黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_48A 冬籠りの酒場

 商業通りの酒場は、『門前』地区でも指折りの規模を誇って繁盛している。

 大崩壊前の廃墟をセメントやレンガで修繕した三階建ての大型建築物で、軋みを上げる重たい両開き扉を開ければ、酒とパイプの紫煙、そして料理の匂いが入り混じった熱気が吹き付け、吹き鳴らされる管楽器や弦楽器の音が何重にも響いている。

 天井は高く、頑丈で巨大な木製の梁がむき出しになっていた。壁には旅人たちが刻んだ落書きの上に、無数の尋ね人や賞金首、催し物の張り紙が貼られている。

 

 暖炉では巨大な炎が赤々と燃えあがり、店内には陽気な笑い声や怒号、グラスを打ち鳴らす音が混沌と渦巻いていた。冬籠りの時期、普段以上に客足が増えているのは、飢えた獣たちが彷徨う危険な冬を大型居留地の広場に設けられた宿営地で過ごそうと言う旅人や旅隊《キャラバン》が例年よりも多かったからだ。

 

 暫く前、女給の一人が怪事件に巻き込まれて変死し、しかし、それも曠野には珍しくはない事だった。人間同士の事件が滅多にないポレシャ居留地とは言え、変異獣や屍者、狼に巨大蟻などに襲われて命を落とす人は後を絶たない。黄昏の世(トワイライトエイジ)に生きる人々は、何時までも沈んではいられない。

 

 

 

 店に一歩、足を踏み入れれば、頑丈な木材が張られた中央に巨大な円形のカウンターが鎮座し、風格を漂わせる義足のバーテンダーがグラスを拭いている。後ろの棚には、各地の蒸留酒や果実酒がぎっしりと並び、琥珀色の液体が鈍く光を反射していた。中には、喉を焼き尽くすような火酒も見受けられる。

 

 芳醇な味わいの酒に関しては、最高級品を除けば市民街区にも見劣りしない品ぞろえを誇りつつ、懐の寒い旅人向けの安いエールやどぶろく、密造酒《ムーンシャイン》も取り揃え、パン屑と豆の煮込み、獣肉の燻製など、簡素ながらも腹を満たす料理も用意されている。

 

 店内には無数の木製テーブルが並び、旅人たちは杯を交わし、賭け事に興じ、各地の噂話を語り合っている。店の隅では、年季の入った楽士が若く精悍な放浪の楽師と並んで擦り切れた弦をつま弾き、古びた歌を低く響かせていた。

 

 窓際の長椅子には旅の商人や狩人、傭兵に駆け出しの廃墟漁りや鉱夫の一団までもが腰を下ろして、情報交換に余念がない。対して奥まった薄暗い席には、胡散臭い取引を交わす商人や、無言で酒を啜る年嵩の廃墟漁りたち。賞金首の貼り紙を見つめて囁きを交わし合う傭兵風男女の姿もあった。最奥の囲炉裏では、料理の大鍋が低く唸るように煮え立ち、巨大な獣肉が焼かれていた。肉が焦げる匂いと、滴る脂が炎に弾ける音が、腹を空かせた風来坊たちの目を不穏なほどに引き付けている。

 

 二階吹き抜け部分には個室の扉が並んでおり、普段は一階と同じく賑わっている筈が今は訳在って階段が封鎖されており、一夜の宿を求めて訪れてきた旅商人の一団に店主が対応して、全ての部屋が一冬貸し切りになってしまったのだと一々、詫びていた。一方で二階席に陣取り、見下ろす者たちの目は、酒場の猥雑な混沌を鋭く観察している。奇妙な緊張感を感じとって首を傾げる来客もいれば、誰とも視線を合わせることなく陰気に酒を啜る酔客、気に要らぬ匂いを嗅ぎ取った野生の狼のように、早めに切り上げて席を立つ傭兵や狩人も幾人かいて、常の喧騒に何処か空しい空騒ぎのような気配を孕んでいた。

 

 

 薄暗い壁の片隅に面した一階の長椅子で、ルークは低い声で尋ねた。

「……体毛と体液だが、結果は出たか?」

「分析には、あと数日掛かるそうだ。しかし、どうやって確保した?」明後日の方向を向いた隣の若い酔客が囁くように尋ねた。

「大勢の女を買っている。そのうち一人を買収した」とルーク。

「なるほど」若い男は、唸るように笑いを発した。

 

「それよりも……」ルークがやや早口に尋ねて「焦るな。時間はかかると言った。どうしてもな」相手の若者が押し殺すように告げた。遺伝子解析の装置は、西暦の1980年代に開発された。20世紀後半の精密機械を19世紀産業革命程度の技術力の地でメンテすれば、例え設計図が残されて、知識を持った技術者や職人がいるとしても劣化は免れない。

 

 二人とも殆んど動いていない。先刻から目の前の酒と料理を不味そうに時間を掛けて摘まんでいる。二階席では、最近、特にお気に入りの踊り子に語り掛けるヘイズの姿と、背後に佇んで四方に視線を走らせている黒スーツの二人組。

「こちらの雇った賞金稼ぎは、確認が取れ次第、動き出す」若者の囁くような声。

「だが、上手くいくのか? あの二人、相当の手練れだぞ」三人ともが相応の手練で、果たして賞金稼ぎに勝ち目はあるのだろうか、とルークは不安を抱いていた。

「こちらの雇った賞金稼ぎも凄腕で、目的はヘイズ一人。必ず上手くいくさ」若者は断言し、炒った豆のプティングをエールで一気に飲み込んだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 今年の寒さは、例年よりも少しだけ厳しかった。

「あかん……しぬぅ」隻眼のリリーは、貧しい渡り人(オーキー)の娘である。毎年、冬をギリギリ越せる程度に働いて薪と金と食べ物を貯めると、後は野となれ山となれ。日々の大半をのんべんだらりと暮らしている、よくいる怠惰な下層地区の住人の一人だった。怠け者の渡り人(オーキー)は、兎角、死にやすい。なぜなら生きていく最低限の服や食べ物、薪しか持たないから、予想外の怪我や寒さに対して脆弱であった。寒さや暑さで予想以上に食べ物を食べた。食べ物が腐った。服が破れた。薪を使った。何かしらを盗まれた。そんな些細なアクシデントで人生が文字通りに詰んでしまう。

 

 災厄と災害の降り懸かる曠野生活に、貯蓄は不可欠の概念であった。リリーはまるきりの馬鹿でも無かったので、多少のゆとりは作っていた。ところが寒波は予想以上で、薪の消耗が予定していた消費量を上回りつつあった。

 冬の冷気に包まれた夜の帳が降りるのを感じながら、連日を町外れの小さな木賃宿の大部屋でリリーは過ごしていた。寒風吹きすさぶ冬夜を薪をくべて寒さを凌ぎながら、うつらうつらと過ごして、明け方に簡素な料理を作り、それを一日に少しずつ食べながら日が沈む前に出来るだけ眠っておく。昨年までは、それで凌いできたし、凌げるはずであった。

 

 

 今年は、いささか寒すぎた。見知らぬ者には用心深い渡り人(オーキー)や自由労働者が、木賃宿の見知らぬ同宿者たちに話しかけ、薪を共有するほどの夜の冷え込みであった。そうして節約しても、なお薪の消耗は激しい。昨日の夜中はついに、計算上で許容される最大消費量を上回ってしまった。

 

 深夜の大部屋に震えながら、炎の中に薪を投下したのは、それをしなければ凍死していたか、体調を崩していたと本能で感じ取っていたからだ。リリーはそこそこに顔立ちの良い若い娘なので、身体を売るなりなんなりと生きる術はまだ残されているが、他の貧乏人に至っては薪が底を尽くのが見えてきて、顔色を蒼白にしている者の姿もあった。勿論、リリーとて、リスクと嫌悪感を考えれば、できるだけ取りたくない手段だった。

 

(しゃあない……マギーを頼るか)最悪、抱かれるが、男性に嫌悪感を抱くリリーにとっては、まだ同性の方がマシだった。友人のマギーは多分、助けてくれる。或いは、断ったり、弱みにつけ込んでくるのではないかという不安もあった。その時はどうするか?

 

 リリーには、答えが見つからない。薪を買うにしても金が足りない。冬季の気温で汗を掻くような労働はもう出来ないし、楽な仕事や屋内作業も伝手の無い渡り人(オーキー)には有りつけない。つまりは稼ぐ手段がない。薪は、品薄になって足を棒にして探しまわっても中々、売ってないし、高騰と言う程ではないにしろ例年よりも値上がりしている。

 

 自暴自棄な凶暴な気分が沸き上がってくる。(……ああ、こういう時にあれやな。人は無法者とか、ならず者に加わる訳やな)初めて、気持ちを理解した。

 とは言え、実際に他人を傷つけるよりは、飢えて死ぬ方を多分、選ぶだろうとリリーは思った。しかし、周囲を見ると、ポレシャでは殆んどの人々がなんとか冬を乗り越えそうだし、下層民も大部分は生き残れるだろう。要するに現状は、怠け者の自業自得。リリーは、アリとキリギリスのキリギリスなのだろう。

 

 下層地区で薪や炭を売ってる渡り人(オーキー)や自由労働者たちを訪ねても、売るものがないと告げられた。僅かな在庫も知り合いの予約済みなのだそうだ。中町まで行っても、薪屋炭屋の値段は、かなり高騰していてやはり手が出ない。最後には買うだけ買うことになるだろうが、向こうも足元を見ている訳ではないのだ。乏しい持ち金で炭団子を買ってる渡り人(オーキー)の親子もいて、リリーも迷ったが、今は買わなかった。或いは、時間が経てば、もっと値上がりすることになるかも知れない。

 

 薪炭《しんたん》問屋のある門前町まで足を延ばして、しかし、当然に町外れや中町よりも値段が高く、手が届く筈もなかった。

 

「あーあ。まあ、ええわ。マギーの事は嫌いじゃないし」リリーがぶつぶつと呟いていると防壁の内側。市民街区の方から馬車や荷車が何台も連なって進んできた。

 行き交う人々が騒めき、囁き合う中、車列はゆっくりと門前の広場へと向かっていき、何台かは隊列を逸れて中町や町外れへと向かう道へと向かっていった。

「……わぁ」リリーが呟いていると、緊急放送システムのスピーカーから高音と雑音が流れた。『これより、各地区の第一広場において薪を販売する。名簿登録者及び正規居住者で購入を希望する者は、身分証明書を持参した上で整列せよ』音声が居留地に響き渡った。

 

「……み、身分証」普段、使わない身分証を探して、リリーが財布や荷物をひっくり返すと、他にも同じことをしている渡り人(オーキー)や自由労働者などが目に入った。呻いている若者の一団は、きっと名簿登録せずに居留地で働いていた自由労働者だろう。

 

 

『今回、販売される薪の量は、一人当たり30キロ。1キロ当たり、半クレジットで販売される。門前貨幣及び、食糧チケットによる支払いでも受け付けられる。慌てずに整列せよ。1月の上旬と下旬にも、同じだけの販売が行われる。金がないものに対しては、一時的に貸し付けが行われる。これには三割の利子が付く。一年以内に返済を行うこと』

 

 自由労働者や渡り人(オーキー)などが居住地区に戻らんと、ぞろぞろ列をなして、馬車の後を追いかけていた。心なしか表情も明るく、足取りも弾んでいるようだ。リリーも列の後尾に混ざってゆっくりと歩き出した。どうやら、今年の冬も越えられそうだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

『……四十トンの薪が放出される予定である。慌てずに整列せよ。薪は充分な量が備蓄されており、一時的に売り切れても、全員分の販売量が確保されている。慌てずに秩序を持って行動せよ』緊急放送システムが落ち着いた声音で、ずっと同じ内容を繰り返している。

 

 がら空きになった簡易宿泊所。奥のベッドの上で寝転びながら「よく計算されている」放送を聞いていたニナがそう呟いた。

「ニナちゃんは買ってこないの?」薪を購入しようと、外出の為に何重にも着込んだジーナが尋ねてくる。

「薪は充分に……足りなくなっても、普通に買えるし」言って、ニナは小さく欠伸をかみ殺した。

 

「しかし、みんな。買いに行ったねぇ。薪は充分にありそうな人も」肩を竦めるジーナ。

「一キロ、半クレジットは真冬の時期としては安いからね。居留地ポンド紙幣だと、もっと安く買えるし」とニナ。

「薪が多めにあるものが買い取って、転売する可能性もあるかな?でも、春や夏には値下がりする」

 

 居留地行政の配給計画を鑑みたニナは、行商人見習いとしての思考でよく考えられていると評価した。複数回に分けて定価で販売するのは、高騰を防ぐためであろう。全員が一定量を買える機会を三回に分けて放出することで、高騰を防ぎつつ、足りないものに各々100キロほど薪が行きわたるよう手配されている。

 

 薪100キロは、小さな空間などで節約して80時間から100時間分。複数人で薪を持ち寄り、一緒に当たれば、150から200時間。冬が残り70日として、日二~三時間分の燃料を供給すれば、殆んどの住人は冬を乗り切れる。元々の備蓄分に加えて、日に2~3時間分の薪を供給する補充システムがあることで、住民たちは非常時の追加分として備蓄を補完でき、安定した暖房や生活が保たれる。

 

  備蓄と定期的な補充の組み合わせも効果が高い。おかゆに梅干し並みだ。元々の備蓄分である程度の基盤が確保されており、その上で毎日2~3時間分の薪が供給されることで、全体として安定的な生活が可能となる。長期にわたる冬の時期においては、薪が不足しがちになるため、定期的な補充があることで、住民は安心して過ごすことができる。

 

 また、供給される薪が均等に配分されることで不公平感や不安定感が減少する。消費量が急激に増えた場合や、極端に寒くなった場合でも、定期的な追加供給が行われれば、時々の需要に対応できるため、システムとしての耐久性も高まる。備蓄に加えた定期的な少量の供給は効果的な方法で、冬を乗り越えるための強固な基盤を作るためには理想的なアプローチと考えられる。概算として、40000キロの薪は充分にポレシャの貧困層を救済する熱量を有している。

 

 マギーはポレシャに移住する際、本当によく熟考してくれた。そして、今のところ、その選択肢は殆んど間違ってはいない。ポレシャの政治は確かに善政の範疇で、今回の安価での放出に救われる貧困層も大勢いるだろう。だが、二年前の今日は、そんな助けもなくニナは寒さに震えていた。どうせなら、その時も助けてくれればよかったのに。寒さに震えた日々を思い出し、自力で冬越えがどうにでもなるタイミングで救済策を発表されても、いささか遅いし、不平等だと心の奥底で不満を抱くニナだが、しかし、これで救われるものもいるのだし、なによりポレシャでなければ、冬を楽しめるまでに財産を蓄える事も難しかったに違いないとの並列思考に気持ちを宥めた。

 

 禍福は糾える縄の如し、だ。不運に思えても、今、立脚している立場こそが幸運なのだという事を忘れないようにすることが、傲慢にならない為に重要な戒めに違いないと、そう結論づけてニナは小さく欠伸した。こうして、ぬくぬくできる身分こそ最高だにゃあ。

 

 

 

  ※※※※

 

 

 

 門前町の酒場兼旅籠の大きな個室で、寝台に転がっていたヘイズも、緊急放送を聞いていた。

「ふん、随分と貧乏人どもを気に掛けているようだな。奇特な為政者もいるものだ」鼻を鳴らして嘲るように言いながらも、いつもの不遜な態度が陰っていた。

「ねぇ?どうしたのぉ」纏わりついてくる娼婦たちを五月蠅げに押しのけると、水差しから冷たい水を一気に呷って「……こんな土地もあるのか」呻くように言った。

 

 壁際に控えていたエリーゼとヴィクトルが妙な顔をして、目を見合わせていた。

「なんだ、そんな顔をして。言いたいことがあるなら、遠慮なしに言え。お前ら、遠慮すると俺が死ぬ」

「意外な一言でした」エリーゼが肩を竦めると、ヘイズは苦笑いした。

「愛を知った怪物みたいな反応されても……今さらか」

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 12月下旬

 

  7480クレジット

 

 

 

 

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