉妬ともつかない色が混じっている。

「……行商だってさ」

「命の危険も無しに20ポンド……20ポンド」ボソッと低い声で呟いている。

 そんないいもんじゃないぞ、と言ってやりたかった。そんなに言うなら、自由都市とポレシャを毎月、往来してみせろとも腹立たしくなる。これが一過性の稼ぎではないか、との不安もマギーの心にはくすぶっていた。今回の稼ぎはたまたまの幸運で、次回も似たような金額を期待すると痛い目を見るかも知れない。そんな風に警戒している。

 

 危険な廃墟漁り(スカベンジャー)なんかやめて、日銭を稼いで暮らせばいい。そう思いかけて、マギーも思わず自嘲の笑みを浮かべた。だって、マギーたちにしてからが、日銭での暮らしに満足できず、危険を冒して行商で稼いでいるのだから。

 

 

※※

 

 

 一口に居留地で暮らす渡り人(オーキー)や自由労働者と言っても、生活水準の差には開きがある。十数年、数十年と腰を据えて地道に生活基盤を築き、家を整え、必要な物資を着実に買い揃えてきた一家の暮らしぶりは、移住者なりの豊かさと安定感を保っている。土壁や粘土に藁ぶきの屋根など、しっかり作った小屋には殆んど雨漏りの心配もなく、暖を取るための燃料も十分に備蓄されている。穏やかに団欒する一家の姿は、一見すると渡り人(オーキー)の家族というより、地元に根を下ろしている農民や村人のようにも見える。

 

 

 マギーとニナは最近、ポレシャに流れてきた。やはり新参者の多い町外れに棲みつくと、路地裏の一角に小さな扉を設けて家としている。屋根もなければ、壁もない。家具もなければ、衣服も持たない。ないない尽くしの地べたが塒の浮浪者なんて、黄昏の世には珍しくもない。

 

 両隣と奥を壁だけ残った廃屋に囲まれた狭い袋小路が、マギーたちの塒だ。

 壁の古い扉口は煉瓦で封じてあるので、今の入り口は一箇所に限られている。入り口に設置した木造の頑丈な扉をつい先日、百五十センチの高さまで建て増した。怪物が寄ってきても、巨大鼠や働き蟻くらいなら防いでくれる。ゾンビや野犬でも多分、大丈夫だが、変異獣などが襲ってきたら、どうしようもない。二人が寝ている時に来ないように祈るしかない。

 

 

 地面に敷いた薄い段ボールを寝床に、それでも最近は、古新聞に不自由しない。

最初は天井に縄を張り巡らし、ビニールを下地に、接着剤やニスを塗って新聞紙で屋根を作った。紙の建材はいずれは劣化する。定期的な張替えに手間暇増えるので、あまり屋根を広げても意味はない。寝床の上と竈の周囲、それに奥まった場所だけ屋根を作って、それでも多少の雨を防いでくれるだけ、黄昏の世の風来坊にとっては有り難いものだ。雨漏りを防げない?逆に考えるんだ。

 ちょっと雨を防いでくれるぞ、便利だな。と思えばいい。

 小雨程度であれば、殆んど不快さは感じない。野宿などよりよほどましで、小ぬか雨の日など、廃墟暮らしのトリスなども雨宿りしに来ることもあった。

 

 今も蛙の肉を土産に、姉妹分のマギーたちの塒に避難してきている。マギーは、チーズや肉を入れた雑炊を鍋に似ており、ニナは腕立て伏せを行っていた。

 

 ニナは、常に鍛錬を積み重ねている。さぼる事は少なかった。痩せた小柄な小娘だが、反射神経と体幹、運動神経は悪くない。

 居留地も下層地区の町外れとなれば、常に怪物の侵入に脅かされている。年に二、三度は、バリケードの裂け目から巨大鼠なり、ゲッコーや野犬なり、何かしらの野生動物が潜り込んでくる事もあれば、ゾンビや変異獣が人を食い殺す事件も起こりえた。黄昏の世に渡り人(オーキー)はいつ何時、怪物と相まみえるかは分からない。そして、別に怪物と真正面から殴り合う必要はない。居住区であれば、自警団なり民兵がやってくるまで逃げ回るのも、立派な選択肢であった。

 

 

「……今週の利益は11クレジット。ほら、見ろ。こんなもんだよ……分かっていたさ」ノートを眺めてぶつぶつ呟いていたマギーだが、ふと思い出したように布の背負い袋から土産物を取り出した。

「ほら、トリス」小さな紙袋を手渡した。中には罠に使える針金や煙草の吸いさしが入っている。

「どうも、姐さん」礼を言う廃墟娘のトリスに、取引に使える煙草の葉は命綱となっていた。

 廃墟暮らしの危険さは、仮にも居留地の町外れとは比較にならない。居留地では、住人は怪物が侵入してこないか不安を抱く生活だが、廃墟では怪物が土地の主であり、人間は見つからぬよう息を潜めて、ひっそりと暮らしている。

 

 そんな領域で多少なりとも稼げる伝手と手段をもって、夜には寝床を確保できる暮らしは、生存率を一段か、二段、引き揚げてくれている。勿論、トリスとて危険な廃墟暮らしの少女。いつ、突然に顔を見せなくなっても不思議ではない。

 

 マギーには、そして勿論、ニナにもトリスを助けるような余力は到底持ってない。

多少、利のある取引をしてやれるのだけが精々で、トリスも得た利を利用して、精一杯に生きていた。マギーたちも、トリスも、互いにそのことを理解している。

 

 マギーたちからしていつ、交易路で命を落とすか分からない。だから、一緒にいる時は、せめて愉快に相手を慮って過ごすのだけが、三人の精一杯の友情だった。

 

 ところでこの時、隣人のリリーも雨宿りに訪れていた。乾燥させてある煙草の葉を取ったリリー。落ち着かなげに左右をうろうろと見てから、古新聞の天井を見てパッと笑顔を浮かべた。手を伸ばして屋根を毟ると、煙草の葉を包んで丸め、吸い始める。

「うまぁ」

「わあ、人の家を煙草にするんじゃない!」あまりの暴挙に、ニナが思わず叫びを上げた。

「……煙草のお家。夢みたい」作ったばかりの屋根を破壊して、うっとりとリリーが呟いた。

「リリーの存在が悪夢だよぉ!」叫ぶニナ。

 

 

 

 貧しい渡り人(オーキー)や自由労働者が貧困から抜け出せない理由の一つが、財産の保全にあった。家具や衣服などの財貨を窃盗から守るための有効的な手立てが少ない。マギーにしてからが鍵のかかる部屋や家を持たない以上、財産は持ち歩ける荷物に限られるのだ。有効な手立てのひとつが留守番で、もう一つが信頼の出来る誰かに預ける事であった。いずれにせよ、仲間は慎重に選ばなければならない。裏切られたら、大きな痛手を受けることになる。人格だけではなく、能力や性格においてもだ。忠実で懐いていても、臆病な子犬を番犬にする者はいない。

 

 リリーがうっとりと煙草を吸うたびに、古新聞の屋根が少しずつ消失していく。それを見ながらマギーは、信頼できる預け先や勧誘相手としての選択肢を無言で却下した。リリーを眺めて「……ないな」マギーは頭を振った。一つの可能性が費えた瞬間であった。

 

 

 ※※

 

 

 居留地での農作業や水路の浚渫、建設現場の作業などで、マギーは日当15から20クレジットを稼いでいる。これはポレシャポンドにして3ポンドから4ポンド。自由労働者としては、間違いなく多い方だ。体力があるし、気が利く方だからか、幸い、雇い主に気に入られる事も多かった。

 

 百クレジット程度なら難なく貯められるだけ稼ぎはあるが、しかし、冬明けにはどうしても支出が多くなる。二人分の新しい靴下と下着。少し厚手の上着に継ぎ当てだらけのズボンも買い替えたし、さらには継ぎ接ぎ用の布に針と糸も買った。薄手のマフラーと手袋。下着や靴下には予備も必要で、いずれも古着屋で購入したものだが、それだって決して安くはない。

 

 元々が着の身着のまま、裸一貫の風来坊に近かったから、散財はある意味仕方ないとも言えるのだが、今日は20クレジット、明日は10クレジットと金が飛んでいき、中々に貯め始める為のフェーズが始まらない。加えて服が増えれば、洗濯だって手間がかかる。洗濯屋に頼むか、自分たちで洗剤と洗濯ばさみを買い揃えるか。どちらにしてもさらに金が掛かる。

 

 食事も肉を含んで、かなり多めに取っている。新鮮なジャガイモのマヨネーズ和えにブロッコリー。春野菜のキャベツと人参。ラディッシュの酢漬け。自由都市へと行くたびにニナは図書館に赴いているし、これにも金が掛かっている。外食の日など、屋台主体でも十クレジットほども掛かっている。

 

 それでも稼ぎに追いつく貧乏はないとの諺通り、マギーは遂に目標額を貯め込んだ。冬越えの宿賃の話ではない。財布を正規の都市通貨で一杯にしたマギー。ニナの手を引き「靴を買うぞ!」笑顔で宣言して自由都市の靴屋へ向かう。

 

 自由都市有数の商業区に足を踏み入れたニナの様子は、あからさまに怯んでいた。

 漆黒の警備兵たちが街路を守り、立派な身なりの人々も往来している一帯に足を踏み入れると、己のボロボロの靴を見、恥ずかしそうに俯いている。

 

 見た目も立派な商業ビル。一部崩れた箇所もセメントや木材で補修され、新しい窓ガラスが嵌められていた。陳列された商品を電気の光が煌々と照らされている。

 中古の靴屋か、個人店に行くとでも思っていたのか。木製の看板が揺れる店先を抜けて入ると、大型の店内には棚がびっしり並び、革靴やスニーカーが所狭しと並べられていた。どれも見た目がしっかりしていて、店全体から革の匂いが漂っていた。

 

 

 ニナは周囲を見回し、そのどれもが新品だと気づき、ひるんだようにマギーの袖を引いた。

「……ここ、すごく高そうだよ」

「大丈夫。予算内の商品を探すから」そうマギーは慰めると、堂々とした態度でニナを店内へと促した。

 

 が、ニナは一歩踏み込んだところで足を止めた。商品棚の真ん中に鎮座する二組の靴を凝視している。堂々と鎮座している軍用ブーツの値札には「25000クレジット」と記されていた。隣に並ぶ登山用ブーツも「18000クレジット」

 

 まるで物理的な威圧感を感じたかのようにニナはよろよろと後退し「い、いちまん……!」口をパクパクさせながら値札を見つめた。

「ポレシャの市民地区に邸宅が買えるぅ……!」目が泳いでるニナを横目に、マギーは肩をすくめた。

「客寄せの目玉商品。誰も本気で買おうなんて思ってない」

「だけ……だけど、そんなの誰が履くの?」ニナは震える声で尋ねる。

 軍用ブーツの重厚なデザインを見上げ、手を伸ばしかけたが、値札を思い出して気後れしたように手を引っ込める。通り過ぎたアベックがおのぼりさんそのものの少女を見てクスクス笑うが、本人は真剣であった。

 

「金の余ってる富裕層の投資対象とか、大陸横断を目指すスポンサー付きの物好きな探検家。後は……ハンターかな?」首を傾げたマギーが、ちょっと怪しくなった記憶を探った。

「……ハンタぁ?」怪訝そうなニナ。

「そう、トップ・ハンターとか、テックハンターとか呼ばれる人種。どうやって稼いでいるのかは知らないけど」どうでもよさそうに告げたマギーは、陳列が変わってると呟きながら店内を見回していたが、目当ての品を見つけたらしい。

 

「他の商品はもっと安い。私たちのお目当てはこっち」比較的に穏当な価格帯の靴の棚へと歩き始めた。

「四桁がゴロゴロしてるよぉ……」ニナが脅えたように囁いた。ゾンビの群れをやり過ごすほどの冷静さと勇気も、どこかへ蒸発してしまったようだ。

「値札に気おされるんじゃないの。三ケタの商品もたくさんある」

「四桁がゴロゴロしてるよぉ」と顔色の青いニナ。

「スカウターじゃないんだから、そんな気おされない。三ケタの商品も沢山あるでしょう」

「三桁でも払えないよ」

 

 カウンターの向こうから中年の女性店員が現れた。顔は柔らかくほころび、親しみやすい笑みを浮かべている。「いらっしゃいませ。どんな靴をお探しですか?」

 ニナは緊張した様子で頷き「えっと……歩きやすくて、安いの……」小さな声で答えた。

 店員はニナの足元を一瞥し、ぼろぼろの靴を見ても、何も言わずに軽く頷いた。

「予算は百」靴一足を買うのに予算を告げたマギーの言葉に、ニナはもはや驚愕しなかった。むしろ百でホッとしたくらいだった。

「足のサイズを測らせてもらってもいいですか?」と頷いた店員。

 ニナは少し戸惑いつつもマギーの方を見やった。頷いて見せると、おずおずと靴を脱ぎ始めた。

 「はい、足をこちらに乗せてくださいね」

 店員が丁寧にメジャーを使って、ニナの足の長さと幅を測り始める。ニナは落ち着かなさそうにしていたが、マギーはそばで腕を組んでじっと見守った。

 「……思ったより小柄な足ですね。少し幅広なので、これに合う靴を探してきます。しばらくお待ちください」

 

 店員が奥からいくつかの靴を持って戻ってくる間、ニナは棚に並ぶ靴をぼんやりと眺めていた。どれも綺麗で立派で、値札が目に入るたびに気まずそうに眉を下げた。

「……中古でも良かったんじゃないかな?三十とか、それくらいで良さそうなのが……」ニナの言葉を遮り「下着と靴だけは新品を買うよ」

 珍しく強い口調でマギーが断言した。

「下着と靴のどちらかなら、足に合った靴を買う」とマギーは言葉を続ける。

「服が合わなくても死にはしないけど、靴がしっかりと会うかどうかは逃げ足にも関わる」言われてニナも、無言でうなずいた。

「……それに中古は、水虫が恐いからね」マギーの呟きには実感が籠っていた。

 

 

「小さめのサイズですね。これに合う靴なら、ちょうどセール品がいくつかありますよ」

 ニナはおずおずとマギーを見た。「本当に買っていいの?」

 「いい。必要なものだから」マギーは頷いてニナの背中を軽く押すと、ニナは小さく頷いて、試し履き用の靴を受け取った。

 スニーカーを履いてみると、驚くほど軽く、足にぴったりだった。ニナは何度も歩き回りながら、嬉しそうな笑顔を浮かべたが、値札をちらりと見て、再び不安げな表情になった。

「……これ、100クレジットもする」

「新品で100なら、安い方。長持ちする靴を選べば、結局その方が得になる」

 マギーは笑い、店員に頷いた。

「これをお願いします」

 

 代金を支払い、店を出た後、ニナは新しいスニーカーを何度も見下ろしながらぽつりと呟いた。「本当にこれ、履いていいの?」

「履くために買ったんだから」

 マギーの言葉に、ニナは強張っていた表情にようやく笑顔を浮かべた。

 

 

 

4月上旬の財産

 

  都市通貨と居留地紙幣でおおよそ85クレジット。

 

 

 普通に両替すると、1ポレシャ・ポンドで 4.2~4.6ズール・クレジット。小麦で持ち込むマギーたちは、1ポレシャ・ポンド→5ズール・クレジットに替える伝手がある。

 

 家 新聞とビニールの屋根 一部

   高さ百五十センチの頑丈な木製扉。縄の蝶番。

 

 

 11月30日まで あと239日

 

 

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