銃声鳴り響く戦慄の夜。門前町の住民たちも、よその土地の要人が一角に滞在している、刺客の一団に狙われているなどの、嘘か誠か分からぬ噂は耳にしていた。
居留地の評議会は、かなり善良、かつ有能な部類であって居留地の住民を見捨てはしない。変異獣や屍者の群れ。或いは巨大蟻や無法者などが攻め寄せてきた時、地区の住人たちは防壁内に避難することが出来る。 屍者の侵攻の際には、噛まれてないかを確認され、強制的に隔離されもするが、それは仕方ない仕儀でもあった。それでもポレシャは、伝統として滅多なことでは『住民』を見捨てたりはしない。
門前一帯は居留地でも富裕な地域で、市民とて暮らしている。だから、見捨てたりはすまいとの考えは半分正解で、半分間違っていた。緊急時に備えて自警団に通達が出され、幾らかの黒色火薬や鉛の弾丸などが配給された。それだけとは言え、緊急時に懐具合を気にせず、遠慮なくぶっ放せるだけで、即応体制は随分と上がるのだ。
しかし、今回のような情勢下では、保安官の増援がすぐに来るわけでもなければ、民兵たちが門前地区を守ってくれる訳でもない。『住人』は逃げることが出来るが、あくまで己の土地と財産を守るのは住人と自警団の責務であった。門前町は、元々が居留地の前哨として再建された市街地で、防壁前の最終防衛線としての役割も担っていた。変異獣の群れが浸透してきた時など、よほどの大群が相手でもなければ、自警団は地形によって敵の漸減を期待されている。
それでも、ポレシャは大抵の土地よりも随分と暮しやすい居留地ではあるのだ。都市や大型居留地には、緊急時には防壁を完全に閉鎖して防壁外の地区などまるごと見捨てる統治層も珍しくないのだから。
「参事会から、それらしい警告はあったが此処までするとは」罵りながらも自警団の団員たちは、酒場での襲撃を身を伏せながら見守っていた。
激しい銃撃戦が一旦、収まって遠巻きに観察していると、爆発音が大型の酒場を揺るがし、悲鳴や絶叫に入り混じって再びの連続した銃声が響いてくる。
「……建物に誘い込んで、一網打尽したのか」
「映画みたいだな」呟いた自警団員が不機嫌な団長に睨まれて口を閉じた。
「様子を見ていた殺し屋どもが逃げ出すぞ……どうする?」夜陰に乗じて離れていく人影だが、足を引きずっている者たちもいる。
「……狙撃手がまだ控えている。様子見を続けよう」家屋に逃げ込んでも問題にはなるまい。地区の義務として最低でも一家に一丁、クロスボウなり、火縄《マッチロック》銃なりは所持しているのだ。
人影の幾つかは、防衛用土塁の梯子を登って、廃墟の方へと飛び降り、逃げ散っていった。
「放っていても、害は無かろう」団長が告げると「他の地区に逃げ込まれても厄介だが……」団員の一人が意見を述べるが、警告を出しておけば問題ないと団長は踏んでいる。全ての地区において、数十丁からのクロスボウや火縄銃なりは所持されている。地形を知り抜いた住人たちのゲリラ戦での抵抗には、略奪者《レイダー》の軍団でさえ、対決を躊躇うほどで、数人の殺し屋が逃げ込んだところで、大した脅威にはなるまいと考えている。僅かな生き残りでは、徒党を組んでの再襲撃もままなるまい。暫くは警戒が必要だろうが、これでひとまずの決着はついたと見做していいだろう。
生き残った殺し屋どもの幾人かが、廃墟に潜む盗賊と化したならば、賞金を懸けて、流れ者の傭兵や狩人どもを当てればいい。断続的に鳴り響く銃声や断末魔の悲鳴が、まだ混乱が完全には収まっていないことを示していた。
それでも、日常はすぐに戻ってくるはずだ。明日にも店は開くし、露天商は普段どおり商売を続ける。住民たちも、冬の夜の出来事を酒場で語りながら、またいつもの生活へと戻っていくに違いない。
――少なくとも、次の嵐が訪れるまでは。
※※※
門前町には、雑魚寝の木賃宿や冬の避難所など安っぽい施設は存在していない。寝泊まりできそうな幾つかの廃屋や廃ビルも、入り口は厳重に封鎖されていて入り込む余地は殆んど存在していなかった。
門前町の一番安い宿屋でも、旅人向けの大部屋で寝台に泊まるだけの料金を要求される。だからと言うべきか、相応の宿泊費を払っているだけに、宿泊客たちが安全性と滞在中の居心地の良さを期待するのは当然であった。
「出るな!出るな!身を低くして伏せてろ!」宿の用心棒が手を振りながら、顔をのぞかせる宿泊客たちに注意を促していた。
向かいのホテルでもマネージャーが叫んでいる。
「お客さま!大丈夫です!建物から出られないように!」
「高い金払ったのに!」ロビーに出てきた夫婦が文句を言っている。
「だから、中途半端にいい宿じゃなくて市内のホテルに泊まろうと!」
「現在、地区の中央で銃撃戦が発生しているとのことです!他国の要人に対する襲撃です。此方には、被害は及びません!」マネージャーが説明しているが客たちの不安は収まりそうにない。
「本当に大丈夫なのか?!」「屍者や変異獣が押し寄せてきたりとかはしないんだろうな!」慌てて武装を取り出している旅人たちや、部屋に閉じこもっている客も少なくない。
「そこは普段通りの警備体制が敷かれております」マネージャの叫びに呼応するように、町並みの屋上に灯される炎に街路が照されれば、そこは文明崩壊《ポストアポカリプス》の地に生きる人々。
「念の為、市内へ避難するべきか?」「いや、待て……銃声も収まってきた」
高級ホテルでも、リボルバー片手に廊下を間抜けな寝間着姿でうろついていた二人組の紳士が、窓の隙間からそっと覗いてみれば、銃火は殆んど収まっていた。
頷いた紳士たちが部屋に戻ろうとするも、しかし、馬車の停留場の方角から、甲高い奇妙な音が響いて足を止める。
「……なんだ?」紳士たちが不安そうに顔を見合わせる後ろ、窓辺に縋り付いていた宿泊客の子供が親を呼んだ。
「お母さん!お母さん!見て!ミュータントかなんか!でかいのがこっちにやってくるよ」
※※※※
如何にバホラが精緻なガラス細工の産地として知られる富裕な工房都市であろうと、たかが一有力者が遠来の地で大勢の殺し屋を雇い入れるには、相当の資金と労力を費やしたに違いない。
ヘイズ・バホラの所業がそれだけの憎悪を買っていたという見方も出来るが、いずれにせよ、襲撃者の殆んどは退けた。窓の外では狙撃手の二人組がなお頑張っているものの、普通に考えれば、もはや相手に打つ手は殆んどない筈であった。
死んだ殺し屋たちと殺された破落戸たちの亡骸が数多転がっている酒場のホール。 頑丈なカウンターからバーテンが顔を出し、哀しげに見廻した。高い酒は地下にしまい込んでいたが、それでもテーブルや床、酒に食器など被害は甚大であった。
「あとで、請求書を廻してくれ」ヘイズは楽しげな様子で割れてない酒瓶を一本、拾い上げると蓋を開けて口に含んだ。
ヴィクトルが手鏡を用いて外の様子をそっと伺うが、廃墟方面は深い闇の帳に包まれ、動くものの影すら見いだせない。屋上で燃え盛る炎の明かりが瓦礫の間を僅かに照らすが、それも揺れる炎の為に形を定めず、不気味な影を作り出していた。
「外には狙撃手。様子を見てくることも出来んな」ヴィクトルは諦めたように言って、鏡をポケットへとしまい込んだ。
「いつまでも廃墟で頑張れると思わんがな」ヘイズが言うも、バーテンが肩を竦めた。
「なにか言いたいのか?」廊下の奥へと戻ろうとしていたヘイズが足を止めて尋ねる。
バーテンの表情はヘイズを疫病神だと物語っていたが、それでも忠告してきた。
「地区の周囲。特に前哨と囮を兼ねた小地区との間の街路は、定期的に掃討されている。放浪者や浮浪者が勝手に住み着くほどだ」
「ふん、粘り続けるかもしれんが、なにが出来るとも思わんな」ヘイズは肩をすくめ、酒をもう一口飲むが、静寂を破るように、遠くから低く響く音が夜の闇を震わせた。
「……今のは」誰かが言いかけた時に遠く、壁の外から甲高い笛の音が響いてきた。
蒸気の唸るような音と、かすかな金属の軋み――それは、ただの風の音ではなかった。
「汽笛の音……本命が来たか」ヘイズが多少、顔を強張らせつつ嗤った。
「グレンデルだね」とエリーゼ。
「任せたぜ」ヴィクトルに告げると、ヘイズは悠々と廊下の奥へと引き上げていった。
蒸気甲冑、と言う歩兵用装甲服が存在している。歴史学者たちは、石油資源が枯渇しかかっていた時代の産物と推測しているが、文明崩壊前、或いは直後だろうか。当時、最新のナノテクノロジーや素材工学を駆使して、 蒸気の力で動くパワードスーツ用の小型エンジンが開発されたと考えられている。
蒸気甲冑の『エンジン』は、従来の蒸気機関とは一線を画すものであり、高圧縮蒸気と精密なギア機構を組み合わせることで、驚異的な機動力と防御力を兼ね備えた戦闘用装甲を実現した。
一部の古文書によれば、当初は過酷な環境での作業用、あるいは兵士の戦場適応力を向上させる目的で開発されたともされている。しかし、文明崩壊の混乱の中で多くの技術が失われ、現在では蒸気甲冑を完全に修理・再生できる技術者はごくわずかしか存在しない。それでも、今なお実働する蒸気甲冑は戦場で際立った存在感を誇り、『蒸気騎士』と呼ばれる者たちは、人々の畏怖と憧憬の対象となっている。
白銀の騎士は十数年前、唐突に曠野に現れた蒸気騎士だ。怪物退治から隊商の護衛、盗賊団の討伐まで危険な仕事でも報酬次第で何でも請け負う。丁度、マギーたちスネイクバイトの一回り上の年代の英雄の一人であった。
蒸気甲冑の威力と金を払って習得した精妙な武技も相まって畏怖されていた白銀の英雄だが、恐るべき体躯と膂力を持ち合わせた謎の人物の正体については当初、様々に噂をされた。しかし、突然現れた凄腕の騎士の正体は、亡国の騎士でもなければ、放浪の貴公子や流浪の武芸者でもなく、運よく畑の穴から蒸気甲冑を掘り当てただけの農民の青年トムだった。
貧しい村の為に蒸気甲冑を携えて都市に出稼ぎに赴き、忽ちのうちに立身出世したトムは、それだけなら立志伝中の人物で終わることが出来ただろう。
膨大な仕送りを送られ、豊かになったはずの故郷だが、不幸にも同じ村から出てきた知り合いが、酔いに任せてトムの正体を触れ回った。婚約者と老いた母親が村にいる情報が悪党どもの耳に入らなければ、物語はきっと幸福な結末を迎えていたに違いない。
どれほど強くなろうと、名を馳せようと、トムは農民の青年に過ぎず、その腕で守れるものはたかが知れていた。英雄譚に憧れた農民の青年トムは、蒸気甲冑と共に戦い、多くの敵を倒し、富と名声を得たが、輝かしい物語は、ただの一つの過ち、たった一度の不注意によって脆くも崩れ去る。
或いは、トムの正体を触れ回った青年は、嫉妬していたのかも知れない。白銀の騎士によって仲間を殺された悪党どもの手は、故郷に残した最愛の者たちへと伸び、故郷の者たちは保身のためにトムの最愛の家族と恋人を襲撃者たちに差し出した。
彼の物語の終わりは、酷くありふれたものだった。帰るべき場所を奪われた白銀の騎士は姿を消し、次に姿を見せた時、英雄と称えられた男は、悪竜のごとき怪物グレンデルに成り果てていた。
重々しい足音を響かせ、蒸気騎士が出入り口に姿を見せた。背後から蒸気を吹いている鈍色の騎士は威圧感に満ちており、悪竜グレンデルの化身宛らの恐ろしい姿だった。
「我が名はグレンデル!曠野の騎士なり!」白銀のグレンデル。或いは『狂えるトム』が廊下に佇むヴィクトルを見据え、野太い声を響かせた。
「壁《ウォール》ヴィクトル。貴殿に一騎打ちを申し込む!」
ヴィクトルは自動拳銃を素早く構え、グレンデルの頭を目掛けて連射するも、グレンデルは素早く盾を構えた。通常、人間の騎士の盾は、いかな膂力の持ち主で有ろうとも頑丈な木製に鉄の枠組みであったり、或いは強化プラスチックなどで形成されている。
蒸気騎士の盾は違う。斜めに構えた分厚い鉄の装甲に銃弾はあっさりと逸らされた。文明崩壊後《ポストアポカリプス》の弱装弾とは言え、45口径がまるで通じない。例え、貫通しないにしろ相当の衝撃を受けたはずが小動もしなかった。表情を微かに強張らせながらも、ヴィクトルは冷静にマガジンを交換しながら奥へと続く廊下へと後退した。
「その薬缶頭に重装甲。まさしく狂えるトムか」顔を庇う盾の隙間から僅かに血走った眼を覗かせたグレンデル。『狂えるトム』が斧槍を構えて突進してくる。
ヴィクトルが身構えた刹那、グレンデルの斧槍が唸りを上げて振るわれた。
踏み込んで受け止めたつもりが、柄に当たった瞬間、ヴィクトルの全身が弾き飛ばされる。
ヴィクトルの巨体が壁まで弾き飛ばされ、叩きつけられる。まるで苦痛を感じていないように素早く立ち上がったヴィクトルだが、恐ろしい力に顔が青ざめていた。
「本名が知れ渡ってるのに何がグレンデルだ。トム」挑発するような言葉に再びグレンデルが狂った咆哮を上げて、斧槍を構えた。
ライフルを抱えたエリーゼは、暗闇に包まれた二階廊下を慎重に進んでいた。役立たずの破落戸どもは逃げ出したのか、廊下の窓は開きっぱなしだ。
外で燃やされるかがり火の明かりが廊下を僅かに照らしている。せっかくの雨戸も、取り付けたばかりのカーテンも開きっぱなしで、予想以上に役に立たないチンピラ共だと思いきや、血の匂いがエリーゼの鼻腔を突いた。窓の近くの廊下には額を撃ち抜かれた破落戸が転がっていて、窓ガラスは割れている。女給の娘が脅えながら、丸まって伏せているのを見るに、窓に近づいて撃たれたらしい。
「……助けて」か細く泣いてる娘に溜息を洩らすと、懐からナイフを取り出し、無造作に投げる。窓の上の紐を切り裂くと、廊下の窓のカーテンが一斉に落ちた。
これで外からの狙撃は無くなった、はずだ。ホールの明かりだけを頼りに、エリーゼは薄暗い廊下を進み始める。ヘイズの打ったと言う手は、しかし、いまだに狙撃手を止められないでいる。端から当てにはしてないが、これほどの規模で攻められるとは思わなかった。まさか、グレンデルを投入してくるとは。大抵の蒸気騎士は、あそこまで動けないし膂力も装甲も劣っている。騎士の性能だけでは説明がつかない。操縦士自体が怪物じみた存在だった。人間かどうかも怪しい。
予想以上の怪物ぶりにヴィクトルすら、危ういかも知れないとエリーゼも危惧を抱いていた。蒸気騎士にとって背後の動力源が最大の弱点だ。背後に回り込んでエンジンを撃ち抜く。強靭とは言え、至近からライフルを撃ち込めば、破壊できるはずだ。
切り札として正規品の弾薬も何発かは所持している。あれほどの化け物とは思っていなかった、が、動力源を破壊してしまえば、さしもの騎士も動けなくなるはず……
考えながら進んでいたエリーゼの背筋が突如、ぞわりと総毛だった。唐突に暗闇が濃さを増し、迫ってきた。そんな圧迫感。とっさにエリーゼは本能に従い、身を伏せながら背後へと転がった。エリーゼの髪を掠め、白い白銀の閃光が闇を走り抜けた。嫌な音がしてライフルが床に転がった。見れば、半ば切断されていた。完全にではないが、バレルが切り裂かれている。
エリーゼは舌打ちしつつ、身構えた。天井に蜥蜴のように人影が張り付いて、エリーゼをまっすぐに凝視している。人間ほどの体躯を持ち、曲刀を持っているそれが蜥蜴と呼べるなら。
「……リッカーか」囁いたエリーゼが右腕を前に構える。スーツの布地を切り裂いて、内側から優美な刃が飛び出した。