曠野は恐怖に満ちている。屍者たちが群れなして彷徨い歩き、変異獣は獲物を求めて徘徊している。かと言って、旧来の獣たちの脅威が衰えた訳でもなく、飢えた熊や狼、野犬やコヨーテの群れは益々、凶暴さを増している。
ある村を貴族が治めていると思えば、数キロ離れただけの居留地では、大統領が曠野全域を領有宣言している。社長が全てを『経営』してる工場跡もあれば、神官が神託に則って統治している土地もあった。モザイク模様に散らばる曠野の村々は、宗教的信仰を重んじる土地もあれば、交易で栄える居留地もあり、各々が独自の価値観や支配形態を孕んでいる。
ポレシャだって防備と徴税を独自に行う一つの共同体であるし、セフだって同様だろう。つまりは、セフと言う小さな国が滅びて、その住人が丸ごと、入り込んできたようなものだ。セフ衆ははなから行く宛がない
元より、文明崩壊《ポストアポカリプス》の世においては、人心の荒廃も著しい。全員が全員ではないにしても、セフ衆には何もかも失った難民という肩書きで悲劇の主人公を演じながら、一方ではポレシャの住民たちから何かと盗み、奪おうとする不埒者も混ざっていた。農地を買おうとしている者もいるが、百人を越える新参者に分配できる資源も土地もある筈がない。薪や食糧ですら逼迫して値が上がり、元からの住人との摩擦も避けられなかった。本人たち自身は、当然の権利と思っていそうなのがいよいよ度し難く、腹立たしい。
かと言って、露骨に先手を打つことも出来ないのが、仮にも民主政体であるポレシャにおける自警団のルールで、ニナはそれを承知の上で手伝った。法執行官にあまりの強権を付与して犯罪者に対する生殺与奪を与えてしまえば、それはそれで別の問題―――冤罪や、強権的な支配を引き起こすだけだ。ルールとは、異なる考えの持ち主が共存する為に存在している。
ややシニカルに捉えると、法執行官は表面上だけでも法を尊重し、守っているように取り繕わなければならない。大義名分というのは、大事なものだ。皆が納得しやすい幻想であり、秩序を保つためには欠かせない。
その上で、現状の「大義名分」が果たしてどれだけ現実に即しているのかは疑わしいと、廃墟育ちのニナは考えていた。ニナは長く、弱肉強食の曠野の原風景を見つめてきた。旅のさなかに砂塵に埋もれた瓦礫の街で、飢えた人々が互いを食い物にし合う光景も目にしている。法も秩序もなく、あるのは力だけだ。
ポレシャの統治は、間違いなく善政の範疇であるし、保安官も他の土地で見てきたような強権的な支配者たちとは違う。キャシディ・エヴァンスは、燃え上がるような理想主義者ではないが、理念と現実をよく擦り合わせ、より良い妥協の道を探れる類の人物で、そのバランス感覚には、ニナも度々感心させられている。なればこそ、なんらかの力になりたいと、ニナにも思う部分はあった。いや、高の知れた
厳しい現実に日々向き合っている保安官たちが掲げているのは、果たして理想的な秩序や正義なのか、或いは人々が納得できる程度の共有された幻想なのだろうか。
大きな目で見た時、治安を守るためには、灰色の者を犠牲にすることが正当化される場合もある。例えば、セフ衆の不埒者のような厄介な手合いに対して、力を振るうことはできないと分かっていても、手をこまねいている訳にはいかない。あくまで「法の範囲内」で動かなければならない。
だが「法の解釈」を行うのはポレシャの市民であるし、「範囲内」に限界があるとしても、時には、しばしば権限を越えた行動が求められることもある。結局、どんなに法を尊重しても、現実には目を瞑らなければならない時も存在するのではないか?
ニナは高い関心を持って、保安官たちが如何な判断を下すのか、注視していた。多分、年若い
※※※
日々の重苦しい空気の中、何か決定的な変化が起きつつある兆しを感じながらも、ニナや他の子供たちは、特別なことはなく、いつも通りの日常を過ごしていた。
街路や廃墟を駆けまわって遊びまわり、或いは、ガラクタなどを拾い集め、青空教室で技術や知識を学び、そして割り当てられた仕事をこなす日々は、平凡だが掛けがえない穏やかな時間に違いない。
およそ十四歳から十六歳程度を境に、居留地の少年少女もその多くが働き始める。とは言え、日雇い仕事の求人が毎日、或る訳でもなく、数日から数週間の長い仕事は、家庭を抱える大人に廻される事が多い。若者は二~三時間の半日仕事を幾つか掛け持ちするか、大半の時間をプラプラと暇に過ごすのが一般的であった。
仕事の種類も様々で、農地の耕作や収穫の手伝い、運搬、資材の整備、防壁の補修など力仕事が多いが、文字や数字が読める子供たちには記録の手伝いや簡単な書類整理を任されることもある。だが、そうした仕事に就けるのは大抵、市民や正規居住者の子弟などで、
ニナの場合は、行商の随伴とマギーの日雇い仕事の手伝いが多いが、他の子は、家計を支えるため、或いは己の活計《たつき》を立てる為の力仕事が多いようだ。
大抵は、農作業の手伝いや荷運びなどだが、中町の知り合いは、近所の家の屋根の修理作業を手伝っていた。ときには職人の親方や技術者に見込まれ、青空学校で教わった技術を活かしての廃材を使った修理作業や木工、小さな道具の組み立てを任されることもあった。これは比較的「良い仕事」に数えられる。
また、税金替わりの労役として、地区から簡単な作業を割り当てられもする。例えば、ゴミ集めや資材運び、壊れた道の補修作業などといった作業が一応、成人を迎えた十五歳以上の少年少女たちには定期的に割り振られる。これらは特別な技能を必要としない仕事だが、その分、チームワークは必要だし、各自が責任を持ってこなさなければならない。簡単な軽食と幾らかの手間賃も貰えるので、嫌がる者はそれほどいない。
青空学校では読み書きや算術の他、農業や建築の基本も教えられる。望めば、科学や化学、歴史といったより専門的な分野について学ぶ機会も与えられる。農業の授業では、植物の成長に必要な土壌の条件や簡単な灌漑システムの作り方を学び、建築の授業では廃材を活用した簡易な住居の作り方や修繕技術が教えられる。
教育内容は実用性が重視されており、廃材を使って模型を作り、実際に役立つ技術を学ぶこともあった。大工や職人の徒弟の口は限られているが、簡単な道具の使い方は覚えておいても損がない。こうして、毎日、少しずつでも生きる力を身につけていく教育を受けられるポレシャは、やはりいい居留地だとニナは思った。
その日、ニナと幾人かの少年少女は、防塁の修繕作業の手伝いに呼ばれた。これはきつい作業で、誰もが重い石や瓦礫、木材を運び、汗だくで働くことが多い。
正直言えば、マギーと共に行商で稼いでるニナにとっては行く義務もないし、賃金もさして魅力的な訳でもない。それでも、近隣の少年少女が集まるのであれば、一緒に働こうと参加しておくことにする。一つには、こうして顔を出しておくと普段交流のない同年代や、顔役の大人との伝手が後々、繋がる事も多いからだ。
現場に行ってみれば、作業員にはセフ衆の人員も混ざっている。元は仕立てが良いと思しき服装を着ている初老の人物もいて、不慣れな手つきで木材を運んでは、バランスを崩してしまう場面も見られた。初老の人物は少し気まずそうに頷き、再び木材を運ぼうとしたが、手元が覚束なく、思わず木片を落としてしまう。ニナは見ていて、気の毒になった。恐らくだが元々は村でも、一定の社会的地位を持っていた人物と見えた。それが初老に入ってから災厄に見舞われて地位も財産も失い、下層の若者たちに混じって作業をする姿は、流石に痛ましかった。
一方、作業員にはセフ衆でも、跳ね上がりと目される若者も幾人かは混ざっていた。若者たちは、無言で作業をこなしていたが、表情には明らかに苛立ちが滲んでいる。言われたことを最低限こなしているだけで、目を合わせようともしない。中には、故意に動作を遅らせていると思える者もおり、監督役の
廃墟に近い地区で募集される人員なら、こうした逸れ者の若者が混ざるのも珍しいことではない。誰だって食べなければならない。近隣で比較的、割のいい仕事を求めれば、自然とポレシャでの求人に流れ着く。
作業中、一人の若者が木材を運ぶ途中で手を滑らせた。態とかどうかは分からない。木材が地面に音を立てて転がり、周囲の作業員たちが一斉に振り向く。監督役の
「何をしてる! もっと慎重に運べ!」
若者は
昼の休憩時間になると、作業員たちはそれぞれ思い思いの場所で腰を下ろした。セフ衆の一団も、無言のまま数カ所に小さく固まって座り込んでいる。
セフ衆の幾人かは口を聞く元気もない様子で、壁にもたれて目を閉じる者や、横になって休んでいる姿も目立った。或いは、セフ衆は手を抜いてるのではなく、不慣れな作業に文字通り、疲労困憊しているのではないか。だとしたら、ニナも些か偏見を持って見すぎたかも知れない。
「この間、セフ衆が勝手に倉庫荒らしたんだ。親父には疑われるし、片づけさせられるしで、散々だったよ」町外れの少年の一人、デリックが愚痴るように吐き捨てた。
地区の人間でも、実害を被って、セフ衆に対して隔意を持つ者は少なくない。デリックも面白くなさそうだが、しかし、でかい声で言い張っても、あまり意味がないともニナには思えた。
それにしても態度の悪い若者たちではなく、初老の人物が肩を震わせ、申し訳なさそうに胸に手を当てたので、デリックも決まり悪そうにもぞもぞと動いた。
「……別にセフ衆ったって、全員が悪いって訳でもないんだから」やはり、地区の少女の一人ナイナちゃんが窘めている。もっとも、ナイナちゃんの主張も、無闇に良識的に振舞おうと言うのではなく、もっと悪い連中がいるのだから、余りセフ衆如きに掛かりきりになっても意味がないと言う見解らしい。
少年少女がセフ衆を話題にしても、しかし、反応はなかった。以前なら、睨みつけてくるか、或いは、文句を言いに乗り込んできたものだが、奇妙に大人しい。以前にはよく見かけた、粗暴な若者たちの姿も見ないし、残った若者たちも随分と大人しくなっている。
(……あれ?なんか、妙な雰囲気だな)
その時のニナは、しかし、軽い違和感を覚えただけだった。
その日を境にセフ衆はいきなり大人しくなった。正確には荒っぽい一派が弱体化して、穏健派が主導権を握ったと言うべきか。当然だが、穏健派の方が数が多い。今までは、跳ね上がりの若者に不満を抱えた大人衆、感化されやすい少年少女などが荒っぽい一派に引き寄せられていたのだが、何があったのか。急に姿を見掛けなくなった。
不平屋である泥棒兄弟の親父も、居留地で見かけた時には、道の端をひどくおどおどした様子で歩いているのを見て路地裏の王女さまと一緒に首を傾げたものだ。
「トリスの話では、廃墟で数人、行方不明になったそうなのだわ。探しに行って二次遭難。それで、声の大きな一派が随分と大人しくなったそうなのだわ」路地裏の王女さまの言に、ニナが目を瞠った。
「……なんじゃそれ?……なんで、トリスと仲良くなってるの?」
「え?そっちなの」路地裏の王女さまが首を捻った。
「……トリス。どうして私にそんな大事な話を教えないん?」ニナが鼻息荒く地団駄を踏んだ。友人と友人が仲良くなることに何故か釈然としないのか。役割が揺らぐとか、疎外感とか、分析するがどうにもモヤモヤは収まらなかった。
「昨日なのだわ。丁度、ニナが留守の時にマギーんところで会って世間話したのだわ」と楽しげな王女さま。ニナは唸りを上げたが、兎も角、関係ない所でニナの頭を悩ませていた問題はこうして解決した。
穏健派も勢力は集まっているし、居留地の後援もあって指導力を発揮し始めれば、セフ衆の不穏な動きも沈静化していくかも知れない。セフ衆だって、理解し難い風習を持った遠来の人々でもない。丸く事態が収まるなら、それに越したことはないのだ。
「……こういう事もあるんだなあ」空を見上げてニナは呟いた。
善良な人間が廃墟に飲まれて死ぬこともあるなら、嫌な奴らだって危険な世界に屈することもある。それもまた現実だった。
※※※
自由都市ズールの商業区でも、市民地区に近い一角には特に賑やかな通りが広がっている。人々が行き交い、呼び込みの声が飛び交う中、高級服店の扉が静かに閉まる音が響く。店の中には、絹や毛皮、細工が施されたボタンやレースが美しく並んでいた。薄明かりの中、マギーは手にした品をしっかりと握りしめながら、外に出てきた。
随分と高いコートを購入した。二着目であった。替えの商用の衣服としてだが、二千クレジットと言う金額は、恐らく都市の市民階層にとってさえ高級品だろう。
「まあ、これ以上の服はもう買わないだろう」コートを眺めながら、マギーは軽く肩をすくめた。
「二千も、三千も、仕立てや材質はさほど変わらないし、それに、服を保管するのに手間だしね」マギーの言に、ニナも頷いた。まだまだ夏は続くし、秋でも稼げるとは言え、流石にこれ以上の出費は心もとなかった。しかし、それにしても、いつの間にやら、二千や三千の金では動じなくなってることにニナは気づいていた。
店を出て、ゆっくりとした足取りで市民区画を散策する。壁外の喧騒と比べて街路の涼し気な空気が一層感じられる。歩道に並ぶカフェや食べ物の露店など賑わっている通りは、まるで文明崩壊前の世にも見えるが、マシンガンやライフルを携えた黒服の姿が、街路や見張り塔に見え隠れするのを見れば、やはり曠野の海に浮かぶ小さな人の領域なのだと改めて緊張感をもたらした。
「ふぅ」と息を吐きながら、マギーはゆっくりと歩き出す。ニナもその後ろをついていく。通りには、豪華な服装をした有力市民や商人、その他の市民や正規居住者が行き交い、道の向こうには立派な商館や近隣の有力農場主の館、取引所の建物が目を引く。建物の石壁は、長年の歴史を感じさせ、商業区画特有の活気に満ちている。
区域は門で区切られている。そして石造りの高い建物の屋上や二階、三階のテラスなどには、別の建物へと通じる渡り廊下が掛けられていた。
マギーが指を指して、説明してくれる。緊急時……例えば、変異獣の群れや疾走屍《ランナー》の群れなどが攻め寄せてきたとしても、都市警備や有力市民の私兵らは、屋上から弾丸の雨を降り注いで怪物や略奪者の侵入を防ぐ仕掛けになっていた。
鉄製の渡り廊下は簡単に外れるようになっている。いざという時、頑健な建物は、その全てが一個の城砦やトーチカとなって、侵入者たちに出血を強いるのだ。
市民区画の防備は、ほぼ鉄壁に見えた。膨大な銃弾が備蓄され、数十丁とも、数百丁とも言われる高性能な銃器が配備されているそうだ。数十人の略奪者《レイダー》徒党や屍者の群れ、数百の変異獣の攻撃でさえ、防ぎ切ってみせるに違いない。
猛々しい牙を隠しながら、しかし、一帯は、金属と木材で作られた高級な商品を売る店々が輝くような明かりを照らし、精緻な鋳物や宝石、精巧な工芸品がショーウィンドウに並べられている。周りの空気は、繁忙の中にもどこか洗練された静けさが漂っている。
マギーは手にしたコートの包みをしっかりと持ちながらも、ニナにもたれかかってふざけている。市民区画であれば、スリやかっぱらいの心配も殆んどしないで済む。警備たちが地区の門で不審者をシャットアウトしているのだ。百クレジットの服を着ていても、門番たちには鋭い目を向けられたものだが、数千の服を着た頃から、ほぼフリーパスとなっている。
「次はどの店に寄るの?」ニナの問いに、マギーは軽く肩をすくめた。
「お茶でも飲もう。こういう場所で、たまにはゆっくりするのも楽しいよ」二人は賑やかな通りを歩きながら、次の行き先を決める。
現状、二人は一回の行商で四百クレジットから、多い時には八百クレジットを稼ぎ出している。同じ程度に稼いでいる行商人もいるだろうが、二人の稼ぎの大半は都市通貨によって占められている。
行商の現場では、食料や雑貨との物々交換も少なくない。小さな集落や居留地では現金が足りず、農作物や手工芸品で支払われることも多いのだが、それらを都市で売り捌かなければ利益にはならない。だが、物価の高い都市部では、こうした物々交換は不利に働くことも多い。宿代の支払いに物資の仕入れなど、集落や居留地と都市を結ぶ行商にはそんな苦労が常につきものだ。小さな集落と都市を結んで取引する行商人にとって、これは大きな課題と言えた。
マギーたちは、課題を上手く克服した。都市通貨を直接手にする機会が多ければ多いほど、経済的な安定は増す。手元にまとまった現金があるという安心感は、零細の行商人にとっては特別なものだった。ニナもマギーも、金を稼ぐことに慣れ始め、いちいち驚きはしなくなったものの、それでも数百クレジット、数千クレジットの紙幣や銀貨を数える瞬間には、胸が躍る気持ちがあった。
今のマギーたちが、そこら辺の
流浪の民などが、貴金属の装飾品として財産を持ち歩く境遇が理解できる。有力な動産や土地に根差した財産を購入する伝手が無いので、結局のところ、行商人になっても服に費やすくらいしかないのだ。もっとも、服飾品は貴金属に比べると価値の保存性が低い。新古品でも精々、定価の七割から半額以下、古着では高くて四割から三割程度の価値しか残らない。
行商人には、他の使い道もある。馬車に驢馬やポニー、或いは牛などを買うべきだろうか。行商人にとっては定番とも言える財産だが、それらの維持には金も手間暇も掛かる。役畜には一年を通して餌を与え、時間を割いて世話しなければならない。病気になった役畜には、薬を買い与えたり、治療もする必要があった。
いずれは、手が届くようになる。買うとすれば、まずは驢馬だろうか。しかし、今はまだ、時間のリソースも足らなければ、知識や伝手もなかった。
「……牛とか、驢馬とか」ニナの言にマギーは首を振った。
「世話の仕方をあまり知らない、まだ無理だね」
「まだ?」ニナが尋ねる。
「まだ」とマギーは頷いた。或いは、怯んでいるのかも知れないが、金を作ったから驢馬を買おう、ポニーや牛を買おうとは気軽には決断できなかったのだ。今はまだ。
夕暮れの市民区画を歩く二人の行く手には、街の喧騒とともに、わずかな静けさが広がっていた。
8月上旬
→3395クレジット 高価な商用の服を購入。