黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_18 二十にひとつ

 変異獣の咬筋力や膂力は、その恐ろしげな見た目から想像するよりはかなり弱い。所詮が、人よりかなり強い程度でしかなく、野生の獣とは比すべくもない。勿論、正統な生物兵器の系譜であれば、貧弱な小口径弾などものともしない怪物も何種類かは存在しているが、鎧狼やベヒモスなどの強力な末裔の類には、捕食する獲物の量が不足して繁殖に歯止めがかかっている。

 

 いずれにしても、小型の変異獣が相手であれば、噛まれても一瞬で手首を持っていかれるような事態は滅多に起きない。それでも牙は幾重にも巻いた包帯を貫通していた。僅かに血が滲んでいる。清潔な包帯は鞄に入っているが、しかし、今、包帯を替える余裕はなかった。

 消毒液をぶっかけて、それだけで治療を終える。スカッターに毒はなかった……筈だ。多分。スカッターに似た、毒を持つ変異獣かも知れないが、そこまで考えていたら、何もできなくなってしまう。

 

 マギーは敢えて噛みつかせる場所と、見た目から推測したスカッターの構造上の弱点、手持ちのナイフでの有効な攻撃方法とダメージコントロールを組合わせて、戦術を組み立て変異獣を駆逐した。

 

 木陰から出て街道を足早に進み続けると、街道沿いに農家が点在しているのが見える。小高い丘の頂に石垣を積んで守りを固めた農場の、不揃いな木材を組み立てて作った見張り台に人が見えた。

 

 近隣に知った顔はいなかった。農場に逃げ込むという選択肢も、確かに頭をよぎったが、しかし、できれば取りたくない選択肢でもあった。怪物や盗賊に追われて、窮地に陥った者たちが見知らぬ農家へと逃げ込んで助かった話も世には存在しているが、農民たちが必ずしも友好的に振舞うとは限らない。少なからず悲惨な末路も耳にしている。見目麗しい旅人の異性を捕えて、檻で飼ってるような農民だっているのだ。

 

 平穏そうに見える農場の石垣の内側にも、何が潜んでいるかわからない。部外者からの襲撃や脅迫に頻繁に晒される人々が、時に獣よりも残酷な行動に走ることも珍しくない。遠く、見張り台に立つ人影がこちらを見下ろしていた。鋭い視線を感じるが、声をかけてくる様子はない。

「……できれば撃ってきませんように。追いかけてこないでくれよ、と」

 マギーとニナは小さくそう呟いて、足早に街道を進み続けた。

 

 

 

 ※※

 

 

 

 自由都市から離れるほどにすれ違う旅人の姿や見掛ける民家も減っていった。ポレシャ一帯は、やや標高の高い丘陵地帯となっており、近づくほどに起伏の多い地形へと変化する。待ち伏せには絶好の地形にマギーとニナは神経を尖らせたが、結局その日に二度目の襲撃を受けることはなく、夕暮れ時、ポレシャ居留地の防壁が見えた瞬間に、マギーとニナは互いにほっとした顔を見合わせた。

 

 ポレシャ居留地へと帰り着いたマギーは、破傷風が恐いので診療所へと駆け込むと、まず注射を打ってもらった。居留地の役に立ってる行商人なので、貴重な抗生物質にも、支払いは半額で済んだ。とは言え、他に定期的にポレシャを訪れる隊商もあるのだ。マギーが持ち込むのは、数十キロの鉄くずや木材、それに若干の釘やポリスチレンなどに過ぎない。あれば役には立つ建材だが、なくてもなんとかなる程度の量であり代物だった。

 

 薬品や弾薬、塩に機械部品なども仕入れられないか、幾度か尋ねられたマギーだが、残念ながら、それほど大した伝手は持ってなかった。幾らかのガラクタを除けば、若干の奢侈品や電子部品、針金などを持ち込むことが精々だ。それでも居留地としては助かってるので大分、厚遇はされているが。

 

 

 

 雨季に差し掛かった影響で、今回の利益は若干落ちていた。雑貨屋での売却益は198クレジット。それでも、働き者の渡り人(オーキー)に迫る稼ぎだし、小麦の売却益や別口の奢侈品の収益なども見込んで、最終的な利益は三百を越えるだろう。これに居留地での日雇い仕事の日当も期待できるのだから、元が渡り人(オーキー)の行商人にとっては、これ以上ない成果と言えた。四百近い利益は、普通なら笑いが止まらないはずだ。

 

 しかし、マギーは陰気な表情で自宅前に座り込んでいた。留守の間、降った土砂降りに、新聞製の家は跡形もなく崩れ去っていた。

 それは予想済みだった。雨季が終わりつつあるので、また作ればよい。秋の終わりまで凌げればいいのだ。しかし、分かっていても動く気になれなかった。徒労感がズシリと肩に伸し掛かっていた。

 

 こういう時、頭を使う必要のない立場であれば、無理に動いてやる気を出すのも手のひとつだが、もはやマギーは隊商主オーに使われる従業員ではない。おのれとニナを養う為に、ひとりで考え、ひとりで決断しなければならない独立独歩の行商人だった。そして、やる気になれない時とは大抵、心の何処かで重要な引っ掛かりを憶えている時でもあるのだ。

 

 なにかが頭の中で引っ掛かっている。大事なことだ。しかし、それがなにか、マギーには分からなかった。日が暮れようとしても、マギーは廃屋の入り口に座ったまま、陰気に沈思黙考を続けた。ニナが袋を持って出かけた。安く仕入れた石鹸の欠片などを、薪と交換してきたようだ。近所の顔見知りの渡り人(オーキー)たちには、ほんの少しだけ商品を安く融通している。

 

 ドラム缶に炎が燃やされると、隣人のリリーが近寄ってきた。何故か、子供を五人ほども連れている。いつの間に産んだ?トリスとかココ、メグやアーサーなんて連中も姿を見せて、勝手に火に当たってる。 風に揺れる炎の中、鼠やら蛙、小鳥の肉を焼き、雑穀にバターと塩、砂糖を練り込んだクッキーやらで夕食を取っている。近所から双子と『長老』も姿を見せた。アーサーが歌い出した。意外と上手い。人には変な特技があるものだ。

 

  炎が集まった人々の顔をほのかに照らしていた。嫌いな光景ではない。渡り人(オーキー)と廃墟民たちが火を囲んで、穏やかな夜を過ごしていた。

 ふと、(あと何度、こいつらと一緒に過ごせるかな)と、マギーは感慨を覚えた。それを考えると、図々しく火に当たるくらいは、許してやろうと言う気持ちにもなる。近所の顔ぶれは時々、変わる。親切な未亡人の親子や、可愛らしい兎の人形の双子も姿を消した。多分、市民などから見れば、いつ死ぬか分からない立場の惨めで貧しい弱者たちだろう。

 

 だけど、その弱者たちは、判断力や洞察力に関しては、マギーと比べてそれほど劣っている訳でもないのだ。ならば、他の渡り人(オーキー)らも上手くすれば成功できるし、マギーも一つ間違えば、再び、転落しても不思議はなかった。この商売が、危うい綱渡りをしているようなものだと、マギーは改めて気づかされていた。

 

 

 

 

 二十にひとつ。

 

 曠野において、街道を行く隊商が消息を絶つ、その割合だと言われている。

 

 隊商《キャラバン》が進む先で行方不明になる、またはその存在が消えていくのは珍しいことではない。自然災害や盗賊、屍者《ゾンビ》の波、変異獣、さらには疫病や戦災などによって随員が行方不明になる事もあれば、商売上で大きな損失を出し、現地で解散することもある。

 

「マギ上殿。この半年で三度、危うい目に遭いました。ちょっと回数、多くないでしょうか?」ニナは寄り掛かりながら、そんな疑問を呈してくる。

「もしかしたら、そんな事がなくもないかな。と思わないでもなかったです」マギーも認めた。半年で三度。マギーたちが危うい襲撃を切り抜けた回数だ。些か頻度が多い。

 

 先行きの見えなさが不安を生じさせ、徒労感を強めているのかも知れない。何時まで続くのかとも思った。確かに、普通の自由労働者や労務者よりも大分、稼いでいる。しかし、危険の多い仕事であることも否めない。

 

 襲撃が多すぎる。マギーは傍らで寄り添うニナを抱き寄せた。盗賊が二回、屍者の領域に入り込んだのが一度、そして今回の変異獣。一年経たずにこれでは、長生きできそうになかった。元より、街道筋は盗賊の跳梁跋扈するところとだが、これだけ立て続けに襲撃を受ければ、陰鬱な気分にも襲われる。起伏が激しく、見通しの悪い細道は、岩陰や斜面での待ち伏せに備えるには最悪の地形である。

 

 他にも、考えるべきことが幾つもあった。次の仕入れや旅程の調節、事前の準備など商売上のやり繰りに、服も直さなければならない。雨季の最後に売り上げも落ちている。廻れる店が減って、その分、仕入れも減っていた。これは、まあ仕方ない。

 

(なにかが引っ掛かっている。もう少しで気づけそうな、なにかが……)

 

 

 駆け出しの行商人であるマギーとニナは、恐らくは熟練の行商人らや隊商に比して、安全の確保において劣っている。いささかの苦々しさと共に、マギーはそう結論せざるを得なかった。

 

 他の行商人たちは移動経路の選定に、事前の調査も含めて時間を費やしている。

 マギーは息を呑んだ。多分、違和感の正体に気づいた、と半ば確信しつつも、思考を深めようとする。今になって振り返れば、だ。他の行商人との会話の端々に、そうして秘匿されていた職業的な隠語の欠片が入り混じっていたように思える。『時期』『経路』『隠れ家』。恐らく、ベテランの行商人ほど、かなり安全な経路のひとつや二つ抱えているに違いない。

 

 領域の安全や盗賊の出没頻度は、マギーやニナも調べている。加えて、ベテランたちは、移動する時期も含めて護衛、隊商が談合して、共に目的地に同行する者たちの移動時期を調整し、取りまとめることで、より安全性を高めて商売を行っている。

 

 そうした談合や安全確保も含めて、ギルドの一部行商人たちは、見かけよりも安定した商売を行っている。

 しかし、信頼の蓄積と伝手を所有していないマギーたちは違う。毎回、毎回、保険を欠いた危うい旅路を選ばざるを得ない。

 

「……所詮は、素人か」炎を眺めながら、マギーは自嘲の呟きを洩らした。

 その場、その場で可能な限り調べ上げようが、所詮は冒険商人でしかなかった。いい意味ではない。ベテランたちから見れば、随分と無用な危険を冒してるように思えたに違いない。

 

 累代の行商人が、マギーたちを見て、奇妙に余裕を見せていた理由もわかる。いずれは、街道上の危険に呑み込まれて費えるに違いない。その後に、新参たちが開拓した販路と市場が稼げるならば、労せずして戴けば商売も拡大できる。悪意はなくとも、それくらいは考えていても不思議はない。或いは、穿ち過ぎだろうか?

 

 

 親の代や師匠から受け継いだ、隠れ家や安全な避難所、或いは盗賊団との取り決めも含めて、一部の行商人たちは、幾らかの見えない力に守られてきたと言う事に、マギーはやっと気づいた。そして恐らく、他の新参者……例えば、渡り人(オーキー)上がりの駆けだし商人などには、これから先も未来永劫、それらにアクセス出来る機会が巡ってることはない。己の手で似たような仕組みを作るにしても、危険を冒しながら一歩一歩手探りで積み重ねるしかない。

 

「今さらになって気づくか、わたしも……」衝撃を受けたのか、半ば、放心したような口調で、マギーは独り言ちた。

 師匠であったオーは、それと無く隊商の若者たちに示唆していた。大人には段階があるとも、生前のオーは言っていた。そして、限りがないとも。これから先、何度、蒙を啓かれることになるだろうか。頭がくらくらする。それでも、少しだけ、亡き師匠の足元に近づけた気がして、不思議と気分は高揚していた。

 

 行商人や隊商の安全確保の仕組みも、けして万全ではない。それでも危険な街道上の旅に命綱があるのと無いのでは、長期的な統計は異なってくる。

 

 全く、セフの連中を笑えなかった。マギーがセフ衆の商売を見て、危うさにため息を吐いたように、古くからの行商人たちには、マギーの商売が、明日をも知れぬものに見えて、失笑していたかも知れない。

 

 マギーとニナは確かに若干の努力と工夫を重ねて商売を成功させたが、幸運に助けられたのは間違いない。そして、明日もこの幸運が続くとは限らなかった。

 

「どうしようかな?」穴の開いたコートを眺めて、マギーはぼんやりと呟いた。

 それでも頭の中で引っ掛かっていた靄《かすみ》の正体に気づいただけ、一歩前進だろう。幾らかの気力も回復していた。取りあえず、新聞の寝床を作って、明日は服を繕ってもらうための針子さんを探すとしよう。

 

 

 

※※

 

 メイ婆ちゃんは、ポレシャの正規居住者であった。過去に自由都市でお針子として働いており、今でも親しい人の依頼で、服を繕ったり、仕立て直す仕事を引き受ける。門前地区の比較的に安全な一帯の小さな木製家屋に暮らしている。

 非常に雰囲気のいい家で、ガラス窓越しに柔らかな光が差し込み、窓辺にはちょっとした植物が並べられている。ガラス窓と言うと、単独での防備には不安を覚えるかも知れないが、中町や町外れに比べれば、ライフルを携えた傭兵たちが守る防壁に面した門前町一帯は、遥かに安全だった。大体、新聞の天幕やら布の家、段ボールの小屋に比較したら、バラックやあばら家だって豪邸のようなものである。

 

 マギーはメイお婆ちゃんの針仕事する姿が好きだった。

 灰色のショールを纏ったお婆ちゃんが眼鏡を掛けて、丹念な仕事を続ける姿は、何時間でも見ていられる。マギーは一度だけ、密かに年老いたおのれが揺り椅子に座って同じような針仕事をする未来を空想してみたのだが、筋肉質のゴリラみたいな入れ墨蛇眼ババアが揺り椅子を巨大な尻で粉砕する姿しか思い浮かばなかった。貴様のようなババァがいるか、と幻聴まで響いてきたので、乙女っぽい夢想は心の奥底に閉じ込めて、二度と想像すらしなかった。

 

 兎に角、お茶を入れて貰いながら、飽きることなく、穴の開いたコートの繕い仕事を眺めているマギーの傍ら、退屈そうにしていたニナがスン、と鼻を鳴らした。

「マギー、外に誰か来てる」囁くので視線を転じれば、ハーブを植えた庭先に何やら薄汚い渡り人(オーキー)どもがうぞうぞと集まっていたので、おいおい、とマギーは表情を蒼くした。

 

 マギーも始めてきた時は、薄汚い風体だったが、少なくとも礼儀は弁えていたし、終始、丁寧に対応したものだ。それが、渡り人(オーキー)ども。どいつもこいつも見知らぬ顔だが、どやどやと他人様の庭先に踏み込み、盛んに騒ぎ立てている。さすがに怒鳴ったり、叫んだりはしてないが、無遠慮に庭をうろつく者もいれば、互いに低い声で話し合っている者もいる。他人さまの家に押し寄せて此方の様子を窺う態度からするに、明らかにただの通りすがりではなく、用件があっての来訪に違いなかった。歓迎しえない客人たちの風体からするに十中八九、目的はメイ婆ちゃんではなく、マギーであろう。

 

 舌打ちしようとして思いとどまり、兎も角もマギーは立ち上がった。「お婆ちゃん、ちょっと御免。客が来たみたい。多分、私に用だと思う」

「気を付けなさいね」何時もの穏やかなお婆ちゃんの忠告に、マギーは素直にうなずいた。

「うん」

「……うん?!」何故か驚愕しているニナを小屋に残して、マギーが外に出ると、庭先に集まっていた渡り人たちは、戸惑ったように顔を見合わせた。

 ひとりが顔を上げ、マギーの方をじっと見つめている。

「あんたが、マギーさんですか?」

 

 代表らしき中年男は、帽子を手に取ると丁寧に挨拶を送ってきた。

「マギーさん、初めまして。私たちは、セフの村から来た者です。ちょっと言いにくい話かもしれませんが、実は私たちの村が巨大な蟻の侵攻に遭い、今は避難してきたばかりで……難民としての生活を送る中で、私たちの行商も思うようにいかず、日々困っているんです」彼ら彼女らの瞳がじっとマギーを見つめていた。

「でも、あなたがここでどれだけ腕の良い商売人だと聞いて、ぜひお話をしたいと思っていました。あなたのような成功者に、少しでも教えを乞いたいと思って。私たちの今の状況を打破するために、どうかお力を貸していただけないでしょうか?」

「……え?いやですけど」マギーは断った。

 

 

9月上旬

 

 財産 1665クレジット

 

 残り80日

 

 

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