黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_27C 崩れた徒党

 主導権が此方にあるなら、指定された時刻に態々、行く必要ははない。それでも会いたいと言うなら、日を置いて判断するべきだ、とのニナの主張にトリスは引っ張られた。

 

 正直、トリスは頭が良くないと自覚してる。救いようのない馬鹿ではないつもりだが、しかし、切れ者かと言われたら断じて違うと断言できる悲しい自信をこれまでの人生で培ってきた。

 

 なので、落ち着いてから考えようとのニナの意見に従って、風呂屋に来た。

「……ん?」何故か、トリスは風呂に入ってる。

 身体を熱いお湯と石鹸とタオルで洗ってから、樽に熱い湯が満たされて肩まで浸かる。廃墟の浮浪児では絶対に味わえない、大きな徒党の幹部しか味わえないような贅沢に、ただでさえ低下していた思考力が皆無に蕩ける。

「……あああああ」風呂でも外さぬスノーゴーグルが曇って、トリスは何も見えない。世には風呂嫌いもいるようだが、風呂こそが極楽の一部に違いないと確信した瞬間だった。わたわたしてるトリスの背後では、巨大な浴槽に入ったマギーが鼻歌を歌っていた。

「100まで数えるのだよ」

 時々、マギーたちは、トリスやリリーを一緒に風呂を奢ってくれる。馬鹿みたいな金が飛んでいるのは知ってる。だから、トリスは、マギーたちの考えに不安を覚えない。いずれ、徒弟にすると言う行商人としての言葉を信じている。いや、不安は残っている。それはマギーやニナに対する信頼の欠如でもなければ、己が信頼を裏切ってしまうのではないかと言う自己への猜疑でもない。残酷で厳しい黄昏の世界に、どちらかが約束を果たす前に屈してしまう可能性こそをトリスは恐れていた。

 

 湯気の立ち込める空間に近づいてくる人影があった。

「おっす」とニナの元気な挨拶が響いた。

「調べたのだわ」応える涼やかな声は『路地裏の王女』だろう。下層地区では、かなり大きな渡り人(オーキー)徒党を率いる顔役の娘だ。トリスは少し緊張しながら、湯船の中で小さくなった。偉い人はどうにも苦手だ。

「どんなん?」ニナがなにかを尋ねると、『路地裏の王女』は説明を始めた。

「自由労働者たちが生活してる一角にいるのだわ。一応、廃墟だけど、ポレシャで働く出稼ぎの農民が暮らす小さな地区。作男やりながら、のんびり暮らしてる若者が多い所なのだわ」

 ニナが樽の横の服をもぞもぞと探って、チョコレートを取り出すと『王女』に手渡した。チョコレートを受け取った王女が顔を顰める。

「はぁ。これ配分で揉めそう。お金かかったのに食べたい気分だわ」

 トリスはおずおずと会話に割って入った。

「誰の場所を調べたの?」

「解散した徒党の昔の仲間」言ったニナは、どうやら躊躇いなく、事情通の友人を頼っていたようだ。

 

 

 

 メイは、トリスのかつての仲間だ。同じ徒党に所属し、何年もの間、寝食を共にしてきた。それほど気が合っていた訳でもないが、少なくとも一緒にいるのが不快ではない相手だった。廃市街の過酷な環境で、貧しさから捨てられた子や親を失った者は、少しでも信用できる相手を見つけ、互いに協力しなければ、生き残るのは難しい。そんな中で、自然と集まって、徒党と呼ばれる枠組みを形成する者たちもいる。解散や仲間割れも少なくないが、いずれにせよ離散集合は廃市街の暮らしにはつきものだ。

 

 居留地にほど近い、廃墟のその一角は、皮肉を込めて『町』と呼ばれていた。ポレシャの強固な防壁にほど近く、防衛力の恩恵を受ける地勢の利から、最初の移民たちが期待と希望を込めて付けた名は、しかし、開拓から半世紀経った今も呼び名にふさわしい発展は見られず、粗末な天幕やあばら家に、文明崩壊前の廃屋に寄生した布や紙の即席の部屋、そして怠惰な住人たちが目立つばかりだった。

 

 ニナは事情通の友人や、頼りになる保護者を頼ることに躊躇しなかった。

 

 トリスとニナを連れたマギーが訪れてみると『町』の入り口には、錆びた貧弱な木製クロスボウを手にした男女が立ち、脅えた目つきで周囲を見張っていた。見張りたちがそこに立つ理由は明白だ。もし怪物が攻め寄せてきたなら、最初に犠牲となるのは彼ら自身だと理解しているからだ。腰には角笛を付けているが、それよりも悲鳴のサイレンが、怪物の襲来を住人たちに教えて、逃げる時間を与えてくれるだろう。見張りの姿は酷く頼りなく、まるで『町』の象徴のようだった。

 

 廃墟で育った小娘に出来る職業はさして多くない。見習いの職工や裁縫には、経験豊かな導き手が必要だし、商売人だって伝手や仕入れ先の知識が必要となる。そして少なくとも、『町外れ』のようにより大きな居留地の恩恵を受けているか、或いは自給自足して独自通貨を発行、流通させる人口と経済規模がない限り、女給や掃除夫などの雇用も限られている。使えそうなものを漁る廃墟漁り(スカベンジャー)は、廃墟生活者のよくある仕事のひとつだが、危険が付き物だ。手っ取り早く現金を得られる仕事はもう一つあって、果たして、メイが選ぶならどちらだろうか?

 

 

 メイが暮らしてると言う建物に入ったマギーが、保安官助手のバッジを見せると、大家が首を傾げた。

「あれが何かしたんですか?」

「いや、あの子が昔、所属していた廃墟の子供徒党が先細っていてね。ちょっと参考に話を聞きたいだけだよ。」

「ああ、なるほど。廃墟のパワーバランスってやつですね。」訳知り顔で頷いた大家が、保安官も大変だ、などと言いながらメイを呼んだ。

 

 三人が待っていると、襤褸布を服を纏ったメイが部屋へとやってきた。部屋に入ったメイは、まずトリスに気づくと、旧友の服を一瞬、鋭く値踏みした。

 古着ではあるが、清潔で洗濯してあり、動きやすく暖かいトリスの服装は、働き者の渡り人(オーキー)の子供くらいにだって見間違えるだろう。メイの表情が強張り、それから、フッとなにかを諦めたように笑って椅子に座った。

 

 メイの暮らしぶりは、芳しくなさそうだ。多分に廃墟漁り(スカベンジャー)で細々と生計を立てながら、金が足りない時には身体を売っているのかも知れない。

 メイは落ち着きなく身体を掻いており、ときどき局部に手をやる仕草も見えた。ニナの顔は、次第に青ざめ、今にも吐き出しそうに歪んでいた。

 

「……お嬢さんには分からんよ」メイが静かに言った。声には、疲れきったような諦念が滲んでいる。だが、ニナはお嬢さんどころではなく、危険な廃墟で一人暮らしを続けてきた少女なのだ。それでも、人間同士の関わり合いについては経験が薄いのだろう。メイの言葉に反応することなく、珍しく露骨に動揺した表情を見せていた。

 

 少なくとも不仲ではなかった少女の惨めな境遇を目の当たりにして、トリスの鼻の付け根がつんと痛くなった。泣きたい気持ちが込み上げてきて、顔を俯けながらぽつぽつと話しかける。

「……リンが病気になった」メイは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに顔を上げた。

「見舞いに行ったよぉ」メイの軽い口調からは、どこまで本気なのか分からない。

 

 あまり話す事はなかったが、リンが病気なのは確かなようだった。

 別れ際、メイはトリスの腕を掴んできた。その力は細い指に似つかわしくないほど強く、手が震えているのが分かる。

「……ずっと前だけど、いつか廃墟を出ようと皆で誓い合ったのを覚えてるぅ?

 ねえ、わたしは……廃墟を出られたのかな?」メイの問いは、風のように掠れていた。涙が零れそうになるのを堪えながら、トリスは何も言えず、ただ黙って立ち尽くした。

 

 

 

 

 本当にリンが「最後に会いたいだけ」と言うのなら、カイの罠という可能性も薄い──トリスは、一日、付き合ってくれると言うマギーとニナを保護者と伴って、かつて属していた徒党のねぐらへと足を向けてみた。

 

 拠点の廃ビルに到着すると、保護者である保安官助手にカイは露骨に嫌そうな表情を浮かべたが、追い返そうとはせずにトリスを内部へと招き入れた。

 

 廃ビルに屍者や変異獣に入られないよう、土や瓦礫で穴を埋めた痕跡が見えるがどうにも中途半端だった。それでも他の子供徒党を追い払うくらいは出来そうな程度には、防備は固められている。目に留まったのは、屋上へと備え付けられた大型クロスボウだった。何処で調達してきたのか。多分、廃墟探索者の死体から拾ってきたに違いない。威力は大きそうだったが、弦が調達できなかったのだろう。置物と化していた。

 

 

 

 リンがいるのは上層の部屋ではなく、一階の雑魚寝部屋の奥だった。かなりの数の少年少女が具合悪そうに休憩したり、横たわっている。徒党の頭目が休むには妙な場所だと思いながら、寝台に横になったリンを見れば、かなり痩せていた。

「やあ、トリス。上手くいってるみたいだ」

 かつて颯爽としていた少女の見る影もなく衰え果てた姿に、トリスは声が出なかった。長い髪だけは、手入れを怠ってないのか、微かに香油の匂いを漂わせながら、今も嘗てのままに艶めいていた。

「……屋上に行こう」とリンが囁いた。

「寝てなきゃ駄目だろ」

「今日は気分がいいんだよ」言って立ち上がったリンだが、部屋を出ようとした時に新顔の一人に阻まれた。

「何処へ行く!外に出るな!」

 さらに別の新顔もリンの腕を乱暴に掴んで、言い放った。

「見てない処で転化されると手間が掛かるんだよ!」

「わたしは、まだ頭目の筈だ。例え、もうじき、交代するかも知れないとしても」

 リンは冷静な眼差しを向けながら答えた。

 数人の古顔の少年少女たちが、リンを庇うように背後に集まってくる。新顔の一人は憎々しげな表情を浮かべたが、しぶしぶ手を離した。

 

 屋上へ向かうリンとトリスだが、数人の少年少女が背後を付いてくる。見ない顔ばかりだと、トリスは怪訝に思った。徒党の半分以上が入れ替わってるようだ。

 

 廃墟の浮浪児らは普通、数年を一緒に過ごして、ようやく徒党と言うはっきりした形を取る。資源の乏しい廃墟では、人数を増やして勢力を拡大させることが必ずしも、得策ではない。それにもかかわらず、徒党にこれほど多くの新入りを迎え入れるのは、筋の通らない話だった。

(……ニナやマギーなら、正解を察するのも難しくないんだろうな。少なくとも、何かしら、当たりをつけてる頃合いだろう。でも、わたしには奇妙だとしか分からない)

 思いながら、殺風景な屋上へと足を踏み入れた。

 

 「薬が欲しい」会話の聞こえない場所に立ったリンは、トリスの肩に寄り掛かりながら単刀直入に切り出した。

「私たちは、流感に掛かっている。屍者の清掃の影響かも知れないが、古顔が随分と減ってる。出ていった連中と……それに屍者へ転化した奴が暴れてね」囁くように切羽詰まったリンの声。背後の屋上入り口では、新顔たちがトリスとの会話を見張るように立っている。

 リンは言葉を切り、新顔たちをチラリと見てから低い声で続けた。

「カイの手先だ。あいつ、自分の手下を庇ってな。そいつが転化した。

 清掃作業に従事した数人が病に倒れ、さらに死人が出て徒党の人数が減ったからって、自分の知り合いを引き込んだ。この徒党は、今は半ばカイが頭目みたいなものだよ」

 何故、そんな好き勝手を――――とトリスは顔を顰めた。いや、その時はリンも倒れていたのか。それに、幼馴染のカイを信じていたのかも知れない。トリスにしても、裏切られるまでは、カイの表面だけの陽気な態度を信じていた。

 

 いずれにしてもリンはポケットから避妊用ゴムに包んだ指輪を取り出した。

「……金はある」

 ゴムは少し湿っているようだ。

「……金《ゴールド》?」廃墟ではあまり見かけない貴金属に、トリスが怪訝な顔をするとリンは少し笑った。

「屍者の清掃は、時たま、金目のものが手に入る。廃墟だと滅多にないけど、あの屍者──走り屍(ランナー)小走り屍(ジョガー)たちは、多分、遠い所からやってきた古い屍者で、崩壊前の装飾品を身に着けていた」

 リンが弱々しくトリスを見つめる。

「頼む、トリス。あいつらは、私たちが死ぬのを待っている。薬を買ってきてくれないか?」

 見張りたちの視界から見えないように、そっと指輪をトリスの掌に押し込みながら、リンは囁いた。

「足りなければ……私たちの思い出の場所。一緒に日の出を見た所の椅子の下に、いくつか装飾品が眠っている。少し危険な場所だから、貴方の仲間を連れて取りに行って欲しい」

 最後にリンは「半分は、トリスのものだ」消え入りそうな声でそう告げた。

 

 

 

 

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