生還したマギーは、以前より精力的に自由都市を歩き回るようになった。これまでは足を踏み入れなかった離れた地区にも足を延ばし、時には店舗持ちの商人に商談を持ちかけもした。屋台や露店ではなく、店舗や天幕の商人を廻れば、時に冷たくあしらわれたり、門前払いされる事もあったが、売れ残りやあまりものの鉄くずや木板やらを多少は値切っても、即金で買い付けると持ち掛ければそこそこ商談も成立した。そしてそんな代物でも、物資の欠乏しているポレシャでは、歓迎されるのだ。
そうして様々な商店を巡るうち、手ごろな価格で売られる余剰品の資材を見つける機会も着実に増えた。中にはセメントの袋やポリスチレンなど、重量や脆さなどで個人で運ぶのに困難がある品物もあったが、マギーは雑貨屋の爺さんに相談し、その場で買い取り契約のみ行って、ポレシャに戻ってから輸送の手配をしてもらう手筈を取るようになった。そうした代理人の真似事でも、あれで6クレジット、そちらで4クレジットと手数料でまた幾らか稼げるのだった。
多少ではあるが稼ぎが増え、使える元手が増えたことで、行動にも弾みがついた。時には蚤の市で値段の割に良さそうな服を買い込んで、それをポレシャの裕福な農民や正規居住者に売り捌いたり、時にはコーヒー豆や食糧のチケットを買い取って、生活の潤いにすることもあれば、そのままニナの露店で転売して小さく稼ぐこともある。特に服飾は、マギーの得意とするところで、一見して微妙な価格で手に入れた服を、言葉巧みに交渉して高値で売ることにかけては相当の弁舌の才能を持っていた。兎に角、マギーは服の分野においては行商人としてかなりの素質があり、誰もが安易に手を出さないような品をも、適切なターゲットに売りつけることができた。人々が必要とする品々に目をつけ、適当なタイミングで売り捌くのは意外にもマギーの得意な分野なようだった。
4月も終わる頃、マギーは雑貨屋の爺さんに求められた鉄くずやら木材などを仕入れて、自由都市への一度への往来だけで80クレジットの利益を得た上に、農民や居住者への服の販売でも同じくらいに稼いだ。これは自由労働者の日当のほぼ4、5日分に値する。
この時、マギーたちの所持金は、一時的に三百クレジットを越えた。城門の警備に借りた服を返して、新たな服を一揃え誂えるのに、また百クレジット。家にも手を入れるので二十から三十クレジットと払うべき支出も多かったが、一方で利益も着実に積み重なっていった。少しずつ生活の安定感が増し、商売が順調に進んでいく中、何度も仕入れと売買を繰り返すうち、マギーは徐々に雑貨店の爺さんとの信頼関係を深めていった。
そんなある日、雑貨屋の老人がマギーを呼び出した。老店主は町の参議を兼ねているのだが、どうやら議会が以前から考えていた取引について、マギーに相談したいことがあるらしい。ご指名は一人でとの事なので、少し緊張しながらもマギーは呼び出された公民館(市民たちは気取って、マナーハウスなどと呼んでいるが)へと足を向けた。
「ええと、なので、ウェブスター氏は、25キロのセメント袋を4つ融通できるとの事です。馬車を用意してくれれば、居留地まで運べます。他にペンキと漆喰も用意できるとの事ですが、此方の値段は要相談で……」会議室の一室で、議題は淡々と進んだ。場には老店主のほか、数名の町の顔役らしき人物が座っており、マギーの友人、スタンフィールド氏も居合わせていた。彼ら彼女らは、地元の名士ではあるが、いずれも田舎町の紳士淑女といった雰囲気で、別段威圧感があるわけでもない。
小まめに建材を調達してくるマギーの商売は、懐具合の苦しい居留地に取っても有用だが、それが存続に不可欠なほどではない。自由都市と居留地を頻繁に往来できるものが一人いれば色々と便利だが、かと言って、マギーは特別扱いするほどの人物でもないのだ。結局、本当に意見を聞きたいと言うだけの集まりだったようだ。
会議が終わると、皆で茶菓子をつまんだり、お茶を楽しんでいる。マギーの前にも、紅茶とクッキーの皿が配された。素朴な小麦のクッキーは、まあ、悪くはない。
これは礼だと雑貨屋の老店主が手渡してきたのは、居留地の酒保チケット。外から地ビールやワイン、外から仕入れた酒やタバコなど嗜好品の類を貰えるとの事で、マギーは有り難く受け取った。雑貨屋の老店主は、色々と便宜を図ってくれている。或いは、マギーの仕事ぶりを他の参議に見せて了解を取るのも、思惑のうちだったのかもしれない。
「本当に助かってるわ」穏やかな老婦人が微笑んだ。上品な初老の婦人で柔らかな白いドレスに身を包み、控えめなレースが袖口と襟元を飾っている。上品で清潔感のある装いに、しかし、目を引くのは右目に掛けられた蝶の眼帯と傷跡だった。最低でも火縄銃程度の武装は自弁し、防壁内に暮らす市民でさえ、危険に晒される時があった。
「……生きている者は皆、運がいい」マギーはぽつりと呟くと突然、目を瞑って陰気に沈黙する。それから、猫が顔を洗うように自らの額や瞼を掌で強めに撫で続ける。
突然のマギーの奇行に、しかし、市民たちは咎めることなく、また驚く素振りも見せずに無視をした。熟練の旅人や行商人にも時々、似たように陰に籠る者が珍しくなく、曠野に生きる者たちは皆、誰かがぶり返した心の痛みや記憶の苦しみに悶えてる時に放置するだけの慎みを持っていた。
数秒で、何もなかったように平素の状態に戻ったマギーは、「では、これからもよろしく」と市民たちに挨拶しながら、場を辞す為に立ち上がった。年配のものが多い市民たちは、穏やかに頷き、或いは立ち上がってマギーに礼を述べた。
「ありがとう」「助かっておるよ」大仰なものではないが、心が籠ったと思える言葉と態度に、マギーも柄にもなく心が温かくなった。それは勿論、忠誠を誓わせるようなたいそうな儀礼ではないが、風来坊のマギーをして、ポレシャの為、多少の手間暇や時間は割いてもいいかも知れないと思わせるには充分だった。
スタンフィールド氏がマギーを見つめ、祈りを捧げるように言葉を紡いだ。
「風がその旅路を穏やかに導きますように。大地があなたの足元をしっかり支えますように。そして、星々がその道筋を見守り、あなたを無事に帰してくれますように」
真摯に告げた後、スタンフィールド氏は、フッと笑みを浮かべた。
「これからも双方、無事に、長く取引を続けられるよう祖霊が見守っている事を
願っている」
多神教のマギーに合わせて、祈りの言葉を紡いでくれたらしい。胸が軽く締め付けられたマギーは微かに微笑みながら、無言で頷きを返した。
「男の趣味の悪さを除けば、文句ないんだが……」
「スタンフィールドはやめておけ」市民の長老たちから文句の言葉が飛び出た。
マギーは狼狽した。
「は、え、いや。もう終わった事だし。え?彼、話したの?」スタンフィールド氏は、渋い顔で静かに首を振った。
「あー、お前さんらが出会う度に、なんか熱っぽい視線で見つめ合うからな」雑貨の老店主が面白くもなさそうにスタンフィールド氏を睨んだ。
「カマをかけられたな……済まない、事前に警告しておくべきだった」スタンフィールド氏は狼狽せずに、淡々と告げた。
「マジ、か。それ他の人にも分かってる?」マギーは紅潮した頬に右手を当てて、呻いていた。
「まあ、暇な年寄りとかは察してるかも知れん」町の長老の言であった。
「あぁ~~~」マギーは顔を手で覆い、破滅を目の前にしたかのような呻きを上げた。
「なにやら乙女みたいな反応しておるな」「だって、まだ小娘だしな」口々に言う老人たちの言葉を背に、マギーはさっさと解散した。
「では、俺もこれで失礼しますよ。色々と忙しいもので」優雅に立ち上がったスタンフィールド氏が恭しく一礼する。黒いコートの襟元には、銀の装飾が控えめに輝いており、伊達男が様になっている挙措に女性市民の数人は自然に笑顔を浮かべ、名残惜しげに見送った。
残された市民のうち、数人の男性は面白くもなさそうに鼻を鳴らした。洒落たコートも、自由都市で親しい友人が調達してくれたと、自慢していたのを思い出していたかも知れない。
「あの小僧、エンブリー夫人とメリッサに続いて、マギーまでか」
「財産家と、自作農の娘と、稼げる女だな」
「許せんわ……いっそ、死刑にするか?」
※※
手製の槍を片手に、ニナは鍛錬を怠らない。マギーと共に身体を鍛える時間は、とても大切なかけがえのない日課だった。
「死ねぇ!スタンフィ……!」裂帛の気合と共に空中に鋭い突きを繰り出した。
「スタンフィ……?すっか」こん棒を振っていたトリスが、手を休めて不思議そうに顔を向ける。
「そう、奴は触手を生やした人型のモンスター。女に寄生する」ニナは冷徹な声で続けた。
「触手を突きさされると、奴らの子供を孕んでしまうの。根絶やしにしなければ……」
「そ、そんな恐ろしいやつが……」トリスは目を見開き、言葉を失った。
ニナがトリスと馬鹿なやり取りを続けてると、帰宅したマギーに窘められた。
「馬鹿言ってないで鍛錬に集中」
「だってぇ……」
「スタンフィールド氏とは、もう何でもないから」マギーの発言にも「……もう?」ニナは不満げだった。
「怒るよ?」マギーに釘を刺され、ぷすぅ、と膨れつつも、流石にニナも矛先を引っ込める。
「さて、木材と釘が結構、手に入りました。金づちとノコギリも調達できたので、今日は家に手を入れます」とマギーは手を叩きながら、みんなの注目を集めた。ニナとトリスが佇み、ロハで煙草を吸いに来たリリィが地べたに座っている。
「屋根か、壁でも作るの?」とニナが聞いた。
「それも悪くないけど、衣装箱を作る」答えを聞いたニナが、怪訝そうに首を傾げる。
「予備の靴下とか、下着とか増やして、流石に持ち歩くのも面倒になってきた」マギーが説明を続ける。「下層地区だから、盗みが入るので中々家にも置けない」
一言付け加えるなら、ポレシャの下層地区は大抵の居留地よりも治安がいい。路上の強盗もなければ殺人もない。しかし、住民の大半は貧しく、物が不足しているため、些細な物でも盗まれがちだった。
薪や食糧、衣服から、ちょっとした小物。土地によっては、家具に柱。屋根にしている布が盗まれる事もあるらしいが、さすがにポレシャでそれはない。とは言え、大事な服をこいつに盗まれたとか、ふざけるな、これは俺のだとか、盗まれての大事な品を巡っての喧嘩沙汰は、年に数度は起きてるし、下層地区の土地柄。軽い窃盗は日常の一部となっていた。貧しさが深く根付いた土地は何処でも、住人たちは日々の生活に必要なものを守るため、隙間なく注意を払っている。
「たまに布一枚も盗られちまうからね」とトリスが思い出すように言った。
「この間、廃墟の市で屋根に使ってる布が盗まれてさ。寒い季節だとかなり辛い」
「なので、動かせない頑丈な木の箱を作ります。そして普段は南京錠をかける」とマギーが説明すると、なるほど、はい。と合点したニナが頷いた。
「箱を破壊したり、鍵を開けるのに数分かかる。音も出る」マギーは少し考えてから付け加えた。
「盗もうと思えば、数十秒で盗める環境が無くなれば、取りあえず、それでいい。」
「なるほど」とトリスが感心した様子で言った。
「あと、ちょっと玄関を大きくして、石で補強する。この大きさなら、そろそろゾンビや野犬でも早々、入れなくなるから、緊急時には避難もできる」
マギーは、棒切れで地面に簡単な設計図を描いた。
「脱出口は裏口ね。降りるときは、路地に怪物がいないかも、よく注意して飛び降りて」
「はぁい、ママ」煙を吹き出しながら、リリーが言った。
「設計図は作ってきた。大きめに箱……棚を設置し、その中に各々の衣装箱や小物入れを入れる」マギーがニナを見て、言葉を続けた。
「予備の服や下着、盗まれても問題ない。少なくとも命取りにならない財貨なんかを保管する箱を作る心算だ」
それから頷いて、マギーは全員を見渡した。
「トリスも、リリーも、大切……と言っても、盗まれて困る程度のものは保管していいですよ」
トリスは針金と木材で工夫して罠の数を増やし、栗鼠や小鳥、蛙に鼠と小動物の肉を度々、持ち込んでくる。リリーは……よく寝てる。作男《ファームハンド》でもらえる日当も、食事付きで2ポンドから、3ポンドと決して多くない。
肉体的にも疲れているのだろうし、リリーは、顔立ちは綺麗で、絡まれたり、揶揄われて心労も覚えるのだろう。持つかな、こいつとマギーたちも心配になる。少なくとも、悪い奴ではないのだ。だから、多少の面倒も見ている。
わぁ、と年相応の子供みたいにはしゃいだ声を洩らしたトリス。咳払いしてから「有り難い。罠の材料とか、ホント、最近に狙われてて」と言い直した。
治安の悪い場所で財産出来れば、当然に狙われる。たかが煙草の草と動物の罠でも、廃墟の子供のうちではいささか目立っているのだろう。とは言え、トリスは今のところ、上手くやっているようだ。
「うひひ。よし、この世の至宝を隠すとするか」リリーは、吸い殻から回収した煙草の葉に曠野に自生してる変な怪しい色の葉っぱをブレンドしたものを、尊いもののように抱え込んでいる。
「おい、完成しても、そんなもの入れるなよ」マギーに言われるが。
「これは有り難いものなんよ?天国に連れてってくれるんよ。いとしいしと」
「駄目だ。もう手遅れだ」ニナが天を仰いだ。
最初から大きい棚を作ろうとして失敗し、小さな棚を複数作ることにする。そうして数日がかりで、四人はなんとか棚を作り上げた。紆余曲折、色々と起こるけれども、確実に日々暮らしは良くなっている。お金も随分と稼げるようになってきた。野良仕事や土木作業で稼ぐ日当の方が、多いけれども、行商仕事に費やす時間や手間暇の割合も増えている。
古着屋でマギーは清潔で頑丈な服を買い、新品の素晴らしい背負い袋も手に入った。順調、と思えた時。盗賊団に追われた。まただよ。
※※
マギーとニナは、自由都市・ポレシャ間の街道について、かなり詳細に調べていた。危険な街道、安全な通路、時間短縮できる抜け道や人目を避けられる裏道。怪物の縄張りと生態。時期や時間帯。そこを通る警備隊や強力な隊商。農民たちの移動時間。隠れ家や旅籠の位置など。時間と共に地図は詳細になっていく。情報こそが弱者の身を護る最大の術だった。
「鉱山跡……夜になると幽霊のようなものが出るって聞いたことがある」マギーが指をさした。ニナは地図をじっと見つめ、これまでの情報を組み合わせている。
「ヘンリーの辺りは、夜が特に危険だ。朝早くか、昼に通るのがいい」
「確かに夜間の通行は避けた方がいい」ニナが言いながら、隣のページに書き加えた。
「パトの辺りは怪物も多いけど、昼間は武装した農場の男たちが通るから多少は安心。ただ、隊商が通る時間を逃すと、逆に人手が少なくて危険」
慎重に、そして徹底的に討論を重ねていた。確定情報、実際に目撃した。又聞き。不確定情報。大きな危険度、小さな危険度。ゾンビ、変異獣、巨大蟻、レイダー。盗賊、部族、性質の悪い村人。人攫いには、賄賂は通用するか、盗賊は通行料を取られるだけで済むか?
地図の上に書き込まれる情報は、ただの道順だけではなく、生き抜くための道標でもあった。危険な通路は赤で示し、安全な通路には青い線を引いてある。それぞれの場所で目撃された怪物の種類や縄張りの位置、そしてその生態も詳細に記録されていた。
マギーたちの地図は日に日に詳細を増しているが、用心深い行商人や賢明な旅人ならば、似たような準備を整えている筈だ。それでも、名の知られた熟練の旅人が消息を絶つことも度々、あった。ダリウス・スコヴァのような知恵と経験を兼ね備えた名うての行商人でも、荒れた道に足を踏み入れた瞬間、命運が尽きることもあるのだ。
出来る限りの準備をして、それなりに油断なく警戒して、それでも最終的には、巡り合わせと言うしかない。人事を尽くして天命を待つ。その人事を尽くす為に、ニナとマギーは結局は虚しいかもと恐れつつも日々、努力と知識を積み重ねている。
そうして5月も上旬の昼頃。自由都市とズールの中間の街道筋で二人は盗賊による旅人への襲撃に巻き込まれた。マギーとニナは街道を歩きながら、この先の道は銃で狙われやすいだの、大木が遮蔽になるだのと言いながら、狙われやすい場所では身をかがめて足早に歩いたり、本人たちは身のこなしの訓練のつもりだが、傍から見ると馬鹿みたいだな、と思えなくもない遊びをしていた。
道行く人がクスクス笑っていたが、二人は気にしない。笑われてもいいのだ。こんな遊びでも実際に襲われた時、適切な行動がとれる効果が結構あった。少し疲れたので水を飲み、何処か木陰で小休止でもしようかと思った時、パアンと乾いた銃声が響き渡った。
マギーは素早く身を屈めて、周囲の様子を探った。他の旅人たちもやや警戒している。
「どこから?」低く尋ねるが「分からない」ニナは首を振った。ニナの目と鼻、耳はマギーよりも鋭い。果たして、強盗に遭遇したのだろうか?或いは、狩人や村人が怪物を撃ったのかもしれない。
視線を彷徨わせれば街道の先、人が倒れていた。マギーは、指で低く示した。
あれか?撃たれたのか。視線を交わして言葉を躱す間もなく、次いで、数発の銃声が響いた。幾つかは、同時に発砲している。
つまり複数名の銃の所持者が、街道を行くものを襲った。
(……襲撃。恐らくは盗賊団)
心臓がバクバクと高鳴っている。痛みを感じるほどだった。
襲撃の位置からして、ズール方面は塞がれていた。
マギーは、脳裏に素早く地図を思い浮かべる。
「旅籠!」低く短く叫んだ。「りょ!」ニナが返答し、すぐに二人で駆けだした。
全く盗賊は恐いものだ。人の悪意が向けられた緊張感というのは、ゾンビや巨大蟻、変異獣などとはまた違う恐ろしさを持っていた。
野を越え、原っぱを越え、駆けに駆ける。盗賊団は最低でも軽く十人はいる。背後では銃声が絶え間なく響き、悲鳴や絶叫が二人の背を鞭のように打った。
見れば、背に足音が迫っている。「待てッ!」声が駆けられる。
盗賊?或いは同じように逃げてる旅人か?どちらにせよ気にしている余裕はなかった。街道を分かれ道に曲がって六百メートルほど先。灌木と小さな農地に囲まれて、旅籠が佇んでいた。
「あれ!」マギーが叫び、 「見えた!」ニナも息を切らしながら応じた。二人はさらにペースを上げる。
曠野における街道筋の旅籠は、居留地の木賃宿や旅館などとは全く異なる存在だった。これらの旅籠は、ただの宿泊施設ではなく、生き延びるための砦のような役割を果たしている。
頑丈な石壁に囲まれ、最低限でも分厚い丸太で作られた壁を備えているのが特徴だ。外観からは、旅籠というよりも要塞のような印象すら受ける。多くの場合、旅籠は自給自足が可能な設計になっており、敷地内には小さな農地や家畜小屋が設けられている。これにより長期の籠城にも耐えることができた。
常に数名の見張りが配置されており、多くは地元の武装農民や有力者の一族が務めている。見張りたちは、盗賊や怪物の襲撃に備えて昼夜を問わず目を光らせている。また、頑丈な木製扉にはのぞき窓が設けられており、訪れる者の身元や目的を慎重に確認した上でしか中に入れることはない。
さらに、旅籠によっては木製の見張り塔すら備えられている。見張り塔からは、周囲の曠野や街道を広く見渡すことができ、遠くから接近してくる脅威をいち早く察知することが可能だ。塔に立つ見張りは弓やクロスボウ、ライフルを構え、一帯の安全を守るために備えている。
こうした旅籠の存在は、過酷な街道を行き来する旅人たちにとって、命綱とも言えた。旅人は、厳しい曠野の環境の中、ひとときの安全と休息を求め、こうした旅籠にたどり着く。旅籠の灯りを遠くから目にした時、旅人たちはようやく安堵の息をつくのだ。
旅籠は思ったよりは小さかったが、それでも頑丈そうな外壁と周囲を囲む木柵のバリケードが目に入った。
農地で作業していた数人が駆け寄ってくるマギーとニナの姿に気づき、何事かと顔を上げた。視線は明らかな警戒を孕んでいたが、二人の後方からはさらに大勢の足音や銃声が聞こえてくるのだから当然だ。
「盗賊が来てる!」マギーが旅籠の入口に向かって叫んだ。
分厚い頑丈な扉に設けられた小さな覗き窓がぎしりと音を立てて開き、中から屈強な男の顔が現れた。男は一瞬だけ二人を見やると、すぐに背後の騒ぎを確認して状況を理解したようだった。
「10クレジットだ、一人!先払い!」男が無情な声を張り上げた。
「20クレジット!私とこの娘の分!」マギーはニナの肩を掴んで必死で叫び返した。たっぷり入った財布を振り回す。冷や汗が滝のように噴き出し、背中がじっとりと濡れていた。
「入れ!」男が大声で返事をし、旅籠の頑丈な扉が開いた。瞬間、旅籠の中から銃声が一発響き渡り、ライフルの牽制射撃が空を裂いた。外壁の上には武装した農民が現れ、こちらに迫りつつある盗賊たちに警告を発する。
マギーはニナの手を握りしめ、全力で旅籠の敷地内に飛び込んだ。視線の端には、遠方で馬を駆る盗賊の姿がちらりと映る。
マギーは息を呑んだ。
(騎馬盗賊!よりによって!)
盗賊でも最悪の類だ。騎兵に真っ先に狙われていたら、助かる望みは皆無だった。
「早く中へ!急げ!」旅籠の中から別の声が叫び、二人の背を急かした。
背後の柵を閉じる音が響くと同時に、二人はようやく安堵の吐息を洩らした。
旅籠の中は騒然としている。すでに数人の旅人が避難していた。誰もが緊張した面持ちで武器を握りしめ、事態を見守っている。扉を閉め、横木を差し込む音が響くと、一瞬だけ静寂が訪れた。
近づいてきた娘に、マギーは20クレジット分の紙幣や通貨を支払った。
かなり信用の高いポレシャポンドでも居留地通貨は受け取らず、最低でも都市通貨が必要との事で、貧しい人間では助からなかっただろう。
「追手がすぐそこまで来ている!」扉を閉めた男が厳しい声で従業員たちに命じる。「全員、戦闘準備!」窓の近くに陣取った者たちが外を確認し、武器を持つ者が戦いの準備を始める。駆け込んだ作男たちも息を整える間もなく、旅籠の隅に置かれていた農具を手にしている。
「逃げ切ったけど、まだ終わってないな……」マギーが低く呟いた。
「ここを守らないと?」ニナが問いかける。外からは、足音や怒声が次第に近づいてくる音が聞こえてきた。追い詰められた状況の中で、外でなにが起こっているのか。
外の様子の見える二階の窓から見れば、門の外ではマギーたちの後からやってきた家族連れが絶望の叫びをあげていた。
外から絶叫が響いてきた。盗賊団は強力な備えの旅籠には襲ってこなかったが結局、その旅籠で2泊3日を過ごしてから、二人は自由都市へと向かった。
5月8日
マギーたちの財産
369クレジット相当(一時)
頑丈な服を一揃い、新しい背負い袋を購入 そして旅籠代
→138クレジット相当
11月30日まで残り207日。