冷たい雨が降りしきる中、マギーたちはよく鍛錬を積んだ足を速め、襲撃者たちを振り切った。
誰もが恐れる瞬間、雄たけびを上げた襲撃者たちの姿は霧雨の向こう側でぼんやりと見え隠れするが、確かな詳細は最後まで分からなかった。強力な盗賊《バンディット》や略奪者《レイダー》の徒党だろうか。或いは、侮れない放浪者《ワンダラー》たちの集団かも知れない。単に堕落した浮浪者《ホーボー》や、ならず者の
兎も角、大分、離れた距離から襲撃を察知したマギーとニナは、瞬時に逃走に移り、体力の続く範囲内にあった旅籠に逃げ込んだ。背後では、笑い声が悪魔のように鳴り響いていたが、事前に周辺の地図を頭に叩き込んでなかったら、捕まっていたかも知れない。
「雑魚寝は1クレジット、相部屋は4クレジット、個室が6クレジット。朝食と夕食は、それぞれ2クレジットで粥とスープを出す」そう言う旅籠の主人に個室を頼み、薪を運んでもらうようメイドの少女に言伝する。
11月に入ってからは、同行する旅人の数が明白に減っていた。行商の連れではなく、単に同じ方向へと向かうだけの他の旅人や行商人たちだが。怪物に襲われた際には弓矢や槍衾、クロスボウや火縄銃での援護射撃をしてくれる旅人たちは、時に心強い盾であり、同時にその場限りの戦友でもあった。そして、冬季に盗賊や追剥が姿を減らしても、熊や巨大蟻、野犬や小型変異獣の群れなどは、いよいよ餓えで狂暴さを増しながら大地を彷徨っている。
「……そろそろ潮時かな」マギーが静かに呟くと「あと1回か、精々2回だね」ニナは頷いた。
旅人の数が少なくなればなるほど、野犬や小型の変異獣の群れに襲われた際の状況は、絶望的なものになるだろう。今はまだ、僅かな旅人たちが怪物や獣の標的を分散してもくれるし、襲われた時には一緒に戦う事も出来るが、冬が本格的に到来すれば、その人影もいなくなるのだ。
「……今年は、それで終いだな」暖炉に向かって足で薪を入れながら、そう言ったマギーは冷え切った身体を震わせた。
※※
居留地であろうと、廃墟であろうと、貧しい者たちの冬越えのやり方はほとんど変わらない。薪や食べ物を持ち寄ってひとつ場所に集まり、飢えと寒さを凌ごうとする。寒さの厳しい季節には、昼が来るまで外に出ることなく、室内で身を寄せ合って過ごすのが常だ。
安い木賃宿や、無料の避難所では、閉め切った大部屋で火を焚いている。隅の方は寒い。薄い壁や破れた窓から、冷気が染み込んでくる。毛布を広げ、寒さをしのぎながら寝転がり、怪物や外の脅威を恐れつつ、冬が明けるのをひたすらに待つ。孤独な夜が続く中、友人との再開を夢見、うとうとと一日中を過ごすのだ。
廃墟の避難所は、時々、屍者《ゾンビ》や変異獣に破られて人死にを出しもする。
巨大蟻や野犬の群れ、その他の怪物にとっても、冬の寒さに動きが鈍り、飢えで弱った人間たちは格好の餌食だ。毎年、一箇所か、二箇所は破られて十数名が死傷するが、多い時は三カ所、四カ所。五か所は滅多にないが、
狂暴な盗賊《バンディット》や略奪者《レイダー》の徒党ともなれば、冬の塒に小さな農村などを乗っ取ってしまう事例さえ、時々は耳に入ってくる。人狩り共に至っては冬でも活動を活発化させ、孤立した農場や隊商の宿営地などに襲撃を仕掛けるのも珍しくない。それでも、尚、貧しい人々にとって最大の脅威は、冬の寒さと飢えだろう。
廃墟暮らしのトリスが、冬籠りする為に別れの挨拶へとやってきた。今日が実際に最後とも限らないが、寒さが厳しくなれば、廃墟からやって来るのも一苦労になるし、マギーたちは防壁内で冬を過ごす。いつ、会えなくなるかも分からないので、早め早めに挨拶しておくに越したことはない。
煙草の葉と針金に幾つかのパン、そして餞別に毛布を二枚渡してから、マギーは言った。
「来年は今年よりもよくなる。再来年はもっと良くなる。だから、生き延びるんだよ」マギーの言葉に、トリスは無言で静かにうなずいた。
「駄目になったら、居留地に逃げてきな。ニール親父でも誰でも、伝言を託せばいい。話しておくから」トリスは「必ず、そうする」と答えた。
「金もあるし、大丈夫。多分。良さげなところに入れて貰うから」
廃墟生活者は、居留地のもっとも貧しい
11月10日
2862クレジット
残り21日
※※
特に何事もなく今年最後の行商を無事に終え、充分に稼いだと判断したマギーとニナは、簡易宿泊所に赴くことにした。正確に言うなら、今年最後の自由都市との行商と言うべきだろうか。
冬場でも物資を求めて近場の町や村、廃墟などからポレシャへとやって来る者たちはいる。冬の市場は、居留地の防壁にもほど近い廃市街の一角、かつてデパートだった廃屋の一階で開かれる。特に誰が取り仕切っていると言う事もなく、自然発生的に生まれた冬市《ふゆいち》は、それでも揉め事を避けるために、武装した正規居住者や、廃市街でも比較的に穏当な浮浪者《ホーボー》や廃墟民の徒党が見回りをしている。
冷たい風が吹く中、集まった人々は商品を品定めしていた。屋台や露店に並ぶ品々は、大半が薪や泥炭などの燃料に古着などの生活必需品で、僅かな食料は酷く値上がりしていた。冬の無聊を慰めるための煙草や酒、小説本などの奢侈品や娯楽品も幾らかは並んでいる。
マギーたちは市場に並んだ売り物から多少、マシな品を吟味して雑貨屋などに纏めて売っている。居留地の内部でさえ、相場を正確に把握していると小遣い稼ぎくらいは出来た。廃墟で拾われただろう崩壊前の玩具や模型など、綺麗にしてから持っていくと、市民や正規居住者の子供だのコレクターだのがそれなりの値で買ってくれることもある。他にも掃除や穴掘り、大きなゴミの処理など半端仕事で駄賃も貰う一方で、古着の売買も行っていた。正直、大した金額にはならないが、それでも中身が減る一方だった冬の財布に多少の稼ぎが入ってくると、気持ちも随分と楽になる。比較すれば、最初の年のマギーたちには、冬場での稼ぎ方さえ知らなかったのだ。
「おかっ、おかしいだろ。真面目な働きもんがよぉ……」働けば働くほどに派手に飲み食いしていた酔っ払い親父が酒場の前で喚いていた。女給の娘の賃金で幾らかツケを廻せていたようだが、流石に限度を超えたらしい。景気のいい時期には、いい気になって親分面で他人に奢っていたようだが、飲み仲間の誰も手を差し伸べようとはしない。
単純に親父と不仲なマギーは、……というよりは何度も迷惑気味に絡まれてきたので、離れた席から嘲笑を口元に張り付けて醜態を鑑賞していた。働き者だけに冬を越せないと言う事はないだろうが、死ぬほどの不幸でもないので、ザマを見ろとの気分を隠す気にはなれなかった。美人の娘が、酒場の二階で勤め始めるのも時間の問題だろう。親父だけが「飲み仲間」と思い込んでいる好色な年増男たちは、その時を手ぐすね引いて待ち構えているに違いなかった。
冬籠りに入る直前、マギーたちは知人の家を廻って最後のあいさつ回りを行うことにした。挨拶相手は大半が町外れの住人で、一部は廃墟暮らしの連中だった。
市民や門前の商人に関しては、防壁内にいれば、嫌でも顔を合わせる事になる。それに市民たちは、安全な暖かい家に閉じこもり、暖かな服に身を包んで、冬越えに万全の準備を整えている。寒さや飢えに怯えながら、過酷な冬を生き延びられるか分からない者たちの行う冬の別れの大事さは到底、理解できないだろう。
町外れの辻々では、最後の別れの光景が繰り広げられている。相手の無事と再会を願って、手作りのお守りや木彫りのペンダントを送りあう若い恋人たちもいれば、独り立ちした息子や娘に一年掛けて編んだ毛糸のマフラーや手袋、靴下なんかを送る母親の姿もあった。町外れの街路の、ドラム缶の炎の傍らに座ったニナは、スケッチ帳を開いて、無言でペンを動かしていた。
「……トリスは無事かな。『王女さま』は『陛下』がついてるけど」
スケッチを描き終えたニナは、荷物から古いスケッチ帳を取り出すと、一ページ一ページと捲りながら、一年の追憶に耽ってるようだった。
お爺さんと子供たちの家のスケッチを開いては「……そう言えば、薪も沢山あるから大丈夫よね」と頷いたり、路地裏に張られた天幕と樽に腰掛け歌ってる青年の絵を眺めては「アーサーは、まあ死にそうにないよね」などと呟いてる。防壁を彼方を見つめながら煙草を吸う先代保安官、人形を抱えた笑顔の姉妹、仲睦まじげな未亡人親子の絵は、暫く見つめてから無言でページを捲り続けた。
隣人のアーサーは冬を路地裏で過ごすようだ。頑健な青年だし、食料は多めに用意していた。天幕も頑丈で布地は厚い。多分、生き残れるだろう。メグの一家は既に襤褸布の家屋を畳んで何処かへと立ち去っていた。いずれかの簡易宿泊所か、木賃宿での雑魚寝部屋へと入ったと思われる。
「……メグたちは、何処の宿に入ったのかな。しっかり貯めてたから多分、中町の木賃宿くらいは入れたと思うけど。リリーは……」呟いてるニナにマギーは頭を振った。
「あんな奴はもう知らんよ」履き捨てるように言ったマギーの声音の激しさに、ニナはギョッとしたように見つめてきた。
「……他人の子供の心配ばかりするのだ。余裕もない癖に……頭が弱いお人好しの……」言ってマギーは頭を抱えて、ため息を漏らした。長い溜息だった。
近所の無料の避難所に身を寄せたリリーに、「リリー一人であれば、面倒を見てやれない事もないのだ」そう告げたマギーだったが、しかし、リリーは首を振って「でも、助け合わんとなぁ……」困ったように笑った。
「……寝取られたからって人生諦めるなよ。いい女なんて幾らでも……じゃない。いい男だって幾らでもいるんだから」マギーが切なげに言う。
「はヵ?!寝取られは関係ないやろ!寝取られは!?」喚くリリー一人なら、もう少しましな木賃宿には入れた筈なのだ。その程度には蓄えを持っていた。自分の食い扶持を削ったに違いなく、少し瘦せていた。冬の間に、隻眼の女と子供だけで曠野を巡って、どれだけの食料を得られると言うのだろうか。どう考えても、六人分に足りるはずもない。野の獣の餌になるのがオチだ。真冬には氷点下を大きく下回る日もある。もう会う事はない、と結論を出して、マギーは呻いた。
午前をあいさつ回りに費やし、午後に入って予約していた簡易宿泊所に行くと、主人がやきもきした様子で待ち受けていた。
マギーたちを見て、ホッとしたように頷いている。
「なにしろ、行商人だからね。時々は……でも、あんたたちが無事に来てくれて嬉しいよ」代金を受け取ると、簡易宿泊所の主人は、かなりホクホクした笑顔で都市通貨の手触りを確かめるように撫で回し、数枚の紙幣の真贋を確認してから、奥にある寝台へと案内してくれた。
「いい場所だよ、あんたたちは今年はいい冬を過ごせる」勿論、個室などではないが、ストーブの近くにあり、頑丈な布の仕切りのある清潔な寝台が二つ並んでいる。
枕元には、小さな棚が置かれて、水差しが置いてあった。水や薪にも不自由しないようだ。都市通貨には、それくらいの価値があった。
ベッドに腰を降ろしてから、ニナが大部屋に並んだ無数の寝台を眺めて、首を傾げた。
「……誰かゾンビに噛まれていたら、全滅しない?」
近くでブーツを磨いていた、見知らぬお姉さんが手を止めて、口を挟んできた。
「夜も明かりがついている。起きて見張ってる人もいる。そうして食べものやお金を差し入れて、貰う。見張りを引き受ける人が鎧を付けて。まあ、万全じゃないから、酷い事になって全滅する簡易宿泊所やら、居留地やらも絶えない」旅人だろうか、諸事情を淡々と説明してくれる。
「外に出た後、怪我をして帰ってきたら、裸も確かめられるし、噛み跡あったら、隔離して監禁される。その時は抵抗したら、駄目だよ」
冷気は、日ごとに鋭さを増していた。寒風が木立の合間を吹き抜け、ガラスの窓枠にも薄い霜が張り付いていた。暖炉の炎は昼夜を問わず燃え上がっているが、室内に漂う寒さはじわと肌を刺してくる。
文明崩壊後の世界では、薪ですらも相応に値が張る資源で、無駄遣いは出来ない。特に寒さの厳しい冬場には、複数名で火を囲むのが
ニナが咳をしたので、マギーはコートを羽織り、手早く外へと出て行った。
路地に並ぶ屋台では、貧相な果物や干し肉が売られていた。干からびかけたレモンを二つ手に取ったマギーは、商人に下層地区の食料チケットで支払った。
部屋に戻ると蜂蜜の瓶を取り出しながら「冬場はビタミンが不足します」とナイフを取り出した。暖炉の上で湯を沸かし、切ったレモンを絞ってレモネードを作った。
寝台の近くにいた子供たちにも次いでに振舞ってやる。親は必死に働いて、簡易宿泊所で過ごす蓄えを作っただろうに、顔色の悪い子もいて、兎に角、胸が苦しくなった。
考え込んだマギーが、うんうんと唸って十分も懊悩した挙句、幾らかの古着と布切れ、靴下なんかを袋に突っ込み、予備の固い黒パンを三、四十個に幾つかの干し果実を肩掛け鞄に詰めた。
「少し出てくる」袋を背負ったマギーは、まるでサンタクロースだな。と思いつつ「いってらっしゃい」ニナは手をひらひらと振った。
遠吠えに似た風の音が窓を揺らしていた。ニナは再び薪を暖炉にくべながら、ちらりと外の景色に目をやった。
「……感謝しなよ、リリー。冬を越えられたらだけど」
灰色の空の下、凍りついた地面が薄暗い冬の気配に覆われていた。冬が到来したのだ。
11月20日
所持金 3187クレジット。※都市通貨
社会的地位 5+
マギーたちの服装 1000~クレジット
2~6 行商人
3~4
2 浮浪者《ホーボー》
1 廃墟民
0 乞食