「えい」マギーが美少女を背後から、素早く四肢で抑え込んだ。
「放して!マギうー!あいつ殺せない!」美少女が喚くと、相対してるリゼットが「やってみろ」歯を剥き出してさらに挑発する。
「リゼット!」サラは鋭い声で窘めるが、芸人一座の少年少女には兎角、負けず嫌いな気質の持ち主が多い。加えて周囲に屯する商人たちが、無責任にも面白そうな表情をして囃し立てる。
「はい、はい。簡単にぶっ殺す、とか言わない。友だちを失ったばかりで、やり場のない怒りを抱いている子を本当に叩きのめして、気が晴れる?」マギーは美少女の耳元でささやいた。
「私の大事な相棒……私の可愛い相棒は、そんな事をして気が済むのかな?」マギーの言葉で、くたん、と力を抜いた美少女は、納得したようにうなずいた。
「運がよかったな」そうリゼットに言うと、ペッと地面に唾を吐いた。可憐な美少女な割に柄が悪いなと、サラは鼻白んだ。
踊り子志望のリゼットは気が強く、マギーたちに向かって中指を突き立てた。強い女性に憧れている少女だが、目の前にいる相手が憧れの『ウロボロス』とは知らない方がいいだろう。
「マギー、やっぱあいつ、一発くらい殴った方がいいと思う」リゼットを指さしながら、美少女がぶー垂れて、不満を漏らしている。
「駄目駄目……それに、喧嘩を売られたのは私だぞ」言いながら、マギーが起き上がった。栄養状態の悪い黄昏の世ではかなりの長身。180以上はある。均整の取れた身体つき。身構えたリゼットが、喉を鳴らした。
「マギー……まさか、子供と」サラが咎めるように言うとマギーは苦笑した。
「まさかだよ、サラ」ストレッチで腕を動かすと、ぎゅうっと筋肉が音を立てている。
「容疑者について知りたいんだろう?でも、死体の様子からするに相当、手強い犯人だよ」サラを眺めながら、マギーは挑発的にほほ笑んだ。
「わたしと殴り合いして力を証明出来たら、知ってる情報を教えてあげなくもありません」マギーが親指で示した場所には、半地下の入り口。奥には四角いリングが設置されている。どうやら、廃墟の廃デパートでは、バザール以外にも色々と興味深い催し物が開かれているようだ。
「……やっぱり腹を立ててるじゃないか」サラは吐き捨てる。
「わ、わたしがやってやる!」リゼットがマギーを睨みつけながら、啖呵を切ったが「駄目、これは大人だけのゲームで、こっちのご指名はサラちゃんだ」サラをじっと見つめながら、マギーは不敵にほほ笑んだ。
「体重差があり過ぎる」芸人一座の青年ケインが口を挟んだ。
「君が代わりに出てもいいぞ。青年」マギーは気楽そうに告げた。
「男の子だろう。なに、多少、立派な体格はしているが、わたしも生物学的に雌なのは間違いない。鍛えた男の子なら当然、余裕で勝てて然るべき相手だよ」
マギーの言葉に、すん、とケインが鼻を鳴らした。マギーを値踏みするように眺める。ケインも各地の野良ボクシングで慣らしている青年だ。
「いいだろう。僕が勝ったら、情報について話してくれるんだな?」
「君が勝てたらね」楽しげなマギーに向かって、「やってやるさ」ケインは頷き、上着を脱いだ。無責任な商人や観衆たちが面白そうに口笛を吹いている。
リングに上がったマギーは、リゼットを見つめた。
「お嬢さん。豚は筋肉の塊なんだ。人間なんて簡単に倒せる。そして、豚の野生種が猪だ。古来よりあまたの英雄を殺してきた」
結局、サラはバンテージを巻いて、リングへと上がる羽目になった。四方に木の柱を立て、縄で結んだだけの、ボクシング黎明期のベアナックル・ボクシングを思わせる粗野なリング。隅の方には、吐いたばかりの反吐の残滓がこびり付いている。わずか三発の殴打で動けなくなったケインは、今、ベンチで横になって休んでいた。「私が豚なら、君はキャンキャン吠えるだけのチワワだワン。偉そうなことを言う前に、腕を磨きなさい」そんな風に言われたリゼットは、ケインの傍でうつむいていた。
ケインは青い顔で心配そうにサラを眺めてきている。サラは大丈夫だと頷き返して、反対側のコーナーに陣取っているマギーを見据えた。
サラは、マギーを知っている。十代後半のマギーを。今は、恐らく二十代半ば。それでも、見た目は随分と若い。そう言えば、賞金稼ぎ時代のマギーは、まだ少女であったのだな、と改めて過去に想いを馳せた。
兎も角も、全盛期のマギーは、恐るべき使い手だった。特殊な技術を持って、時に一撃で人を殺してのけていた。多少の膂力の差はひっくり返せるほどの使い手で、今も手練と言っていいだけの技量を誇っているが、現役の頃はこんなものではなかった。人間離れした反応速度や敏捷性が鍛え抜かれた肉体と高い水準で釣り合い、超人の領域の数歩手前に迫っていたように思える。
幾らかは背丈が伸びただろうか?あまり親しくなかったので、気のせいかもしれない。高身長の体躯をほぼ完全に制御しているのは、地道な鍛錬を欠かしてはいない証だ。それでも、マギーの肉体に宿る殺気は弱いものだ。実戦からは遠ざかっているとサラは見た。勿論、かつてよりは鈍《なま》っていても、侮れない相手ではある。スネイクバイトにおいても、こと徒手格闘に限れば、マギーは最強に近い一人であったのだ。
全盛期のマギーには、筋力と速さが絶妙なバランスを取っていた。相手の反応を予測し、素早く動いて一瞬で有利な位置を取る技術は、まるで幻影の魔術のようにさえ思えたものだ。猫科の獣めいた俊敏な機動は、しかし、今のマギーは出来ないだろう、圧倒的な膂力と引き換えに、以前の敏捷性は失われている。
殺し合いと限れば、サラでも勝ち目はある。だが、これは試合だった。加えて、マギーが衰えたとは言え、それは以前の達人《アデプト》めいた技量と比較してであって、今現在でも高い技量を誇っていることには違いない。
懸念としては、特に膂力に警戒すべきであった。男とか、女とか以前に、七十キロのケインが浮かぶような拳《パンチ》を普通の人間は放てるものではない。あんな拳を数発、数十発と打ち込まれては、例え、打点をずらそうとも耐えられるものではない。サラも現役の頃ほどには、痛みに耐えられる自信はなかった。
冬でありながら、半地下の広大な空間は、肌着で少し汗ばむほどに熱されている。
「マギーに20だ!」「マギーに15!」「マギーに8!」「1ラウンドに30!」
「おいおい!誰か相手に賭ける奴いないのか!賭けが成立しないぜ!」
周囲を取り囲んだ商人や居住者、それに廃墟民らが楽しげに酒を飲んでおり、盛んに火が焚かれていた。幸いなのは、死ぬまで戦うことを強要される、ルール無用な地下ファイトなどではなく、降参も、セコンドによるタオル投入も認められている点だろうか。
地下の壁に何枚かのポスターが張られている。大半は男性だが、女性選手の試合のポスターもあって『挑戦者、ランキング三位マルグリット・モイラvsポレシャ統一チャンピオン、クリスティーネ・モーデュソン』そう描かれた見出しで、二人の娘が拳を構えている。(……なにやってんだ、こいつ。現役バリバリじゃないか)サラはちょっと恐くなった。
支給されたスポブラ姿になったサラは、バンテージを軽く巻いた拳を握りしめた。指の動きは阻害されていない。投げも、極めも使える。もっとも、それは両方ともマギーの得意技なのだが。
「ルールを確認する。目つぶしと噛みつき、頭突き。髪の毛と耳を掴む。それに急所攻撃はなし。後は素手と素足で戦う事。OK?」態々、審判を買って出た太った商人。私物の白黒ストライプ服に着替えた彼は、向き合ったサラとマギーにルールの確認を取っている。
「急所とは?」サラが審判に尋ねる。
「喉笛、それにタックルされた時に後頭部や首に肘打ちを打ち込むような危険な攻撃だ」
「昔の仕事よりは、安全だろう?お互いに」マギーが微笑んでいる。以前は無表情を気取っていたが、今は感情が表に出過ぎてるほどに表情豊かだった。
「急所なしだと、体重差でわたしが有利になり過ぎるかな。殺す気はないが、運が悪かったら……墓標くらいは立てるよ」完全に舐め切った台詞を吐きながら、マギーも上着を脱いだ。凄まじい筋肉が隆起している。均整の取れた体格でありながら、筋肉の繊維が鋼の束のように密集しているように見える。しかし、それでも、昔ほどの圧迫感や戦慄は感じなかった。
(……182から3センチ、百キロ近くはあるかな。付け目があるとしたら、最初から舐めてかかっていることか。だけど、マギーは目がいい。猫科の猛獣さながらの反射神経を誇っている)
ゴングが鳴らされた。サラはいきなりの回し蹴り。「プロレスか?」馬鹿みたいな大技に失望の表情を浮かべつつ、あっさりとマギーが腕で防ぐと、サラの身体が回転した。マギーの腕を起点に跳ね上がったサラの踵が、マギーの額を狙って空間を抉った。
マギーが素早く転がって逃げた。受けようとしない判断は流石だった。
観客たちは沸き立っているが、サラは舌打ちした。今の一撃で、腕の一本も折れれば、降参を引き出すか、或いは有利に試合を運べたものを。
「……死ぬところだった」マギーが吐き捨てる。もはや、せせら笑いは消えていた。無様でもなんでも兎に角、必殺の一撃から逃れえた反応速度は確かだった。やはり手ごわい、とサラは気を引き締める。さて、こちらを侮っていたマギーに対する初っ端の不意打ちも外れて、これからどうするべきか。
※※※※
まあ、不意打ちが通じなければ、道具もなし。相手を殺してはならない制約がある以上、サラに勝ち目はない。
幾重にも重なる不気味な遠吠えに目を開けると、目の前に見知らぬ壁があった。獣たちの遠吠えからするに時刻は深夜だろうか。
狭い部屋だ。セメントの狭い部屋に寝台と小さな机、水差しとコップにカンテラが明かりを放っている。腹が空いたが、水くらいしか置いてない。
鼻に乱暴に詰められた脱脂綿を取ると、鼻血で赤黒く固まっていた。マギーの凶悪な拳の圧力に抗しきれず、フルボッコにされて負けたのだと衝撃に塗れたリングでの戦いを思い起していた。寝台の傍らには、呼び鈴の紐が壁に続いていて、サラが引っ張ると、暫くして扉からマギーが入ってきた。
サラを眺めてから忌々しげに溜息を洩らすと、マギーが隅の椅子に座った。
「私は善人だから、お前は生きている。そして、警告するなら世には私程度に使える悪党など幾らでもいる。その力量では、一つ間違えれば命を落とす。だが、冷や汗掻かされた以上、わたしも交わした約束は守るべきだろう」
なにやらスケッチされた紙を取り出したマギーが、サラに向かって投げた。
「犠牲者の持っていたナイフ。戦利品にされた可能性もある。二枚目以降は、ここ最近にやってきて、派手に暴れてる連中のリスト。中でも特に重犯罪を犯す可能性が高い奴は赤線」
サラが手に取ってリストを見れば、赤線はただの一人。名前は、ヘイズ・バホラ。小地区の辺りで破落戸を熨して、派手に顔を売っていると書かれていた。近いうちに愚連隊寄りの徒党に成り上がるとも予測されている。
「工芸都市バホラの窯元の馬鹿息子。向こうで暴行事件を出して追放された」マギーは淡々と呟きながら、紙巻煙草を咥えた。ライターで火を付ける。
かなりの高級品なのだろう。紫煙の匂いがサラの鼻腔を微かに刺激した。
「父親は、ひどく心配性らしい。ポレシャ行政府に対して、息子の滞在中、庇護の返礼として寄付を申し出た。その額、年間四千ギルド・クレジット」
二千か三千ギルド・クレジットあれば、小さな新築の家をセメントで建てられる。
「財政苦しいポレシャにそれだけの資材があれば……」マギーの呟きに被せて、サラは囁いた。
「
マギーが煙草の火を壁に押し付けた。
「二度目はない。ヘイズもそれを理解して大人しくしている。今のところ、は。彼の生贄になっているのは、主に所有している奴隷の二人組だ」
「……腐ってるな」サラの呟きにマギーは呟きを返した。
「被害者とその身内にとっては、許せない話だろうな。だが、まだヘイズは容疑者のひとりと言うだけだ」溜息をついたマギーが、言葉を続けた。
「……心配性の父親は、護衛も雇い入れた。エリーゼ・ヴァイスとヴィクトル・ヘプナーが十二月中に到着する」名を聞いたサラが、緊張したように唾を呑んだ。
「一級のガードだ。やはり一流の狙撃手か、建物ごと吹き飛ばすくらいでないと殺せなくなる。そして私の町で、誰にもそんなことは許さない」マギーはサラを見つめていった。
「私の町、か。随分と気に入ってるんだね」
「いい街だ。人が人がましく生きられる土地は、もうそれほど多く残されてはいない」
「殺された娘も、この町の事を好きだと言っていた」サラの呟きは静かに吸い込まれていった。
「このおしゃべりが、町の為になるのか、町への裏切りなのか、私にも分からん」マギーは言いながら立ち上がった。扉から出て行きざまに「いずれにしても、時間の猶予はない。後は好きにしろ」