両替屋の老爺は、居留地ポンドを数え終わった後に机の上に置いた。
「すまんが足りん。変えられるのは二百ほどじゃな。残りは取っておいて、もし使い果たしたら、また来るがいい」個人営業の小規模な両替商では、そんなものだろう。
へ、と笑いながら、三つの札束をポケットへと収めていくヘイズ。
「防壁んところの両替商は、駄目だな。殿様商売でよ。倍も違うじゃねえか」文句を言うが、「あれは、広域通貨を取引するところじゃ」と老爺。
「ま、そのうちに俺が大物になったらよ、思い知らせてやるからよ」ヘイズはニヤリと笑みを浮かべる。
「透かし野郎や、デカ女にも。まともに勝負してやればよぅ。だけど、両替屋の娘だけはへへ、中々、可愛かったな」
「よくもまあ、あんな馬鹿を連れてきたわね」若い娘がルークとワイトの傍らに立って囁いた。酒場の店員だが、老爺が手持ち金庫を持ってきた時から、ヘイズの背後で心配するように様子を伺っていた。老爺と親しい間柄なのか。
娘の責めるような口調に、苦しげに口籠ってるワイトを横目で見て、ルークは深々とため息を付いた。
「その通りだ、俺たちが短慮だったよ」
「……防壁んところの両替屋は、居留地の顔役よ」若い娘は忌々しそうに吐き捨てる。地域の顔役ではなく、居留地の、と言った。「言い換えれば、ヘイズの親父のようなものだな」そうルークの囁きに、ワイトは蒼白になって立ち尽くした。
若い両替屋が、ヘイズの親父ほどの暴君かは分からないが、始末に負えない話になりかねない。状況のどうしようもなさに、ルークは天を仰ぎたくなった。
「すまないな、爺さんにも謝っておいてくれ。あんなのを連れてきて謝って済む話じゃないが」とルーク。
「まったくよ。どうやったら、あんな人が出来るの?」娘の辛辣な物言いにルークは苦い表情を浮かべた。
「餓鬼の頃から力が強くてな。ある種の突然変異みたいにな……大人にも喧嘩で負けない」
「実際に、子供のころのヘイズに殴り殺された人もいたよ」ワイトが苦い口調で言った。
「……それだけでもない。閉鎖的な地区の、唯一の王の遅くできた子供だ」ルークが吐き捨てた。
「当然、父親には溺愛されてる」
「猫かわいがりされて増長か」娘の口調に頷いて「はっきり言う」ルークが苦笑した。
「何の話してやがる!?」両替を終えたヘイズが怒鳴った。
「お前さんが子供のころに、大人にも喧嘩で勝てたって話さ」
ふん、とヘイズが鼻を鳴らした。
「今さらご機嫌とっても遅いぜぇ。バホラに帰ったら楽しみにしてろぉ」
「やれやれ」とルークは肩を竦めた。
※※※※
十一月も半ばに近づくと、いよいよ本格的な冬の気配が漂ってくる。夜は氷点下を下回ることもしばしばで、日が暮れると今まで夜な夜な集まっては歌ったり、楽器を奏でていた者らも家から出なくなり、路上に眠る者たちの姿もまったく消え失せる。
それでも日中は暖かさの残るこの時期、日雇い仕事や簡単な野良仕事の求人は幾らかは残っていて、
「もうちょっと、待って。今週の家賃稼いでくるから」簡易宿泊所の受付辺りからそんな声が聞こえてくる。
ベッドで微睡んでいたニナは、んー、と呻きながら、目を見開いた。炎が消えているので、脇にある棚を鍵で開いて、炭団子を小鉢に足した。
上客向けの鍵を手首に止めているニナだが、後で使った分だけ清算されるので、鍵をかけ忘れると恐ろしいことになる。なにしろ、今も寒さに震えている宿泊客たちが、出入り口付近に大勢屯しているのだ。
ニナとマギーは宿賃を全額先払いしているが、宿泊客には一週間ごとや三日ごとに支払いをしている者たちもいる。全額先払いは少しだけ安くなるので、何故、そんな支払いをしているのか不思議に思ったが、寒さが和らいだら、もっと安い宿泊所や木賃宿に移ると聞いて感心したものだ。世の中には色々な節約方法があるものだ。勿論、中には、単に泊まる金が足りないだけで、支払いを分けているだけの者もいるのだろう。
宿泊所の主と会話してる女性客に、横から男性が話しかける。
「お、俺が出そうか」
「きちんと働いてます。これでも古株だし、結構、信頼されてるんだから」と女性客。
「別にいいけど、その……もう、あまり無理できないんだから」
「まだ、若いよ!」と女性客。
「そりゃそうだけど、気を付けろよ」と男性。
「糞っ、じれったい奴らだ」ニナの横にいたカウボーイハットで、髭のおっさんが呟いた。
「なにが?」ニナは尋ねてみた。
「あの二人は、長い付き合いでな。いい加減、くっ付けばいいと」見た目は西部劇のガンマンみたいなのに、近所のおばさんみたいにお節介な属性を持ってるのか?
「ふうん……え?いや、もう二十歳くらいよね?」ニナが聞いた。
「確かに二十二、三かな」髭のガンマンが顎を撫でながら、呟いた。
「んむ、じれったいね。それは」
中々に興味深い話なのでニナは誰かに話したくなったが、マギーは爆睡してる。抱き着いてみるが、基本的に十時くらいまでは起きない。昨日は、ニナと一緒に寝台に寝て、イチャイチャはしたが、針仕事もしたし、本も読んでた。一昨日は、スタンフィールド家に居留地の影の者たちが集ってTRPGを行った。セッションで重要な役割のエルフ女神官を担当していた放浪者のボドキンが現実にも変異獣に齧られて亡くなってしまったので、進行が止まってしまっているのが難点だ。文明崩壊《ポストアポカリプス》の世には、TRPGを遊ぶのも一筋縄ではいかないのだ。とは言え、襲われた子供を助けて、相討った死にざまは見事なので、仲間たちで追悼を行った。
強面のボドキンは己の趣味を表の仲間には秘密にしていたので、変な一団からの寄付にボドキンの家族と仲間も面食らっていたが、兎も角も「……ボドキンは友人で仲間でした」なのだ。それにしても、しみじみと胸に残るのは、ボドキンが現実の死に際でさえも、英雄的な行動を示したことだ。
兎に角、ニナとマギーが毎日の暮らしを楽しめるのも、きちんと稼いでいるからである。時刻はそろそろ午前十時。「マギー、マギー。朝だよぅ」揺すると「んー」目を閉じたままマギーが抱きしめてくる。
「起きないと駄目だよ」
「んー」
このままイチャイチャしたい衝動はニナにもあるけど、そうもいかない。冬市の品物は限られており、稼げる期間はそれほど長くはないのだ。元々が本格的な冬の訪れの前に不用品を処理し、必要な品を入手するための場所だった。売るのも買うのも居留地と近隣の人々ばかりで、早めに現金へと変えるなり、必需品を得られれば、もう顔を出さなくなる。
客も商品も減るばかりで、勿論、居留地との伝手があって元手を持ってるマギーなら、廃墟漁りを相手に、多少は稼ぎ続けることは出来るけれども、貯め込んだ物資が放出される初めのうちが一番に稼げる時期であることには変わりはない。しつこく揺らされたマギーが欠伸をしながら起きると、寝間着から着替え始める。取りあえず、多めに稼げるうちは、冬市に顔を出し続ける予定であった。
昼の空気も大分冷えてきた。それでも厚着すれば、問題なく歩き回れる日中、ニナとマギーは廃墟の冬市へと足を向けた。
雑多な客層で込み合う市場を廻りながら、時にニナも買取交渉してみるが、残念ながら、年少で小柄な体躯は舐められがちであった。
貯め込んだ奢侈品、品質の良い化粧品に香水、ライターにマッチ、懐中電灯など便利な品を市民や正規居住者、裕福な農民へと売る仕事であれば、そんなに露骨ではないが、廃墟漁りや行商人、浮浪者《ホーボー》たちからは侮られること、侮られること。舐めた金額を提示したり、強引な交渉を押し付けてきたりと話しにならない。
市民や商人に対する武器が2000クレジットの服装であり、礼儀作法であるなら、廃墟漁りや浮浪者《ホーボー》に対する武器は、銃器であり、大柄な体躯なのだろう。残念ながら、その両方ともニナは持ち合わせていない。
費やした数時間は、自尊心を削りそうなひたすらの苦行であった。どうやら商売で自分は役に立ちそうにないと、ニナは珍しく本気で意気消沈した。
焚火の近くに座り込みながら、何かを考え込んでいたマギーが、ニナの手を握った。
「今の段階で商売は難しい。だけど、生存術においてはニナがいなかったら何度も危地に陥っていた」
「……でも、役に立たないよ」ニナの呟きにマギーが首を傾げる。
「……役に立つ?私の為?」マギーは考え込みながら、言葉をつづけた。
「ニナは、私がいなくても生きていけるし、そして、将来的には違う。計画があるが、今はまだ全部説明できない」
ニナは呆気にとられた。マギーの説明が下手になっていた。
「……マ、マギー?」
「剝き出しの力が尊ばれる時代だから、抜け出るまでは難しいか」独り言のように呟いているマギー。
「抜け出る?なにを」尋ねても、「いずれ。必ず」マギーは変な答えを返してくる。
「大丈夫。今は、仕方ない。わたしが交渉する。でも、まともな相手に、経験値は積んでおこう」一人で納得して、一人で結論している。ただ、ニナを見つめる目は暖かく、気遣っているのが分かるので、ニナは兎も角、悪いようにはなるまいと頷いた。
「……なに考えてるか分からないけど、何かを心に期してるのは分かった」ニナが言うと、マギーは抱きしめて囁いてきた。
「二人で生き延びることが出来たら……その時に、驚くような光景を見せる。約束する」
「うん、楽しみにしてる」
午後の取引では、交渉はマギーが担当した。気を取り直したニナは、大人しく背後で眺めながら取引を観察して、時折、穏やかな性格の行商人などとの交渉だけを行った。いずれにしても、この日もそれなりに稼いだ二人は、完全に日が沈む暗闇を恐れて、早めに引き揚げる事にした。
幾人か、或いは数十名かの
「おや、陛下がいる。珍しいな。まだ残ってるのか」マギーが呟いた。『陛下』の率いている徒党は、殆んどの人員が冬越えをする為の村へと引き上げたはずだった。
娘の姿もあった。傍には影のように曠野から来た少年も張り付いている。
恐らくは、成人が近づいた娘に、徒党の為の取引を見せているのだろう。
去年は秋の中ほどには、本人も引き返していたはずだが、
「……まだ薪や物資を手配しているのかな」訝しげにつぶやいたマギーだが、数十名の徒党に加えて村人たちもいる筈であるから、或いは、冬明けの物資も手配しておく必要があるのかもしれない。
巨大蟻襲撃を原因とする不景気も大分に癒された居留地では、日雇い仕事の賃金も回復しつつあった。
「……稼げるようになってきたんで。こっちでギリギリまで仕入れるんかな?」ニナも気にはなったが、兎も角もマギーを追って足を速めた。暗闇が広がる前に、安全な場所へ戻るのが先決だ。
それに、人にはそれぞれに事情がある。むやみに詮索すべきでもない。不快に思われるかも知れないし、『陛下』は取り立てて危険な人物でもないのだ。
ニナは肩をすくめると、考えすぎまいと結論する。一介の行商人としては、他人の事情を詮索する前に、まずは自分たちの面倒を見れるようになるべきだった。
防壁の出入り口を抜け、市民区画にある簡易宿泊所へと戻ると、一日の仕事を終えた人々や買い物を済ませた人々が、三々五々に帰り着いてきていた。
夕暮れ前にそれぞれが寝台へと足を運ぶと、隅の仕切り布の中でお湯と石鹸で身体を洗ったり、洗濯を行ったり、或いは、手早く食事を済ませて寝ている者もいれば、カードを広げ、その日の賃金を掛けて賭博を行っている一団などもいる。
陽が落ち掛けた頃に駆け込んでくる者もいたが、完全な日没後、二時間か三時間を経過した後には、市民街区の出入口は封鎖されてしまう。出入口の封鎖は、他の地区も同様で、怪物や屍者の彷徨う黄昏の世にはやむない処置であるが、まだ帰りつかない者がいるようで、身内なのか。若い男が心配顔で宿泊所の前の街路をうろついていた。
「……遅いな」とのつぶやきに、髭ずらの男が「迎えに行ってやれよ」と提案する。
「そうするか」頷いた若い男が出かけて、三十分ほどで帰ってきた。
椅子に座り込むと、青い顔で「勤め先では、今日は欠勤したと……」呻いている。
宿泊所の主人含めて、知り合いなのか複数名が集った一角が騒めいていたが、やがて夜が更けると、無情にも門の封鎖を告げる鐘が鳴り響いた。
「……変異獣か、屍者でも出たか?」「走屍《ランナーゾンビ》だと恐いな」呟きが漏れる寝台の片隅から、マギーにも劣らぬ偉丈夫たちが宿泊所の主に声を懸けた。
「旦那!夜番したらいくら出す?」
宿泊所の主と幾らかの交渉の後、男女の一団が立ち上がった。
「今日は、寝ずの番だ」言うと、荷物から取り出したのは、メイスに長剣。盾に鎖帷子を着込んだ男女が入り口の椅子に陣取った。
妙な話ではあるが、接近戦になりやすい走屍《ランナーゾンビ》などには、下手に連発できる銃を持った兵士よりも、完全武装の騎士のような時代錯誤にも思える装備の方が効果を発揮することもあるのだ。恐ろしい大群は別としても、こうした武芸者には、数十匹を数人で片づける剛の者たちもいて、高額の報酬で屍者退治に雇われることもあった。
「……人狩りだったら、鎧なんて何の役にも立たんだろうよ」
「連中が?ポレシャの民兵うろついてるのに?」
「けどよぉ」
囁きが収まらない中、マギーは寝ころんでいたが、簡易宿泊所の扉がノックされると、問答の後になんとジーナが入り込んできた。
封鎖されたはずの時間帯にも関わらず、どうやってか市民街区に入り込んできたジーナは、険しい表情でマギーに近づくと「保安官補。殺人事件です」低く押し殺した声。
マギーは薄く目を見開くと、ジーナを見つめる。
「被害者は、若い娘。暴行され、首の骨を折られて死んでいます」ジーナが囁いた。