黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

147 / 157
03_42 砂の工房都市 バホラ

 バホラは荒涼とした砂漠の淵にぽつりと孤立するように存在している小さな工房都市であった。背の高い焼き煉瓦の壁と幾つかの小さな見張り塔が、砂嵐と屍者の群れ、そして変異獣の群れを防ぐためにバホラを取り囲んでいた。

 

 壁の外側には、乾いた砂漠が何処までも広がっている。熱波の揺らぎに遠く浮かび上がるのは、過去に滅びた居留地の廃墟――砂に埋もれたセメントの遺跡や倒壊したビル。今では人が住むことはなく、時折吹き荒れる砂嵐が廃墟の残骸をさらに飲み込みつつある。

 

 工房都市の命脈を支えているのは、砂漠そのものだ。 砂は、ガラス細工の主要な材料であり、砂漠の風景は無尽蔵にその資源を供給してくれる。バホラの住人たちは、この大地の恩恵を受けつつ、厳しい自然環境に耐えながら日々の生活を築いてきた。壁の中に広がる街並みは、窯元を中心に形成されており、家々は土煉瓦と粘土で作られた低い建物が大半だ。窓は小さく、日差しを遮るために厚い布で覆われていることが多い。市街地には高い建物がほとんどなく、砂嵐を避けるために低く抑えられている。

 

 

 大型居留地、或いは小規模な都市ともいえるバホラだが、他所との交流は殆んど断絶している。バホラへと続く街道には、所々、ライフル弾でさえ、早々に死なない強力な怪物が砂に潜って生息しており、また広大な曠野には殆んど水場や居留地も存在しておらずに、過酷な旅をしなければならない。ゆえにバホラは孤立していた。時折、ガラス細工を目当てに、昔からの隊商や行商人が訪れるだけで、よそ者とは殆んどトラブルらしいトラブルも起きなかった。近隣の交易路に巣食った君主《ロード》も、略奪者《レイダー》と呼ぶには比較的に穏健な性質の持ち主で現状、僅かな貢物で十分に満足しているようだった。

 

 取引の便宜上、ガラス職人の親方や窯元の一族は、対外的にバホラの氏を名乗っている。有力な窯元の遅く生まれた末の息子、ヘイズ・バホラは傍若無人な若者だ。

父親の庇護のもと、閉じた社会で度々、トラブルを起こしてきたヘイズだったが、街で見かけた美しい娘に強引に手を出したのが拙かった。

 

 生憎と、相手が他の有力な窯元の嫁入り直前の娘、かつ評判の佳人で、これまでのように強引にもみ消すなど到底、不可能であった。日中堂々の犯行に、替え玉を出すことも出来ず、ヘイズの父親は、責任を取らせて息子と結婚させようと提案したが相手の親は到底、収まらない。娘を傷つけられた怒りに加えて、名誉まで汚され、武装した身内や伝手のある警備兵を集め始めると、市内でのにらみ合いへと陥った。すわ、内戦ぼっ発かという局面においてさすがに評議会が仲介に入ると、父親もかばいきれず、ヘイズにバホラより十年の追放と言う処分が下された。

 

 

 勿論、ヘイズの父親は、我が子を一人で外の世界へ放逐するつもりなどなかった。隊商経由に旅の手配を済ませると、息子を守るため、優れた若者たちを選び出した。一家の家人で幼い頃から行動を共にしているジオ、警備隊の若手で腕利きのドマ、そして遠縁のクルスの三人は、ヘイズの父親が態々、用意したお供兼お目付け役で、それから荷物持ちとして数人の若者と情婦としての娘たちを雇い入れた。

 家族の世話を約束して―――要するに人質だが――――息子に仕えるように言い渡す。普段から、息子の取り巻きで、それを止められなかったお前たちにも責任はあるが、贖罪の機会をくれてやろうと尊大にも言い放った。

 

 とばっちりを食らったのがルークだ。元より好きで、ヘイズの徒党に加わっていた訳ではない。ジオは考え足らずの乱暴者だし、ドマは口で言う程の実力はない。クルスは、その場その場を取り繕うだけで利口であるが、賢さなんて欠片も持ってない。

 しかも、ヘイズが事件を起こした日には、ルークは別の場所で働いていたのだ。

 金持ちの馬鹿息子に人生を狂わされっ放しのルークだが、目的地がさらにひどい。

 地平の果てのポレシャ。治安が良くて防備が整っており、金さえあれば比較的に快適な生活を送れる大型居留地だが、あまりにも遠すぎた。娘を傷物にされた父親が刺客を放ったとの噂もあって、近隣の居留地では、ヘイズの安全が保証出来ないらしいが、生きた心地がしないのはルークの方だった。

 

 それでも出来る限りの財産を金に換えると、半分を家族に手渡してから、ルークは生まれ育った工房都市に別れを告げた。

 

 早朝の地平には闇が蟠っていた。これからどうなるか、先のまったく見えない流転の人生へ、そうしてルークは足を踏み出すことになった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 十月の中旬に差し掛かった。この期に及んで冬越えの準備が整ってないものや不安があるものは、同じような境遇の者たちと物資と住処を共同して冬越えに備えつつあった。とは言え、そうした仲間が見つかる者と言うのは、大抵、ちょっとした不運や不注意に、僅かに物資が足りないもの。数を合わせれば、ほぼ間違いなく冬を乗り越えられるものたちであって、大きく足りない愚か者や怠け者と言うのは、もう身売りするか、一発逆転の賭けに出るかしか、残されていない。

 

 酒場で飲んでたマギーとジュースを飲んでるニナのテーブルに、顔見知りの自由労働者がやってきた。

「……巨大蟻で、畑が潰れて。なんとかやってきだけど。もう、薪も、飯も、どうやってもたりねえで」

 

 小金が出来てからのマギーは時々、近所の者を招いて食事を振舞った。師匠であるオーがそうしていたのもあるが、下層地区で余計な嫉妬を買わない為と、マギーなりに気に入ってる人々には恙なく過ごしてほしいと、当初は、それくらいの気持ちだった。それがそのうち簡単な仕事についての悩みなどを持ち掛けられ、相手の人格を見てから、ちょっと顔見知りの農場主や土地持ち農民などに紹介することもあった。

 勿論、何かをしでかしたら、マギーの責任になるので、人選は慎重に行っている。

 今となっては結構、深刻な相談を持ち掛けられることも増えてきた。

 

 飲食を中止したマギーは、相手の自由労働者をまじまじと眺めた。

「ポレシャにやってきて、初年度だったな。確か、やってきたのも夏の終わりごろ」着の身着のままで村から流れてきて、金を貯める時間も無かっただろう。

 少しだけ考え込んだマギーは、脳内の伝手を幾つか思い浮かべる。

「『陛下』の徒党は、もう人数もいっぱいだな。ガライ家の作男に余裕があったはずだが……」マギーの言葉に、ニナがメモ帳を見た。

「……二か月前は、まだ空きがあったよ。でも、秋口だし他所の誰かが埋めてるかも」

「ううむ、間に合うかな?」マギーも不安そうにつぶやいたが、自由労働者に向き直った。

「手を見せて?」

 手のひらを掴んで、眺めてから、肯いた。

「……確かに農民の手だね。二年か、三年、安い給料で使われるけどいい?」

「そんで冬が越せるなら、もう!」

「聞いてたと思うけど、必ずしも、ではないよ?

 兎も角、家族で、この紹介状を持って、郊外のガライの家へ。

 マギーの紹介だと。ガライ家のおじい様か、娘さんに。ただ、いけるかは保証できないよ」それでも自由労働者は、何度も礼を繰り返した。

「ありがとう」

「渡す相手は、おじいさんか、娘さんだよ?他の人だと面倒見切れるかって追い返されるかも知れない。それと気を付けて。結構、怪物やコヨーテなんかもうろついてるから。ハンターの小屋を頼りにして。幸運を」色々注意して手を振ってから、マギーはため息を付いた。

「妙な仕事が増えたものだわい」呟いたマギーを面白そうにニナが眺めていた。

 面倒見の良さが招いているのだが、本人は気づかないものらしい。初期のマフィアやギャングなども含めて、地域の世話役など、似たような形から始った結社や共同体は少なからずある。ある意味で弱肉強食の時代、それなりに身を立てられそうなマギーを見ているのは、ニナにとっても面白かった。問題は、同時にマギーの事を好きになったので、危ない状況では非常に心臓に悪いという事だった。

 

 

「結婚、してください!」

「はい、喜んで」

「正気に戻れ!顔はいいけど、顔だけだぞ!金遣い荒いぞ!」

「だけど、俺。俺、もうこれを逃がしたら結婚できない」

 辻で繰り広げられている問答は、等身大の人間ではなく、パペットであった。箱の中で巧みに動き回ってる騙される男とその友人、騙す女の人形劇に、観客がわっと沸いている。

 

 旅芸人たちが行う人形劇は、巧みかつ、よく練られていて、過去のテレビ番組で使われていた人形の商品を本来の配役関係なく、或いは逆さまに使っての人形劇に拍手をしている年配の夫婦。笑いながら冷やかす若者たち、訳も分からず笑ってる子供たちと、気まずげに互いを見る少年少女などの間を、小人が大きめの帽子を持って走り回っている。

 

 各地区の広場の片隅には、旅芸人や隊商、或いは遊牧民などの馬車が止められ、天幕が張られている。巨大蟻の侵攻以来見なかったが、戻ってきたらしい旅人や放浪民たちの宿泊地は、各地の大型居留地での冬の風物詩でもあった。

 

 マギーとニナは、雑貨屋で仕入れの打ち合わせをした帰りに通りかかっただけで、自由都市で映画などをいくつも見ている二人は、さしたる興味を持たずに通り過ぎた為『騙される男と騙す女』の話がどのような結末を迎えるのかは、分からなかった。

 

 他にも旅芸人たちなどが芸を見せたり、遊牧民や隊商が小さな店を開いている。小さな天幕から強烈な煙と光が発したので、なにかと思えば、めかし込んだ家族連れがフラッシュパウダー式の写真機で記念撮影を行っていた。今の曠野には珍しい写真屋をしているらしい。

 居留地の規模の割に宿営地が大きいとも感じられるが、防備が整っていて過ごしやすい土地となると、やはり人が集まりやすいのだろうか。ただ、集まる人々の中には油断ならない者も少なくない。盗賊団《バンディット》や略奪者《レイダー》の斥候や偽装部隊が、商人や労働者、旅人に成りすまして侵入しようと目論むこともある。守りの堅い小型の都市や大型居留地などが、そうした騙し討ちに前に陥落して、滅亡した事例もある為に、身元調査は入念に為されている。大人数の集団がまとまって宿営地で過ごす際は、隊商や旅芸人ギルドの身分証を持っているか、遊牧民部族の有力な長の紹介状を持っているかなどが重点的に確かめられる。

 

 特に、人の出入りが増える市の日や祭りの期間には、保安官や民兵たちも一層の警戒態勢を敷いている。

「……油断するなよ。あいつら、子どもや老婆まで成りすます」先代保安官は、そう言って警告していたし、実際、過去に小さな隊商を装った盗賊団が、夜陰に乗じて居留地倉庫を襲撃した事件もあった。身分証は本物だったが、元の持ち主たちは皆殺しにされて背乗りされてたもので、その時は奇跡的に犠牲者が出なかったものの、緊張が街全体に広がり、居留地の人々の間に不安と猜疑心を残して、暫くはよそ者に対するあたりが厳しかったそうだ。

 

 

 ピエロの女性がボールの上に乗りながら、ナイフのジャグリングをしているのが目に入った。思わず、感心してマギーが眺めていると、さらに宙返りして、ボールの上に着地してみせた。

 観客たちが感心したように、ほうっと息を漏らした。

「……嘘だろ」身体能力に自信を持ち、ある程度、曲芸に近い技を行えるマギーであり、ニナであるから、逆に今の技前を目にして、唖然としている。ピエロの赤い帽子がふわりと空中に舞ったかと思うと、次の瞬間にはまた頭に収まっている。

 

 まばらな拍手。ピエロが玉乗りしながら、二股にボールのついた道化の帽子(ジェスターズ・キャップ)を手に観客の間を廻ってきた。感心したので、マギーはそれなりの高額貨幣を数枚、差し出された道化の帽子(ジェスターズ・キャップ)へと入れてやった。

「ありがとう」ほほ笑んだピエロが、しかし、マギーの顔を見て、首を傾げ、「あれ?マギー?」尋ねてきた。

 怪訝そうにピエロを眺めたマギーが目を瞠って「……サラ」と呟いた。

「またか?また、昔の女か?」可愛らしくマギーの腕に抱き着いていたニナが、マギーの首元におぶさってきて尋ねてきた。

「違う、違います。ただの知り合いです。同僚その三とか四です。サラから見たわたしもそんな感じです」マギーが言い訳するも「ほんとぉ?ジーナの時も、最初はそういったぁ」ニナがマギーの耳元でささやいた。

「人口千人の過ごしやすい街だし、数十人いた昔の仲間の一人二人と会っても不思議ないよぉ?」マギーは無実を訴えた。曠野は人口が薄い土地だった。数十人の仲間《スネイクバイト》が生き残っていて、マギーは人口千人の街《ポレシャ》で暮らしている。或る日、古い仲間と会うのは、それほど低い確率でもない。

 それはそれとして「マギーは私のだからね」ニナはマギーの耳たぶを軽く噛んだ。

「ふぁ、ふぁい」マギーがろれつの廻らない口調で頷いた。

 最近のマギーは、新しい自分を発見していたのだ。

 それはそれとして、二人のプレイに巻き込まれたピエロ娘のサラは、明らかにドン引きしていた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 当然の話と言えば当然だが、一般的には何処の居留地であろうと曠野や廃墟に面した外縁部の土地が一番地価が安い。ポレシャにおいても『町外れ』から『中町』、『門前町』、そして防壁内の『市民居住区』と中心地に近い地区ほどに物価――――家賃や宿泊費、食費などが高騰している。

 

 町外れであれば、ほぼ、ただ同然の地価が中町の場所によっては数倍に跳ね上がり、さらに固定資産税が課されるようになる。門前町ではさらに倍。防壁内ではその五割増し。ただし、被服、食費においては値段相応に質も向上しており、防壁維持費と言う税金も、目に見える形で費やされている為、物価の差に対する不満は現状、それほどは大きくない。

 

 いずれにしても木賃宿の宿賃も、壁外三地区のうちでは町外れがもっとも安く、大部屋の雑魚寝となれば、二、三日に一度、日雇い仕事に出ていれば、余裕をもって泊まり続けることが出来る。ただ、それでも連日泊まるとなれば、積もり積もって馬鹿にならない負担となるし、冬には薪代を自弁しなければならない。他所からやってきたばかりの若造、ルークとワイトには、助けを求める伝手も無ければ、転がり込める寝床もない。一刻も早く金を貯めなければならなかった。秋も終わりに近づき、冬越えには色々と金や薪代も必要になる。

 

 

 

 

 食費はこれ以上、削ることは難しく、そうなれば削れるのは宿泊費だけだ。同宿の渡り人(オーキー)や自由労働者、浮浪者《ホーボー》から話を聞きこんだ二人は、より安い宿を求めて廃墟により近い小地区へと宿を移すことにする。

 幾つかの候補はあったが、例えば、セフと言う地区は、同じ土地の出身者で固まっているらしく、あからさまによそ者を歓迎しない空気だったし、他にも治安が悪かったり、廃墟に近すぎたりと数日を歩き回ってから、二人は比較的に『町外れ』に近く、安全と値段のつり合いが取れていると思えたレジと言う場所に腰を落ち着けた。

 

 『町外れ』より随分と防備は薄くなるものの、その分、宿賃もかなり安く抑えられた。仮にも小地区なのでそれなりに治安も保たれている――昼間のうちは、だが。

 

 地区を囲む防壁は、薄い木板と木柵、そして積んだ土嚢だけで、ところどころ腐って脆くなっており、門番の装備も手製クロスボウに粗末な槍と劣悪な上、夕暮れ時には、各々の家へと引き揚げてしまう。

 

 日没後の小地区は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。窓や扉は固く閉ざされ、わずかに灯る明かりも厚手の布で覆い隠されていた。人狩りや屍者、あるいは野生動物を引き寄せるのを恐れているのか、住人たちは息を潜めて、夜が明けるのをひたすらに待ち侘びる。

 

 時折、遠く『町外れ』から聞こえてくる音楽や人々の笑い声が、夜の静寂に不気味なほど響いてくる。その一方で、小地区の夜は異様なほど暗く静寂に満ちていた。

 街灯のカンテラやドラム缶の焚火もなく、火を灯す建物の窓さえ見かけない。

 息を殺したような重い空気だけが漂う闇夜の中、住人たちは怪物や無法者の潜む闇を恐れるように建物や天幕へと閉じ篭りながら、迫りくる冬の足音に脅えていた。

 

 結局のところ、数家族単位から数十人の暮らす小さな集落の生活など、何処であっても不安定なものだ。廃墟の方にも隠れ集落が点在しているようで、若く無鉄砲な渡り人(オーキー)や自由労働者には、比較的に浅瀬で寝泊まりする者たちもいるようだが、幾ら宿賃や食費が安くついても、流石に治安や安全を考えると引っ越す気にはなれなかった。

 

 町外れや中町では、鶏小屋を作り、或いは街路に豚を放って肉を自給しているが、野犬やコヨーテ、変異獣の影が彷徨い、治安も悪い小地区では、中世のような低レベルの放牧を行うことですら難しかった。それでも人々は、大鼠や犬猫を飼い、食用茸を養殖し、壊れた炭の粉末から作られる炭団子に、乾燥させた牛糞や馬糞などを燃料とし、日々を営んでいる。

 

 数年に一度は、小地区も壊滅するような惨事が起こるが、またどこからともなく流れ込んできた人々が先人たちの痕跡を再利用して廃市街へと住み着き、新しい家々を建て、防備を整えて、やがて小さな地区を再建する。一見、愚かに見えても、実際に賢いとは言えない死にざまを晒そうとも、リスクとリターンの天秤の釣り合いを取りながら、その瞬間までは誰も彼もが必死に生きている。ルークも、ワイトも、名もない人々の一人としてポレシャの日々を生き抜いていた。

 

 

 

 

 その日、昼を少し過ぎた頃、日雇い仕事を終えたルークとワイトは、賃金を受け取った後に、町外れの一角にある蒸し風呂屋を訪れていた。

 同じ農場で働く男たちに勧められた場所で、大通りなどには暖かい湯を満たした湯舟に入れる場所もあるようだが、値段は一日の賃金が吹っ飛ぶほどに高いと言われて諦めていた。

 

 下層地区と言いつつも、町はずれは存外、商品が豊富なようで石鹸の欠片くらいなら少し探せば、簡単に入手できる。土埃に汚れた身体を暖かい湯と石鹸で拭うだけでも随分と有難いが、蒸し風呂となるとまさに別格だった。

 

 熱い蒸気の中、男も女も恥ずかしげもなく裸体を晒している。大枚を叩いた二人も、放心したように至福のひと時を味わっていた。日に日に寒さの厳しくなる秋の夜に冷え切った身体が芯から温まってくるようだ。澱のように溜まった疲れと汚れが湯気と一緒に流れ落ちるような感覚に、ルークもワイトも言葉を失っている。上半身を晒したまま、ぼんやりとしているとサウナ小屋の中にいた別の客たちが世間話をし始めた。

 

 

「ねえ、聞いたかい?近いうちに、公開処刑があるってよ」女が連れの女に話しかける。

「へえ、久しぶりだな。どこだい?」けだるげに答える連れの女。

「門前の広場だって。強盗らしい」他にも世間話をしてる連中はいて、ルークもワイトも何とはなしに聞き流していた。

「ああ、保安官補が捕まえたやつか」真向いの男が口を挟んだ。

「一人で三人だか、六人だか捕まえたとか」「大したものだね」

 此処で話は、保安官補に対する批評に移った。

「しかし、大人数相手だと撃たれたら恐かろう」

「あいつの着ているコートからジャケット、ズボン。全部、防弾だよ。この間も廃墟で撃たれたがケロッとしてた」

「不死身だなぁ」

「まあ、あの図体は黒色火薬の短銃じゃ殺せねえわな」

「違えねえ」笑い声が響いて、ルークは何となく、「おっかねえ保安官補だな」と呟いた。

 

「しかし、馬鹿だねぇ。ポレシャで強盗なんざ」女が伸びをしながら言った。「仕事はあるし、食い物も安い。普通に働けば、食っていけるのに」部族風の刺青に刺し傷や切り傷は堅気には見えないが、しかし、随分と穏やかそうな顔つきをしている。

「若いのばかり六人だか、七人だか。でかい奴が一人逃げたらしいが。女も三人ばかり混じってるとか」世も末だと中年男が首を振ったが、ワイトが目を瞠って立ち上がりかけたのを、ルークがとっさに抑えた。

「強盗は、他所者ばかりだと。顔も、名前も知ってるやつがおらんで、身元引受人もおらんから損害賠償の話も出来ず、裁判にもならんかったと」事情通っぽい爺さんが鼻を鳴らして付け足した。「開始五分で全員、絞首刑の判決よ」

「そ、その公開処刑は、いつ?」ワイトが身を乗り出すように尋ねた。

 知らん相手に性急に口を挟まれても気分を害した様子もなく、ひとりが親切に教えてくれた。

「十日?一週間後?そんなもんだったな。張り紙されてるから見ればいい」

「ぜ、全員、こ、絞首刑?」ワイトの声は震えていた。

「おう。男たちは全員、絞首刑。女もいたらしいじゃが」

「流刑だな。前線の開拓地が女欲しがってるらしくてな」

「色々と物資の手形と引き換えに、女の囚人を」

「惨いこっちゃな。無期刑囚だろ」サウナの客たちは口々に言い合った。

 

「……ナル」呟いたワイトがふらりと崩れそうになり、ルークが慌てて支えた。

「いや、なんでもない。こいつが参っちまったようでね。外に出してやらんと」注目を受けて、そう言い訳すると、見知らぬ数人が親切に手伝って外へと運んでくれた上、サウナの管理人が冷たい水まで飲ませてくれた。

 

「……見に行かなくちゃな」横になったままワイトは呟いて、ルークは何かを言いかけたがため息を付くと「好きにしろ……」と告げた。

 

 

 

十月中旬

 

 4718クレジット

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。