黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_05 ポレシャ街道の影

 自由都市の蚤の市では、時折思いがけない掘り出し物が見つかることがある。ポレシャの雑貨店に持ち込んだところで、爺さんは大した金額つけないが、見る人が見れば、価値を感じ取れる逸品が金脈のように眠っているのだ。

 光沢があり艶やかな木製の櫛は、マギーが一目で気に入った品の一つだった。しかし、マギーの髪は短めに整えられており、櫛は自分のために買ったわけではない。

 

 ポレシャ居留地の門前町では、街路の路傍に露店が点在している。露店の周りには、敷物が広げられて露天商たちがさまざまな品が並べている。門前町の露天商の商業許可証は、それほど高くないし簡単に取れるので、暇を見て不用品などを売りに来る居住者たちも少なからずいた。

 

 ニナも早朝から座っていた。静かに小説を読んでいるニナの目の前には、木製の櫛と古びたハーモニカが一つずつ置かれている。

 

 若い女性が足を止めた。身なりからして渡り人(オーキー)だろうか?露店の前で、目の前の櫛をじっと見つめると、やがて声をかけてきた。

「いい櫛ね」

 話しかけてきた。ニナちゃん商店の初めての客だ。ニナは、小説を読む手を休めた。相手の身なりをちらりと見てから、頭の中で言い値を決める。

「うん、いい品だよ。10クレジット。支払いは、農協通貨とか居留地紙幣でもいいよ」頷いたニナ。丁度覚えたばかりの日本語で「ジッサイ、ヤスイ!」と詩的に引用しながら、値段交渉を開始する。

「地区貨幣は使える?」と渡り人(オーキー)のお姉さん。

 少し考えこんでから「二割増し」ニナは頷いた。

「すると12?でもちょっと高いかな。もう少しまからない?」お姉さんの財布事情は、やや芳しくないようだ。

「幾ら?」

「……6くらい?」

 ニナは一瞬も迷わず「さよなら」と無情に切って捨てると、再び小説に目を落とした。

「そうよねぇ。10クレジット。10クレジットか。」うんうんと唸りながら、去っていったお姉さん。

 

 一部始終を見ていたのが、隣で露店を開いていたおば……やや年増のお姉さん。「10クレジット?」と興味深そうに聞いてきた。

「うん」頷いたニナの回答に財布を取り出し、迷わず居留地紙幣二枚を手渡してきた。

「はい、10クレジット」正規の小麦兌換の刻印の付いた1ポンド紙幣2枚と、櫛が手から手へと渡される。

「毎度」受け取ったニナは、店を畳み始めた。

 

 お姉さんは櫛を眺めて、ほう、と息を洩らした。どうやら気に入ってくれたようだが、ニナを一瞥して言った。

 「買ってから言うのもなんだけど、これ倍くらいの価値はあるわ」

 「知ってる。店で新品の相場も調べた」平然と言う。負け惜しみではない。

 「半額なのは、さっさと売る為。ギリギリの値段だとずっと時間を浪費するから」ニナの説明に「ああ、なるほどね」お姉さんは、合点が言ったように頷いた。

 「でも、親切。アドバイス、ありがと」ニナの言葉に屋台の姉さんは微笑んだ。

 「どういたしまして。同業の誼よ」

 さっさと店を畳んだニナが、帰宅の途についてから十分後、さっきの渡り人(オーキー)らしき娘さんが駆けてきた。

 「……さ、さっきの子は?」と娘さんが息を切らしながら尋ねた。

 「売れた後に、さっさといなくなったわ」お姉さんは懐の櫛を触りながら、ほほ笑んだ。

 「ああ、もう!日当前借りしてきたのに!」渡り人(オーキー)の娘さんが肩を大きく落とした。

 

 

 

 町外れの塒にニナが帰宅すると、マギーはコーヒーを啜っていた。本物の珈琲豆で入れたものだ。香りが鼻腔をくすぐる。わざわざ売るほどの量ではないが、蚤の市では、ちょくちょくと掘り出し物が見つけられる。

 売れた、と得意げなニナの指先には、1ポンド札が二枚挟まれていた。マギーは小さく頷き、手元のノートに視線を戻した。絵は大雑把だが、ノートには自由都市の地図が描かれている。蚤の市の店の位置と、店主の特徴や品ぞろえの傾向と値段。自由都市そのものの主要な街路、開かれている蚤の市の日程と位置。その他のデーターも細かく書き込まれている。勿論、自由都市とポレシャ間の街路についても、多分、誰よりも有用な地図を所有しているうちの一組だと自負している。

 

 時間短縮をし、少しでも多くの店を廻る為、見えない努力をマギーは惜しまなかった。不完全な地図ながら、効率はぐっと上がっている。無駄足は随分と減っているのだ。そして、最近、ほんの少しだけ他の商人たちからの対応が良くなったようにも思えた。身なりを整えたお陰か。社会的信用というやつが、ほんの僅かだが上がったと言うべきか。 

 露天商や屋台商人だけの話ではない。小規模な店舗を訪ねた際、一山いくらの流れ者に対する木で鼻をくくったような態度から、零細商人を相手にするような不愛想だがわずかに真剣な態度へと変化してきている。正直、素人の手慰みから始めた行商人で、駆け出しと見做されるくらいには成功できたのは、マギーとニナにとって、嬉しい誤算だった。加えて、売り上げの方も順当に伸びているように思えた。

 

「いい鉄だ。それに木板も厚くて頑丈。縄もしっかりしてる。」

 上等な建材を前に、雑貨屋の老店主は上機嫌に見えた。心なしか、眼鏡も光ってる。次いで、酒瓶を手に取りながら「傷ひとつない。布も痛みは無し。」と独り言のように呟いていた。

 

「23ポンド9シリング。手形でいいかね?」

 品定めを終えると、雑貨屋の爺さんが問いかける。雑貨屋の手形は信用が高く、そのまま居留地倉庫に直行して、小麦へと兌換できた。

「20ポンドは手形で。3ポンド9シリングは現金」とマギー。

「よしよし。いい取引だった。これからも頼むぞ」爺さんはご機嫌で手を振った。

 

 今回の旅で行商の利益は83クレジット。これは雑貨屋への売却分だけで、露店で売った金額は含めていない。かつてない利益だった。無論、これ以上には早々、伸びないだろうがこの日、マギーは少し贅沢を楽しむことにした。果たして、雑貨屋の爺さん。マギーたちに使い出があると見たのか、地元の農家を紹介され、地ビールが安く入手できるようになった。密造酒やどぶろくよりも遥かに値段が張るものの、芳醇な味わいはマギーを満足させたようだ。ストレスも軽くなったのか。酒と煙草の量も随分と減っている。物事がなにもかも上手くいくかは分からないが、此の侭、穏やかな日々が続けばいい。ニナはそう思わずにはいられなかった。

 

 

 ※※

 

 

 街道筋には少なくない危険が潜んでいる。主だったものだけでも変異獣にゾンビ、略奪者《レイダー》と盗賊《バンディット》、単なる追い剥ぎや逸れ部族《トライブ》も徘徊しているし、巨大蟻に餓えた狼や野犬の群れと言った自然界の野生動物も侮れない。中でも熊――普通の熊に加え、変異熊や屍熊なども徘徊しており、特に旅人たちにとって恐怖の象徴となっていた。しかし実際には、普通の熊なら火縄銃を持った数人で対応するのも不可能ではないし、街道に近づく変異熊には懸賞金が掛けられている。屍熊に至っては、情報提供や討伐によって賞金が支払われるため、脅威としての危険度は大きいものの、遭遇頻度としてはそこまで深刻ではない。それでも実際、屍熊に遭遇した際の絶望となると、他の怪物や盗賊とは比較にならないだろうが、語れる生存者は決して多くない。

 

 様々な危険が日常化している曠野の地においては街道を旅する者たち。行商人や旅人、巡礼者や農夫たちは、可能な限り寄り集まり、隊商を組んで旅をするのが一般的な慣習となっていた。もちろん、ある程度の信頼や紹介があってのことだが、それでも街道を進む間、旅人たちは常に緊張に苛まれている。曠野の地を旅するのに、どれだけ警戒しても足りる事はないのだ。

 

 その日、マギーとニナは、ポレシャ近くの街道にある交差点で他の旅人や行商人たちと合流していた。偶々、自由都市方面に向かう行商人や農民たちが集まったので、隊商を組もうと言う事になり、マギーたちもどうせなら一緒に行かせてもらうと考えたのだ。

 

 予定の時刻に、十数人の農民や商人、渡り人(オーキー)の家族や旅人たちが集まってきたが、中でひときわ目立つのは笑顔を浮かべた商人だった。

 

 ダリウス・スコヴァは、大きな馬車持ちの商人で、ために自然と隊商の音頭を取る役目を担っていた。年齢はおよそ40代後半か。目に見える年齢に加え、年季の入った風格を持つが、笑顔を絶やさず、大半の人にとって、どこか親しみやすい印象を与える人物だろう。背は高く、がっしりとした体格で、商人としての経験が豊富であることが外見に表れている。ダリウスは、おのれの幌馬車に荷物を積み込む作業を進めながら、他の隊商のメンバーにも気を配り、気さくに声をかけていた。顔に浮かぶ笑顔には、確かに穏やかな安心感が漂っており、存在感はまとめ役として自然と人々を引き寄せる。

 

 他にも驢馬の引く荷車や荷を積んだ山羊などが街道の脇に並べられ、荷物が積まれ、準備が整っていく中で、人々の顔にもどこか安堵の表情が見える。短い旅路に、顔見知りの多い仲間が一緒にいるというだけで、随分と心強く感じられるのだ。

「……山羊?」とニナ。

「山羊、だね」

「可愛いねぇ。でも荷物運べるのかな?」首を傾げるニナにマギーが笑った。

「軽い荷物なら。手間はかからないし、安いからね」

「沢山運ぶわけでもないなら、有りなのか」感心してるニナは、山羊に手を伸ばして撫でてみる。持ち主らしい農婦の娘が笑っていた。順調な日々に、マギーたちにも多少の油断があったかもしれない。

 

 丁度、自由都市とポレシャの中間点。疎らな灌木地帯に囲まれた街道上を進んでいると道中に現れたのは、生々しい暴力の痕跡だった。血に染まった土、引き裂かれた木材の破片、そして地面には壊れた銃やクロスボウが散乱している。行商人たちの隊商が壊滅したのだろう。

 

「これは……何か、あったな」とダリウス・スコヴァが低い声でつぶやいた。明らかな警戒心を目に浮かべて、馬から降りている。背後では軽い狼狽の声が上がり、農民たちは目を見合わせて立ち止まる。 

 

 先頭に近い位置にいたマギーが立ち止まると、無言で手信号を行った。(制止、静かに、ゆっくりと後退)ニナが(了解)と手信号を返した。

 二人は目も、耳も鋭く、斥候としてかなり高い能力を誇っている。近くにいた数人には「すぐに離れた方がいいかも」と忠告するが、不満そうに顔を顰める者もいれば、考え込む者たちもいた。中には言われるよりも早く、すぐに離れる者らもいたが、それでも無事に逃げ切れるかどうかは分からない。

 兎も角、全員に忠告するだけの余裕などなかった。ニナとマギーもそれ以上、一言も喋らず、一歩も進まず、すぐにその場を離脱し始める。一方で、農民たちのうち何人かは、持っていた弓や簡単な武器を手に取り、周囲を警戒し始めていた。しかし、武装は貧弱で、古式の火縄銃や軽弓にも熟練しているとは言えず、ましてや隊商を壊滅させただろうなにかに対抗するには、あまりに心もとない。

 

「どうする?」と、誰かが声を上げる。

「別の道を行くべきじゃない?」

「進むべきか、引き返すべきか……」責任者としてのダリウスが、頭をかきながら呟いていた。

「一度引き返して、別の道を選ぶのも一つの手だが、時間がかかるな」

 迷っている旅商人の傍らを駆け抜け、気の早い若い旅人がすばしっこく壊滅した隊商へと駆け寄った。屈みこんで商人たちの亡骸を見ると、護衛のものか。転がっている燧石《フリントロック》式ライフルに目を止めた。

「すまんな……貰っておくよ」

 旅人が言って、ライフルを下に振ると、弾が落ちてきた。弾薬が籠っているのを確認してから、カルカでもう一度、詰めると慣れた手つきで構えている。

 他にも農民や旅人が駆け寄って、犠牲者たちのめぼしい持ち物を漁り始める。農民や旅人たちが騒いでいるうち、ふと風に乗ってかすかな足音が耳に入る。

 

 初めに気づいたのは、旅慣れたダリウス。「しっ、静かに……!なにか音がする」隊商の誰もがその音に耳を澄まし、静かに息を呑んだ。

「おい……あれ、何だ?」ひとりが、指を差して恐怖にあえいだ。

 

 灌木の狭間から、黒い人影が揺れながら近づいて来ていた。最初は小さな人影に見えたが、目を凝らしてみれば、林の薄闇の中、隊商を包み込むような人数が潜んでいた。息を呑んでいるうちに、若い旅人の足元で不気味な呻き声が上がった。驚愕した旅人がフリントロックライフルを構える。

「駄目だ!撃つな!」ダリウスが鋭い声で制止した。

 

 銃声が響き渡り、灌木の林に揺れていた無数の人影が動き出した。足元に倒れていた亡骸を無視して、ひたすらに隊商を目指して殺到してきた。

 

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