トリスは、マギー姐さんの弟子である。姐さんと呼んでいるが、少なくともトリスの頭の中の認識では、マギーが商売の『親方《ししょう》』であった。ニナが姉弟子、である。かと言って、そこらの徒弟の親方小僧やら徒党の親分子分のようにトリスがマギーに上がりを納めている訳でもない。そもそもが、マギーは徒党を組んでいない。
トリスが二人と知り合った切っ掛けは、マギーさんとニナ姐に廃墟で危ういところを救われたからだ。以前の仲間に見捨てられ、遭遇した怪物相手の囮として切り捨てられたトリスは、そのまま命を落とすことも覚悟していたところを救われた。
命の恩人として二人に多大な感謝を抱いていたトリスだが、廃墟の中での見知らぬもの同士、生き抜くための助け合いは、言われるほどには少なくはなかった。一時的な恩義だけであれば、トリスがマギーに対して上下関係を戴くに至らなかっただろう。
トリスは礼をする為に時々、二人を訪ねては肉を届けた。簡単な仕組み罠で捕まえた野鼠や栗鼠の肉。小動物の肉は、貧乏人の食事として定番だったし、一年前のマギーとニナは、今よりも貧しくて、他の
トリスの考えとしては、年に何回か、稀にでも肉を届けてやろうと言う気持ちだった。自分の命でもくず肉程度の価値はあるし、多分に他の廃墟の餓鬼みたいな恩知らずとは違うと意地になってたのかも知れない。それに沢山取れた時など、どのみち、喰いきれない。
実際に何度か届けるうちに幾らか話す機会もあり、肉を届ける度、マギーは幾ばくかの小銭を与えてくれた。代金としては少し安めだが、妥当な金額で、礼として受け取るうちに肉が余計に取れた時は、必ず持っていくようになった。
廃墟の餓鬼にとっては、安心して売りに行ける客でさえ貴重なのだ、と、そんな事情を告げて感謝した覚えがある。
そのうち、食事を一緒に喰うようになった。ただの雑穀粥に豆スープだったが、廃墟では粗末な食事も毎日を確実に喰えるとは限らない。さすがに遠慮すると、マギーは一食の具体的な値段を告げて、肉を毎回、持ってくる対価の一部としては妥当だと説明された。トリスからは得しているように思えるかも知れないが、自分の視点しか見えてない。マギーとニナは肉を買いに行く面倒を省いてる分、金を稼いだり、休めるので、取引としては公正なのだと。説明に煙に巻かれたような気がしたものの、損をする訳でもないので、トリスは説得を受け入れて一緒に暖かな飯を喰うようになった。
次はなんだったか。そう、針金だ。どうやって肉を獲っているかのニナとの会話で、罠を仕掛けてると答えてから、しばらくして、マギーが行商を始めた。針金が安く手に入ったとかで、売っても大した金額にならないから、持っていけと言われた。木材も、だ。全くこっちの引け目を感じさせずに、色々とくれるのは、有り難いと。見抜いているぞと暗に告げれば、餓鬼が、と鼻で笑われた。この頃くらいから、マギーはトリスの上位者として露骨に振舞い始めた。
とどめが煙草だ。廃墟の市場の話と相場の話をしてから、自由都市で安く仕入れた吸いさしをくれるようになった。トリスはそれで大分、稼げるようになった。
そのうち、マギーは古着だの、下着だのもトリスに寄越すようになった。
礼も出来ないと断ろうとすれば、誰も期待してないと一蹴された。五年後、十年後なら兎も角、お前になにが出来るとも言い放たれれば、劣等感を刺激されたトリスも意地になって代金を支払おうとする。結局、衣服の相場よりは大分、安いがマギーはトリスの金を受け取った。
マギーはトリスに稼ぎ方を教え、相場より随分と安い対価で服や食事を与え、ゾンビや変異獣の騒ぐ夜など、ねぐらに寝泊まりさせた。時に心が折れない程度に劣等感を刺激し、課題を克服させもした。恩に着せつつも、引け目を感じさせない程度に、トリスの手際を褒め称えもする。
マギーは人物だ。
そんなマギーでさえ、様々な話を語ってくれる中、触れたくない大悪党や恐ろしい切れ者の商人について恐れるように語る時があった。廃墟の浮浪児の狭くなりがちな視野を開いてくれる話の中、トリスが漸くに理解に至ったことが一つだけあった。
マギー以上の切れ者も、力の持ち主も世には転がっているが、惨めな廃墟民の子供にとって、それでもマギーは巡り合えるほぼ最上の類の人物で、自分は運よくそれに巡り合ったのだ。面倒見の良さ、知恵、冷静さ、意志の強さ、運の強さ。いずれマギーは、今以上に出世するだろう。これまでくすぶっていた方がおかしいくらいだ。そして、トリスにとって、この出会いは絶対に逃がしてはならないものでもあった。
いずれにせよ、マギーは明日野垂れ死にしても不思議じゃなかった
(―――リン、あんたがいるなら会いたいと言ってた、信じられる大人。頼れる大人が本当にいたよ。もっとも、このポジションは絶対に譲らないけどね)
心の中でかつての少年団の頭目に告げながら、今日もトリスはマギーに挨拶に向かうのだった。
※※
「煙草の草が仕入れられなくなった」そんなマギーの言葉は、トリスにとって現金収入の大半が無くなることを意味していた。
「雨季ですからね」焦るでもなく淡々と頷いたトリスを見て、マギーは眼を細めた。
多分、人を育てる醍醐味を味わっているのだろうと、トリスは推測する。
小ぬか雨のしとしとと降りしきる初夏の夕方だった。日雇い仕事を終えたマギーとニナが、町外れは表通りに面してる廃屋の一角で、火を焚きながらずぶぬれになった服を脱いでいた。惜しげもなく晒した裸体をタオルで吹きながら、火に当たって服と体を乾かしている。
行商で随分と稼いでいるだろうに、いまだに日雇い仕事を止めようとしない。トリスには言語化しづらいが、いい意味で仕事を選びながらも、労働をいとわず、汗水流して稼いでいるのは尊敬に値した。もっとも、最近はかなり頻度を減らしてるのは、雨季に合わせて行商が長引いているからだろうか。
「まあ、元手が出来たから、露店や屋台を廻る事も殆んど無くなったからねぇ」
その理由だと、これから先、雨季が終わっても仕入れはないな、とトリスは結論するが、動揺はしなかった。廃墟で稼げるような鉛や錆び鉄のびた銭には、どのみち、大した使い道もなかったからだ。
「代わりと言っては何だけど、ちょっと面白い玩具を仕入れてね」乾いた服を着込みながら、マギーがニヤリと笑った。
「……玩具ですか?」とトリス。
「商品になるような代物じゃないけど。まあ、役に立たない訳じゃない」
肩掛け鞄をごそごそと探って、マギーは古いフライパンを取り出した。お土産と思しきそれを、紐で天井から吊るしている。
なんかのおまじないか?
トリスが怪訝に首を傾げつつ眺めていると、何か小さな金属片がフライパンに衝突し、カァン、と甲高い音と共に少しだけ揺らした。
トリスが振り返ると「スリングショットと言う」マギーがY字型のフレームにゴムバンドを取り付けた器具を見せながら説明する。
鉄製フライパンは僅かに揺れただけだ。衝撃そのものは小さい。しかし、鉄の底部には微かなへこみが生じていた。
「引く力は15ポンド、7.5キロ。女の子でもそれほどの疲労なく、何度も発射できる割に、威力もそれなりにある。薄い鉄のフライパンなら、へこませる程度には威力がある」
トリスもよく知っている。未到の廃市街奥地へと向かう
子供が小鳥を取るのに使ってる玩具とは違う。一応、本物の武器の端くれだった。トリスが絶対に手に入らないと思っていた代物が、急に転がり込んできたようだ。握った手がどうにも現実感が薄かった。
「鉄球は250発付き。野犬相手でも怯ませるくらいは出来るが、球体なので肉体を破壊する効果は薄い。出来れば、犬や大鼠には使わない方がいい。使う相手は、小動物にしておいた方が無難かな」説明は簡潔で分り易かった。元々、それほど複雑な機構の道具ではない。製造工程は別として、構造自体は極めて単純に出来ている。
「かなり高価なんでは?」スリングショットを観察し、重量や引く力を試しながら、トリスは疑問を呈した。
「武器屋に行ったら、一見の客に大したものは売れないって言われてね。そりゃそうだけど」肩を竦めながらマギーは愚痴った。「少し前に、ニナにも同じものを。弾を使い切ったらいいなさい」
※※
七月の曠野には珍しく、好天が一週間ほど続いていた。
マギーたちの手持ち資金は、七百を越えていた。おおよそ都市クレジットか、他の信用のある通貨で占められている。さほど無理せず維持できる元手が増えれば、仕入れることの出来る品もその分、増える。店に詳しくなり、商人との付き合いが重なれば、相手も多少は品数を融通してくれることもある。商売での好循環も始まって、街道を歩む二人の足取りも弾んだ。
ポレシャからさほど遠くない街道筋。知り合いの土地持ち農民の井戸端で正午の強い日差しを避けながら、二人は通貨の談義を行っている。
「これが10ギレル紙幣。蚤の市には、あまり出回らない……零細商人の間には滅多にお目に描かれない代物です」
「ギレルがクレジットと等価なら、凄い額面だね。はじめてお目にかかった」
ニナが目を丸くして、マギーから渡された紙幣をまじまじと眺めた。
「ギレル商会が発行しています。ズール屈指の大商会。取って置こう」いそいそと財布にしまい込むマギー。大商会の通貨を所持している者は、それだけ付き合いがあると言う事でもある。使わずにチラ見せする事でブラフなどの駆け引きに使う商人もいるようだが、マギーは単純に珍しい通貨が好きなのだ。おとぎ話に出てくるムーミン谷のヘムレンが切手を集めるように、マギーは紙幣や貨幣を集めるのに執着している。
日差し除けのトタン屋根の下で、水を啜りながら街道を眺めていたニナが、ふと、何かに気づいたように目を細めてから、隣のマギーの袖を引っ張った。
「マ、マギー。誰か来るよ」
日差しを遮るトタン屋根の下、井戸端で水を啜っていたニナが、ふと街道の奥をじっと見つめながらマギーの袖を引いた。
「珍しいことでもないけど」
街道を歩む人影は、物資を運ぶ商人や旅人、あるいは廃墟漁りの集団など、ここでは特段珍しいものではなかった。ニヨニヨしてるマギーは、視線を紙幣から外そうとはしない。
「そうじゃなくて、そうだけど。そうじゃなくて……なんか変なんだよ」
ニナの声にはどこか戸惑いと焦りが混じっていた。相棒の言葉に、マギーもようやく顔を上げた。
ニナの指さす先を眺めてから、古い眼鏡を二つ取り出すと、レンズの焦点を合わせて、即席の望遠鏡にして覗き込んだ。
ニナの指さす先、確かにかなりの人数が近づいて来ていた。曠野の街道で十数名の集団の接近は、さすがに警戒に値した。
近くの農地で作業していた農夫たちもすぐに気づいたようで、一人が知らせに家へと走った。農家の二階の鎧窓が開き、クロスボウや火縄銃の銃口がぬっと飛び出して狙いを定めた。曠野の土地持ち農民の家は、すべからく防備が整えられており、危険が迫るや、短時間のうちに、ちょっとした砦の如き様相を整える構えとなっている。
行商人のマギーたちも一家とは顔見知りで、針金や綺麗な服、針と糸などを多少の取引をしたことがあった。場合によっては、頑丈な壁の内側に避難させてもらえるだろう。
街道を眺めていたマギーは、鞄をごそごそと漁り始める。そして、古びた眼鏡を二つ取り出し、片方のレンズを裏返して手の中で合わせる。レンズの焦点を微調整すると、器用に即席の望遠鏡を形作った。
「ちょっと待ってね……これでよし、と」
レンズを覗き込むと、街道を近づいてくる集団がはっきりと見えた。
薄汚れた服を纏った十数人の男女の集団。
「……大した武器は持ってない。野盗じゃない」多分だけどね、と付け加えたマギーに、近くで様子を窺っていた農民らもホッとした様子で、隠れてた子供らに頷きかけた。判断が早すぎる気もするが、堅固な建物に拠った、武装に優越する集団を攻撃する者たちは早々にいない。頭のおかしい部族の集団くらいだが、蛮族の類にも見えない。
数人が火縄銃や弓、クロスボウなどを背負っているだけで、集団は大した武装は持ってなさそうに見えた。無論、19世紀以降の高性能拳銃を複数、隠し持っていれば話は別だが、十人以上の盗賊団がポレシャ近郊の街道筋を彷徨ってるとは、マギーも寡聞にして聞いてはいない。強力な盗賊団の出没に関しては、良くも悪くも行方不明者や死体で痕跡が残るものだ。とは言え、初期の犠牲者になることもあるので、旅人同士の噂から、連中の動向を鵜呑みにし過ぎるのも危険だったが。
集団がやってきた方角は、マギーたちの暮らすポレシャ方面だった。今の時期、雨季にも関わらず、自由都市方面へと赴く自由労働者、或いは
集団が近づいてくれば、服装はひどく擦り切れているものが多いと、マギーにも見て取れた。急ごしらえの継ぎ接ぎだらけな生地に、所々に別の布地が縫い付けられていた。幾度も繰り返し修繕された跡が見受けられるが、特にズボンの膝や、シャツの袖口などは、薄い布地で補強されている。袖口や裾の部分は手荒く裂けており、時折風を通すたびに、布地がたなびいていた。
貧しい
「しかし、連中……どこか見覚えがあるような」記憶の何処かに引っ掛かっていたところ、耳元に近づいたニナが、セフ、と小さく囁いて、合点がいったマギーも指を鳴らした。
「……思い出した、連中か。ポレシャに仕事が足りず、元気なものから自由都市に出稼ぎかな」怪訝そうなマギーだが、傍らでニナも首を傾げている。
「それにしては……荷物が変な気がすぅ」
どちらかと言えば、蚤の市で売り買いされてそうな代物に不安を覚えたのか、ニナがぎゅっと身をすくませて、マギーの袖を引っ張った。
「ねぇ、これって」
難しい表情のマギーが無言で観察している中、すれ違い際にセフの集団の真ん中にいた中年の男たちがマギーの姿を認め、ニヤリと不敵な笑みを向けてきた。
「どうやら、商売敵が生まれたらしい」
一行を見送ったマギーは、苦々しい口調で告げながら、立ち上がった。
「セフの村の人たちね」そう簡単にいくとは思えないけど、とニナも呟いている。
実際、マギーたちも、最初の数か月はトントンか、ギリギリで大した利益も出なかったのだ。だが、その頃のマギーには殆んど元手が無かったし、今もそうだが、何よりも人数もいなかったのだ。
「まずは、お手並み拝見かな」言葉とは裏腹に、しかし、マギーの表情は、やや強張った緊張を隠しきれていなかった。
7月上旬のマギーの財産
776クレジット 冬越えの必要額まで残り24クレジット
11月30日まで 残り145日