十月に入った。暦上の秋は十一月まで残っているが、寒さの厳しくなる晩秋には、街道上の旅は避けるべきだとマギーもニナも結論している。
すでに簡易宿泊所に泊まるだけの金は溜まっている。と言うか、最近では、一度の行商で得られる稼ぎがかなり大きく、長期契約分の宿泊費二人分を、一度の商売で稼ぎ出す時もあるほどだった。
去年の秋には、目標額に届くのか。不安な想いを抱きながら、過ごした夜もあった。今だって、町外れ地区には冬越えの為の宿賃、薪や食料を必死になって貯めている
マギーが身内と見做してるトリスにリリー、ジーナはすでに冬越えの宿を決めていた。他の者たち。市民や正規居住者、稼ぎと家に不安のない古参の
町外れ地区や小地区、廃墟には医者だけではなくでジプシーの老婆のような薬師もいる筈だが、生憎とマギーはまだ知り合っていなかった。薬や薬草の生産量には限りがあるし、医者や薬師だって滅多にいない。そして誰だって、貴重な繋がりは生命線として秘匿しているものだ。手持ちに余裕のある行商人のマギーたちも、幾らかの風邪薬や消毒薬、包帯に抗生物質などは買ってある。それもない人々が生き残れるかは、それぞれの慎重さや計画性、そして究極的には運だけが決める。怪物や無法者、野生動物に襲われたり、激しい冬の嵐に家が壊れたり、食べ物に当たって命を落とすものもいる。思わぬ相手と、突然にもう会えなくなる日が来るかもしれない。
だから、マギーも、ニナも、一日、一日を思い残すことがないように友人たちとの時間を大事に過ごしていた。冬の前に結婚式を行う恋人たちも、春よりは少なくなるがいない訳ではない。もう会えないかもしれない、と言う気持ちが後押しするのだろう。
近所で結婚式があって、マギーとニナも招かれた。あまり親しい訳でもないのだが、なぜか招待された。マギーちゃんは懐の余裕がある。それは近所一帯で知られている。
「出費が増えるぅ?!」マギーが嘆きつつ、一応、祝宴のやや真ん中寄りの席に招かれて、適当にジャガイモのピューレに大鼠の肉を混ぜた料理をエールとともに摘まんでると「見栄を張り続けては、多少、稼いでも長く続かんよ」隣席の中年男に忠告された。
居留地の下層地区と言っても、長く暮らしてきた者や抜け目の無いものらもいる。全員が全員、貧しい訳でもなく、中には小金をため込んでいる者や、ささやかな商売が上手くいってる者もいるが、考え方は違うようだ。
質屋の中年男は、吝嗇で知られている。マギーの行動は、見栄だけでもない。おのれの中にある気持ちの整理。生かしてくれている共同体への感謝の気持ちの発露なのだが、それは口にするには些か気恥ずかしかった。もっと親しい相手なら、衒いなく告げただろう。しかし、見知らぬ相手に胸の内を明かすには、ふさわしい席とも思えずに、苦笑めいた微笑みを浮かべると、礼を言いに来た新郎新婦に対して杯を掲げたのだった。
※※※
ポレシャは想像以上に巨大な居留地だった。聳え立つ防壁はセメントと廃車で構築されて驚くほどに分厚く、ライフルを持った幾人もの歩哨が見張りに当たっていた。
門前でさえ木製家屋や大型天幕、修繕された廃屋が街並みを為しているが、屋上にはクロスボウや火縄《マッチロック》銃、燧発《フリントロック》式のライフルなどを携えている者たちの姿がちらほらと目立った。さほど人数は多くないが、民兵なり、自警団なりが常時、見張り塔や屋上から、怪物や無法者に対する警戒を続けているようだ。
ワイトは怯んだものの、いつも通りに自信満々なヘイズは、仲間たちを引っ張って堂々と街路を練り歩いている。まずは、市民区画に乗り込もうとするヘイズだが、計画はいきなり蹉跌した。十名の大人数で防壁内に入り込もうとし、門番に止められて追い払われたのだ。一旦は、大人しく引き下がったヘイズだが、受けた屈辱に怒りは収まらない。「何を笑ってやがる!」ワイトは理不尽に殴られ、幼馴染のナルや他の者たちも嘲笑を浴びせた。
「……全く田舎者ってのは嫌になるよな」門番たちを眺めながらのルークの呟きに、「所詮は、田舎者だからな」ヘイズが鼻息も荒く、吐き捨てつつも溜飲は下げたようだ。
「で、どうする?成り上がるに拠点は必要だよな」
「おう。仕方ねえ。まずは町外れで金と手下を作るか」ヘイズは前向きに動き続ける。町外れに乗り込み、廃屋に乗り込んで、本人の話では、先にいた乞食に襲われたんで殴り倒してやったそうだ。
直前に別行動として、ワイトを連れ出したルークが、少し離れた場所で壁に寄りかかった。煙草を咥えると、踵でマッチに火を付けてゆっくりと一服する。
「ル、ルーク、早く戻らないと……」ワイトがワタワタしてると、ルークが鼻を鳴らして言った。
「このまま、ずらかるぞ。ありゃあ、人の家だ」
「……だ、だけど」ワイトが脅えたように背中を振り返り『仲間』たちの乗り込んだ廃墟を眺める。
「な、なら、止めないと」ワイトに対して、ルークは呆れたように鼻を鳴らした。
「ヘイズが言って止まるやつか?」
頭目に対する反抗的な言動に、ぎょっとしたようにワイトは目を瞠った。
「ポレシャは、バホラよりずっと強力な街だ。人口は、バホラの方が多いかもしれないがな。此処じゃ、バホラの有力者の息子なんて何者でもない」
「……ル、ルーク。聞かれたら?!」
「お前、道連れになりたいのか?ここにきてもヘイズの奴隷か?」
「ル、ルーク?」ワイトは戸惑っていた。
「俺は御免だぜ。お前もそうしろ」ルークは、ヘイズの手下になる前、幼い頃の兄貴分だった時のように少しだけ優しく、だけど、ワイトが愚図愚図と見ているうち、老婆の助けを求める叫び声が廃屋から響いてきた。
「早速、やらかしやがったな」苦い顔で手巻きの煙草を吐き捨てたルークと、立ち竦むワイトの眼前。近くの空き地から物凄い勢いで背の高い軍服女が飛び出してきた。
低い姿勢で廃墟の間を影のように縫いながら走り抜けると、件の廃屋の近くに隠れてるルークとワイトも鋭い目つきで見つめたが、そのまま、悲鳴の聞こえた廃屋へと突進。小さな瓦礫を踏み台に二階の窓へと飛び移ると、中へと入り込んでいった。
「……なん、あれ?」
「軍閥の元強化兵かなにかか?」ルークが呟いたが、事態はそれで終わらない。路地裏や廃屋の、物陰にしか見えなかった天幕の奥から、武器を構えた連中がぞろぞろと出てくる。中にはクロスボウを携えた連中さえいて、廃屋に向かって進んでいった。
ルークは肩を竦めていたが、ワイトは真っ蒼になっていた。
「た、大変だ……」
「ここを離れるぞ。危険だ」ルークが告げる。
「だけどみんなが」ワイトが呟くと、強い力で引っ張った。
「分からんのか。さっきの女に俺たちも気づかれてる。それに他にも気づくやつはいる。こういう危険な土地の住人は、恐ろしく嗅覚が鋭いと相場が決まってるんだ」
強引にルークに連れられて、町外れ地区でも随分と離れた場所へワイトは駆け込んだ。住民たちに追われてヘイズが失踪し、数日はビクビクとしていたが、ルークが探してきた野良仕事や土木作業やらで稼ぎながら、木賃宿に泊まって過ごしているうちに大分、気持ちは楽になってきた。そもそもがワイトも、ルークも、ヘイズの暴走に巻き込まれて流れてきたようなものだ。故郷にもそう簡単に戻れない事情がある以上は、ポレシャで生活を立てていくしかない。季節はすでに秋もなかほどに差し掛かっていたが、冬越え出来るか、手持ちの金と賃金を足してもギリギリでしかない。バホラ紙幣も、遠来の地では本来の二~三割の価値しか持ってない。それでも、工房都市《バホラ》の通貨はまだましで、バホラ近隣の小集落の小銭や紙幣など、ポレシャでは一ペニーの価値すら持たなかった。
もっとも、元々、ワイトは殆んど金を持たされてなかった。途中、街道筋の宿場町やら、交易市で小まめに両替していたルークは、バホラを出た時の財産を減らさず、むしろかなり増やして居留地通貨へと変えていたようだ。最初の数日は、ルークが宿代や食事代を出してくれたが、今はワイトは自力で払っている。
居留地の木賃宿では、僅かな小銭で雑魚寝する大部屋に泊まることができた。廃屋を改装した木賃宿は多少、値が張るが、天幕に見張り付きの木賃宿や泥に土の家屋の木賃宿なども探せば、すぐに見つかった。二人は金を節約するために、かなり安い方の木賃宿に泊まっている。それでも、連日の宿泊費は馬鹿にならないし、物を盗まれるかも知れないが、少なくとも雨風を凌げるし、怪物にも襲われにくい。
「悪かったな」ある日の仕事を終えた夕刻、木賃宿の大部屋に寝ころびながら、ルークが唐突に告げた。
「な、なにが」訳も分からず、ワイトは聞き返した。
「ヘイズと出会った時だ。俺と一緒だったから、お前まで目を付けられた」ルークが淡々と呟いている。
「ナルも」苦渋に満ちた声で言いかけたルークを「そ、それは、違う」ワイトは遮った。
「ヘ、ヘイズを選んだのは、ナルだよ」ワイトは言った。
「仕方なかったとしても……流されるのが楽だったとしても……みんなと一緒になって俺を馬鹿にすることを楽しんでいたのは、ナル自身なんだ」今までは認めるのが苦しく、向き合えなかった事実を口にしながら、むしろ、ワイトは重荷が外れたようにさえ感じた。
「ルークは、ずっと助けてくれてた。今も」ワイトの言葉に、「そうか」ルークが小さく呟いて寝ころんだ。
「明日も早い。二週間分の仕事にありつけた。初日から遅刻する訳にもいねえ。寝るぞ」目を閉じたルークの横で、「う、うん」ワイトは頷いた。
小作と一口に言っても、内実は様々であった。自由都市やポレシャなどでは、土地持ち農民より遥かに稼いでいる裕福な小作農もそう珍しくないが、バホラの地においては、小作農は単なる下層民でしかない。貧しい小作農の倅として、閉鎖的な共同体で有力者の子弟であるヘイズにずっと搾取され、踏みにじられる人生よりはましかもしれない。ワイトはそんなことを思う日もあった。
その日も野良仕事を終えたワイトとルークは、簡単な料理を食わせてくれる飯屋で、金属の皿に盛られたよく分からない料理を腹に搔きこんでいる。
値段の割に旨くて量があるので、人気がある飯屋だった。ただ、材料は分からない。廃墟に近いからか、時々、がさがさと音がする袋を担いで、浮浪者や浮浪児が店の裏手へ入っていくが、気にしないようにしている。
「……ワイト?」突然、声を懸けられてワイトは戸惑った。
周囲を見回してると「やっぱりワイトだ」駆け寄ってきてほほ笑みかけてくる娘は、記憶にあったバホラの幼馴染の一人だった。
「……ニニ?」呆然と呟いてるワイトに「ポレシャまで一緒に来たんだよねぇ。また会えてよかったよ」ニニが言ってきた。だけど、ずっと覆面してた他の随員にニニが混じっていたなんて、ワイトは知らなかった。
「ねぇ、他の人たちはいないの?」ニニは、きょろきょろと探してる。
「安心しろ、俺とワイトだけだ。他の連中とは袂を別った」ルークが横から口を挟んで「そう、それは……よかったねぇ」ニニがワイトの手を両手でつかんだ。
若い娘に手を握られて、ワイトはドギマギした。
「うん」とだけワイトは呟いた。
「今は、居留地の農場で働いてる」ルークが言って、「そっちは?」とニニに尋ねた。
「同じだよ。こっちは西の農場」とニニが応え「そうか」ルークが何やら頷いていた。
「じゃあ、また会うかもな」ルークが言って
「会えるといいねぇ。ワイトも」言ったニニが頬を赤く染めた。
「うん」とワイトは頷いた。
「また、会おうねぇ。ワイト……それと」ニニが言って「ルークだ」ルークが応えた。
「うん」とワイトは頷いた。
手を振って離れていくニニ。ルークがフッと笑って、ワイトの背中を肘でつついた。
「ワイト。また顔を合わせることもありそうだな」
「うん」とワイトは頷いた。
「しっかりやるんだぞ」とルーク。
「な、なにを?」
十月上旬
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