人に何かを教えられる立派な人間ではない。或いは、何か得があるのか。
そう言った断りの為の弁解なり、説得なりを何通りか頭に思い浮かべていたマギーだが、集団で押し掛けてきた割にセフ衆はあっさりと引き下がった。
もう少し食い下がるべきではないかと、当のマギーすら意外の感を打たれるほどの諦めの良さは、物分かりが良いと言うよりも、どこか諦念が漂っているようにも思える。
おそらく、セフ衆にとっては、助けを求めて断られるのも初めての経験ではないのだ。或いは、無駄に何度も頭を下げてきた結果、最初から過度に期待せず、相手が断ればすぐに次に行く、いわば『早期撤退』が習い性として身についているのかも知れない。
マギーが何かしらを教えたからと言って、確実に稼げるようになるとも限らない。セフ衆にとっては、上手くいったら儲けものくらいの考えで声を掛けてきたのだろう。
マギーは肩を竦めた。いずれにせよ、セフの衆とは、今日まで殆んど交流を持っていなかった。或いは、そこら辺の
※※
マギーも、ニナも、比較的に強靱な精神の持ち主ではあるが、それでも怪物に襲われたり、盗賊に追いかけられる経験は精神を著しく消耗させられる。
帰ってきた二人は、簡単な日雇い仕事やら土いじり、それに家の補修をしながら、次の行商までの日々を過ごした。
居留地の仕事は必ずしも半日仕事とは限らず、短時間で済む簡単な仕事も幾らでも転がっている。
『一時間掛からない簡単なゴミの穴掘り。3クレジットと食事』求人所の壁に張られたそんな用紙をマギーはまじまじと見つめてから、手に取った。
今日のマギーの仕事は、ごみを燃やす穴を掘る事で、報酬は3クレジットと軽食だった。シャベルで商人の家の庭に穴を掘った後、3クレジットを受け取ったマギーは、その場で30クレジット分の上等なパイプ草を商人から購入した。パイプを吸いながら、タンポポの珈琲おいちい、おいちいとご満悦のマギーちゃんを、「お前さんもいい加減、妙なやつだなぁ」と居留地の商人は奇妙なものを見るような眼で眺めていた。
マギーも妙だとは思いつつも、慣習は変えなかった。土を弄ったり、野良仕事をしたり、他の
(……多分、ニナの心の成長にもよかろうて)と土から人参を引っ張り出すニナにほっこりしつつ、野良仕事は定期的に受けている。
刺激的な日々に、贅沢をして得られる満足感も、慣れきってしまえば、心は徐々に麻痺していくものだ。地に足が付いた生活をすること、普通の日々を過ごす事で、生活の変化も実感できるはずであったし、心の疲労を癒し、些細な物事の大切さや人生の幸福について考える時間にもなった。人生には、自身を振り返る時間も必要なのだ、多分。
仕事の後には、熱いお湯とタオルで身体を洗って、それから二人以上で夕食を取る。廃墟の少女、トリスが朝食に。それに隣人のリリーなどが夕食へとよく顔を見せて、マギーたちは、食事を馳走してやるが一応の見返りはあった。廃墟暮らしのトリスは小動物の肉を持ってくるし、地元の噂をあれこれと報告するので、それをメモに取っている。最近は、文字を教え、ノートに書き取りをさせる形で報告させていた。引き換えに煙草の吸いさしやら針金やらも手渡している。
隻眼のリリーは、
その日もリリーは、コブ付きでやってきた。
「男やもめにでも引っ掛かったかね?」揶揄うように言ったマギーに、リリーは憮然として首を振った。子供たちは、どこか怯えた様子でリリーの背後に隠れるようにしていた。小さな手がリリーの服の裾を握りしめ、視線をこちらに向けてはすぐ逸らす。その仕草に、マギーをため息を漏らしつつ、用意してあった食事を見やった。足りない。急ぎ、安い雑穀や大麦を追加して粥を増産する。
見ず知らずの子供に与えてやれるのは精々が雑穀の安い粥だが、いきなり見ず知らずの子供五人を連れてこられて、食べさせてやれる余裕を持つのも、リリーの知人では、マギーくらいであったのだ。調理の合間も、子供たちは木製のテーブルやニナ、果ては新聞の天幕まで落ち着きのない視線で見ていた。だが、鍋から漂う香りが注意を引いたようで、ほんの少しだが、その瞳に光が戻るのをマギーは見て取った。
粥が出来上がる。「さあ、席に着きなさい」マギーが命令すると、子供たちはビクビクとしながら、様子を窺うように互いに顔を見合わせた。
「大丈夫や、見た目は恐いけど理不尽に殴ったりはせん」
そう言ってリリーが手招きすると、ようやく子供たちは恐る恐る前に出てきた。一番小さな子が、大胆にもマギーの顔をじっと見つめてから、思い切ったように器を掴んだ。瞬間、他の子供たちも空腹には抗えず、一心不乱に粥をすすり始める。
「こら、礼くらい言わんか!」リリーが叫ぶと、一旦、食べる手を止めて、恥ずかし気に口々に礼を言う。その姿を見て、マギーは腕を組みながらテーブルにもたれかかった。「……で、こんなに抱え込んでどうすん?」
「あのな……頼みがあるんやけど」おずおずと切り出したリリーに、マギーは渋い表情を浮かべた。仮に雑穀の粥でも、五人分となると馬鹿に出来る金額ではない。
「いや、食べものの事ちゃうで。同郷の人らが普段は子供らを食わせとるんや」とリリー。
なら、なぜそんなに頬がこけていて、顔色が悪いんだろうな、とマギーは冷ややかに思ったが、突っ込みはしなかった。
「……となると、セフの子たちか。で、頼みとは?」
「この子らの親御さんがな。出稼ぎに出てずっと消息ないんやて」困ったように言うリリーを子供たちが見ている。
「あの、商売のついででいいんやけど……ほら、よく自由都市へ行くやん」
マギーは呆れて、物を言えなかった。
「……頼みって言うから、行商に加えてくれとか、そう言う事かと思ったのに、がっかりだよ」
マギーの言葉に、リリーはあわあわとしながら、他人の事情を口走った。
「そ、そんなら、セフ衆とか仕事探しててな……」
「よく知らない、身元の保証もない、見ず知らずの人間を行商にくわえる? 私は恐くてできない」マギーは言ってから、リリーへと身を乗り出した。
「いい加減、他人の面倒ばっかり見るのは……まあ、いい。リリーがどんな人間かは知ってるつもりだよ」
それから、リリーの言を無視して、行商の手伝いの雇用条件をつらつらと提示する。
「食事に宿泊場所も面倒見る。往復で25クレジット。少ないけど、積み荷の他、リリーがなにか仕入れて、持ち帰るのは自由。石鹸や布、吸いさしが手堅くてお勧めか。紙巻煙草にして露店で売れば、そこそこの値で売れる。リリーは手先器用だし」
「あ、うん」圧倒されたように頷くリリーに「考えておいて欲しい」と真剣に告げた。
俯いて何かを考えていたリリーが、ようやっと口を開いた。
「あの子等の親やけど……」
人の心配ばっかりだな、こいつ。思いながらマギーは逆に尋ねてみる。
「リリーは、ポレシャで見知らぬ人間を聞いた話だけで見つけられる? 」
「……そら、無理やないかな」
「ズールには、ポレシャの10倍の人間がいる」マギーの言に、リリーは息を呑んだ。自由都市と言っても、どれほどの規模かは知らない人間も世にはいる。マギーは手元のノートを眺めながら、ペンをくるくると指先で廻した。
「まあ、探してやってもいい。写真か、なにかある? なにをするとか言ってた? 当てはあるとか、伝手とか、知り合いとか」
返答はなかった。だが、マギーにはどうでも良い事だったので淡々と告げた。
「どうしろと……まあ、名前だけでも聞いとくよ」
口ではそう言ったけど、マギーは期待していなかった。数千の人間がいる町で、名前だけで人を見つけるなんて不可能だと考えている。一応、ノートを見て思い出した時だけ、それらしい集団に聞いてやるかなと、ノートの端に名前を記したのだった。
※※
十月初頭。季節は秋に入っていた。自由都市城門ではギビット(Gibbet)に見せしめの為の吊るし檻が風に揺れていた。檻の中のやせ衰えた半裸の囚人たちは、高価な品でも盗もうとしたのか。普段とは違い、略奪者やら人狩りではなく平凡な
ニナがじっと吊るし檻の木乃伊のような死体を眺めながら、呟いた。
「まさか……違うよねぇ」
「さすがに救いが無さ過ぎるよ」笑いながらマギーが先に立って歩いている。
自由都市南端に聳え立つ巨塔の根本に武器商人たちが集う市場が開かれている。密輸同盟が主催する高価、かつ強力な武器市場で顧客は特別な招待状。例えばバッジであったり、或る時はそろいの帽子や手首に巻いた数色の紐であったり、を持たないと入る事が出来ない。夜ごとに大きな隊商主や遊牧民の幹部、或いは略奪者や人狩りの徒党などが人知れず招かれて、銃器や弾薬を吟味していると囁かれていた。
駆け出しの行商人に、特別な市に関与できる財産も地位もない。マギーの狙いは、武器市のお零れに集まっている二流以下の武器商人たちだった。それでも比較的、中央に近い位置の武器商人たちは、露店や屋台などではなく、立派な仮設建物や大型天幕を張って銃を試し撃ち出来るような裏庭の射撃場すら備え付けていた。
マギーは性的嗜好の対象が女性なのだが、当然に好きになれない同性もいる。イリーナ・ゴルシコヴァは、美人でやはり同性愛者だが、出来るなら付き合いたくない危険人物だった。女奴隷たちを侍らせている武器商人イリーナに、密かに羨望を覚えつつ、嫌悪を自覚した瞬間もあった。或いは、ある種の同族嫌悪かとも自己分析するも、今は違うと結論している。マギーの第六感が囁くのだ、イリーナに警戒しろと。兎も角、イリーナが好きになれないマギーだが、それでも望みの品を手に入れるには、イリーナの店が一番、信頼性が高いと思えた。
武器市場の真ん中で張られた、かなり大きめの天幕がイリーナの所有する富を象徴しているようにも思えた。
「頼まれていた品が届いた。前払いしてた奴」とイリーナ。イリーナがそう言って、マギーに注文された品物を手渡してきた。プロテクター付きのズボン。ビジネスライクに話してくれるのは助かった。
天幕の周囲には数名の販売スタッフや警備が忙しそうに動き回っていた。美しい女性も多いが、イリーナは店舗を数名の奴隷か、あるいは雇い人として使いながら経営しているのか。スタッフたちは一様に無表情で、よく訓練されているように見えたが、よく見れば、潤んだ瞳でイリーナに媚びを売っている女警備もいれば、脅えた表情を隠し切れない給仕の娘もいて、イリーナのチームのどろどろした内情の一端がうかがえた。
善良な人に成りたい、と少女の日の想いを継続させてるマギーは、訓練された態度とスタッフの運用には感心しつつも(……奴隷を使うのはなぁ)となんとはなしにネガティブに捉えていた。勿論、行き場のない、飢え死にするしかない相手を奴隷として拾い上げ、無理ない金額で身分を買い戻せる契約を結んでいる奴隷商や主人も少なからずいるのだが。
「若干の防弾、及び防刃性能が付いている。小型の変異獣に噛みつかれたくらいなら、殆んど牙を通さない」言われても、実際に性能は分からない訳だが、そこは信用するしかない。他の顧客も含めて、イリーナの販売した商品が、販売時に説明した性能を満たさなかった事は、僅かな製造元の欠陥商品を除けば、殆んど存在していない。
裏手に案内されると注文したのと『同じ商品』を付けた老奴隷が裏庭で逃げ回っていた。小型の変異獣に追いかけ廻されては、噛みつかれ悲鳴を上げていた。生き延びるのに必死な老奴隷の無様さに、数人の女警備たちが冷ややかな笑い声を上げているのを見、ニナがなにかを言いかけるのを目で制して、マギーは仮面のように無表情を保ちつつ、性能には納得したと頷いた。
イリーナは老奴隷から脱がせた『商品』の失禁跡には顔を顰めつつ、ズボンの質感を確かめるように触れ、穴が開いてないのを確かめてから頷く。
「ゾンビは無理だけどね。お望みどおりに変異獣相手に白兵戦を戦えるようになる」
イリーナの冷たい笑みを見ながら、マギーは少し表情を引き締める。
「ゾンビには噛まれるなよ? こいつを付けて転化されたら、厄介な事になる」
その言葉がマギーに向けた警告であるのか、ただの冗談だったのか。イリーナは一瞬も表情を変えることなく、マギーも静かに目を見つめ返した。
「そこのコートもくれ」マギーは淡々と指さして告げた。
「北の軍閥の正規装備を輸入した代物だ。ギルド通貨で600。都市通貨なら800は欲しい。払えるのか?」イリーナの言にマギーは肩を竦めた。少し話し合って、結局二つで1200都市通貨に落ち着いた。
かなりの金額の買い物になったが、これで小型変異獣とは有利に戦えるはずだった。状況が一見、手に負えない時、マギーは、シャーロック・ホームズのように状況を俯瞰し、分析しようと試みる。例え、賢さが名探偵の半分にも及ばなくても、賢人の思考法は見倣って然るべきだ。
1 世界は脅威に満ちている。
2 ただし、脅威には、種類と段階が存在している。
2-1 盗賊は手に負えない。縄張りを迂回する事である程度、
回避は可能だが、究極的には遭遇しないことを祈るしかない。
2-2 ゾンビからの逃走。
走屍《ランナー》や疾走屍《スプリンター》と遭遇しなければ、
不可能ではない。遭遇したら?楽に死ねるように祈ろう。
2-3 変異獣からの逃走は困難である。
ただし、大型や大規模な群れとの遭遇確率はそう高くない。
遭遇したら?戦って死ね。
2-3-2 小型変異獣は、素早く、敏捷で、
人間のように走力に長期間の耐久性を持っている。
これに対する対処能力を上げることで、
旅の安全は大幅に改善される筈である。
相も変わらず盗賊は避けるしかないし、ゾンビの群れからは逃げるしかない。マギーたちの状況が抜本的に変わる訳でもなく、これと言った解決策も思いつかない。それでも、少しだけ状況はマシとなった。マギーは、少しずつでも安全を積み重ね続ける。死の顎に捉えられる方が早いか、それとも蓄積された情報と武装が、何時かは脅威に対抗できる水準に達するのか。それは、マギーにも確信が持てなかった。それでも、逃走が困難な変異獣たちに対し、対処能力を大きく上げた事は、マギーとニナが生き残る為の大きな一助となる筈だ。マギーは、そう信じたかった。
9月下旬
財産 1482クレジット(1200の買い物直後)
+防弾・防刃の軍用コートとズボン。
今のところ、これ以上の品は、そこら辺ではあまり手に入らない。