社会は、力によって成り立っている。世界情勢は、力《パワー》の鬩ぎあいによって形成されており、なんらかの戦力機構を持たない統治機構は存在しえない。
力は、世界を構成するもっとも重要な要素の一つであると認識する。
生きる糧を得る為、暴力を行使を躊躇わないものは、世界に幾らでも溢れている。
時と場合によっては、剣を振るう覚悟を決める。
これら三つは、全く別の事柄ではあるが、少なくとも最初の事項については、マギーとニナは認識を同じくしているし、トリスもおおよそは同意している。しかし、此処に一人。どうしようもないお人好しの娘さんがいる。
「こいつです」そう言ってマギーに抱き寄せられたリリーの顔には、青痣が残っている。
「やめぇやぁ」鬱陶しそうにマギーの手を払うリリーにとって、暴力とは社会を形成する一要素ではなく、むしろ社会の歪みを象徴するものに見えているのかも知れない。
六月下旬の晩春、或いは初夏。助けたにも関わらず、後ろ足で砂を掛けて去っていったセフの子供らが尋ねてきた際に、リリーは疑わなかった。ごめんなさい。そんなしおらしい言葉と共にやってきた子供たちに騙されて家に乗り込まれた挙句、食料を持って逃げ出され、止めようとしたら暴力を振るわれた。挙句、備蓄を盗まれて困窮してやがる。
「しゃ……謝罪したい言うたんや!」リリーは言い張った。
それで話聞こうか、となってちっぽけな家に入れ、長女との話し合いで引きつけられた隙に食料根こそぎ盗まれてさっさと立ち去られた。
「それを信じたの?どうしようもない馬鹿です、今日までどうやって生きてきたの?前世は、ドードーかな?それともステラー海牛?」マギーは、頬をつんつんとした。
リリーの鼻は折れてないが、相当な衝撃を受けたのだろう。黄み掛かった体液を洩らしており、脱脂綿と絆創膏を当てられている。
「なんで警戒心ゼロなの?どうやって今日まで生きてきたの?」心底、不思議そうに首を傾げてるトリスに、ご近所のメグ姉ちゃんが教えてやった。
「泥棒とか滅多にいない村で育ったんだよ。閉鎖的な土地がいい方向に転ぶと、そう言うのんびりした土地も出来る。陸の孤島みたいな……」
「へぇ、治安のいい土地もあるもんだね」とトリス。
「移住者の多い土地に来た連中は大抵、覚悟を決めてるから、もっと早く適応できるものだが……」此方はアベル青年だ。やはり近所の誼で顔を見に来たらしい。
「……うーん」廃墟育ちのトリスは、珍獣を見るような眼でリリーを見ている。
「やーめーてーやー」抗うリリーだが、今の状況で発言権はなかった。
「止めません、リリーはもう自力で食べていくことが出来ないんです。私に借りを背負いました。此の侭、えちち奴隷にしても、もう文句は言えないんですよ。お前は、既に自由民ではないのだ。リリーちゃん!」喋ってるうちに興奮したのか、マギーが抱き着いてきた。
「ニナぁ、助けてや」リリーは助けを求めた。ニナはリリーをじっと見つめてから微笑んだ。
「リリーなら、いいよ。三人一緒に寝ようね」勿論、ふざけ半分ではあるが、隣人の助けがない場合のリリーが切羽詰まったのは嘘ではない。
リリーは次いで、ご近所のメグに救いを求める視線を送った。食べ物を持ってきてやったメグが呆れながらも口を開いた。
「反省は皆無のようです。以上、第一回お人好し選手権の優勝インタビューでした」
「えぇ……本当に助けて」リリーが言い訳を試みるが、メグはため息ひとつ。
「次には、食べ物どころか、家や命まで奪われたりしてね」
「さすがにそれは……」
「場所によっては、本当に奴隷に転落しかねなかったのよ。そんなに簡単に見知らぬ人を信じたらダメだって、親に言われなかった?」絶句してるリリーに、メグは鼻を鳴らした。
「次に尋ねてきたら、知らない女の子がリリーです、とか言い張ったらどうしよう」
「廃墟的に考えると…… 完全に目を付けられてる」離れた位置でナイフで木を削っていたトリスがぽつりと呟いた。
「次は、あんたがいない間に忍び込んで、持っていくようになるよ。そして、その子たちを泥棒に堕としたのは、もしかしたらリリーさんの迂闊かも知れない」
トリスの言葉は相当に突き刺さったらしく、リリーの顔色が悪くなった。
「いや、盗まないと生きていけない廃墟ではないから、一番悪いのはその難民の子ら」メグが庇った。トリスも、それはそう、と頷いてる。
「……メグゥ」リリーが縋るように見つめた。
「一番、頭が悪いのはリリー」メグにバッサリと切られた。
「……言われないとリリーは分からないんだね。場所によっては本当に奴隷に転落しかねなかった。大きな居留地での貧困がどれほど危険なのか、分かってない」だから、マギーは心を鬼にして、リリーに抱き着きながら、説教するんだ。
「毛布まで盗まれてるよ、このお花畑はよぉ」マギーは弱みに付け込んで説教しながら、リリーの匂いを嗅いでいた。
「仕方ないなあ。夜は一緒にあったまろうね♡」
「あああ、く、喰われる」リリーが震えてながら、助けを求めた。
「た、助けてぇ」
「助けてあげる。お金も貸します。友達だからね。ぐへへ」夜には凄い事になりそうで、本気でリリーは助けを求めた。
「よかったじゃない。精々、女の子の戯れで済んで」メグは冷淡だった。
「メグぅ」情けない声で呻くリリー。
「……晩春、或いは初夏か。まだ、間に合う。秋に盗まれていたら詰んでいた。
何年か前、秋に財布を奪われた知り合い、冬の間、土地持ち農民の愛人したよ。その時、産んだ子は、農民の家で奴隷扱いだって。殆んど会ってないらしいけど」或いは本人の経験かと錯覚しかける程に荒んだ眼差しで、メグは知人の体験談を語った。
「……お金も?」アベルが尋ねた。
「あー、盗まれた」処置無しと、メグが首を振った。善良なアベルはポケットをごそごそと弄ってから、紙幣を数枚。切なげに見つめてから、リリーの前に置いた。
「……これからは、余り見ず知らずの他人を信じたら駄目だぞ。まあ、知人だからと言って、安易に信じていいとも限らないけど」二、三日分の日当になる。アベルは、色々とリリーに助けられたことがあるので返って来るのを期待しないで、金を貸す事にした。
リリーは借用証書を書いてから、拝むようにアベルの金を受け取って、マギーから離れた。
「な、何とかなりそうやから。金は借りんて」
名残惜しそうにしながら、マギーが立ち上がった。
リリーの善良さを兼ねたお人好し気質は、友人としては得難い資質ではあったが、
「まあ、なんとかなりそうかな」ニナが頷いてマギーを見上げた。
「さて、わたしも仕事しなくちゃ。行商から帰ってきて数日はゆっくりできると思ったんだけどね」マギーが両肩を伸ばしながら、歩き出した。
※※※
ニナが泥棒兄弟の長女を補足したのは、門前近くの露天商が並んだ小さな市だった。場所としては好都合であった。比較的に高めの品が並んでいる市には、邪魔に入りそうなセフの若衆や少年少女は客層として少なかったし、無理に近づいてくることもないだろう。
買い物に興じている長女の手にはリリーの財布が握られており、遠慮なく高めの食料や甘味まで買っている。
疎らな人混みの間をすり抜けながら追跡していたニナは、急に立ち止まった長女の動きを見逃さなかった。
(……気づかれたかな?)路地裏に入り込んだ長女の動きを怪訝に思いつつも、気づかれないよう、足音を全く立てずにゆっくりと背後に忍び寄ってみた。
見てみれば、野良猫の前にしゃがみ込んだ長女。「……お腹空いたかにゃあ?」
干し肉かなにかを取り出して話しかけている。
「なにがにゃあ、だ。この野郎」ニナの鋭い蹴りが腹部に突き刺さった。壁に叩きつけられた少女は苦しそうに咳き込んだ。
「な、なにを……」
「初めまして、ニナです」ニナは冷ややかに微笑みかけながら、言葉を続けた。
「リリーの友だちです。あの間抜けなお姉ちゃんにも友だちがいるとか、想像してなかったかな?」
「……ぁ」なにか言いかけた少女の腹部に、背負った槍の柄を叩き込んだ。
崩れ落ち、苦しげに吐瀉物を撒き散らす少女を眺めると、財布を取り返した。
「あー、リリーの財布、随分と遠慮なく使ったみたいだね。間抜けが畑を耕して稼いだお金で、高い料理でも食べたん?美味しかった?」ニナの口調は抑制されていたが、同時に冷たい怒りが滲んでいる。
「せっかくのご馳走だけど……全部、吐くことになるかも」言葉を紡ぎながら、ニナは見下ろしていると、長女は涙目を口を開いた。
「ご……ごめんなさい」膝蹴りが長女のお腹に突き刺さった。
「……謝る相手が違うだろ」女子の蹴りとは思えない、重たく鋭い音が響いた。手加減はしなかった。殺す気はないが、死んでも構わない。そんな思考で痛めつける。
「あ、ああ……!」少女が吐瀉物と呻きを漏らす中、ニナは周囲を見渡して呟いた。
「さて、他の鼠兄弟たちはどこに隠れてるのかな……まあいいや。取りあえず、性質の悪い主犯からお仕置きするのが筋だよね」
※※※
泥棒兄弟の長女の身柄を確保すると、後は町外れの自警団詰め所へと連れ込むだけ。言うのは簡単だが、どうにも何処かでセフ出身者に目撃されていたらしい。
中町辺りにたどり着いた時点で怪しげな人影が複数、周囲に出没しているのに気づいたので、ニナと仲間たちは地区防壁内へと逃げ込んだ。
中町から町外れ地区へと通じる街路を見てみれば、もはや姿を隠そうともせずに武装した者らが街路を露骨にうろついていた。
「大人衆が、火縄銃まで持ち出してるよ。セフ衆は、結束が固いな」クリーニング店のあるバリケードの直ぐ側で、ニナは手首を縛った長女を抱えながら「昔の映画であったな、こういう展開」鼻を鳴らした。
巨大蟻から故郷を奪還することを、セフ衆は諦めていないと聞いている。武器を蓄えているとは耳にしていたが、クロスボウや斧、柄を付けたばかりの剣に枝を編んだ盾など、確かに新参の移住者とは思えないほどに豊富な武装を見せつけてきた。
火縄銃を持つセフ衆の一人は、弾の詰め方さえ不慣れな様子で、何度も銃口を覗き込んでいた。それでも表情には異様な決意の色が浮かび上がっている。セフ衆は本気だった……理屈も準備もなく、ただ燃え上がるような衝動に駆られているようにニナには見えた。
「おま……ふざけんなよ」逃げ込んだ先のクリーニング屋の倅が傍らでなにやら喚いているが、松明を投げ込まれでもしたら、確かにご愁傷さまでは済まない。
「その点では済まないと思ってる」
「お、おう」
「それにしても……」とニナは思った。
「強盗容疑で捕まった小娘一人を奪還しようとして、こんな集まって来るとか。変な民族意識、極まり過ぎじゃね?」お祭り騒ぎのように異様な熱気を感じられる。集まってきたセフ衆は、誰もが名もない村のヒーローにでもなったつもりらしい。気勢をあげて、此方を威嚇していた。
中町には、地域全体を取り囲んだ簡易な木製防壁と、数軒の家屋ごとに守っている土嚢や木柵の小さなバリケードの二重の防備に守られている。防壁が簡素ながらも二重構造なのは、家々が密集し、人口も多い中町が、夜中の屍者一匹の侵入や変異獣の群れで蹂躙されないように、一部が全滅しても、残りが抗戦の準備を整えられる仕組みになっているのだ。云わば、船の隔壁や城の曲輪と同じ発想で、本来なら多勢に対しても、時間を稼げる構造なのだが、余りにも人数の差が大きすぎた。
別にニナは一人で行動していない。自警団手伝いとして、同年代の少年少女が五人。まあ、所詮は、少年少女だった。ニナともう一人を除いて脅えきっており、全く使い物になりそうもないが。
兎も角、ニナも一応の手は打っている。先刻、中町の自警団に頼んで、第三者一人を町外れの自警団詰め所に。一人を防壁内の保安官事務所へと走らせて連絡を取ってもらっている。
「小娘を引き渡せ!」叫んでるセフ衆の憎悪の眼差しからして、小娘とは泥棒長女ではなく、ニナの事に違いない。長女の頭にパイプを押し当てる。そこらで拾ったパイプに適当な部品をくっつけた代物だ。傍目からは、短銃に見えるかも知れない。
「卑怯者が!離せ!」いい大人が、目が血走って叫んでいた。いい具合に、ヒートアップしているようだ。 セフの大人衆が若衆や子供たちを抑えるかと期待してた。大人衆が率先して騒ぎ立ててる。駄目だ、こりゃ。
そろそろ、味方の反応ありそうなものだが。と空を眺めるニナだが、その前に雪崩れ込んで来たら、捕まってリンチかもしれない。
「……ごめんなさい」長女が蚊の鳴くような声で、また同じ言葉を繰り返した。
「鳴き声か?」ニナは鼻を鳴らした。
「ごめんなさい」また言ったので、ニナも同じ言葉を返した。
「もう一度言うけど、謝る相手が違う」
後ろで、少年少女の誰かが泣き出しそうな気配を漂わせていた。
「腑抜けるなよ?私を引き渡したら助かるとか考える奴もいるかも知れないが、マギーに殺されるし、どのみち大人たちが裏切り者を許さない」念のために釘を刺しておく。言葉は冷静だが、突き刺さるような鋭さを持っていた。
「分かってる筈なのだわ」隣では動じてない『路地裏の王女』が壁で遮蔽を取りながら、セフ衆の武装を数えていた。多分、この後、セフ衆と自警団の衝突が起こる可能性を想定しているのだろう。
新参の移民《セフ》たちが居留地に馴染めないのは仕方ない。今まで、何もかもを自分たちで決めてきた自治村の纏まった人数が、一箇所に固まって暮らしているのだ。しかし、これは最悪の想定だが、セフ衆の一部なりともが犯罪集団を形成した場合、最初にぶつかる事になるのは一番近い地区。つまり町外れの自警団であった。ポレシャが公正と思える限り、それに応じて犯罪を抑制する為に血と鉄を供与する。それは三つの地区の住人たちが曲がりなりにも防備の備わった土地を貸与され、安全な暮らしや食料を得るのと引き換えに居留地議会と交わした取り決めだ。まあ、ニナや『路地裏の王女』も、十五歳と見做された最近に知らされたばかりなのだが。
兎も角も、壁の向こう側で数を増しつつあるセフ衆の若衆や大人衆たちを眺めながら「さて、間に合うかな?」考え込んだ。セフ衆の若者たちの焦りが、壁越しにも感じられる。連中の動きは不安定で、勢いだけはあるが、思慮に欠けているようにも思えた。
だからと言って、短絡的なものが必ずしも敗れるとも限らない。ニナが此処で命を落とす事だって、充分にあり得るのだ。セフ衆が痺れを切らして乗り込んで来るか、それとも、町外れの自警団が応援に駆けつけてくるのが間に合うのか。中町の町衆たちは、どう動くだろうか。守りに徹しつつ傍観すると言うのも充分に有り得そうな話だった。
セフ衆が壁を越えて迫ってきた時に戦うべきか、逃げるべきか。中町の地理については、ニナは生憎とそれほど詳しくないが、仲間を見捨てて離脱する訳にもいかなかった。
「悩ましいな」ニナは小さく独り言ちた。
初夏の柔らかな日差しの下、破滅の瞬間が訪れるのか、或いは救援が来るのか。ニナはひたすらにその時を待ち続けた。