その
音信の途絶えた地方から持ち帰られた血に濡れたメモより
『死の黙示録』に収集された資料のひとつ。
マギーたちにとっては、代り映えのしない日々が続いていた。劇的なことは、なにも起こりえなかった。日々の大半を、生きる為に働いて過ごしているのだから、当たり前と言えば当たり前だろうか。しかし、
金は、それなりに貯まってきている。定期的に装備を更新しつつも、貯まる速度の方が早いのも、幸せなことには違いない。少なくとも食事に困ったり、薪や毛布が足りずに寒さに震える事はなくなった。もしかしたら、今年の冬。トリス一人くらいなら、居留地の木賃宿に入れてやる余裕さえあるかも知れない。人ひとりを養うのは大変なことだし、徒党に入れようと考えているトリスを一度助けたならば、以降は冬の廃墟に戻れとは言えなくなる。トリスも、それを期待するだろう。しかし、廃墟暮らしの危険性を鑑みれば、少し、まともな冬越えを準備させた方がいいかも知れない。
休日は、当たり障りのない幸せを味わうように、一緒に食事をしたり、散策したり、読書やTRPGだの、PCゲームだのを行って過ごした。ニナは絵を描く事も多いようだ。マギーは怠惰に寝転んだり、身体を動かす日もあるが、戦闘力に関しての肉体性能は落ちてきていると認識していた。完全な休養も、専門的なトレーニングも、暫くは行っていない。生き方が変わると、生活の輪郭もどこか柔らかくなるものだ。
昔は生き残るために日々が闘争だった。血の匂いと鉄の感触は馴染み深い日常の匂いで、緊張と昂ぶりだけが人生の悦び。その頃はそれ以外に知らず、誰かを失っても痛む涙すら零さなかった。今からすると、十代の日々はまるで遠い夢だったかのように思える。それでもマギーは、日常を戦う為に研ぎ澄まし、己が生き延びる為なら何でもする恐るべき曠野の無法者や賞金首たちの事はよく知っている。かつては、殆んど同類の賞金稼ぎだったからだ。そして賞金稼ぎになったのも、一瞬の憎しみと、冷めた計算の末に下した選択だった。偶々、殺したい相手。友人の仇が賞金首となったから、己は賞金稼ぎとなった。それだけの話で、逆だったとしてもなんら不思議のない、表裏一枚の選択であった。
最近のマギーは、戦闘能力と勘がやや衰えた代わりに、金を掛けた装備に頼るようになった。武器ではなく、身に纏う防具だった。致命の銃器や刀剣を携えた危険な無法者たちよりも、牙や爪を持った獣やら働き蟻、こん棒やナイフ、刺バットなどを手にした追い剥ぎなどを相手することが多くなっている。
「此の軍用ブーツは、七百クレジット。銃弾は駄目だが、ガラスの破片は踏んでも大丈夫。つま先には鉄板が仕込んである。長距離歩くの向いてないけど、大丈夫?」
自由都市で購入した半長靴に七百クレジットの価値があるかは怪しいが、小型の変異獣やら野犬相手には、少しだけ有利に立ち回れるようになっただろうか?とは言え、小型変異獣にも、下手な中型よりも鋭い爪で十数秒で人に致命傷を負わせる連中もいる。それに盗賊やら、部族相手には、大して変わり映えする訳でもない。
こんなことを積み重ねて、いつか、何とかなるのか?とも、マギーも頭の片隅では思っている。分からない。もしかしたら、全く無駄なのかもしれない。
努力や工夫が報われずに人生が終わる事なんて当たり前で、しかし、だからと言って、諦める理由にはならない。いや、多分、大抵の人間は、疑いながら積み重ねているんだろう。もっと心の強い人間や志の高い人間は、確信を持っているのかも知れないが、凡人であるマギーは、疑いながら多分、正解と思う工夫を重ね続けるしかない。
自由都市から往路で、廃都市の川沿いを歩いた。川の流れは濁り、両岸には崩れた建物の瓦礫が積み重なっている。風が吹くたびに、どこかから錆びた鉄骨が軋む音が響いてくる。屍者《ゾンビ》や変異獣の出没は少ない土地だが、静寂には不安を掻き立てるものがあった。
出入り口の封鎖された大型建造物に数百、数千の屍者《ゾンビ》が閉じ込められてなんて実例も時にはあって、それ自体は、ゾンビが大発生した当時の人々の勇気や創意工夫の賜物か、或いは、悲劇の産物なのだろうが。
今でさえ、巨大建造物の町がゾンビ・パンデミックに手遅れになった際、建物を鉄板やセメントで塞ぎ、入り口には燃料を撒き、炎の壁を築いて、閉じ込めたと言う話を耳にする。中に残されたのは、助けられなかった友人や家族――生きている人々ごと屍者もろともに封じ込めたのだ。壁の外に響いていた叫び声と叩く音が、完全な静寂へと変わるまで、どれほどの時間がかかっただろうか。
迂闊な
太古の邪悪が解き放たれ、地方を蹂躙して猖獗極まるなんてTRPGのイベントのようだが、残念ながらマギーたちはヒーローではなく、巻き込まれるモブでしかない。
マギーたちに出来るのは、災厄が起きないようにただ己の神や宗教へと祈り続ける事、そして災厄が起きた時には、何もかもを捨てて一刻も早く、安全な場所へと逃れる事だった。もっとも、四方から災厄が押し寄せてきた時には、何処が安全かを知る事さえも難しいのだが。居留地は次々と沈黙し、大地を屍者が彷徨い歩く中、地図に記された『安全』の印も虚しく揺れるだけだ。
若きオーが一員であった冒険団は、無数の屍者が犇めいている地下都市への入り口を爆破し、既知世界を救っている。少なくとも老人たちは、そう信じていた。
北の地に溢れ出た数万、数十万の屍者でさえ、ごく一部に過ぎず、地下にはさらに巨大な空間が広がっているとも推測されていた。死都に眠る屍者や特級変異屍者すら計り知れない。北方の軍閥や西方都市連盟にも、オーの顔が効いた理由だ。
そんなオーたちの逸話も、いまや忘れ去られつつある。冒険団の物語を語り継ぐ者たちも、次第にいなくなり、焚火の傍らで囁かれるのは、噂話から眉唾の怪談へと変わりつつあった。ニナたちの世代は、オーの名前も知らない。英雄たちの名も、やがて吹き抜ける風に紛れて消えるのだろうか。
オーは、余り昔の逸話を語らなかった。それでいい、と思っていたのかも知れない。若き日のオーも、やはり薄氷を踏むような想いで日々を生きてきたのだろうか。それとも或いは、寝台の上で或る日、眠るように幸せな人生を終えたいと思っていたのか。フードを口元に上げて、マギーは薄く笑った。最近は、そんな事ばかり考えている。人生が上手くいってる時期に、不安に苛まれると言うのも妙な話だ。
河川沿いに歩いているうちに埠頭が見えてきた。小型船舶が一艘に木製のボートが浮かんでいる。正気を疑うようなカラフルで可愛い、犬や猫のイラストでペインティングされてる。岸辺には、釣りを行っている数人の不揃いな制服を着た女子高生たちの姿があった。小舟の上でも釣りをしている。可愛い子たちだが、マギーの表情は緊張を帯びていた。
文明崩壊世界《ポストアポカリプス》に付き物の水上生活者の一氏族であるが、可愛いよそおいに反して侮れない。今も背中にクロスボウやライフルを背負ってるし、文明崩壊の世に女子高生の姿を維持することに命を懸けており、氏族の拠点を学校と呼んでいる。まがう事なき、狂人の集まりだ。可愛いものの収集に執着しており、今も数人が、猫耳の付いたニナの毛糸の帽子を物欲しげに眺めている。教科書とか学生鞄などを持っていたら、没収されたかもしれない。
「鉛筆か、飴はある?」聞かれたので「煙草なら」
「不良だわ」「他校の生徒はこれだから」ひそひそと嫌そうな顔をされるが、 煙草の葉を紙で巻いた手巻き煙草を数本、ビニールへと入れて投げてやる。通行料替わりでもある。本人たちは吸わない。女子高生は吸わないそうだ。恐らく交換用の物資に廻すのだろう。
「なんか、噂はあるか?」マギーが尋ねてみた。
「特には、ないかなぁ」『部長』と呼ばれる部隊長に尋ねるとそんな返答が返ってきた。
「ないってんなら、それもいいニュースだ」マギーは呟いた。
「うーむ、レイダーが数人、何時もの縄張りをうろついてたな。あと、北の街道ででかい奴らを見たとか旅人が言ってた」
「でかいの?」マギーが尋ねると『部長』はよく分からんと言いたげに首を傾げる。
「スーパーなミュータントとか、タイラントみたいにドでかいの」ドをつけ、ゲームで喩えてくる『部長』。馬鹿な例えかもしれないが、視覚的に分かりやすかった。
「人型ミュータントかな?北方戦線で軍閥が押しとどめてる筈だが」
軍事独裁の糞みたいな政体だが、ミュータント相手に肉壁やってくれてるのでマギー的には滅んでもらうと困る勢力であった。人を敵視するミュータントは得てして凶悪な存在で、戦線が押されてるとなれば、軍閥とて『志願兵』を集めたり、物資の『徴発』を行うかも知れず、曠野の地も荒れるかも知れない。
水上生活者たちに手を振って別れを告げてから、少し気合を入れて四方を警戒しつつ、川沿いの廃都を進んだ。比較的に友好的な者や話の通じる者たちが生息している経路とは言え、水辺にも水棲の変異獣やら河賊、湖賊などと遭遇しないとは限らない。廃都市を抜ける旅人たちが付けたペンキなどで矢印が残されているが、突然の怪物や賊の出没に備えて気は抜けなかった。
マギーはバットを背負っており、腰には手斧。ニナは最近、スリングショットから、スリングショットライフルに装備を変更していた。傘の柄を使ったクロスボウ様式のスリングショットで、十メートル以内の精度はかなり高く、栗鼠や小鳥などの小動物をよく獲ってくる。同じ装備を与えたトリスと、廃墟でいつも遊びながら、腕を磨いているようだ。
スリングショットライフルは、薄いフライパンくらいはへこませる程度の威力があって、これは巨大鼠の脆い頭蓋骨程度は砕けることもあるが、とは言え、川辺に現れるようなミュータントに通じるほどに威力のある武器ではない。何時か、もう少し、ましな武装を与えてやれるだろうか。
廃市街を抜けて馴染み深い曠野の景色へと舞い戻ったマギーは、ホッと胸を撫でおろした。
釣り人、水上生活者たちの顔ぶれもわずかな期間で少しだけ変わっていた。普通の人間たちが、普通に暮らすことさえ、黄昏の世は過酷に過ぎるのだろうか。昔から廃墟で暮らしてる住人たちがそれでも僅かな期間で顔ぶれが変わるなら、
ポレシャ居留地の出入り口へと向かう廃墟の近くで、
足取りも重い一行の後尾にココも混じっていた。視線が会ったので軽く手を振ると、ぴょんと飛び跳ねた。喜んでるのがマギーには分かった。目が猫のように細くなってる。マギーは最近、ココを餌付けしてる。
運動神経が良い少女だ。使い道があるので、
六月中旬
5281クレジット