黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_46 年の瀬

 年末は、生き残る者とそうでない者をはっきり分ける時節だ。冬を越せるかどうかの瀬戸際にいる者たちの焦燥が、冷たい空気に見えない緊張感をもたらしていた。

 しかし、今年のトリスは、かつてない穏やかな気持ちで年の瀬を迎えていた。

 

 スノーゴーグルを着用してる少女トリスは、廃墟暮らしの浮浪児だ。廃墟の浅瀬一帯に幾らでも転がっている宿無しの一人だったが、ふとした出会いでマギーたちと親交を持ち、煙草の葉やらを卸して貰って廃墟や下層地区で売ることで生計を立てている。

 

 

 十二月に入った。曠野での厳冬期は二月であるが、既に日中の気温もかなり低下している。住人たちが暖かな冬着に身を包んでいる市民街区や門前町は別として、中町や町外れでは、着ぶくれした住人の姿も随分と減っていた。泥の小屋や修繕した廃屋では、昼間から炎が焚かれており、揺れる光が窓の僅かな隙間から漏れている。小さなあばら家から人々の姿が消えて、薄い天幕も大半が片付けられている。空き地に目立つ分厚い大きな天幕も、入り口が閉じられて中の物音も殆んど聞こえてこない。

 

 それでもまだ、多少の人出が街路を往来して寂しさや侘しさを和らげていた。物陰では焚火を囲む者たちが寒さに耐えかねながら肩を寄せ合い、かじかんだ手を暖めていた。商いを続ける屋台も一部はあるが、活気に満ちていた秋とは違い、冬の出店はどこか静けさが漂っている。広場の隅で食い詰めた者たちが温かい粥を求めて列を作り、店主が慣れた手つきで飯を器によそっていた。芋や小動物の肉が炙られ、雑穀や豆、屑野菜の入った粥の鍋がコトコト音を立てている。時折、震える手で小銭や布の紙幣を差し出す者もいるが、足りない分を見逃してもらえることは少なく、諦めたように列を離れる姿もあった。

 

 

 安い木賃宿では、宿の薪だけでは熱が足りない。自分でも金や薪を貯めて、ちょくちょくと暖めなければ、命を落としかねない程の冷気が雑魚寝している者らの手足へと忍び寄ってくる。トリスは、親方のマギーに貰った小遣いを貯めておいて、ちょくちょくと暖かな食べ物や薪を買い足しては体を暖めている。猛悪な目でトリスの財布を眺めている痩せた男もいて、傍らに震えてる子供がいるのがやりきれないが、しかし、トリスは隙を見せないように振舞っている。誰もが生き残るのに必死であった。

 

 食事は、日に二回。もっとも中世欧州の農民がそうであったように小さな間食などは盛んにしている。小型の雑穀ビスケットやら、小さな芋を食事以外に口にすることも多い。それ以外は、ひたすらに寝てるか、身体が萎えないように歩き回って過ごしている。

 

 時々、遠く壁の向こう側から、幾重にも遠吠えや屍者の呻きが鳴り響いてくる。廃墟にいた頃には、息を潜めて近づく脅威に脅えていたものだ。町外れの防備は大したもので、木製の見張り台は近づいてくる変異獣や屍の群れを見逃さないし、十丁からの火縄銃や頑丈な大型クロスボウの一斉射撃は、バリケードでの足止めも加わって、大抵の怪物の群れを一蹴してしまう。冬の間に一度だけ怪物の群れが押し寄せてきたようだが、至近からよく狙ったのだろう。二、三度の斉射でケリがついてしまった。

 

 屍者や変異獣が我が物顔で徘徊する廃墟で、こそこそと隠れ住む生活とは、なにもかもが違った。地区の内部にいると安心感が物凄い。最悪、バリケードを越えて怪物が忍び込んでも、頑丈な壁と屋根のある建物に寝泊まりしていれば、万が一も殆んど起こりえない。とは言え、油断は禁物で、入り込んだ屍者に無防備なところを襲われる悲劇だって偶には起こるとも耳にしていた。

 

 それでもゆっくりと眠れる居留地生活の安心感は、なにもかもが比較にならなかった。眠るたびに生命力が沸いてくるような気分にさえなる。廃墟では夜こそ寝付けないものだ。廃墟生活者の背丈が居留地のそれよりも随分低いのも、安全性と無関係ではないだろう。

 

 トリスは期待を抱いている。希望と言っていい。あと一年か、二年。来年は今年よりもよくなるし、再来年はさらに良くなる。親方としてのマギーに、徒弟にしてもらう約束をしている。マギーは信頼できる。ニナも。一緒に歩いて行ける。それだけに二人に何かが起こったら、絶望なんて生易しい言葉では表現できない。唯一、地獄から抜け出せる蜘蛛の糸が千切れるのと同義であった。

 自殺してしまうかも知れない。一緒に取る暖かな食事や誰かに守られての生活を味わってから、トリスの心はひびが入った。いや、柔らかくなったというべきだろうか。自分が真の絶望や恐怖を何も知らなかったのだと、トリスは今こそ思い知っていた。今なら、廃墟で出会った老婆の気持ちが分かる気がした。二人が無事であるように。度々、トリスは祈っている。

 

「……会いたいなぁ」トリスは友人たちを思いながら、下町を散策していた。持ってる薄着を全部着込んで着ぶくれしているが、それでも少し肌寒さを感じた。二月の厳寒期となると、日中でさえ氷点下十度を下回る日もあるから、今のうちに街の風景を楽しんでおくべきだろう。街にはひと気が少ないが、今はまだ多少は、住人たちの姿も見かけた。とは言え、これから一月、二月と寒さが厳しくなるにつれ、彼らも家や宿屋に閉じ篭るようになっていくに違いない。

 

 マギーたちの塒に足を向ける。勿論、誰もいるはずがない。板切れと布に新聞紙で出来たちっぽけな家も、今は見事に片付けられている。隣人のリリーの段ボールの家もだ。家のあった空き地は空っぽで、まるで最初から夢か、幻だったようにも思えてしまう。

「……空想じゃないよね」

 辛い、それに恐い。何時か、二人がいなくなって、トリスが一人きりになるのも、トリスが先に死ぬのも。気が狂う程に恐かった。この恐怖が生存本能からくるのか?安全保障を求める思考の結果か?友情なのか?トリス本人にも判断がつかない。

 背後から襲われにくい物陰に蹲って、感傷に浸る。この場合、真正面を塞がれたら逃げ難くもあるのだが、変異獣やらでも、早々に忍び込んだりはしない。いや、したら、お終いだが。五分か、十分くらい、眺めているくらいは大丈夫だろう。

 

「……早く、春にならないかな」そうしてトリスが、友人たちを偲んでいると、同じような小柄な人影がやってきて、空き地をうろうろし始めた。

「……あれ?ココだっけ?」小さな少女は数分、うろついたり、地面の匂いを嗅いでから切なげに空を見上げた後、とぼとぼと帰路に就こうとした。トリスは、少し迷った挙句に声を懸けた。

 

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 

 簡易宿泊所の寝台で、ナイトキャップを付けたマギーは熟睡していた。枕元のサイトキャビネットには大皿が置かれていて、山積みにされた肉の残り。歯ブラシとコップ。洗面器に可愛いタオル。そして収支の計算表が置かれている。可愛いナイトキャップとタオルが、高身長のマギーには気の毒なほどに似合わない。

 

 現在、マギーたちの財産は、都市通貨《ズールクレジット》換算で六千を数えていた。質素に暮らせば、二人でおよそ二年を生活できる金額だった。

 文明崩壊前の価値観からすれば、大したこと無さそうに聞こえるかもしれないが、まともな通貨が乏しい黄昏の世(トワイライトエイジ)の辺土において、広域通貨の六千クレジットには、二年分の薪や食料との比較では測れない価値が込められている。その気になれば小さな農地を購えもするし、都市内に家屋だって持つことも可能だった。それで安定した生活を送れるか否かは、別にしても。

 

 商会連の事務所に二千ほどを預け、さらには居留地の穀物手形の形でも幾らかを所有している為、マギーたちの手持ちは三千ほどだが、それでも零細の行商人にとっては望外の大金と言っていい。渡り人(オーキー)には生涯、四桁の金《クレジット》を手にすることのない者だって少なくないのだ。

 

 

「マギー、マギー」ニナがマギーを揺すっていた。

「んん?」

「そろそろ起きないと」起きるように促した。そろそろ冬市に稼ぎに行く時間だった。

「んー」寝ているマギーは、手を伸ばしてニナを抱きしめてくる。

「わぁ……起きろー」ニナはぽかぽかとマギーの肩を叩いている。

 仕方なく、マギーは身を起こして歯を磨いた。

 それから朝食を取ろうとして、お皿の肉に手を伸ばし、空になってるのに気づいた。

 

 枕元にしゃがみ込んでガツガツと夕食の残りを貪っている小さな影に気づいて、ニナが「あ、ココ。こいつめ」唸った。

「あー」後からやってきたトリスが、気まずそうに呻いている。

 

 ひょい、とココを手に取ったマギーが、それでも、もっもっと肉を食べ続ける少女をマジマジと眺めて呟いた。「痩せてるな。食べてないのか?」宿泊所の料理人に四人分の朝食を注文して、加えて手元の食材で足りない分も作る。

 残念ながら、冬には卵焼きは食べられない。チーズを絡めたジャガバタとベーコンを取りあえず作ると、ココは遠慮もせずにフォークを刺した。

「マギー!この子は礼儀作法が欠けてるよ!」ニナの厳しい声にビクッと身を震わせるココ。

「ううむ、大人たちと接しているうちに、少しずつ学んでいくのではないかな」とマギー。言いつつ、「パンと野菜も食べなさい。好き嫌いしては駄目だ。大きくなれない」マギーは人に食べさせるのが好きなのか。ココの世話を焼いている。ココは多分十歳か、それくらいだろうか。昨日の残りの、鍋に入った人参と玉ねぎの豆スープも暖める。トリスも久しぶりにホッとして一緒に食事を取らせてもらった。

 

 

 マギーの元の仲間で、自警団のジーナなどは時々、顔を出すが、隻眼のリリーとは暫く顔を合わせていない。

「御飯が寂しいな。リリーやトリスと一緒に食べたいよ」ニナがパンにジャムを塗りながら「だけど、あちらまで行くのも億劫だし」などと呟いていた。

「ううん」トリスも火の傍でウトウトしかけながら、同意して肯いている。

「差し入れくらいはするかな。肉とチーズとか」マギーが言った。

「レモンの蜂蜜漬けの瓶」ニナの言葉に「ああ、いいな。それはいい」マギーが頷いた。

 

 レモンも蜂蜜も高価なので、今は手元にはない。後で買って来ようと言いながら、雑穀と大麦の入ったビニール袋、幾らかの芋や人参の入った袋。炭団子を入れたビニール袋を用意しているマギーとニナの傍ら、たっぷりと食べたココが寝台の上で丸くなって寝息を立てていた。トリスにも食べ物を分けた上に、幾らかの小遣いまでくれた

「十二月中にもう一度くらいは顔を出しなさい」親方のマギーに言われて、トリスは頷いた。下層地区から防壁までは一キロ近く距離が離れている。日中でも氷点下十度を下回るモスクワか、シカゴめいた気候が訪れてしまえば、出歩くのも難しくなる。

 もう一度、顔を出した時が多分、冬の最後のお別れになるだろう。次に会うのは、冬明けの春の日になる筈だ。

 

 

 

 食料を分けてもらった上に小遣いまでもらったトリスは、ココを送って廃市街へと久しぶりに足を踏み入れた。マギーたちは今日は休んでリリーを尋ねるそうで、下層地区の途中で別れを告げる。

 

 久しぶりに踏み込んだ廃墟の危険な気配に自然、トリスの身が引き締まった。

 冷たい風が吹きすさぶ中、ひび割れた建物の影から這い出たように、屍者たちが道路や庭先を彷徨っている。歩く屍たちに見つからぬよう物陰をこそこそと迂回しながら、時に徘徊する飢えた野犬や大鼠たちにも注意しつつ、ココの暮らしているという一帯へと向かった。

 

 寡黙なココの、ん、だの、そこ、だの言葉少ない案内の翻訳に苦戦しつつも、一応は見知った廃墟の、しかし、あまり知らない一帯の路地から路地を抜け、トリスは漸くに瓦礫で道を塞いだ隙間の向こう側にある、街路に小さなバラック小屋が広がった集落へとたどり着いた。

 

 小地区だろうか?いや、マギーたちに見せてもらった居留地の公的な地図には集落の記載はなかった。居留地勢力には属していない廃墟の隠れ里のひとつなのだろう。取り立てて珍しい訳でもないが、小屋の傷みやペンキの塗り具合からするに、比較的に新しめに開かれた集落だと分かる。戦災なり、飢餓なりで流れ着いた者たちが築いたのかもしれない。

 

 集落出入り口付近の瓦礫の山に、痩せた女が腰かけていた。木の棒に穂先を付けただけの粗末な槍を抱えている処から見るに、見張りだろうか。

「……なんだ、ココか。そっちは友達?」声を懸けてくると、まじまじと見つめてココの手にしているビニール袋に目を止めた。

「ん?……あんた、なに持ってるの?」

 ん。と、ココが袋を見せた。マギーから貰った雑穀と大麦の袋だ。

 女はココからビニール袋を……取り上げたとも、受け取ったとも言えない手つきで、ゆっくりと手にすると中身を見、軽い驚きの声を上げた。

「どこで手に入れてきたの?」

「ん」ココは市民街区の方向を指さしたが、それ以上は何も言わない。女は一瞬、じっとココの顔を見つめたが、やがて納得したように鼻を鳴らした。

「身体とか売ったんじゃ……ないか」それでも一応、心配したのか。ペタペタ触りながらココの様子を確かめ、無事だと頷くと、それから袋を抱えて頷いている。

「そっか……まあ、子供だもんね。恵んでくれるやつも居るか。よくやった。早速スープを作ろう。みんな腹を空かせてる」

「ん」

 

 こうしてマギーがココに持たせた食料は、集落の皆に分配されてしまった。

 (いいのか?これは?)トリスはスノーゴーグルの下でしかめっ面を浮かべていた。だってココは、集落の他の子どもより明らかに痩せている。全部渡していいのか、とか。普段から取り分をちゃんと貰ってるのかとか。頭の中には疑問がぐるぐると渦巻いていた。

 

 搾取されているのか。しかし、ココが廃墟漁りの若者一党の後ろについて歩いているのもトリスは度々、目にしている。もしかしたら、足手纏いのココが、それでも普段から報酬として食料を分けてもらってるのかも知れない。

 他所者が軽々しく口を挟める問題ではないのは、トリスとて理解できた。部外者が迂闊に口を挟んでこじれれば、ココの立場が悪くなるかもしれない。

仕方ないかと思う部分もあった。頭を掻いてから、しかし、見過ごすことはしたくないので、マギーとニナに全投げすることにする。トリスよりはココに心許されているようだし、事情を話せば何とかしてくれるに違いない。多分。

 

 マギーは、ココを可愛がっている。多分、待遇が良くなければ、引き抜こうとするだろう。それとも、ココは集落の者らを仲間と思っているのだろうか

 いずれにしても、ココが決めることだし、搾取云々も飛躍しすぎかもしれない。

 兎も角、トリスはココに別れを告げてすぐ帰ることにした。一つには、集落の子供や若者らのトリスの食糧袋へとむける視線が気に入らなかったこともある。

「またな、ココ」

「ん」ココが手を振った。

 

 

 十二月上旬

 

  6644クレジットだ

 

 

 

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