黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_47D 宿営地の影

 

「保安官は結婚しないの?」

「いいと思っていた人は、みんな、死ぬか、いなくなっちゃうからね」

 

 

 ※※※※

 

 

 変異した熊は確かに恐るべき怪物ではある。黒熊よりも強靭な生命力を保持している上、文明崩壊後に製造された弾薬は、銃本体の痛みを軽減させるために威力が低下しがちであった。それでも通常、弾薬の百発から百六十発を費やせば、倒せない相手ではない。それが二百五十発。

 

「……何をやっているのだ」と言うのが伐採地へと向かう馬車の中でキャシディ・エヴァンス保安官が不機嫌そうに洩らした愚痴で、マギーも腕組みしながら無言で頷いた。エヴァンス自身は、ライフル弾ただ一発で変異熊を仕留めたこともある手練だ。それだけに貴重な金属薬莢弾を含んだ弾薬を、怪物一匹に二百も三百も浪費したことに不満なのだろう。馬車の中には重苦しい空気が漂っていた。

 

「でか!」倒された熊の死体を眼にした二人は、期せずして同じ言葉を叫んだ。

「よくこんな怪物倒したわ。凄いわ」

「よく鉄砲弾で仕留められたなってなる、なった」

 これは乱射しても無理もない。頭蓋骨も体躯に比例した相当な厚みで、拳銃弾や弱装弾、小口径弾頭は例え、ライフルを用いたとしても弾かれてしまうだろう。筋肉と血管、臓器がズタズタになるまで銃弾を撃ち込む以外に方法など無かったに違いない。

 

 むしろ、二百五十発でよく仕留めた、と言うのが、実際に見たエヴァンス保安官の所見だった。怪物の死体を見るに、発砲した七割から八割は当てていると見えて、駐屯していた警備や狩人たちが、落ち着いて対処したのが分かる。毛皮は、脂と汚れが固まってゴワゴワとした感触を残しており、まるで硬革の如き手応えをしている。掌クルンクルンだが、件の怪物は大型のグリズリーみたいな体格をしている。毛皮を剥いで剥製にするそうで、その為の専門家も都市から呼んだそうだ。

 

「雌熊だな、こいつ」同じく斥候として雇われた猟師のマカロヴァ爺さん。まじまじと眺めてから呟いた。

「えぇ?子供とかいないよね」

「こいつみたいなのが二匹も三匹もやってきたら、伐採地の砦も全滅ですよ」

 伐採地の砦と言っても、宿舎を中心に木の杭を打ちこんで若干の鉄条網を張ってあるだけだった。丸太の壁が最良だろうが、しかし、作業員の確保やら、資材の搬出やらで、今のところ後回しにされている。

 

 マギーもキャシディ・エヴァンス保安官も、ただの若い娘みたいな言動をしてしまう。とは言え、こんな怪物には流石にライフル弾も通用すまい。三メートル半はありそうな巨躯に加えて、マギーでも斧を振り回そうがあっさりと食べられてしまいそうな、凄まじい爪と牙の大きさであった。

 呟いてる若い娘二人に「さてなぁ、いないとは思うが……そもそも変異熊の寿命ってのは、随分と長いし、際限なくデカくなるとも聞いてるからなぁ」

 無責任に恐がらせてから、マカロヴァ爺さんが振り返りつつ「人間食った奴ほど賢くなるって噂もある。そういう化け物もいるらしいから、あながち、噂とも言い切れないが……学者先生じゃねえんだ。分かりませんよ」

 丁寧語になったマカロヴァ爺さん。恐がってたのがキャシディにマギーと気づいて「そういや若い娘だったか」とか失礼な言葉を呟いていた。

 

 顔を見合わせたマギーとキャシディは、確かに若干を怖気づいていた。とはいえ、臆病ゆえの盲目的な恐怖に憑りつかれたのではなく、己が現実に戦うのを想定した際の豊富な経験に裏打ちされた警戒心からの戦慄であった。実際に変異熊が目の前に出現したら二人が勇敢、かつ冷静に戦うであろうことは誰も疑ってはいない。

 

 キャシディは腰のホルスターに収めたリボルバーに指をかけ、マギーも傍らに立てかけてあった手斧の柄を無意識に握りしめた。そんなものが変異熊の巨躯には通用しないことを二人は百も承知していたが、それでも武器に触れると、多少だが気持ちは落ち着いた。

「嫌だねぇ……こんなのが二匹も、三匹もいたら」マギーが口にすると、場の空気が一層重くなった。

「……まあ、いないと思うがな」マカロヴァ爺さんが肩をすくめる。「だが、さっきも言ったように、変異熊の寿命はやたら長いって話だし、こいつも雌なら――」

 マカロヴァ爺さんは続きを口をせず、ただ煙草を取り出して火をつけた。

 

 マギーは大きく息を吐き出し、目の前の巨大な死骸をもう一度見下ろした。血に濡れた毛皮、厚い頭蓋、獣臭い脂の匂い。確かに化け物だった。流石にこれほど化け物が他にいると考えにくいが、マギーは積み重ねられた粗朶の先に広がる広葉樹や針葉樹が生い茂った森を鋭く一瞥した。

「……さっさと丸太の壁、作ってもらいたいね」マギーの呟きに、キャシディも黙って頷いた。枝葉の重なった闇の向こう側には、今も夥しい数の屍者や変異獣が徘徊している筈だった。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 

 伐採地での哨戒任務に就くに当たって、マギーはニナを一人にしない手筈を整えていた。居留地には常に新顔の移住者が流れ込んでいたし、その中には蛮人や女が財貨として扱われる土地の若い男もいたからだ。ニナは美しい娘に成長しつつあって、若い男の視線を引き付けるには充分であったし、中には邪まな思惑を抱く者もいるだろうことは、誰にも容易に想像がついた。

 

 

 保安官のキャシディなどは「ニナが一人になるなら、うちに泊まりに来ても良い。両親も喜ぶ」と誘ってくれたが、マギーが丁重に断った。キャシディの両親、エヴァンス夫妻は確かに善良な人物だが、お節介が過ぎる。ニナやマギーを『正業』に就けようと奉公先を紹介しようとしたり、パーティーを開いてマギーに男性を紹介しようとするのには些か辟易としたものだ。娘のキャシディにしても、人前で「この子は幼い頃からお転婆で」などと言われては保安官も形無しだろう。両親からの結婚はまだなのか、何時まで今の仕事をするのかと言う問いかけから逃げ回っているようで、キャシディからの誘いには多分に帰宅後、両親への盾にしようという思惑が感じ取れた。

 

 

 簡易宿泊所の亭主も、また朴訥な人柄だったが、それだけに悪党の思惑にはやや疎く、防犯対策も後手に回りがちで、こういう時に頼れる男ではないとマギーは見做していた。かと言って、満更の間抜けでもないので、事情を話しておけば協力を仰ぐことは出来るだろう。マギーが手配したのは、昔の部下のジーナをマギーの替わりに宿泊させる事だった。

 

 

 宿泊所の寝台の上で、下着姿のジーナがニナに説明していた。

「そういう訳で、私がマギーの替わりに貴女を守ります」マギーの不在中、ニナを守るために、ジーナを手配した。それ自体にニナに不満はない。大金を持った身なりのいい小娘、変な気持ちを起こす奴がいても不思議はない。

「いっぱい甘えていいんだよ?」ジーナが手を広げながら、蕩けるような笑みをニナに向けてきた。

「それは遠慮する」ニナは断った。

 

 略奪婚といい、他所の女を浚うと言う、そうした風習の根強い土地から来た連中もいる。別に女を無理やり犯したからと言って、金や権利を奪える訳ではないが、何故か、女を手籠めにしたら財産も自分のものになると勘違いしてるやつもいる。

 これは男女逆にもいて、財産を持った少年を己の土地に浚った蛮人の女が、少年の財産を全て売り払って送金するように管財人に要求してきたなんて例もあった。

 

 自らを文明人と持って任じる居留地《ポレシャ》の人々は、気狂いだの野蛮だのと口を極めて罵るが、野蛮な慣習が力を持っている土地があり、人々が勢力を誇っている事は現実なのだから蛮人や蛮族のを侮るべきではない、とニナは思っている。

 

 スタンフィーめの歴史談議に依れば、例えば、娘が傷物にされて、侍やら騎士やらには娘の名誉を回復させるため、人としての尊厳を回復させるために相手の一族をぶっ殺しにかち込む親父や兄貴の逸話が残っているが、文化によっては親兄弟が娘をぶっ殺す、となる土地もある。ポレシャや自由都市は前者に近い価値観を有しているが、後者の価値観に基づいている領域も広く存在している。

 

 異民族からの幾度もの侵略と支配に晒された土地において、傷物とされた娘は、その存在そのものが、財産や名誉を守り切れずに傷つけられた一族の不名誉な証であって、抹消しなければならないからだ。過去の苦痛と絶望、今もじくじくと膿んでいる魂の傷と苦悶が本来、守るべき血族を切り捨ててまで名誉と誇りを守ることに執着させるのだ。

 

 だから一見、理解できないように思える不合理であったり、理不尽な行動や風習、考え方にも、相応の背景《バックボーン》や蓄積、流れがあり、けして軽んじたり、侮るべきではないし、断定や思い込みで予測・判断するべきではないとスタンフィーめは言っていた。

 

 

 そこまで考えてニナは不機嫌そうに唸った。マギーはよく、オーについて口にする。オーだったら、どうしただろうか。彼なら、どう振舞っただろうか。キャシディも、先代保安官について似たような事を口にする。先達二人は英雄的人物に師事したのに対し、ニナが見習うのはよりによって、マギーを寝取った怨敵スタンフィーの思考であろうか?

「……いや、違う。違いますし。参考にしてるだけですし」爪を噛んでブンブンと首を振るうニナを面白そうに眺めているジーナだが、やがて飽きたのか。寝台に寝転がると、何かに気づいたようにペタペタと寝台を触った。

「あああ、マギーの匂い」うっとりとしたように、ジーナが毛布に顔を埋めた。

「あ、なにしてるの!その匂いは私のだよ!やめて!返して!」寝酒を呑んだニナは、ちょっと酔っている。

「やめません、すーはー」スンスンと嗅ぎながら、ジーナが身悶えする。

「……やめてよぉ、やめろぉ」ニナがポカポカとジーナの肩をたたいた。

「そんなに言うなら、返してあげる」ジーナはニナを抱きしめた。

「ほら、匂い嗅いでもいいよ♡」

「わあ、放してよぅ」

「マギーが帰ってきたら、二人で可愛がってもらおうね♡」ジーナが耳元で囁いてくる。

「ああ、もう。マギーはわたしのなのぉ。とっちゃやだぁ」ニナは涙目になってた。

「マギーはハーレムしてました。特に仲良くしていたのが他に三人います」ジーナは微笑みながら、ニナの髪を撫でた。

「他の連中が諦めても、私はずっとマギーを追っていました。だから、こうして今も傍にいます。これからもそうです」

 

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 廃市街に近い小地区の一角、荒れ果てた街並みと見すぼらしい建物が並ぶ中、宿屋の大部屋に文明崩壊《ポストアポカリプス》の世には不釣り合いなほど整然とした黒スーツの偉丈夫と麗人が佇んでいた。

「私はヴィクトル・ヘプナー。そちらは、エリーゼ・ヴァイス」

 寝台に半裸で腰かけたヘイズは、偉丈夫を無視すると端麗な女性の方にだけ軽い挨拶を送った。

「よう、よろしく。エリーゼちゃん」

 黒スーツの二人組を囲むように、数人の破落戸が薄ら笑いを浮かべて集まっていた。

「護衛だとよ。ヘイズ兄ぃを守るのは、俺たちだけで充分だよ」ひとりが歯の欠けた口を開いた。破落戸とは言え、中には、ヘイズやヴィクトルの長身を上回る巨躯の持ち主も混ざっていた。

 

「こいつらは、居留地に登録もしてない廃墟の屑どもだ」ヘイズが冷ややかに言い放つと、周囲の破落戸たちはそれを気にする様子もなく、ニヤニヤと笑みを浮かべた。

「腕前を見せてくれ」ヴィクトルに対して求めたヘイズのの言葉には、挑発的な意味合いも含まれていた。

「関心しないやり方だが」ヴィクトルが顔色を変えるでもなく淡々と告げた。エリーゼその場の空気を無視することなく、冷静に周囲を観察している。

 

「さ、エリーゼちゃんの方は、そんな事より親交を深めようぜ。」ヘイズが突然、表情を崩して笑いながら言った。エリーゼの腕を掴み、しかし、予想外の堅さに驚いたように目を瞠った。

 

 破落戸たちは、ゆっくりと間合いを詰め、瞬間、ヴィクトルが動いた。

 数人の破落戸が壁へと叩きつけられ、建物が揺れた。薄い壁を突き破ったものもいる。

 

 偉丈夫の動きは恐ろしく俊敏で、数秒も経たないうちに室内の空気は一変し、完全に塗り替えられていた。目の前で示された圧倒的な力に、破落戸たちは完全に圧倒され、周囲は静まり返っていた。集中する畏怖の視線を気にすることなく、ヴィクトル・ヘプナーは、ヘイズを凝視した。

 

 そしてエリーゼも、素早く動きでヘイズの腕をあっさりと捻じり上げている。

 ヘイズは焦る様子もなく、むしろ感心したように口笛を吹いている。

「サイボーグか。初めて見た」

「……ただの義手です」エリーゼが応える。

「あそこも改造しているか?」ヘラヘラと笑っているヘイズの腕を、無表情のままエリーゼが少し危険な角度までひねり上げた。

 

「痛ぇ!参った。降参だ、降参!」ヘイズはあっさりと告げる。やや意外そうに目を細めたエリーゼは、ヘプナーと視線を合わせてから、手を離した。

「あなたの父親からは、息子の指示に従う必要はない。命を守ることを最優先しろとの依頼を受けた。どうやら我が子の事をよく分かっているようだ」ヴィクトルが告げると、「糞親父が……」ヘイズは舌打ちして吐き捨てた。

 

「あなたは相当な有力者に怨みを買ったようだな。ヘイズ・バホラの首には、六千ギルド・クレジットの殺害賞金が懸けられた」エリーゼが淡々と言った。

「勿論、裏の手配師が金を受け取っての采配を行っている。例え、誰かが裏切っても、報酬は受け取れない」破落戸たちを一瞥してエリーゼは頷いた。

「有象無象に襲われることはないから、それについては安心していい」

「最低でも三組の殺し屋が動いている」ヴィクトルが言葉を継いだ「あなたには、すぐに市内のホテルへと移ってもらう」

 

「議事堂と保安官事務所から目と鼻の先。五分で警備隊が駆けつけてくる」ヴィクトルが説明を続けた。

「幸いなことにポレシャの警察は優秀だ。自由都市とある種の同盟も結んでいる」

「大人数で乗り込んでくることはない」エリーゼが促すとヘイズはニヤリと笑って言った。

「嫌だね」

 エリーゼは眉を潜め、ヴィクトルは微かに首を傾げた。

 

「此処で迎え撃つ。勝手知ったる俺の城だ。手下どもも大勢いる」ヘイズの言にヴィクトルは「愚かな決断だ」変わらぬ口調で断言した。

「一流処の殺し屋が集まってくる。どれも名のある殺し屋たちだ」エリーゼは、ヘイズの手下たちを再び一瞥すると「こんな連中は盾にもならない」断言した。今度はヘイズの手下たちも、いささか不安そうに顔を見合わせている。

 

「だからこそ、だ。裏社会の刺客を返り討ちにした時、ヘイズ・バホラの名前は不動の伝説になる」腕を広げながら「お前たちは、まあ、そこらで好きにしてろ」言ったヘイズは天を睨んでから、黒スーツの護衛たちに向き直った。

「と、言いたいところだが、確かにもう少し守りやすい場所には移った方がよさそうだ」薄い壁を拳で叩きながら、ヘイズは頷いて寝台脇の袋を手に取った。札束を机に乗せる。

「だが、ホテルには移らない。警備隊の近くじゃ、殺し屋どもも動きようがないだろうからな」寝台の上に座ったヘイズは、護衛二人に鋭い視線を向けた。

「迎え撃つのは、門前にある馴染みの宿屋だ。民兵も屯っていて多少の支援は期待できる一帯にある。報酬を上乗せする。連中を迎え撃つのに力を貸せ」

 

 

 

 

 

 

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