ポレシャ居留地にやってきた記念すべき初日。泊まろうと潜り込んだ廃屋で、いきなり凶暴な一団へと襲い掛かられたヘイズは、一晩中を追い掛け回され、ひと気のない地区の廃屋で物陰に隠れてようやくに追跡をやり過ごした。
それから数日、廃屋に身を潜めながら、様子を伺っていたヘイズだが、手元の食料も食いつくした頃に、追手の気配も感じられなくなった。
身体は汗だくで塵と埃に汚れ、腹も減っている。仲間たちも散り散りで散々だった。「……マジかよ。糞がァ!」怒鳴り散らしたい衝動を抑えて、ヘイズは床を蹴りつける。バホラのヘイズと言えば、地元では知らないものがいない将来の有望株だ。それがあんな訳の分からん狂人どもに追い掛け回され、矜持が深く傷ついていた。
だが、ヘイズはどんな困難が立ちはだかろうが、おのれの腕一本で解決してきた男だった。今の状況にも、決して屈することはない。追い詰められたからといって、へこたれはせず、むしろ、増々と闘志を燃やしていた。こんな形で追い詰めてくれた連中には、いずれ手厳しい報復をくれてやる。ヘイズ・バホラはそれだけの男なのだ。これも、己を成長させるための糧になるだろうと言い聞かせながら、外の様子をうかがってそっと踏み出した。
野鼠を罠の箱で捕っていた浮浪者《ホーボー》を見つけたので、殴り倒した。戦利品として毛布のマントを奪い取ると身体に纏った。どうせ、人間の屑だ。持ち物がヘイズの役に立つ方が世の為人の為に決まってる。ひどく臭いが我慢してやる。
「おおい、ヨゼ。野鼠を売ってくれよ」通りに出た途端、慣れ慣れしく声を懸けてきた男を睨みつけると、びっくりして引っ込んだ。だが、背後から胡散臭げに眺めているので、ぶん殴ってやろうかと思ったが、他にも人がいたので兎も角も我慢する。
ヘイズは幸運な男だ。だから、幾らか歩き回ってるうち、すぐに向こうから手助けがやってきた。だが、見つけたのは、よりによって馬鹿のワイト。手下の中では、何をやらせても駄目なバホラの小作人の子せがれ。お情けで仲間に入れてやってるにも関わらず、今まで一度もヘイズの役に立ったことがない足手纏いだった。それでも兎も角、首根っこを掴んで物陰へと引きずり込んだ。
「ヘ、ヘイズ」びっくりしたように目を瞠っている。
「ワイト!今まで何してやがった!」ヘイズが怒鳴りつけると馬鹿は竦みあがって、何かをぶつぶつ呟いている。
「み、みんなが何処に連行されのか、知らないの?自警団の詰め所に連行されて」
「てめぇ!仲間を見捨てたのか!」ヘイズが怒りのあまり殴りつけると、鼻血を噴き出して倒れた。
「や、やめて」なにかを呻いている。殴りつけて気が済んだので、「役立たずが」舌打ちしつつもヘイズは寛大な心で許してやった。
ワイトは起き上がりながら、ヘイズに話しかけてくる。
「……あの、損害賠償したら、少し罪も軽くなるかもって、へ」
「どうして俺が金まで払わねえといけねええんだよ!あんないきなり襲ってきた糞どもに!ああ!言ってみろ」馬鹿が馬鹿な事を言い出したので、流石にヘイズの堪忍袋も切れそうになった。
「なにもしてねえのに!一晩中追い掛け回されてよ!」ヘイズは怒鳴った。
ワイトは丸まって打撃を防いでいるが、ヘイズは容赦なく本気で拳をたたきつける。二発、三発と、骨の軋む音にワイトが悲鳴を上げてよろめくのを、横合いから止めに入った奴がいる。
「よせ、ヘイズ」ヘイズの腕を掴んだのはルーク。此方は自作農の息子だが、やはりヘイズより格下であることに変わりはない。
「てめえもなにしてた、ああ!?」問い詰めると、ルークは空かした態度で肩を竦めた。
「さてな。だが、ヘイズさんよ。あんたよりは状況を把握しているぜ。手下は、全員捕まっちまった。手元の金を使えば、何人かは釈放させられるかもしれないが……」
「なんだァ!?!」ヘイズが殴り掛かると予期していたのか、ルークは素早く躱した。
「……これからどうするつもりだ?ヘイズさんよ」ルークは嘲るでもなく淡々と尋ねた。
「まるで、他人事ないいようだな。ルークよ」ヘイズが睨みつける。
「同郷の誼だ、一つ忠告するとここはバホラでもジグでもない。好き勝手しても、権力は守ってはくれないし、手下もいない」ルークの言にヘイズが獰猛に笑った。
「へ、だが、こいつは俺を守ってくれるぜ」
言いながらヘイズは、黒光りする自動拳銃を取り出した。
銃器に詳しくないルークやワイトは、名称も性能も知らなかったが、突きつけられた銃口が、引き金を引くだけでたやすく相手の命を奪えることは理解できた。
ルークは流石に固まったが、数秒で平常心を取り戻したようだ。
「で、そいつで俺を撃つのかい?」
「ふん。今は生かしておいてやる。今はな」ヘイズが銃口を逸らすと「そりゃ、有難いことで」ルークは肩を竦めた。
まずは食い物だ。ヘイズの注文に応えて、ルークが調達してきた紙袋から、黒パンと肉の燻製を取り出した。
「食い物だ。ほら」
「寄越せ」袋ごと奪って、まずは欠片を地面に捨てて、鼠に喰わせる。異常が出ないと見て取ってから鼠を踏み殺すと、がつがつと貪るように腹に収め「水筒!」言われなきゃ動きもしない馬鹿どもに命令しつつ、ヘイズは素早く食事を終えた。
「……少しは落ち着いたか」ルークの言にギロリと睨みつけた。
「で、お前ら。どこで寝泊まりしている」
「ろ、路地のすぐそばのあばら家だよ。火に分けてもらえるし、よそ者が集まる場所があって……バリケードの外の廃屋で。仕事や食事ももらえるって」ワイトがおずおずと言うと
「俺に廃墟で暮らせってか?」ヘイズがどすの利いた声を漏らしながら、ワイトの胸倉を掴み、持ち上げる。襤褸服が破れて裂けた。
「く、苦しいぃ」ワイトが足をバタバタともがいた。
「落ち着けよ。ヘイズさん。今だけだ。今だけさ」ルークが制止してくる。
睨みつけるが、ルークは少し、手ごわい相手だ。ワイトのように無抵抗とはいかない。叩きのめすのは容易だが、兎も角、今は三人しかいない。ヘイズは不満げに唸りを上げるも「案内しろ」とルークとワイトに命じた。
「あんたにふさわしい場所じゃないぜ。ヘイズ」ルークが珍しく躊躇った。
「相応しいかどうかは、俺が見て決める」ヘイズが決めつけると「そうかい。気に入らないでも、当たり散らさないでくれよ」手を挙げながら、ルークは先頭を歩き出した。
町外れのバリケードを通り過ぎて、幾らか歩いた廃墟の一角。あばら家の一群が佇んでいた。痛みの少ない廃屋には手が入れられており、いくつかの寄り集まった泥や土の小屋を守るように、土嚢に瓦礫、僅かな木柵などが積まれている。数軒の小さな集落の真ん中に木製骨組みの今にも倒れそうな風車がカラカラと音を立てている。
近づいてみると、処理しきれないのか、堆肥と糞尿の匂いが漂ってくる。「……臭えなぁ」ヘイズが無神経に言った。案内していたルークの頬が痙攣する。
幸いに誰も聞いてる様子はないが、狭い場所に人が密集して暮らしている土地では、当然に付き物の匂いであった。低い建物の屋上では、手製の木製クロスボウを抱えた男が蹲っていたが、貧弱な防備が怪物や無法者、野生動物の侵入にどれだけ有効かは分からない。
一見すると、なんの変哲もない廃墟の集落にも見えて、しかし、近隣の大規模居留地の法と、幾らかの徴税や労役を引き受け、代わりにわずかな庇護と援助を受けている小地区のひとつであった。無防備な旅人であっても、身ぐるみ剝がされ、殺される、なんて事例は滅多にないくらいは治安も悪くない。
とは言え、住人たちだって、一度や二度は怪物に対処して生き残ってきた経験者だった。日常的に命がけで生きている訳ではないが、それなりの危険に対応してきた油断ならない連中で、今も見慣れぬ若い男三人を警戒するよう物陰から様子を窺っている。よそ者が横暴に振舞ったら、少しばかり厄介な事になるのは間違いない。
「おい、トラブルは御免だぜ」ルークが囁いた。
「偉そうな口を利くじゃねえか?ルークぅ」ヘイズの脅迫めいた物言いに、しかし、ルークはうんざりしたように首を振った。
「さっきも言ったが、ここはもうバホラじゃない。あんたの親父さんはあんたを守れないし、忠実なジオもいないんだ」ルークは言うと、用心深そうに物陰から此方を見ている人影に視線をくれて付け加えた。
「だから、頼む。ここの連中を怒らせるような真似はしないでくれ」
「ふん、馬鹿どもよりはましだな。ルーク」言ったヘイズが。髪の毛を掻き揚げる。
「まずは両替だ。それから身嗜みを整えねえとな」
※※※※※※
十月の末日。曠野に寒波が襲来した。町外れにも、寒風が容赦なく吹きつけ、いつもなら人の声やざわめきが聞こえる路地や通りも静まり返っている。
空はどんよりと濁った雲が覆いつくしていた。冷たい風が吹き抜けるたび、板壁や放置された天幕の切れ端が軋みながら激しく揺れ、地面に転がっていた古びた段ボールの欠片や木片が空中を舞っていた。
今年の冬は早く、厳しい。普段であれば、
少し大きめの天幕や段ボールの小屋、泥や土のあばら家などでは、人々が体を寄せ合い、焚き火を囲んでいた。外の冷たい空気を遮るよう、窓や入口は板や布きれで塞がれている。汚れた毛布を頭から被った子供が、火のそばで凍えた手を擦りながら、空腹で物欲しげな目をしていた。思ったよりも早く始まった冬に食料の備蓄は予定に届かず、一日の食事を少しだけ少なくするしかない。
もぬけの殻になった泥のあばら家や、廃材で作られたバラック小屋も目立った。幾つかは住人が避難所や木賃宿、簡易宿泊所へと立ち去っており、あるいは入口を塞いで寒さを凌ぐ準備をしている。寒風が吹くたびに、埃や細かなゴミが路地を転がり、どこか遠くで扉が激しく揺れる音が響いた。風に乗って変異獣どもの遠吠えや屍者の呻きも響いてくる。何軒かの屋内では、火の光が漏れ、何人かの影が小さく動いているのが見える。きっと幾つかは、冬の間に怪物たちに襲われて、そして誰もが無事に撃退出来るわけではない。
風を切る音と相まって、不気味な静けさが一帯を覆いつつあった。十月最後の冷え込みは、まだ序章にすぎない――過酷な冬が始まりつつあることを、誰もが肌で感じていた。
まだ、十月なのに、夜更けの『町外れ』に寒風が吹き荒れていた。
「さ、寒い……」トリスが震えて呟いている。
毛布に三重に包まって抱き合い、火を焚いているマギーたちもかなり寒い。間違いなく氷点下。加えて風の強さもあって、冷気が肌を刺すように感じる。
「ぴゃああ」余りの寒さにトリスが悲鳴を上げた。
「こ、これはいけない」予備の服を取り出したニナが、トリスへと手渡した。
近隣の天幕から、頑丈な廃屋に避難している者たちの人影が見えた。薪を持ち寄ったのか、廃屋内部で火が揺れている。
マギーたち三人も手近な廃墟ビルへと避難した。コンクリートの残骸は、屋根も壁も殆んどが崩れてひんやりとしているが、隅の一角だけは壁が残っている。風を防ぐ位置に毛布で包まりながら、予備の炭団子にライターで火を付ける。
「まだ十月だぞ」と文句を言いながらも、炭団子のじんわりした暖かさに一息ついて、ため息を漏らした。
「ぴゃあああ」トリスがそれしか言えなくなってる。
「そろそろ凍死者や行き倒れが出る時期だけど、今年の廃墟や街道筋は酷い事になるな」呟いたマギーが思い出したように「あ、いかん。リリー持ってこないと」と立ち上がった。
段ボールの小さな家へと行くと、案の定、中で縮こまって震えていたので、抱えて廃屋の影へと運んでくる。リリーが鼻水を垂らしているので「火に、火に」言いながら、一番傍に座らせて、お湯を温めながら抱きしめて手足を擦った。
予備の靴下をはかせる。毛布をかぶせる。
「もっと早く避難しなさいよ、他の連中に火に当たらせてもらうとか」お湯をカップに注ぎながらニナが言うと、「小金取られるやん」リリーがかすれた声で囁いた。
「馬鹿、我慢の利く寒さじゃないぞ」
「……そろそろヤバいかな、とは思うとった。もうちょっと寒かったら、避難しとったけど」リリーの顔色が大分、元に戻った。手遅れではなかったらしい。
「こいつみたいに小金や薪を我慢して酷い事になってる奴がいるぞ、絶対に」マギーが断定した。
「今年は、ちょっとおかしい」トリスが人間の言葉を取り戻していた。
「寒い時期は……二、三年は続くものだ」マギーが嫌そうに言ってから、毛布にくるまって宣言した。
「もう行商は打ち切ります。今年は店仕舞い!」
「ええ、あと一度は行かないと。連絡事項が」マギーの腕の中でニナが言った。
「そろそろ、これなくなるとは告げてたし。大丈夫、大丈夫」寒さに嫌気がさしたのか。短絡的になってるマギーだが、ニナと話し合い、思考力を取り戻して、あと一回で交易を打ち切ることにした。冬明けには、取引相手の馬車が小麦を引き取りに来るだろう。
「家も引き払って、明日にも簡易宿泊所に移ろう。ちょっと早めだけど……」兎も角も、マギーは決めて、ニナが頷いた。
この日の寒波を境に、下層地区からは急速にひと気が失せていった。朝になると新聞紙やら布、木板の寝るだけの簡素な天幕は取り払われ、しまい込まれるか、或いは焚き付けとして、盛大に燃やされている。泥や土のあばら家なども入り口が殆んど塞がれたり、段ボールの小さな小屋や布の天幕で冬を過ごす者たちも、厚着になって家屋へと閉じ篭るようになった。
曠野に冬の足音が、すぐ間近まで迫りつつあった。
十月下旬
5248クレジット