曠野の街道筋には廃墟が点在している。
無人の廃墟は無機質な冷たさを放ちながら、忘れらされた墓標のようにただ佇んでいる。風に揺れる草木だけが、かつて人々が息づいていた跡を見守っている。古びた石造りの道路や崩れかけた巨塔、錆びついた鉄のゲートが、もう二度と見られないであろう過去の栄光を静かに物語っていた。
風車の羽根は長い間回ることなく、ただ枯れた空気を切り裂くだけ。農場の一部は、もはや人の手が触れることなく自然に戻りつつあり、野生の動物たちの住処となっていた。崩れた屋根の隙間から、巨大鼠が顔を出して通り過ぎる旅人を眺めている。かつて多くの人々が往来した街道沿いの古びた石畳に、足音を響かせる人々が耐えて久しい。三叉路に彫られたいつの時代のものかも分からぬ女神像だけが、待ち人を想い続けるかのように静かにたたずんでいた。
マギーとニナは廃墟を偵察している。大地の一部だけが過去から切り取られたかのように、文明崩壊前の市街地の一角が丸ごと形を残した巨大な廃墟だった。この手の巨大な廃市街には、通り抜ければ、大幅な時間短縮になる抜け道が存在している事もあれば、時として略奪者や盗賊の徒党が巣食っている事もある。税金や法律が存在せず、何の束縛も受けないで済むことから、
稜線に沿って伏せた姿勢を取りながら、手製の粗末な双眼鏡を目に当て、視力の鋭いニナが廃墟をじっと観察していた。その間、マギーは地面を背に、接近するものがいないか、神経を尖らせている。
ニナが囁くように声を発した。
「……いた。二、三、四人。多分、もっといる。建物の横合いを普通に歩いているし、炎も見えるから。えっと、物陰を警戒せずにのんびりしてるのは、大人数がいて、怪物の類なんかも駆逐済みだから……と思う」
「……妥当な結論」呟いたマギーに双眼鏡を手渡し、今度はニナが周囲に視線を走らせる。
「……盗賊《バンディット》だな。略奪者《レイダー》じゃない」マギーは双眼鏡を除きながら、やはり囁くような小声でつぶやいた。
「略奪者《レイダー》共は、もっと一目で『それ』とわかる格好をしている。連中《レイダー》は存在を隠さない。むしろ力を誇示する。対して、盗賊《バンディット》たちは一見すると普通の旅人みたいな恰好をしている事も多い」
しばらく眺めていたマギーが、やがて掠れた声で低く呻いた。
「あの黒尽くめ、手ごわそうだな」
「ライフルの奴?なんか雰囲気違うよね。頭目かな」ニナの疑問に、マギーは稜線から下がりながら、首を振った。
「いや、盗賊は、腕利きよりも、頭の廻る奴の方が頭目になりやすい。略奪者《レイダー》は強さを求める傾向があるが」言ったマギーは、曲げた人差し指を口元に当てながら、考え込んだ。
「あの黒い服、プロテクターが付いてるな。多分、弱装弾くらいは弾くぞ。鍛えぬいた体格だし。会いたくないな」
唇を軽く舐めて、ニナが一瞬だけマギーを見た。
「……マギーより強い?」
「装備含めると勝ち目は薄いね」マギーの結論は淡々としていた。
「こっちの攻撃は通じないのに、向こうのライフルは致命傷だ」肩を竦めながらの相棒の結論に「うっわ。ずる。チートモードだ」ニナは呻いた。会話している間も、周囲に視線を走らせることは怠らない。
「流石に盗賊団全員ではないが。戦って生き残ることに装備や技術で工夫重ねてる奴だな。略奪者《レイダー》は兎も角、盗賊には珍しい」ため息を漏らしたマギーが、手信号交じりで街道まで下がるようにニナに指示した。
「兎に角、此処はダメ。迂回しよう」
「りょ」ニナは短く頷いた。
※※
クリード・モリスは、ポレシャ居留地の餓鬼大将だ。親兄弟とポレシャ居留地の中町にある木造の小さな家屋に住んでいる。年の離れた兄たちは恐いが、好々爺の父親は滅多に声を荒げず、母親には溺愛されている。つまり、まあまあ愛されて育った普通の坊ちゃんだ。
防壁の外にしては、家も立派な部類だ。天幕や土壁の小屋が並ぶ中、爺さまの代から働いて築いた家の玄関には、『衣服の洗濯・修繕いたします。モリス・クリーニング店』と看板が掲げられている。その分、居留地では「クリーニング屋の坊ちゃん」としてちょっと目立つ存在でもある。
無駄に活動力と暇があり、度胸もそれなりにあるクリードは、居留地の悪餓鬼たちを集めて餓鬼大将をしている。とはいえ、上級市民や治安関係の子弟には決して手出しはしない。(なにしろ、連中は十四歳で牛泥棒を撃ち殺すような手合いだ。こん棒とナイフで追い剥ぎ三人を返り討ちにしたクリードの兄貴ですら「絶対に喧嘩を売るな」と恐い顔で釘を刺すほどだった)
古代ギリシアの時代、クレーンは人力で動いていた。ハムスターの輪のように、人間が巨大な車輪の中に入り、歩くことで縄を巻き上げる動力としていたのだ。
歩くのがクリードにとって、家の手伝いであり、大事な仕事だった。家には大きな木製の盥があり、その上部には回転式の攪拌機《アグィテーター》が取り付けられている。これがモリス・クリーニング店で長年使われている洗濯機だ。
文明が崩壊して久しい世界では、動力資源や高度な工業技術の多くが失われてしまったが、それでも、かつて人々が蓄積した設計思想や、修理しながら使い続けられる手工業技術の一部は、形を変えて生き延びていた。攪拌機を回す動力源も、かつては電気モーターだったかもしれないが、今ではクリードが入って歩き続ける人力車輪がその役目を果たしている。
1馬力は、およそ746ワット。体重60キロに満たない少年が人力車輪に入って歩き続ける場合、体重込みの出力は0.3馬力から0.4馬力ほどだろうか。人力輪の出力は木製の歯車《ギア》を通じて伝わり、洗剤を入れた水中で攪拌機を回転させ、洗濯物をぐるぐるとかき混ぜていく。
手で動かすよりは遥かに
「ふぅ……終わったぜ!」クリードが短くつぶやくと、雇った女たちが慣れた手つきで洗濯物を取り上げ、干す準備を始めていた。作業の様子を眺めながら、クリードは冷えた井戸水で喉を潤し、疲れ切った体を少しだけ休める。
クリードが仕事を終えて一息ついていると、ふと玄関先に小柄な人影が立っているのに気づいた。覗き込むように様子を窺う仕草が、見覚えのある動きだ。
「おめえ、ニナじゃないか。猿娘め。うちに何の用だ」
人影はやはりクリードの悪友、ニナだった。町外れに暮らす生意気な
ニナは背負った荷物を軽く揺らしながら、クリードをまじまじと見てから口を開いた。
「クリード。ああ、そう言えば……クリード・モリスだったかあ」
クリードは目を細めた。『僭主』一派の
疲れた様子を隠そうともしないニナはため息を漏らして、木柵に寄り掛かっている。
「おめぇ、こんなところでなにしてるんだよ」クリードが尋ねると、億劫そうにニナは手を振った。
「お前と違って、もう仕事してるんだよ」偉そうなニナの物言いに、しかし、家業の手伝いをしたばかりのクリードは、ふんと鼻を鳴らした。
貧しい
「へへ、学校も行かずに哀れなもんだな。貧乏人は」クリードの物言いに、ニナは肩を竦めた。
「今も通ってる。月の半分くらいはね」
会話を交わしながら、ニナがするりと玄関に手を伸ばし、鈴を鳴らそうとするのを見て、クリードは慌てて少女の腕を掴んだ。
「おい、ふざけんなよ。子供が呼んだりしたら、すげえおっかねえんだぞ!」
「いいから」
言って、ニナは呼び鈴を鳴らそうとする。
「止めろって!怒鳴られるのがオチだ」クリードは苛立ちながらも、仕事場に入り込もうとするニナを必死に止めた。
「馬鹿!洒落にならねえんだぞ」手を掴んだまま怒鳴るクリードに、ニナが困ったように唸ってる。
「ああ、もう。こっちは仕事頼みに……」
その時、もみ合ってる二人に対して突然、冷たい声が掛けられた。
「なにをしてる」クリードが振り向くと、そこには兄が立っていた。よりによって一番、おっかない次兄の登場に、クリードの顔が真っ青になった。
「あ、兄貴。それはその。こいつは……」
次兄は、兄は冷ややかな目で二人を見つめながら言った。
「ここには入るなと伝えていたな。お前の友人か?」
「マギーの使いで来た。これを」
ニナは荷物から包みを取り出し、それをクリードの兄に渡した。
次兄は包みを受け取ると、表情を改め、慎重に言った。
「洗濯する際に注意はありますか?」
「そのコートは、800ほどする品です。防弾繊維を使っているので、熱いプレスは掛けないで、ぬるま湯で揉み洗いして欲しいと。洗剤の指定はありません」
メモを見ながらのニナの言葉に、次兄は難しい表情を浮かべる。
「うちは中町で一番の洗濯屋と自負してるが、こんな繊維は扱ったことがない。防壁……いや、これを買った自由都市の高めのクリーニング店に依頼した方がいいな」
「次回はそうします。今回は取りあえず」ニナの言葉に、次兄が頷いた。
「分かりました。30クレジットですがよろしいでしょうか?」
「はい、こちらで」ニナは財布から、クリードが見たことのない紙幣の束を取り出した。
「今、引換券を発行します。お待ちください」次兄は淡々と言って、引換証に記入して、ニナに手渡した。
注文を終えたニナが店から立ち去っても、クリードはぼうっと立ち尽くしていた。
「へぇ? なんで兄ちゃん?」我ながら、間抜けな声だと思いながら、クリードが尋ねると、次兄は顰め面をしながら答えた。
「客だぞ」
「……だって、ニナだぞ。この間まで泥団子作って喜んでた」クリードの中では、次兄と事務的にやり取りするニナと、泥団子作ってた猿娘がどうしても繋がらない。
「誰だって大人になる。あの子はお前よりそれが一歩早かった。それだけだ」軍用コートを広げて調べながら、淡々とそう告げた次兄だが、思い出したように顔を上げると「まあ、女の子は急に大人びるものだ。俺も戸惑った覚えがある」本当に珍しくほほ笑みを浮かべたので、クリードは心底、仰天した。
町外れに帰り着いたニナの前に、『路地裏の王女さま』が偉そうに立ちはだかった。
「お使い終わった?」
「終わった」ニナが頷いた。
「ならば、死のおままごとするのだわ!」王女が叫んだ。
「わたしはシェフの役だ!泥団子作るぜ!駆けっこで負けた奴に御馳走してやるぜ!ひゃやっはあー!」ニナが飛び上がった。
3月下旬
4960クレジット