実際には、それほど待つ必要もなかった。町外れの自警団はセフ衆の逮捕に備えて準備を整えており、増援は間に合った。万が一の為、一部人員を最初から待機させていたのだ。一時間もせずに町外れから自警団が駆けつけてくると、すぐに人数と武装で拮抗しながらの睨み合いに陥った。それでも孤立無援ではなくなった安堵からか、ニナたちは長女を人質に取ったまま、ホッと一息ついた。五人ほどの自警団員が駆けつけてきたばかりの時は、通す、通さぬと押し問答も起きたが、十人、十五人と後から集まって武装も人数も拮抗すれば、セフ衆の強気の姿勢もあっという間に溶け崩れた。
情勢を有利と見取って、町外れ地区に肩入れする気になったか、中町の自警団からも団員たちが地区防壁の壁際に姿を見せ始めた。先刻までの様子見は、多分にニナと少年少女の一団が、自警団の見倣いにしても年若すぎて信頼できないのと、町外れの自警団が何処まで本腰入れるか分からずに梯子を外されるのを恐れていたのか。中町の住人たちには、それなりに金があると見え、鉄製のクロスボウや火縄銃、燧発《マッチロック》式のライフルなどで数も揃っていた。そうなると粗末なクロスボウが主体のセフ衆は、いかにも旗色が悪くなる。今のセフ衆は、武装して地区防壁に押し掛けた挙句、半ば包囲された形へと陥っていた。
あれほど強気だったセフの大人衆だが、次第に顔色も悪くなり、気勢を上げることも無くなって縮こまっている。端から互角以上の相手と一戦交える覚悟なんてものは無かったようで、予想以上の腰抜けぶりには思わず失笑したニナだが、しかし、狂信的な強硬派とやりあうよりはずっとマシだとも思えた。
多分、セフ衆は、鬱憤が溜まっているのだ。自由で豊かな土地持ちの農民から、明日をも知れぬ
町外れ地区の大人衆が集まった寄り合いでは、セフ衆の事も何度か話題に出たものだ。行商人として、なんとか身を立てつつあるマギーも、最近は、寄り合いに呼ばれるようになり、気が進まぬ、などとボヤキながらも、ニナを伴って顔を出していた。
ニナや『路地裏の王女さま』などは大人衆の話し合いに口を挟むことは出来ないが、何度かは揉め事の話も耳にしている。いずれは馴染むさ。と楽観的に、或いは友好的にみている者も多いが、大きな問題を起こすのでは、と恐れている者もいた。
マギーに聞けば、先入観が出来てしまうから、と首を振って意見を口にしなかったが、一緒に働くにも文句の多い連中だな、と言うのが、ニナのうっすらと感じた印象であった。
町外れ地区の住人には、生まれた時から土地を持たず、日雇いや力仕事で生計を立ててきたものも多い。誰が主人であろうと気にせず、働いた分だけ対価がもらえれば満足するという実直な考えを持っていた。かつては土地を持っていた者や他の居留地の市民だったものもいたが、いい意味で朱に交われば赤くなるものだ。
雇われることは恥ではなく、むしろ自分たちが必要とされている証だと捉える考え方が主流なのは、大資本の成立し難い状況に加えて、外部資本の介入も難しい辺土の地勢故か。雇い主であるポレシャの市民や農民も一緒に働く事も多ければ、それなりに尊重して扱っているように思える。勿論、相互に武装している事も互いを尊重する理由の一つではあろうだけれど。大規模荘園が成立する前の古代ローマに近い状況だと、TRPG勢の集いで顔を合わせたスタンフィーめは言ってた。悔しいが奴めの歴史談話は面白いのだ。
マギーが新しい生き方を選べたのも、そうした共同体の気風が気持ちを後押した部分もあったかも知れない。人によっては近視眼的と呼ぶかもしれないが、かつては一角の立場だったものも過去にはあまり拘泥せず、今日を無事に乗り切ることを大事にしている。いずれにせよ、栄枯盛衰に一栄一落は文明崩壊《ポストアポカリプス》の世に付き物だ。町外れの
対するに、セフ衆は過去を捨てられないように見えた。勿論、過去は大事なのだが、かつての地位や誇りに固執するあまり、身動きが取れなくなっているようにニナには見えた。豊かな農村であったからこそか。かつての地位への未練を引きずって、雇われることを『屈辱』と捉える傾向が強いように思える。働いて生活を立て直すというシンプルな現実を受け入れることに、どうにも抵抗を感じているようでもあった。
中には、依頼主の顔を見ることすらできず、仕事を命じられるたびに唇を噛みしめ、こぶしを握りしめる者もいた。目には、耐えがたい屈辱の色が滲んでいる。ニナと同年代の土地持ち農家の少女が休憩の際、「……あれじゃ恐いよ」愚痴ったこともあった。
雇い主に対する受け答えも、どこか挑発的な響きを孕んでいる。『はい』と言う代わりに『わかってる』と短く返す。声の端には、今もどこか昔の威厳を保とうとする未練が見え隠れしている。町外れの住人たちが楽しそうに仕事をしているのを見て、セフ衆の中にはあからさまに軽蔑の目を向ける者も少なくない。それが単なる妬みや、同じ立場に落ちたことへの苛立ちであることは薄々分かっていても、侮蔑の視線を向けられれば、どうしても腹は立つものだ。境遇には同情するが、どうにもセフ衆を好きにはなれない。勿論、セフ衆の全員が全員、嫌なヤツでもあるまいが。
ニナは人質の長女の腕を掴むと歩き出した。
「行くよ」中町の門壁から道へと進み出て、属する地区自警団の元へと向かった。
「なにしてやがる!」距離を保って睨んでくるセフ衆から、少年の一人が叫びをあげた。
「窃盗犯の確保」ニナは冷ややかに言い返し「これはリリーの財布」と手に持った財布を振って見せた。
すると少年は激昂して反論してきた。
「あいつが奴隷扱いしたから、賠償として取り返したんだ!」
人間は、怒りで喋れなくなる事もあるとニナは知った。
「……へぇ。そんな風に言ってるんだ。人は何処までも卑しくなれるんだな」やっと、なんとか吐き捨てる。
ニナが嫌悪の眼差しを向けると「卑しいだと……人を卑しいと切ってる捨てるお前の方が卑しい奴だ!」少年はまるで仇敵のようにニナを睨みつけてきた。見ない顔だ。泥棒兄弟の一員ではない。多分に、伝聞だけでなにか吹き込まれて、同じ村の衆だからと、無闇に信じ込んでいる。
他者を奴隷商人と気軽に誹謗中傷しながら、一方で嫌悪されると差別されたとセフ衆は怒りだす。どうしろと言うのだ。差別と言うなら、ニナだって差別はする。セフ衆は嫌いだ。心底、関り合いになりたくないが、被害を受ける立場としてそうも言ってられないのが辛かった。しかし、似たような肌の色、似たような宗教で、同じ言葉を話す者同士すらこの体たらく。世に民族や宗教を巡っての争いが絶えない訳だと実感させられる。
泥棒長女を自警団に引き渡せば、仕事も終わりを告げる。が、背に強い視線を感じて、ニナはため息を吐いた。犯罪者に怨まれると言う事はある。自警団の手伝いをする際、警告は受けていた。
(……賢い人間なら、きっと、もっと力を蓄えてから対峙したに違いない)
しかし、リリーを痛めつけられて其の儘、知らん振りはしたくはなかった。せめて己の手の届く範囲でだけは、悪党どもの好き勝手にはさせたくなかった。とは言え、しばらくは用心が必要だし、相手によっては、一生付け狙われる事もあるだろう。
早速、空を切る音。ニナの耳が微かに痙攣した。次の瞬間、不意に石が飛んできた。ニナを狙ったものだろうが、当然に警戒はしていたし、気も抜いていない。軽く躱すと、外れた石は長女の額に当たり、投げた方角から悲鳴が上がった。ざわめくセフ衆から飛び出してきたのは、何処かで見た家族だった。
「ふざけんな!姉ちゃんを離せ!」叫んでいる小僧たち。
「俺の娘になにをしやが……」喚きながら、大股に歩み寄ってくる中年男の顎に向かって、遠心力を計算した一撃で槍の柄を跳ね上げた。
手元で樫の柄を回転させた大仰な動き。二度は通用しないだろうが、素人を不意打ちで無力化させるに充分な威力で、泥棒親父の顎を打ちぬいていた。
「へい、弟たち。お前たちを逮捕する。カムヒア」手招きすると脅えたように後退りする弟たち。自警団の大人衆に泥棒長女を押し付けると、ニナは弟たちへと向かって歩き出した。
と、セフの大人衆が庇うように立ちはだかった。手には木の棒や錆びた刃物を握り、若者や老人までが睨みつけている。女たちも鍋や鎌を持っている。駄目だ、これは、とニナは心中でため息をついた。何を言っても通じない相手に向き合わざるを得ないのは、徒労感が湧いてくる。
町外れの自警団も、火縄銃やクロスボウなどを携えていた。普段は無骨で実直な自警団の面々が、流石にこの時ばかりは、緊張感を漂わせていた。最悪、発砲も辞さないとの自警団の方針に、ポレシャ市民たちが積極的でないにしろ、容認の姿勢に傾いたのは、セフ衆がそれほどまでに市民や他の地区の信頼を損ね、或いは恐れや軽蔑を買っているからだが、果たして危うい立ち位置に気づいているのだろうか。
「子供のした事だよ。やりすぎじゃないのかい?」肝っ玉おっかあみたいなセフ衆のおばさんが口を挟んでくる。
「いい子なんだよ」
脱力するような台詞を掛けられたニナは、ため息を漏らした。町外れの自警団の後方、様子見の野次馬に紛れ、顔中に包帯を巻きつけ、膿を出しているリリーがいたので手を引っ張って連れてくる。
「子供のした事だって」リリーに言ってみる。
リリーの様相を見て幾人かが絶句し、ざわつくところを見れば、それでも盗人猛々しく言い張る程には、セフ衆の面の皮も厚くはなさそうだ。
これならまだ何とかなるかな?僅かに希望を抱いたニナだが「そいつは俺たちを奴隷にしたんだ!」泥棒兄弟の幼い弟の一人が叫んだ。とは言え、年長の子は後ろめたそうに、もごもごと何か言いたそうにしている。
ニナがなにか言うよりも早く、町外れの少年団が口を挟んだ。
「なにが奴隷だよ。お前の服はリリー姉ちゃんが作ったり、買ったりしてくれたもんだろうが。随分と優しい奴隷商人だな、ええ?」
ニナを庇うように肩を並べてくれるのは、正義感や友情だけでなく、恐怖に折れかけた矜持を取り戻すためかもしれない。
「幾ら給料貰って幾ら買い食いに使ったか、大体の調べもついてるぞ」
「飯も薪も貰って散々、世話になって挙句、恩を仇で返す人でなしの難民が」
「他のセフの子供よりも、随分とふっくらしてるじゃないか!お前!」
冷静な指摘もあれば、露骨に憎しみを剥きだした言葉も混じっている。
大勢の年上に辛辣に反論され、幼い弟は、おろおろと父親に縋るような眼を向けるが、少女に倒された父親は、不貞腐れたように地べたに座り込んだまま、血の混じった唾を忌々しそうに吐いた。
「どうにも言い分は平行線のようだね。確かなのは、この子がリリーの財布を盗んだこと。他の子が認めないなら、この子だけが罪を被ることになるけど」路地裏の王女さまの指摘に、しかし、セフ衆の若者の数人が、兄弟を庇うように前に出た。
仲間に守られた状況に安堵しつつも、ニナはセフ衆に見切りをつけた。(……セフ衆は駄目だな。マギーも、ココは諦めた方がいい)
「わたし……どうなるのかな?」泥棒長女が呟いているので、ニナが教えてやった。
「リリーが頼むから、流刑で済んだ。多分、ポレシャよりは大きく、ズールよりは小さい開拓町に囚人として送られる」言ってから、ニナは張りのある声で泥棒兄弟に呼びかけた。
「お前らが出頭しないと、お姉ちゃんが一人で罪を被ることになる!」
ニナは泥棒兄弟たちを見据えて、言葉を紡いだ。
「強盗傷害は、追放刑では済まない。縛り首でもおかしくない」淡々と告げるニナだが、しかし、上の子たちは後ろめたそうに下を俯き、下の幼子らは憎悪の目でニナを睨みつけるだけで、誰一人として出てこなかった。
「お姉ちゃんは、焼き印押されて流刑になるぞ。ポレシャよりは大きく、ズールよりは小さい開拓町に囚人として送られる」ニナは泥棒兄弟一人一人の顔を見ながら、告げた。
「お前たちが今、自首するなら、全員纏めて労働刑で許されるかも……」
「……誰が奴隷になるかよ」誰かが憎々しげな声を発し、兄弟たちはセフ衆の後ろへと消えていった。
「俺の子がかわいそうじゃないのか!」泥棒兄弟の親父がなんか鳴き声を発してた。
「全然」路地裏の王女さまが切って捨てた。
「可哀そうなのは、恩を仇で返されたリリーなのだわ」
結局、兄弟は姉を見捨てた。これからも泥棒を続けるつもりかも知れないが、今から先は、見つかったらただでは済まないだろう。
ポレシャの労働刑は、少なくとも食べていけるし、子供含めても、百人中九十人以上は刑期を務めあげられる程度には食事も屋根も提供される。真面目に勤め上げれば、長期契約の作男《ファームハンド》や小作人の口が掛かる事もある。
だけど、まあ、奴隷扱いと言えば、奴隷扱いなのだろうし、此方を憎々しげに見てる一部セフ衆のの中では、情け知らずな人質戦術になっているかも知れない。
ニナに敵が生まれた事も間違いない。それでも、いつか、何処かで無惨に死ぬとしても、戦う生き方をニナは選んだ。それに後悔はないが、命懸けでもあるのだ。こんな奴、助けるんじゃなかったとは思いたくないものだとニナはリリーの横顔を眺めた。
自警団員に連行されていく長女の背中を眺めながら、リリーは同情したような顔をしていた。
「……あの子な。一人だけ申し訳なさそうな顔してたんや」
「出たよ」自らでも思わずして冷たい声が出、ニナは口元を抑えた。
「……分かった。黙る」リリーが強張った声で言った。
決まり悪げに視線を彷徨わせたニナは、空を眺めてから口を開いた。
「リリー」
「感謝してる。筋は違えんし、順番も間違えんよ」
ニナは暫く沈黙してから、頷いた。それから取り繕うように、しかし、半分は本音で考えていた言葉を慰めるように告げた。
「父親になんか吹き込まれたのかもね。馬鹿な子は、大人の言う事を鵜呑みにしちゃうものだから。あの子はリリーに感謝していたかも」
6月下旬
5504クレジット