―――暫くは、あまり門前町を出歩かないように
それが別れ際のマギーの言葉で、ニナは忠実に何も考えずに言いつけを守った。理由を考えれば、推測が入り込む余地が出る。推測に予断を重ねれば、事態を見誤って動く動機づけとなる。マギーは少なくとも、ニナよりは事情を把握しているし、視野も広く、頭も切れる。ならば、忠告を墨守しようと、ニナは迂闊に動くことを自戒した。
思考停止した訳ではない。時に流れや状況に身を委ねる方が生き残れたり、よい結果に繋がる道もあるのだと、ニナは経験から学んでいた。もし想定以上の出来事が起きたり、マギーが見誤っていても、それはそれで仕方ないとも覚悟している。ニナにしろ、町外れに住まう他の少年少女にしろ、死の気配はいつも身近な影のように付きまとっていた。
簡易宿泊所の屋上で、ニナは一人でお茶を飲んでいた。西の空に浮かぶ冬の太陽は、雲の果てから弱々しい光を放ちつつ、大地に沈み込もうとしている。
屋上の階段から足早にやってきたジーナが「門前町から妙にひと気が失せている」と告げた。
「……今宵辺りかな?」静かな胸騒ぎを覚えている。門前町に集まった幾人かは、明日の太陽を見ることはないだろうともニナは予感していた。
「多分、何かが起きるとしたら」頷きつつ、着ぶくれしたジーナが隣に座ると、弱火に掛けてるポットから熱いお茶を注いだ。
十二月に入ると、日中の気温も既に氷点下まで低下している。陽が沈んでほどなくすれば、氷点下五度程度までは低下し、夜明けに近づくにつれてさらに徐々に下がっていくだろう。墓標のように静まり返った夜の門前町で、果たして、予想通りの死闘が始まるのだろうか。
「市内で何か起きるとは思わないが、あなたは私が守るよ。マギーの頼みだ」拳銃に金属薬莢を装填しながら、ジーナが告げた。
「……サラと言う人も、昔の仲間だと聞いたけど」ニナの言に、眉を軽く顰めたジーナは、口元に冷笑を浮かべた。
「サラは、どちらかと言うとリーダーの派閥だった。私は、マギー派だったからね」
「……マギーに派閥」ニナの見るところ、五、六人なら自然と纏めるだけの器量は、確かにマギーは備えている。
「意外と面倒見がいいから。七人……いや、特に執着していたのが他に三人いた」ジーナが言った。残りの三人を知るのも恐い気がして、ニナは微かに苦笑をした。
西の彼方の地平に紫紺の輝きを帯びた陽が静かに沈み込みつつあった。見慣れたはずの光景に奇妙に胸騒ぎを覚えつつ、ニナはジーナを横目で眺めた。視線を受けたから、と言う訳でもあるまいが、ジーナがマギーとの馴れ初めを口にした。
「私が知り合ったのは、十一、二くらいの頃」ジーナが口を開いた。思っていたよりも、随分と古い付き合いだった。
「奴隷として売られていて、なにもかも諦めていた。目の前を年下の少女が通りかかってね。みすぼらしい格好に首だけ持ち歩いていた。血の滴るような生首を」とジーナ。マギーらしいと言えば、マギーらしいな、とニナは頷いた。
「あんまりシュールで見つめたら、視線が合って、向こうはそのまま、賞金稼ぎの酒場に入っていった。出てきて、それから、私の前でもう一度立ち止まって、奴隷商人に値段を聞いた」ジーナの言葉に、ニナは静かに耳を傾ける。
「妙なことに奴隷商人が随分と値引きしてね。私もマギーを食い入るように見つめていた。あの業突く張りが、マギーと私を見て、肯いて、マギーに私を売ったんだ」ジーナは懐かしむように言葉を続けた。
「きっと、そういう運命だった。それ以前の家族も、仲間も、どうでも良くなった。スネイクバイトとか言う集団になる前の話だ」
「……スネイクバイト」ニナの呟きに「ふん、スネイクバイト」被せるようにもう一度呟いたジーナは、今度は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あれだけ腕利きが集まって何も為せず潰えた。マギーの時を無駄遣いさせた。くだらない女。まあ、いいさ。どうでも……」嫌悪感剥き出して吐き捨てるように言ってから、明るい表情で告げる。
「だから、私はマギーのものだったし、ずっとそれで構わなかった。分け前も公正だったし、マギーは奴隷所有書なんて目の前で燃やしたけれど、奴隷でよかった」
静かに穏やかに、だけど狂わんばかりの情念を込めて、ニナを見つめた。
「マギーは、姿を晦ます前、私に。私たちに、己の人生を探す時期が来たのだと告げたけど、マギーのいない世界に幸せはなかった」
「わたしが死んだら、マギーの恋人に戻れるかもよ」ニナが淡々と告げると、ジーナは陶酔したような表情でそっと囁いた。
「マギーは不幸になる。マギーの幸せが私の幸せで、マギーの歓びが私の歓びだ。愛が相手の幸せを願う事なら、私はマギーを愛している」奴隷であったことにすら価値を見出すほどの忠誠と愛情の狂気じみた一途さが、流石にニナをたじろがせた。
「だから、君を守る。命に代えても」そう告げて、ジーナは語るべきことは語ったとばかりに黙り込んだ。
二人は其の儘、屋上の縁に静かに座り込んでいた。気づけば、陽はすでに落ちている。燃え尽きることを拒むかのように、微かな残照が西の稜線を血のように染め上げている。今、門前町にいる幾人かの人間は、生きて明日の太陽を見ることはあるまい、と。そんな予感を覚えて、ニナは静かに身を震わせた。
※※※
ヘイズは、手下にした破落戸たちを門前町の酒場へと集めていた。連中は、好き勝手に飲み食いしながら、大いに気勢を上げていた。
「ヘイズの兄い!兄いの為なら死んでも構わねえ!いいように使ってくれ!」「命は惜しくはねえが、どうせなら派手にやりてえな!」威勢のいい連中の叫び声に、ヘイズは満足げに腕を組み、手下たちを見渡した。酒場の灯りに照らされたヘイズの表情はは、不敵な笑みを浮かべている。
「死んでも、か」低く呟くように言ったヘイズに、周囲の破落戸たちが笑いながら「もちろんだぜ!」「兄いのためなら地獄だろうが行ってやらぁ!」と口々に叫ぶ。酒と興奮が混ざり合い、荒くれ者たちの血が沸き立っているのが分かる。
ヘイズは、ふっと笑ってテーブルに肘をついた。
「なら、今夜は思いっきり暴れられるぜ――覚悟はできてるな?」
その言葉に、一瞬、酒場が静まる。だが次の瞬間、誰かがジョッキを高く掲げ、「おうともよ!」と叫ぶと、店内は再び大きな歓声と陽気な笑い声に包まれた。ヘイズ自身は一滴も酒を飲まず、外の窓や出入り口に狙われにくい二階の渡り廊下の席で、出入り口を睨みつけるように不敵に笑っていた。傍らに控える『壁《ウォール》』ヴィクトルは、破落戸たちを一瞥し、微かに目を細めた。
※※※※
冬とはいえ、門前地区には富裕な住人が多く、暖かな衣服も普通に売買されている。常であれば、日没直後でも家路を急ぐ人々や、火の傍で世間話を交わす者たちの姿が見られるものだ。
しかし今夜はどうにも様子が違って見えた。一帯は、奇妙に人通りが少なく――特に、門前地区の酒場通りには、人の気配がほとんどない。シンと静まり返った夜の静寂に、宿屋や馬車などの宿営地から、一人、二人と人影が集まってきていた。
男もいれば、女もいる。老夫婦もいれば、子供のような小柄の影もあった。普通の旅人や
警備に当たる自警団の者らは、一部が警戒するように怪しげな集団を睥睨しながらも、しかし、大半はいつも通り、土塁や外に面した建物の屋上に陣取って、怪物や屍者、無法者の潜む廃墟に向けての警戒態勢を取っていた。よそ者と殺し屋が殺し合おうが、彼らには何の関わり合いもない事だった。
門前町の人々は、窓ガラスを外して分厚い板を二重に張り付け、或いは室内の頑丈な家具を盾に隠れるように息を呑んで、その時を待ち続けている。
やがて、銃声が一斉に鳴り響いた。
※※※※
殺し屋たちの奇襲を受けた酒場のホールは、血の海に染まっていた。壁や床に飛び散る赤黒い飛沫が、酒場の暖色の灯りに照らされて異様な模様を描いていた。
外側からの激しい銃声に晒されて破落戸たちの過半が死傷しており、なおも、情け容赦なく窓の外から銃弾が撃ち込まれている。酒場の主人は頑丈なカウンターの内部へと逃げ込み、僅かな破落戸の生き残りは、クロスボウや火縄銃、ホイールロックの短銃で必死に反撃を行うが、冷静に戦う殺し屋たちは後込め式やリボルバーなど武器でも、精度でも上回っている。扉や窓の下まで間合いを詰めた殺し屋たちの遮蔽を取りながらの乱射に、忽ちにハチの巣にされて崩れて落ちていった。
ヘイズは敵から狙われない二階の少し奥に陣取っていた。分厚いテーブルを倒して盾にしながら、鼻歌などを歌っている。酒場内は明るく外は当然に薄暗い。四方に空いている窓の影から、破落戸たちはいいように狙い撃ちされていた。
ヴィクトルがようやく動いた。大型拳銃を抜くと狙いを定めて発砲する。かなりの距離があるにも拘らず、窓辺で様子を伺っていた
返礼とばかりに外からの射撃が集中する。ヴィクトルは後退して、二階の廊下入り口まで後退した。
「……手に負えんな」つまらなそうなヴィクトルに「へへ、何人雇い入れたんだろうな?」ヘイズがヘラヘラと笑ってから、ホールを向いて腹の底から響くような大声を出した。
「おい!聞こえるか?!生きてる奴は奥に後退しろ!」
辛うじて生き残っていた破落戸たちが廊下の奥へと逃げ込むと、ほどなく殺し屋たちが慎重に踏み込んでくる。
自動小銃などでも一網打尽にされない位置取りを取りながら、逃げられない位置にいた破落戸や息のあるヘイズの手下にとどめを刺していく。
手を挙げた破落戸が射殺されたのを見て、顔面蒼白になっていたバーテンだが、そのまま伏せてるように殺し屋に合図されて、目を閉じてカウンターの内部に伏せ続ける。
ボルトアクション式ライフルを手にしたエリーゼが二階廊下の奥から現れると、ホール天井の太い梁に斜めに付けられた洗面器のような金属の盥に狙いを付けた。斜め下向きに解放面が取り付けられた盥には、黒っぽい粉の塊と釘や鉄片が大量に詰められている。
※※※※
日没から程なくして、門前町の方角から銃声が響いてきた。
「……始まったか」懐中時計を眺めながら、ヘルナル中尉が呟いた。
相当に離れている監視塔《ウォッチタワー》の内部にいてさえ、たじろぐような夥しい銃声が幾重に鳴り響いている。
相当に凄まじい戦闘が展開されているのは間違いない。ヘルナル中尉も短時間にこれほどの発砲音が鳴り響くような戦闘は、そうそう経験したことがなかった。
爆発音までが鳴り響いた。
「……爆発物でも使ったか?それとも迫撃砲の類か?」
殺し屋どもか、馬鹿息子かは分からないが、想定以上の武装を有しているようだ。
とは言え、大気を震わせるような爆発力ではない。ダイナマイトではあるまいが、曠野の平均的な手りゅう弾の爆発音よりは大きい。曠野の地においては、安い再生弾ですら弾薬は通貨として流通する程の価値を持っている。手りゅう弾であれば、尚更であった。
貴重な弾薬が惜しげもなく撃ち尽くされているという事態が、状況の深刻さを物語っている。中尉は、不愉快そうに鼻を鳴らすと、窓辺から夜陰に煌めく銃火を睨みつけた。
「我々の町で好き勝手してくれる」連中を嚙み合わせ、消耗したところで排除する。その方針に変わりはないが、想定よりも被害が大きくなるかもしれないとの危惧も脳裏を掠めていた。
「民兵の旗下の全部隊を招集、待機させておくように」部下に命じると、銃火を睨みつけた。中尉は、民兵の全てを動かせる訳ではないが、薬莢式ライフルを装備した二十名の常備兵による機を見た介入は、一撃で情勢を決する力を持っている筈だった。
六千ギルド・クレジット。或いはそれ以上の追加報酬もあるかも知れないが、殺し屋ども。それだけの報酬があれば、大型居留地の正規の居住区で私闘を侵す危険に見合うものだと踏まれたわけだ。
「……侮ってくれたものだ。いくら受け取ろうと、冥途の土産には見合わないと言う事を知ることになる」銃火を鋭い視線を睥睨しながら、ヘルナル中尉は静かに宣告した。
※※※※
酒場ホールには、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。狭く、逃げ場のないホールで釘と鉄片の即席散弾を浴びた殺し屋たちは、一瞬でなぎ倒された。遮蔽物の後ろにいたものも重傷は避けられず、戦闘力をほぼ喪失していた。分厚いカウンターの後ろに隠れていたバーテンだけが無傷で恐る恐ると顔を出したが、戸棚に並べた酒瓶の殆んどが砕けているのを見て、呻きながら崩れ落ちた。
十数人の殺し屋たちも、僅かに生き残っていた破落戸も、大半が数瞬で肉片に変わり果て、辛うじて命を拾ったものたちもヴィクトルとエリーゼの斉射で次々となぎ倒されていく。僅かな生き残りが街路を散り散りに逃げ去ったようだが、恐らくは明け方までに自警団か、民兵たちの手によって始末されるだろう。
「あ、兄貴」ズタズタになった仲間の一人を抱えながら、破落戸の若い女が泣いていた。「ひ、酷すぎるよ。みんな、みんな死んじまった」
破落戸ではあるが年端もいかない小娘に、流石にヘイズも同情したのだろうか、優しく涙を拭いてやった。
「お前は、もう、逃げろ。此処にいたら、巻きこんじまう」
「だ、だけど」女破落戸が躊躇うように言うと、ヘイズは強引に押した。
「さあ、行け。殺し屋は他にも残っている。気を付けろ」
「わ、分かったよ。兄貴も無事で」そういって飛び出した女破落戸が、通りを十歩と行かないうちに銃声と共に撃ち抜かれて絶叫していた。間を置かずの二発目が響いて、その絶叫もすぐに消える。
「鋭い銃声だ。ライフルだな」ヴィクトルの横で、エリーゼが身を隠しながら頷いた。「射撃は、南門に対して4時の方角。北西の廃墟のいずれかに狙撃手が二名」
「気を付けろと言っただろう」ヘイズは肩を竦めると、廊下の奥底に固まっている生き残りの手下たちを怒鳴りつけた。
「さあ、なにやってやがる!指示通りに窓を閉めて回れ!狙撃されたいのか!」
慌てて散っていった手下たちには一瞥もくれず、「で、ここからが本番か?」ヘイズは楽しげに笑った。
「そうとも限らん。名のある連中がミンチに混ざっている可能性もある」ヴィクトルの応えに首を振るうと「希望的観測は無しだ。襲ってくる奴は?」
「グレンデル。そしてリッカー。外に陣取っているのは恐らくリーゼとリーズだが……」言ったヴィクトルに「狙撃手は俺がなんとかするさ」ヘイズは気軽に請け負った。