黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

109 / 113
03_12 初夏の宴

 早朝から降り注ぐ雨に石畳の街路はしとどに濡れていた。自由都市の蚤の市は、開店休業状態にある。雨を嫌う露天商たちは小さな天幕や屋台を畳み、街路から姿を消していた。普段ならば活気に満ちた市場も、今はただ雨音だけが響いている。雨が止むまでは、誰も広場に戻ってくる気配はないだろう。

 

 大型の天幕や仮設店舗などでは商人たちが営業しているが、あからさまに客の入りは少なかった。マギーやニナも流石に延々と歩き回る気にはなれず、顔見知りの農民から頼まれたわずかな針金を調達し、常の三分の一ほどの物資を仕入れると、後は市場近くの安宿の個室で惰眠を貪っている。

 

 人影まばらな街路には、乞食や野良犬の姿も見当たらない。路地の奥では、粗末な屋根の下にドラム缶やペンキ缶などで細々と焚火が揺れており、放浪者や浮浪者たちが暖を取っていた。歩くのは雨合羽を羽織ったり、傘を差した数人の通行人だけ。急ぎ足で目的地へ向かいながら、それでも濡れるのを避けるようにしていた。服が貴重な時代には、痛みを避ける為の雨宿りも知恵だった。石畳に溜まる水たまりが、路地の炎をぼんやりと反射し、かすかな霧を漂わせている。

 

 夏が訪れていた。雨季に差し掛かった曠野では、貴重な恵みの雨が農地を潤していたが、同時に商業活動は縮小している。泥濘と化した街道を避け、行商人たちは軒並み仕事を控えている。盗賊すらも、姿を消していた。

 朝からマギーもすることがなく暇で寝台に寝転んでいる。もう二日、雨が続いていた。マギーの尻を枕にしたニナは、飽きる様子もなく小説を読んでいた。ページをめくる音だけが、薄暗い部屋に響いている。雨音も単調で心地よく、眠気が押し寄せてきてマギーは欠伸を噛み殺した。

 

「これからどうするべきかな」寝台に仰向けに寝転んだまま、曇ったガラス窓を拭いて外を眺める。最低限の荷は仕入れたが、これからの時期に出費が嵩むのは避けられない。特に薪代は厳しい。冷え込む季節に備えて量を確保しなければならず、どうしても重要な支出となった。

 それでも食費に関しては、居留地からの配給が増えたおかげで、心配もだいぶ軽減されていた。配給で届く上等なワインや地ビールがあれば、夜の疲れも取れるし、雨季のしっとりした空気にこもる不安も忘れられる。それにしても、酒はありがたい。配給の質が良くなった今、足りないことはないのだ。

 

 マギーは首を傾げた。暮らせない、という事はないのだ。多分、冬は越えられる。

 それでも、もう少しばかり、品を仕入れおいた方がいいだろう。そうすれば、新しい家にも多少の手だって入れられる。少し無理しても、何年か貯蓄すれば働き者の一家のように立派な天幕さえ持てるかも知れない。それは本当に渡り人(オーキー)としては、幸せな到達点と言っていいし、マギーは当たり前の幸せに疑念を抱いて立ち止まるような感性の持ち主ではなかった。

 

 マギーが起き上がると、尻にしがみついていたニナが不満そうに唸りを上げた。

苦笑して頭をくしゃくしゃ撫でてやってから、積み荷を整理する。農民に頼まれて仕入れた針金が入っていた。大抵は短い代物で小動物用の仕掛け罠に流用できるか、どうかと言った程度のガラクタだが、ワイヤーの束も二つ入っている。

 

 他にも銅線の束、傷ひとつない美品の手鏡。外の美味いワイン……これは商品ではなく、マギーの個人的な楽しみのために仕入れたものだが、どれも数十クレジットの価値は持っていた。こうした品々も、居留地では喜ばれる。

 

 他人の要望に応じて品を仕入れる他、こうした奢侈品もそれなりに居留地では喜ばれる。今では、気さくに声を掛けてくる市民や正規居住者も幾人かはいたし、酒のつまみに街道や都市の様子を聞きたがるものも少なくない。

 御所望の品の調達については、マギーたちのような零細商人にとって殆んど運次第ではあるが、それでも居留地にとって、外部の物資を仕入れてくれる行商人は、それなりに重宝されているとマギーも思いたかったかもしれない。

 

 いや、ないな。それは幻想だと首を振るった。個人の商売に過ぎないマギーは、仕入れる量が少なすぎる。どう考えても、代わりはいる。いると便利だが、いなくても困らない程度の駒止まりだな。と結論する。

 

 だけど、それでも悪いことはあるまいとも考えている。ポレシャはいい土地だし、住人たちから受け入れられつつある。旅難の少なくない行商人稼業に従事しようとも、そこそこ稼げる商人として穏やかな土地で十数年でも過ごせるなら、それはかなり幸せな人生ではないだろうか。とマギーはしみじみと思っていたのだった。

 

 

 ※※

 

 

 

 晩春の頃。住処を失ったマギーとニナは、暫くの間、適当な廃屋に潜り込んで夜を凌いだ。春から夏にかけての温和な気候の元でなら、毛布に包まって眠るだけでも充分に夜を過ごせた。とは言え、雨季の訪れと共に状況も変わる。

 痛みの少ない廃屋は多くはなく、屋根がある建物に踏み込んでみれば大抵、先住者が暮らしていた。

 

「泊まる家探してんのか?相手をしてくれるんならよ。構わないぜ」なんて言い出す浮浪者《ホーボー》もいて実際、女たちが居ついてる廃屋もあったし、逆に生活能力はないが若くて綺麗な家出少年を囲っている女浮浪者(ホーボー)たちのキャンプみたいな物件も見掛けた。人間の業の奥深さを見せられた気分だった。

 

 居留地に登録してるかも怪しい浮浪者《ホーボー》たち相手なら、追い出す事も難しくはないだろうが、マギーはそうしなかった。無闇に保安官助手の権力を行使すれば、市民からの信任を浪費する上、無駄な怨みを買う可能性が高いと説明し、それほど切羽詰まってないのに他人を住処から追い出す事はやりなくないと言う意見にも「マギーは賢い」とニナは賛意を示した。

 

 いずれにせよ、文明崩壊《ポスト・アポカリプス》の世に当たり前だが、いい家とは簡単には見つからないものだ。雨季の訪れと共に家の確保に迫られたマギーたち。町外れの空き地に居を定める。リリーの暮らす空き地の隣であった。

 

 また、新聞のテントからやり直し。雨季には辛い住居だが、マギーたちはリリーとトリスに少しばかりの金と食料を手渡して、屋根と壁の製作を手伝ってもらった。

 

 古新聞を丸めれば心棒になります。骨組みを作り、紐で結んで新聞を載せる。二人が寝るだけの空間が出来れば、おうちの誕生だ!松脂を煮詰めたニスは比較的に作りやすく、多少の保水性を与えてくれる。新聞を敷いた寝床は、地面に直接寝るよりは、体温の低下を幾らか防いでくれる。どのみち、新聞の屋根や壁は定期的に取り換える代物だった。

 

 取りあえずは仕方ない。黄昏の世では、贅沢を言ってたら限りがないのだ。兎も角、新居の完成であった。リリーとトリスと他数人の渡り人(オーキー)たちを記念の夕食に招いたマギーは、痩せた鶏を郊外の村から買ってきた。

 人数分の椅子が無いので、出席者は椅子を持参。木箱でも問題なしと通達してある。「業突く張りの農民の……」ぶつぶつ呟きながら、マギーは30都市クレジット支払った鶏を絞めると、毛をブチブチと毟って、内臓を取り除いた。

 水洗いしてから、些か乱暴な手つきで塩胡椒を揉みこむと、ローズマリーやタイムの葉を粗く刻み、鶏肉に擦り込む。醤油《ソイソース》とレモン汁に付け込んで照り焼きなんて洒落た料理は、マギーには難しいし、第一、調味料も入手できない。

 

 それでも肉料理は、やはり特別な逸品なようで全員が食い入るように凝視している。渡り人(オーキー)でも稼ぎの悪い連中の口に入る肉は、鼠や蛙が精々だ。

 誰かが喉を鳴らすのを「メインディッシュはお愉しみですぞ」勿体ぶって頷きながら宣告し、出席者に安物のエール、それに清潔な水に桃やプラムのしぼり汁を振舞った。

 

 大麦粥と豆スープは鍋にたっぷりと用意してあった。豆スープには人参に芋、大鼠や蛙の肉も浮かんでいる。腹を空かせた貧しい渡り人(オーキー)共が餓鬼のようにがつがつと料理を腹にかき込むのを他所に、つい最近までは、大して変わらぬ身分であったマギーとニナは、余裕をもって食事を取っていた。宴の途中でやってきた自称・旅の楽師が中世人みたいな服装で現代的なギターをかき鳴らし、軽やかな歌声が空き地の空気を和らげる。ニナがおひねりを投げると、華麗にキャッチして、演奏が中断される。

 

「さて、皆さん、お聞きください」と、マギーが掌を軽く打ち合わせて注目を集める。周囲の者たちは一瞬顔を上げるものの、目はすぐに再び、ほどよく焼けた鶏に釘付けになる。鶏の皮がカリカリに焼け、芳ばしい香りが出席者たちの食欲をそそる。

「諸君、私はちょうど一年前、素晴らしい出会いをしました……まさに運命的な(ry!」と、マギーは少し声を張り上げて続けるが、まったく興味のない他人の身の上話に出席者たちは全員、こんがり焼けて脂を滲みだしてる鶏を凝視している。

 

「そう、私はその時、恐るべき怪物と対決していた。マシンガンすら物ともしない、象よりも巨大なピンクの怪物――」自信満々に法螺話を続けていたマギーだが、ふと誰も聞いてないのに気づくと、肩を落とした。

 それから「仕方のない奴らだわい。冒険心を持たぬのは、まったく哀れな、仕方のない奴らだわい」と哀れっぽく呟きつつ、ナイフを取り出し、主賓として鶏肉を一切れ一切れと丁寧に切り分け始めると、出席者たちが一斉に歓声を上げた。

 

 鶏一羽を七人で分けると、一人頭二〇〇グラムほどだ。それでも、ついに鶏肉が目の前の皿に並べられると、全員が先を争ってチキンのステーキへと挑みかかった。

 酔っぱらった誰かが酒に鈍った頭で祝杯の言葉を思い浮かべようと必死に考えてから「チキンステーキ、ばんざぁい!」叫んだ。この日の宴は招待客全員を満足させたことだろう。

 

 ニナも楽しげに、いつの間にか座り込んだ中世風の吟遊詩人と話していた。図々しくも目の前の皿にチキンステーキを取っている。つまり鶏料理は、八等分であった。

 レンタルした机に九人が並んで……九人?酔った頭でマギーは出席者を数え直した。見知らぬ少女が混ざって、お粥を掻きこんでいる。

「誰だ?君は?」マギーは尋ねた。

「……ココ」お皿を下げると、猫のような眼をした少女だった。

「ココ……ココ。メグやんの妹かな?それくらいの年齢だと聞いた気も。アーサーだっけ?」ワインを杯に注いで飲み干すと、ゲップしたマギーは頷いた。

 ココが再びちらりと目を向けてきて「違うけど」と答えた。

「ふーん、違うのか。じゃあ、どこから……」言いかけてからマギーは手を振った。

「まあ、いい。大事なのは……楽しんでるかな?ココ」

「まあ、まあ。量には満足してる」

「好きなだけ食べるがいい。何なら焼いたジャガイモもあるぞ。お酢を付けて食べるがいい」とマギーは、焼いたジャガイモを取り分けてココの皿にのせた。茹でた人参も分けてやる。少し焦げ目がついて香ばしくなったジャガイモは、ほんのりと塩味が効いていて、お酢をつけると絶妙な味わいが広がる。

 山盛りのジャガイモがみるみるとココの口に消えていく。

「他に喰いたいものはあるか?」

 凄い食欲に感心したマギーが尋ねてみる。

「チキンステーキが食べたい」

「ろれは、特別な祝い……まあ、いつでも喰えるか」首を振ってから、まあ、いつでも喰えるか、呟いたマギーは、手つかずの自分の皿を「ほれ」と差し出した。

「ありがとう」礼を言われた気もしたが、酔ったマギーは夜風に浸りながら、眠たげに頷いただけだった。楽しげな笑い声と、ギターの音が宴の雰囲気を盛り上げている。ココはそれを横目で見ながら、静かにジャガイモを食べ続けていた。

 

 

 

 

 

 

7月上旬の財産

 

 447クレジット

 

 市民のように立派な装い。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。