黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_29 春の目覚め

 地平線にゆっくりと夕日が沈んでいく。

 珍しく、穏やかな黄昏だった。

 

 屍者の呻き声も、変異獣の遠吠えも聞こえてこない。

 ただ静かな風の音だけが、心地よく大地を吹き抜けていた。

 

 久方ぶりに、塒に帰ったような気がする。

 ニナは焚火の前で蹲っていた。少女の小さな肩は、震えていて……

「行商人を止めるのも手だよ」マギーは静かに声をかけた。

 

「条件のいい小作人の口も、今ならなくもない。小さな土地でも借りて、畑と鶏を……」

「マギー。あいつらぶっころぉおお!」ニナが突然、雄たけびを爆発させる。

「あ、はい」頷いたマギーの前で、ニナは深呼吸をすると突然、平静な声音で問いかけてきた。

 

「それはそれとして、あの盗賊たちを討伐できる?」

 無言で数瞬考えてから「……君がそれを望むなら」とマギーはそれを頷いた。

「……命懸け。それだと意味なんかない」ニナはボソッと呟いてから、考え込み、次の質問を放った。

「畑と自分の土地を買うには?小さな土地じゃなくて……」

 やはり考え込んだマギーを見て深々と頷くと、ニナは顔を上げた。

「まだ、行商人を始めて2年目です。まだまだ学ぶことは沢山あるし、これからも色々あると思うけど、諦めないよ」拳を握りしめて宣言した。強い。

 

「マギーについて、外に出てくる時に、冒険が始まるんだとドキドキしました。良い事ばかりではないと覚悟もした」ニナは穏やかに言葉を紡いでいる。

「今、最高に生きてると言う気持ちです。だから、今はまだ、旅を続けよう」

 そう言ったニナの視線は驚くほど強く内心、マギーをたじろがせる程だった。

「これが私の気持ちです」宣言したニナの顔には、苦痛と恐怖の影も刻まれていたが、それを乗り越える覚悟も見えた。

「マギーはどうですか?」

 少し考えてから、マギーは同意を示すつもりで、無言で頷いた。

 今のマギーたちに、1200クレジットの損害は、痛いと言えば痛かったが、致命傷にはならない。

 

 そうして二人は、まだ行商人を続けることに決めた。勿論、表面上、ニナが平然としても傷は残っているとマギーは判断していた。心の奥底には、微弱な亀裂が走っているかも知れない。だから、似たような事例にあった時、耐えられるように、傷を癒せるように、マギーはニナを思い切り甘やかして、可愛がるのだった。

 

 

 

 季節は五月。仲春に入りつつあった。

 

 マギーたちは普段と同じに鉄くずや瓶、缶に釘、木板、金属部品などを買い集め、ポレシャで売って小麦証書へと変え、自由都市に持ち込んで、通貨を資金として確保する。いつも通りの作業が、何事もなく続いていくように思えた。

 

 居留地の鍛冶屋に、くず鉄を売ると、心持、ほんの少しだけ高く買ってくれる。

 今までは、鍛冶屋の存在を知らなかった。秘密にされてた、と言うか、下層地区の住人では、鉄製品を売る店の場所を知らないものが多い。或いは、居留地の他の店舗も存在を隠されているのかも知れない。くず鉄を何度も売るうちに、爺さまが腰が痛いと言い出して、直接に売りに行くようになったのだ。

 

 幾つかの大きな居留地では、消えた店舗の噂が囁かれている。便利な店を知人から教えて貰い、行ってみると豊富な商品が売っていた。喜び勇んで二度目に仲間たちと尋ねると、既に閉店したと言う。そんな怪談めいた類の似たような噂が、彼方此方の比較的に大きな居留地で囁かれているのだ。きっと旧世界の残留思念が見せた幻なのだと、隊商時代の同僚シャーロットは言い張っていた。マギーの考えは少し違う。それらの店舗は、おそらくは秘匿されている。

 

 

 

 文明の崩壊した世に、精々が近世から産業革命初期の程度とは言え、豊富な商品の揃ってる店舗は、短絡的なものや利己的な者たちの貪欲の格好の的となりやすい。恐らく……いや、間違いなく、先住の渡り人(オーキー)の中では、マギーたちの知人にも、先に鍛冶屋を知っていた者たちはいる筈であった。しかし、然るべき市民が店舗の存在を明かすまでは、誰も迂闊に口に出さず、秘密を守ってきたのだろう。

 

 それは暗黙の了解であり、また見えない沈黙の掟でもあった。鍛冶屋は言った。「この店も、何時、閉じるか分からないよ」長老的な市民が見誤って、愚か者に明かした時に、速やかに移転するのだろう。

 

 多分、信頼されつつある。だから、知らされた店の存在を他人にはペラペラと喋らなかった。もしかしたら、これらすべてマギーの誤った妄想かも知れない。それでも、マギーたちは、そうして大々的に看板を出していない秘密の店に関しては、口を閉ざして、誰にも語らなかった。同じように暮らしつつ、居留地の仕組みや店舗、サービスの存在を知っているか否かで、居住環境は、かなり変わるのかも知れない。

 いずれにしても、日常にほんの少しのそうした積み重ねが重なって、マギーとニナの暮らしは、初めてやってきた頃よりも幾らかは過ごしやすいものとなっていた。

 

 

※※

 

 

 さて、季節は春である。冬を越えて生き残った人々が、旅をするに絶好の季節。各地の居留地でも、冬を越えて備蓄にゆとりが生じ、農作業が本格化する準備期間としての人手を必要とし、新参者を受け入れやすい土壌が育まれる時期でもある。

 

 近隣の小さな村落や集落から、大きな居留地へと、野心や希望に溢れる若者たちがよりよい生活や技能の取得、家畜や財産を得て故郷に持ち帰るために集まってくる時期は、しかし、同時に風習や文化、考え方の違う者たちが交錯し、時には衝突する時期でもあった。若い娘を持つ父親たちは、この時期に特に神経を尖らせることになる。やってくる若者たちの中には、略奪婚の風習を持つ土地の出身者も混ざっているからだ。

 

 辺土のポレシャにおいても、毎年、少なからぬ人数が訪れる季節ではあるが、例年に比しても、今年は特に来訪者の人数が多かった。先だっての巨大蟻の巣別れによって甚大な被害を受けたセフからの移住に続き、何とか持ちこたえたものの、田畑に損害を受けた村々から、新たな生活の機会を求めて若者たちがポレシャへと押しかけてきたのだ。

 

 

 

※※

 

 

『陛下』は、小さな徒党を率いる渡り人(オーキー)のまとめ役だ。ポレシャ居留地の下層地区、俗に『町外れ』と呼ばれる地域の顔役の一人として知られている。

 ポレシャ居留地に三つある防壁の外の大きな地区。その中では一番、外側に位置し、貧しいものが多く暮らしている地域ではあるが、しかし、『町外れ』の住人たちは、居留地の人別帳に名前と素性が載った者たちで、単なる流れ者とはまた一線を画している。

 

『町外れ』は危険な土地だ。奥へ向かう通路は居留地の防壁へと通じているが、三分の一は廃墟に囲まれ、残り三分の一は荒野に面している。

 町外れは、かつて旧文明の市街地が広がっていたが、今はその大半が崩れ去り、瓦礫と化している。住人たちは、朽ちた建物を辛うじて補修し、或いは残った頑丈な壁や路地に寄生するように天幕を張り、または小屋を作って暮らしている。

 

 曠野はさらに過酷で、過去の戦争や災害の爪痕が残り、無法者や野獣、怪物ひしめく土地だ。集落を襲う人狩り(マンハンター)や、暴力で支配を試みる略奪者《レイダー》たちが大地を彷徨い、日々の生活そのものが生存競争であった。人々は強い者に従い、時には争い、時には共に手を組んで生き延びていくしかない。

 

 曠野では、外界との折衝を絶って隠れ住む者もいれば、文明を維持しようと抗う者、恭順しつつなんとか日々を生きるもの、そして弱肉強食の掟に適応した者たちが生きている。

 

 文明の崩壊より、恐らくは数十世代、或いは数百世代が経過した黄昏の世(トワイライト・エイジ)において、生き方の違いは、もはや生物としての違いであった。

 

 

 

「3日後に寄り合いがあります。良かったら顔を出して下さい」顔見知りの市民からのそんな軽い伝言に応じて赴いたポレシャ居留地の公民館だが、大型建造物のホールには、議会の参議に有力市民、農場主から正規居住者、職工、牧童の頭目。さらには門前町の他、幾つかの地区の自由労働者や渡り人《オーキー》の代表までが顔を揃えていた。

(……何が、暇なら顔を出してください、だ)場に入った瞬間、自然と感じる緊張した空気。何気ない招きに見せかけて起きながら、今回の集まりが、実際には何かしらの大きな意味を持っていると『陛下』でなくとも察するのは難しくなかった。

 

 列席者には、見ない顔も多かった。顔つきや服装には、立場や背景が色濃く表れているが、誰もが一様にざわめき、もしくは、不安を隠し切れない様子で、己の顔見知りたちと小さくまとまっては、小声で囁きを交わし、或いは、慎重に耳打ちしたりしてる。

 

 『陛下』がこの場に足を踏み入れたのは、二度目だった。渡り人(オーキー)の小さな徒党を受け入れるか、否か。議員たちが徒党の頭である『陛下』と面談した時以来のことだ。以前も、そして今回も『陛下』は、一人で公民館に足を踏み入れていた。手下も連れてきておらず、特別に目立つ顔見知りもいない。『陛下』の伝手は、曠野の外に広がっており、居留地では目立たず、力も振るわず、ただ、僅かに稼いだ金で、物資と食料を故郷へと持ち帰るだけに活動を終始している。

 

 苦い表情を浮かべた『陛下』は、事情を聞こうと親しい知人がいないか探してみるが、どうやら町外れから呼ばれた者は、そう多くはいないようだ。顔見知りのマギーは随分と離れた場所で、壁を背に寄り掛かっており、ハンサムな市民の青年。恐らくはスタンフィールドと話し込んでいる。恋人が三人いるとか言うふざけた男で、その三人がそれぞれ人気がある美人なので、居留地の男たちの半分から嫉妬を受けているとも噂されていた。噂半分と見做していたが、人間的な魅力に関しては、あながち誇張でもないようだ。取り囲んだ数人は、老若男女問わずに楽しげに笑いながら、言葉を交わしていた。

 一方、明確に敵もいるようで、農場主ガライ家の長男は、人目も憚らず、まるで苦虫を嚙み潰したような表情でスタンフィールドを睨んでおり、傍らの妹に窘められていた。

 

 鐘の音が鳴らされた。講堂が静まり返り、中央の議席に書類を抱えたエヴァンス保安官と、太った副保安官が歩み寄った。

「順番は……」

「これは、抜かして」

 最後に手順を詰めたのか。二人で軽く話してから、エヴァンス保安官が一同へと向き直って口を開いた。

「さて、お集まりいただき、ありがとうございます。今回は、居留地内での治安維持に関して、皆様の力をお借りしたく……」

 

 始まった話し合いは、新年の移住者たちに関する議題で、確かに有意義で、かつ重要な内容だった。しかし、ならば、あの軽い誘い方。仮に用件があって欠席していたら、どうしていたのだろうか。いや、恐らく、しなかったら、それきりだったのだ、と『陛下』は悟って口元を微かに歪めた。参加しなかった者たちにも、何かしらの危機感を抱いている者もいる筈だろうが、それでも無理に呼び出されることもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「そう言う訳で、暫く注意が必要です。開拓地の中には、略奪婚の風習を持つ土地もありますから」書類を手にしながら、エヴァンス保安官。薄い雀斑の女性が現状の説明を終えると、市民の一人が手を上げて質問した。

「その……浚われた場合の対処だが、現地の保安官だっているだろう。駆け込んだら……」

「よそ者の娘なら、それほど問題にはなりません」エヴァンス保安官が切って捨てると、何処ぞの農場主が肩を竦めた。

「むしろ、賞賛される場合もある。なにしろ、人が貴重な時代だ」

 

「……酷い時代だ」誰かがぼやいた。安全な防壁内の暮らしに平和ボケした市民の誰かかと『陛下』が見やれば、似たような放浪の渡り人(オーキー)だった。過酷な放浪生活でも、良識を守り抜くのは大したものだが、得てして悪徳の主というものは、そうした善意や領域の隙間を嗅ぎつける。曠野を彷徨うけだもの同然の輩と渡り合ってきた男なら早々、危機意識を鈍らせるはずもないが、黄昏の世には、たった一度の油断が命を奪うこともある。

 

 考えて『陛下』は首を振った。他人の心配をしている場合でもない。『陛下』にも娘がいる。亡き妻の忘れ形見だ。あの娘が粗野な蛮人たちに浚われて家畜同然に扱われ、やはり盗みや拉致を何とも思わない蛮族の子を産み落とす、そんな悪夢が現実となる可能性を考えるだけで、『陛下』は胸がざわついた。

 

「中央防壁の市民区画には、暫くは特に出入りを厳重に。見回りのシフトは、お手元の書類を参考に。各地区に関しては、期間限定で自警団に法的な権限を付与し……」エヴァンス保安官の指示は、『陛下』から見ても、確かに的確でおおよそに納得できる妥当な線ではあった。

 

 無闇に市民を締めつけず、じわじわと侵食してくる危機に対し、それなりに効果的、かつ持続可能な守りを短期で構築できるのは、辣腕と言っていい。難しい状況を見据え、長期戦を睨みつつ、薄い負担で効果を発揮するように作られている。

 しかし、一方で、劇的に治安を改善できるかと言われれば、そうではない。穏当な対策だけに、突発的な拉致の発生を防ぐのは困難だし、初期にはどうしても犠牲も発生するに違いない。

 

 会議が終わっても、議場のざわつきは中々に収まらなかった。名士諸氏やら顔役、牧童の代表に傭兵隊長、狩人なども加わっては、知人同士で集まって立ち話を続けている。

「そうなると、問題は廃墟に近い地区……或いは、居留地に近い廃墟の小集落だが……蛮族に潜まれると」

「警告を送って……しかし」

「顔を見せたものだけ……仕方ない」

「まずは、それと知られた土地の家族連れから、順次受け入れていくことに」

 

 一瞥したが、マギーは相変わらず、スタンフィールドと何かを熱心に話し込んでいる。雑貨屋の老人に保安官たちも加わっているところを見るに、居留地の物資調達に絡んだ話か、或いは街道の安全の話題かも知れない。

 

 どうにも会話を交わせる状況でもなさそうだ。肩を竦めた『陛下』は、議場に背を向けると、足早に立ち去っていく。

 

 結局のところ、己と家族の身を守れるのは、自分自身だけなのだろう。

 ……恐らく、ポレシャ居留地であってさえ。

 

 

 

 

 5月中旬

 

  3485クレジット

 

 

 

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