屋台の肥満した店主は我関せずと調理を続けていた。揉め事に巻き込まれるのを恐れている感ではなく、餓鬼どもがあまり五月蠅くするなら一緒に放り出してやろうと言う態度が見えている。
お気に入りの店で食べられなくなるのは、つまらない。
肩を竦めたトリスは「……リンは今、何処に」カイを睨みながら尋ねた。
「ついてこい。それとも、恐いか?」立ち上がったカイの言葉に肩を竦める。
「行く訳ないだろ。身包み剥がれたくねーもん」お前を信用してないと、トリスは告げた。臆病者が、と背後でせせら笑う少年少女の集団を無視して、ニナが言った。
「一緒に行こうか?」
「誰だよ、てめぇは?すっこんでろ」背後のカイの手下の一人が威嚇するように叫んだ。
「ニナ。ところで、私の保護者は、町外れのマギー」
「何処の馬の骨だ?」嘲笑を浴びせてくる少年少女。
「ポレシャの賞金稼ぎで、ついで言うなら保安官助手だよ。三下」
保安官助手と言う単語で、いっそ見事なくらいに嘲笑が瞬時に止んだ。
「ああ、大人たちが大勢見てるな。
トリスは、露店やってるからね。此処でも、居留地でも顔役に場所代も払ってる」
ひったくりか、何かで捕まったのか。街灯に吊るされてる浮浪児を示しながら、ニナはそう言った。
一応のニナの脅迫に、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたカイだが苦々しい口調で「罠じゃない」と吐き捨てる。
「なら、こっちの都合のいい時間に尋ねる。住所は」尋ねたトリスに、
動きの鈍い屍者が数匹、通りをうろついてるだけの、比較的に安全な廃ビル一帯が今のアジトだと教えると、カイは立ち上がった。
「近いうちに来てくれ。出来るだけ早くな」言い残すと立ち去っていくかつての仲間の背中を眺めながら、トリスは考え込んでいる。
「行くの?」ニナが尋ねた。
「分からんっす」とトリスは首を傾げて「あたしを殺す気かな?」と呟いてる。
トリスにカイを殺す理由はあっても逆はない。しかし、だからこそ『怨まれている』と言う理由でカイはトリスを始末しようとするかもしれない。
とは言え、今のトリスは一応、虫けらを殺すみたいにはいかない。安全を保障してくれるほどの身分ではないが、報復受けるリスクを考慮するだろう、と言うのがトリスの考えでニナも同意した。
「するとリンが病気なのは本当なのかな?」市場の顔役にでも尋ねてみるか、と考えてみるが、市を取り仕切るような本物の徒党《クラン》にとっては、社会から弾き出された浮浪児の集まりなど、鼻にも掛けないに違いない。大体、顔役たちはおっかない兄やんや強面のおじさんの集まりだ。出来るだけ近寄りたくないし、借りも作りたくはなかった。
「多少なりとも、事情を知ってそうな奴はいるんすけどね」ぼやくようにトリスが呟いて「誰?」とニナが尋ねてみる。
「ムーアってやつで。でも、対立してたしさ」トリスがぶつぶつと低く呟いた名前に、ニナは聞き覚えがあったようだ。
「ムーアか。ちょっと小耳に挟んだ。確か、ダグと付き合いのある廃墟の子供徒党《チャイルドフッド》の頭目かな」
「ニナちゃんは耳が早いっすね。ダグって誰?」トリスが首を傾げてると、ニナは何でもなさそうにとんでもないことを提案してきた。
「ムーア君に、会いに行ってみる?」
トリスは目を丸くしてニナを見た。「えっ、あたしが? いやいや、無理っすよ。ムーアと対立してたんすから、向こうはあたしの顔なんて見たくないはずっすよ!」
その時は、冗談だと思った。後日、ダグから話を通したとだけ言ったニナに「ダグって誰?」繰り返したトリス。
「ダグは自称・料理人です。町外れの路地に天幕を張って糞不味い食堂を経営してる。それでも、客が入るのは、野菜や肉の煮込みが安くて、栄養的には問題ないから。味を除けば……」淡々とニナは言葉を続けている。
「大事なのは、ダグが安い芋やら痛みかけの野菜やら、鼠に蛙の肉を調達してるルートが廃墟に存在してるってこと……」
しかし、トリスは、ニナの説明を聞いてない。
「ヤバいっすよ、ヤバいっすよ」と壊れたレコードみたいになってる友人を引き連れ、ニナは廃市街のやはり防壁近くの小さな三階建てビルへとやってきた。
一応は、居留地近くの集落と言えるのだろうか。街路は土嚢や木柵、そしてスクラップや瓦礫で塞がれていて、片開きの木製扉が設置されている。
中には行ってみれば、一部の建物は崩れかけたコンクリートの残骸で、ところどころ鉄骨が剥き出しになっている。そうした半壊した壁に古びた布や毛布、木やプラスチック板をかけて作られた即席の家屋が並んで、日差しを防いでおり、薄暗い影の下から貧しげな廃墟の住人たちがニナたちの様子を窺っていた。
ムーアのアジトの三階と二階は完全に崩れ、一階の一部だけが辛うじて風雨を凌げる壁と屋根が残されている。壁に大穴が開いているが、土砂を積み上げて、怪物や野犬などの侵入を防いでいるようだ。
「いいアジト」言って立ち止まったニナの前、狭間胸壁のように瓦礫から顔を出した立哨が誰何してきた。
「誰だ!そこで止まれ!」
ちゃちな弓やガラクタの木製クロスボウ―――それでも斉射すれば、野犬くらいは撃退できるだろう―――を構えた少年少女がビル上階の瓦礫の隙間から狙いを定めている。
「ヘーロウ。私は、『町外れ』のニナ。ムーア君に話があります。これは手土産」ニナは、煙草の草の入った袋を掲げた。
「不味いっすよぉ……」背中のトリスは死にそうな顔色でつぶやいていた。
頭目までは、何故か、あっさりと案内された。頭目のムーアの指示だろうか。トリスは、目立つスノーゴーグルを掛けている。ムーアの徒党には当然、覚えている奴もいて、大人に見える連中に睨まれた際には震えた。
(……大人が混ざってる)
殺されても、誰も知る術はなく、咎められることもない。廃墟ならずとも、徒党のアジトとはかなりの治外法権で、ニナの存在だけが護りの役目を果たしていた。居留地で少し知られた行商人マギーの徒弟で、徒党と取引してる商売人との伝手でやってきている。トリス一人だったら、ムーアの縄張りに踏み込もうとは、絶対に考えなかった。
ムーアの『部屋』と呼ばれる場所は、実際には壁に囲われたただのスペースでしかなかった。天井の一部は崩れ、陽光がうっすら差し込んで舞い上がる埃を光らせていた。床に敷かれた薄汚れた毛布が寝床だろう、簡素な机と椅子、そして廃材で作られた棚が部屋らしさをかろうじて保っている。それでも廃墟では、かなり贅沢な部類に入る環境のはずだ。
廃墟の外れにあるアジトが、他の徒党やならず者の標的にされないはずはない。むしろ、ムーアの徒党が縄張りを守り抜いているのは、奇跡とまでは言わないにしろ、相当な綱渡りの筈だ。変異獣や屍者が子供たちの匂いを嗅ぎつけて襲撃してくる可能性も十分にある。瓦礫から作り上げられた見張り台には、鉄パイプや粗末な槍、手製の弓を携えた少年少女たちが立っていた。表情には緊張が張り付き、かなりの警戒心をあらわにしている。
ニナは、部屋の奥に腰を下ろしているムーアに目をやりながら「……随分と用心深い」小声でつぶやいた。
「廃墟じゃ、隙を見せた奴から死ぬ」ムーアは客人の声を拾い上げたように答えた。顔は向けず、机の上で小さなナイフをいじっている。
軽くうなずいたニナの背後で、トリスは緊張した面持ちで立っていた。スノーゴーグル越しに周囲を伺いながら、かつて対立していた徒党の者らの視線を背中に感じている。
奥の方にある机を挟んだソファへと通されると、ニナは土産に持ち込んだ煙草の草をパイプに詰めて吸ってみせた。毒見を終えてから、対面のムーアは、紙巻き煙草にして吸った。
「いい味だ。ハーブを多めに混ぜた安物は、どうにも辛くてな。これだけで、お前たちの話を聞くのに時間を割く価値はある」ムーアは少し大人びた印象の、成人になりかけた少年と言った風情だった。やはりニナやトリスより、二、三歳ほどは年上に見えた。脅えているトリスの表情から、緊張を読み取ったのか。
頷きながら「スノーゴーグルには妹を助けて貰った借りもあることだしな」と告げる。少なくとも現時点では、かつて街路で対峙した際の粗暴な印象は、かなり鳴りを潜めているように見えた。
ムーアの視線の先、少女と幼い女の子たちが扉の影に隠れながら、トリスを見ていた。少女が手を振ってくる。
トリスも強張った顔で、ともかくも振り返すと照れたように顔を抑え、きゃあーと叫んで駆けていった。「てれちゃ」と言って、他の子も叫びながらそれに続いた。
可愛い。警戒心の無さが廃墟の子たちとは思えない。よっぽど愛されて、猫かわいがりされてないと、あんな反応は出来ない。
「うぇ、妹」トリスが喘ぐように言うと「義理の、な。十人ほど、拾って育てている。言っておくが男女同数だ」
「十人、へぇ」感心したようなニナに「いずれは、俺の大事な兵隊になるんだからな」くっくっと笑うムーア。遠大な計画だ。
ニナはトリスの耳元に口を寄せ、低く小さな声で囁いた。
「ほら、ムーア君、意外と話せる。廃墟で仲間を見捨てないってのは、中々、上等な類だよ」ニナは少なくとも、訪問前にムーアの評判は調べていたし、あっさりと通されたのは、ダグと言う人物から、話も通っていたのだろう。
根回しと事前調査をしていたとしても、トリスはそれを知らなかったし、唐突に思えたのだ。なにか言おうとしてトリスは天を仰いだが、以前の徒党に見捨てられた記憶が蘇って、苦々しい表情になる。
「……確かに」
「そこのスノーゴーグルへのわだかまりはもうない。前の徒党も離れたようだしな」ムーアは、机の上に広げた煙草の草を調べながら、頷いてる。
「手打ちにしてやる。今は、居留地住まいか?」
「行商人の徒弟。もう二、三年もしたら、住人名簿に登録できる」ニナの返答を聞き、トリスを見つめた。
「羨ましい限りだ、そんな風に生きられる廃墟者は、あまりいない」何処で調達してきたのか、黒光りするクラブチェアに腰掛けたムーアは、煙を天井に向かって吐きながら言った。
それからムーアは、ニナと二、三の取引の話をし始めた。ムーアの要求するものは、それほど高いものではなかった。ボス一人が贅沢するような衣服や酒、美味い食べ物でもない。
「筆記用具、ノートやペン。教科書が手に入るなら、こっちは提供できるのは……下層地区の食料チケット。あまり高く買える訳ではないが」
「安く入った時は持ってくる。不定期になるけど」ニナの発言に頷いてる。
「それで構わない」
「届けるのは、トリスに」ニナがトリスを見た。固まってるトリスを肘でつついてくる。
「顔を繋ぐの」になに言われて「へっ、あ……よろしく」トリスはコクコクと頷いた。
「これから、出来るだけ長く、いい付き合いになるように祈ってる」ムーアが手を差し出してきたので、握った。廃墟の少年にしては、固く、厚く、力強い掌だった。
「で、知りたい事ってのはなんだ?」改めてムーアに言われ、ようやく緊張の解けたトリスが口を開いた。
「リンが病気だと。私は以前の徒党と喧嘩別れしていて……」
それを聞いたムーアが、肩を竦めた。
念のために言うならば、死体清掃業ではない。屍者清掃業だ。
一年ほど前、少なくない
問題は残された屍者《ゾンビ》の死体(なんと奇妙な言葉だろう!)の処理である。燃やす為の燃料と薪自体は、先代保安官が残していた保険。屍者《ゾンビ》死体処理特約保険によって賄われた。これは、大規模な
兎も角、膨大な薪は用意できたが、作業員自体はポレシャが用意しなければならない。そこで当時の副保安官が考え出したのが、廃墟から人員を募る事であった。
屍者《ゾンビ》が本当に死んでいるかは、分からない。なにしろ、死体と見分けがつかないからだ。(仮死状態なのか、悪知恵か、死んだふりする屍者《ゾンビ》もいる!)出来るだけ足の方から棒で引っ掛け、燃えてる場所に運んで行って、燃え盛る炎の中へと投げ込む。その際には、流石に腕を持たなければならない。
念のために頭を叩き潰し続ける。一日中、死体を運んで、噛まれる恐怖に耐えながら、炎の中へと投げ込む。悲惨で、惨めで、恐くて、心と身体を限界まで摩耗させる仕事だった。
同じ廃墟の一帯に暮らしていたのだ。顔見知りだっている。友人だっている。恋人や家族だっているかも知れない。だけど、まあ、他に選択肢はなかった。
廃墟の人間だって食べなきゃ生きていけないし、でも、食べものを蓄えていた倉庫や市場の幾つかはぐちゃぐちゃに踏み荒らされ、汚染されていて、使い物にならなかった。
仕方なく、清掃業を引き受けた。生き延びるためには、嫌悪感も恐怖心も捨てて、自分を押し殺すしかなかったのだ。
清掃作業をしている最中、焼かれる屍者《ゾンビ》の中に知っている顔が見えることもあった。それでも棒を使って屍者を焼き場に運び、腕を掴んで炎の中へ投げ込む。その一連の動作を繰り返しながら、作業員らは感情を麻痺させていった。
生きていた屍者《ゾンビ》に引っ掻かれたり、噛まれてしまった者もいる。傷を負わなかった筈なのに、徐々に弱って屍者《ゾンビ》へと転化した者もいた。だけど、数百体の屍者《ゾンビ》を処理した数十人の作業員のうちの、さらにほんの数人の犠牲で済んだから、きっと考案した保安官にとっては、割には合ったのだろう。
人間は代わりがきく。特に廃墟の住人はだが、居留地の安全と衛生の為には、迅速に屍者《ゾンビ》の死体を一掃しなければならない。保安官にとって、選択肢は他になかったのだろう。
保安官は、約束通りの食料と物資を支払って、廃墟の人々は一息ついたが、屍者清掃業に就いたものたちの一部は次第に無口になり、無表情になった。もともと少なかった笑顔は、暫くの間、廃墟から火が消えたように見えなくなっていた。
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ムーアのアジトを辞去したニナとトリスは、暫く無言のまま、居留地の方角へと向かって歩いていた。風が吹き抜け、廃墟の一部で煙が立ち上るのを見ながら「保安官、こわ……」トリスがようやく口を開いた。
先頭のニナは黙って歩き続けながら、何かを考えているようだった。珍しく気もそぞろだったが、既に防壁の傭兵たちの射程範囲内だった。居留地の住人であるニナを認識していれば、怪物が襲ってきても撃ち殺してくれる。
それでも警戒を怠るのは良い事ではないと思いつつ、エヴァンス保安官と親交あるニナが今、何を思っているのか。トリスは答えを知りたかった。しかし、同時に質問を口にするべきかどうか、心の中で悩んでいた。知りたくはあったけれど、聞かない方がいいという気持ちも強く、後者があっさりと勝った。
所詮、他人事だ。あいつらは、私を切り捨てたし。今でも苦痛をもたらす記憶、以前の徒党に嘲笑と共に切り捨てられた瞬間を思い出し、トリスは視線を地面に落とした。姉貴分であるニナと争っても、何も良いことはない。無理に心情を聞こうとも思わない。リンに会いに行っても、なにも良い事はないような気がする。
それでも、長い付き合いだった。幼少期、親もなく、頼れる大人もいないまま廃墟に捨てられた孤独な子供たちは、身を寄せ合って助け合うしかなかった。それがいつの間にか徒党となり、今、崩れ去ろうとしている。
空の彼方に一筋の煙が揺れていた。
次の頭目は、カイかな。それは嫌だな、とトリスは何となく思った。