03_23 春の夢 Z_274年
文明崩壊後《ポストアポカリプス》の黄昏の世においては、冬を越えるのは、それ自体がひとつの試練だ。特に
それだけに厳しい冬を生き残った人々にとって、春を迎える喜びはひとしおだ。激しい冬の嵐が通り過ぎた翌日の黎明、人々は大気に懐かしい春の匂いが入り混じっている事に気づかされた。
「生き残ったぁああ!」ニナは発狂したお猿さんのようにピョンピョンと飛び跳ねながら、建物の出口から外へと飛び出した。うっきぃ。他の年少者たち、主に子供たちも同じように跳ね回り、喜びの叫び声を響かせながら街路を駆け回っている。うきき!うっきぃ!
ふわふわもこもこな服装のニナちゃんでさえ、暖炉の傍らで寒さに震えた夜があった。当然に、冬を越せなかった子もいる。新しく小さな墓石が置かれた庭の隅に向かって「俺は生き残ったぞ!ジジ!」と叫んでいる男の子もいた。横合いから来た女の子が冬の花を積んで、墓前に置いていた。
ニナは、自分の知人が気になった。気の早い子など早速、友人が籠ってるであろう近所のシェルターへ駆けていく背もあれば、飛び込んできた友人と抱き合って喜んでいる姿もあった。冬の間は、数百メートルの移動も億劫となり、防壁の内部だけが生活範囲となっていた。特に冷たい雨の続いた日々や降雪の激しい日には、居留地内の他の地区とさえ連絡が途切れがちで一番、寒さの厳しい時期には、マギーと抱き合って簡易宿泊所の寝台から一歩も出なかった日もあるのだ。
ニナは
ニナとマギーも、互いに寄る辺ない孤独な身の上だった。曠野の何処かに生き別れた身内が残っているとしても、もはや知る術も会う術もない。だからニナにとっては、マギーだけが身内で大事な存在だった。他に数名の友人はいるが、心の底から信じて頼れる存在とは流石に言えない。
そのマギーは、寝台でいぎたなく眠りを貪っていた。寝台からはみ出そうに寝相を乱し、涎を垂らしながら、くーくーと小さい鼾をかいている。
マギーに歩み寄ったニナは、腕を絡めながら寝台へと潜り込んだ。
「マギー、起きて、起きろぉ。春だよ、マギー」揺さぶると「働かずに食べるご飯。おいちぃ」寝言が返ってきた。
「わぁ、駄目になってる!」驚愕しつつも、いい夢を見てるな。こいつ。微笑んだニナは起こすのを止めて、マギーの胸に顔を埋め、足をパタパタさせた。どうせ、いずれは起きる。惰眠を貪れるのも今だけだ。街道の雪が解けたら、また行商の旅に出なければならないのだから、それまでは、好きなように眠らせてやろう。
※※
ポレシャの市民区画は強固な防壁に守られているが、下層地区の守りは万全とは言い難い。廃墟を隔てる狭い路地のバリケードの一部は壊れ、瓦礫の隙間から廃市街が覗いている。
時には近隣住民たちが臨時の『検問所』として出入り口に用いることもある場所だが、冬の間、風の吹き溜まりに運ばれてきた雪が重なり続け、壁のように厚く積み重なっていた。雪解け水が足元に小さな水たまりを作り、泥に足を取られそうな道が続いている。
バリケードの向こう側に、忘れ去られた太古の石碑のように廃市街のビル群が聳え立っていた。彼方には、未だ冬の冷たさを引きずった灰色の雲が渦巻いている。しかし、雲海の切れ目から淡い陽光が零れ落ち、春の訪れを地上の生き物たちに知らせてもいた。
夜の間、松明の炎が振られていたのはこの辺りの筈だ。ニナは、うっすらと雪が解けた地面に足を踏みしめながら、廃市街の廃屋や店舗跡に視線を彷徨わせている。冷たい空気で、呼吸は白く霞んでいた。遠くから、トリスの高らかな声が聞こえた。
路地の遮蔽に此方を窺うような人影がチラと見えた。此方の様子を窺っているから、多分に屍者《ゾンビ》ではないと思えた。とは言え、子供強盗団《ゴブリンズ》かも知れないし、変な屍者《ゾンビ》かも知れない。人狩りや変質者の可能性だってある。なにしろ、ニナちゃんは美少女なのだ。自惚れではない。自由都市の市民地区に踏み込んだ時、淀んだ眼をした青年が6000でニナを売らないかとマギーに持ち掛けた。断ったマギーは、ニナを連れてすぐに地区から離れると、それ以降、市民地区には滅多に足を踏み入れていない。
ニナは物陰に遮蔽を取りつつ、人影に向かって声を掛けた。
「ヘーロウ」
すると向こうの人影からも「……ヘーロウ」返答が返ってきた。
「……トリスか?」とニナ。
「そう言うあなたはニナか?」
散歩の最中に出会ったペットの犬同士が、互いに匂いを嗅ぎ合うように慎重に相手の正体を探ってから、声の主はゆっくりと顔だけを現した。
ボロボロの服に、痩せた身体――だが、大きなスノー・ゴーグルには見覚えがあった。
「ニナ!」と、トリスが弾けるように叫んだ。
「ニナーーーッ!生き残ったぞーー!」
声が近づくと同時に、瓦礫の隙間からトリスの全身が飛び出してきた。薄汚れたコートを翻しながら、勢いよく走り寄ってきた。凍えた頬が赤らみ、笑顔が弾けている。後ろからは、崩れた壁の影で鳴いていた野良犬が一瞬顔を覗かせたが、トリスの勢いに怯えたのか、再び廃墟の奥へと逃げ込んだ。
「トリス!」ニナも駆け出し、バリケードの切れ目で二人はぶつかるように抱き合った。
「生き残ったぁ!」ハイになった様子のトリスがニナに飛びついてきた。あははは、と明るい笑い声を上げながら、くるくると回り続ける。二人の靴が泥に滑りながらも、二人は笑い続けた。周囲には、溶け残った雪と瓦礫の灰色の風景。笑顔と再会の歓喜だけが、鮮やかな色彩を放っているようだった。
トリスは、なにしろ廃市街の住人だ。屍者や変異獣、巨大蟻に巨大鼠、野犬の群れが彷徨う危険地帯に、小鬼《ゴブリンズ》と称される子供強盗団まで徘徊している。
知り合いの中で一、二を争うくらいには危うんでいたトリスが生き残っていたから、他にヤバそうな一人、二人を確認したら、ポレシャを一時的に離れた人々を除けば、友人の殆んどが生き残ってる計算になる。
しかし、それでも冬の間の食事は充分ではなかったのか。冬ごもり前に比べて、やはりかなり痩せていた。ニナにも覚えがある。何かを食べさせてやろうと、手持ちの荷物を探ったが缶詰しかない。
ドッグフードだ。喰わせるわけにも
「わあ……肉じゃないですか」トリスは目を輝かせていた。多分。ゴーグルの下で。
「ええんかな?」缶詰の絵を示しながら、ニナが聞いた。
「ええんやで」トリスが頷いた。
「今の世の中、ポストアポカリプスだしなぁ。まあ、古典でも食べてたし」
「せや、わしらポストアポカリプスの住人やし」
なぜか二人は突然怪しげな訛りを付けて会話を始めると、居留地の方へとバリケードを潜り込んだ。火を焚いてる建物に駆け寄ってフライパンを使わせてもらう。
「これ、なんの肉だと思う?」ニナが缶詰の中身を鍋にあけながら、尋ねる。
「考えたら負けだぞ」トリスが真面目に言った。
バターを一欠片落とし、フライパンがじゅっと音を立てる。原材料不明のお肉にバターと塩胡椒を振るだけの即席料理だったが、ジュウジュウと焼ける音と立ち上る香りは、それだけで空腹を刺激した。
「こんなんでも、ご馳走だなあ」とトリス。
「こんなんでもとは、なんだね。失敬な。由緒正しい高級缶詰であるぞ?」原材料不明の怪しいお肉にバターと塩胡椒の適当料理だったが、再開を祝して二人きりのささやかな宴を行った。
夕方近くになって、漸くにマギーが起きてきた。
「いい夢を見たよ。幸せに暮らす夢だ」綺麗で透明な笑顔を浮かべて、ほざいてた。
まあ、嘘はついてない。幸せな不労所得の夢でも見たのだろう。伸びをしながら立ち上ったマギーが、柔軟をこなしつつ、身体を動かしているが、冬の間、鍛錬をさぼりがちであったので、ニナから見ても多少、動きが鈍くなっていた。これからまた一年を掛けて鍛錬を積んで、研ぎ澄まさなければならない。
とは言え、最近のマギーとニナは、居留地の日雇い仕事よりも、自由都市で物資を仕入れて持ち帰る行商に重きを置いていた。稼ぎの大半もそちら側で、一度出掛けると蚤の市を巡って三、四日を掛けることもある。月の半分近くは、自由都市で過ごしている。移動日も含めれば、鍛錬や遊びに取れる日も少なくなってきていた。
ポレシャは例外的に求職が多い居留地とは言え、仕事に有りつけない日もあるから、働こうと思えばほぼ毎日、仕事が出来る今の立場は幸せなのだろう。
今の二人の財布には、二千から三千クレジットのゆとりがあって、一年近くは働かずに食べていける。飢え死の心配からは程遠い。だけど、お腹を空かせていた頃には仕事が欲しいと思ってたのに、仕事に困らなくなったらなったで、今度は休みが欲しいと思うのも不思議なものだった。
兎も角も、冬が明けたからには稼がねばならない。確かにお金に多少のゆとりは出来たけれども、今の二人は家もなければ、土地も持ってない。段ボールの家でも、作るには時間も手間暇も、物資だって必要だ。将来的には、小さな畑や鶏だって欲しい。犬や猫だって飼ってみたい。町外れのさらに外れに、昔の農家の廃墟があると聞いた。畑を耕し、鶏を放す場所にはうってつけだと、二人は密かに目を付けている。
ニナは心の中で、再建した農家の前に立っているマギーと自分の姿を想像してみた。暖かい陽だまりの中、鶏が走り回り、猫が足元で寝そべる光景。
大きめの背嚢を床に広げると、色褪せた靴下を丁寧に畳み、隅に詰め込んだ。隣には、手入れの行き届いたピューターの食器セットを並べる。背嚢に吊るすフライパンの底が少し擦り切れているので、鍛冶屋か、武器屋に行って新しいのを探すべきだろうか。
次に、食べ物を並べる。キャベツの小さな玉、やはり小粒のリンゴ。少し傷ついたが瑞々しい人参に乾燥して軽くなったジャガイモ。黒くて酸味がある黒パンと小麦多めに配合した白パン。ハムと鶏肉の燻製が普段の食事だった。他には、干し肉と硬いパン、乾燥果物に小さなチーズの塊。油紙に包んだぺミカンも幾つか調達してある。廃墟に何日も籠城する状況があるとも思えないが、最悪の事態に備えて栄養があって長持ちする保存食も数日分を取り揃えてある。
或いは、よくある旅人の最後のように、奪われて盗賊の腹を満たすかも知れないと思うと、毒入りの食料でも紛れ込ませておこうかとも考えたが、結局、やめておいた。
最後に地図、コンパスなど旅の道具を入れ、リストと示し合わせてから、旅の準備を終えた。一つ一つの袋を指先で確認しながら、しっかりと封をしていく。最後に、小さなアルコールランプを点検し、燃料の残量を確かめた。どれも役立つ品ばかりだ。
荷物の準備が終わったら、机の上に広げた地図を覗き込みながら、コンパスを手に持ち、真剣な顔でルートを確認する。盗賊の出没しやすい場所、警備隊の巡回ルート、隊商や旅人が合流する宿営地、信用できる旅籠、変異獣や屍者の群れの移動の噂。
背嚢の上部にすぐ取り出せるように配置されたのは、折りたたみナイフと包帯などの医薬品。ニナが肩に背嚢を担ぐ。荷物の配置が良かったのか、思ったより軽く感じて、これなら半日歩けるだろう、と満足げに頷いた。
一通り揃えて、後は明日の夜明けを待つだけとなった。旅に出る瞬間には、確かに答えられない楽しさを憶えている。町から町へ、留まることなく旅を続ける一部の隊商や行商人たちは、或いは、この感覚の虜になっているのだろうか。
他の行商人や
親しくなった数人の宿泊者たちと別れを告げると、マギーとニナは早めに寝台に入った。また、行商の日々が始まるのだ。
ズールの274年
3月上旬
財産 3741クレジット
扱う商品。ガラクタ、釘や木材などの資材、一部の奢侈品。