分厚い雲が天蓋を覆い、星々の弱々しい光を押し隠していた。彼方から断続的に銃声が響いている。冷たく乾いた風が通りを吹き抜ける中、雑貨屋の老店主パオロ・ジャッコーニは白い息を吐きながら、掲げた松明の炎を頼りに夜道を急いでいた。
行く手に居留地議事堂の影がぼんやりと輪郭を浮かび上がらせた。議事堂に面した仄暗い街路の片隅、衛兵たちが古びたランプを振っている姿が見えた。傍らでは、闇夜の灯台のようにドラム缶から赤黒い炎が小さな音を立てて燃え上がっている。
パオロが息を切らして議事堂に辿り着くと、参議の一人グレイ医師が迎えに出てきた。
「……酷いもんだね」パオロが何かを尋ねるよりも前に、グレイ医師はそう呟いて首を振った。表情には憂慮とそれ以上に言葉にしがたい陰鬱な色が浮かんでいる。
パオロたちは、衛兵を伴って議事堂に足を踏み入れる。ロビーには既に数人の有力市民たちが顔を見せており、陰気な表情で囁くように対応策を協議している。
背後で重たい扉が閉じられると、外の風の音が遠のき、夜の静寂に暖炉の炎がパチパチと弾ける音だけが響いた。衛兵たちは其の儘、鉄格子の付いた窓際に寄ると外に対する見張りを続けた。
時折、北の空から遠く銃声や叫び声が風に乗って響いてくる。門前町での戦闘がまだ続いているようだ。パオロは暖炉に歩み寄って、手を当てながら冷えた身体を暖めようとした。煤けた煉瓦の壁には炎が赤黒い影を揺らめかせ、まるで何かが息を潜めているようだ。
「……グレンデルが本当に来たよ」パオロの低い声が、暖炉のはぜる音に沈んだ。
まるで伝説の怪物が本当に出没したとでも言いたげな響きが込められていた。グレイ医師はわずかに顔を顰めて「キャシディとマギーがいればな」とゆるく首を振る。
パオロは火に手をかざしたまま、微かに唇を歪めて、口を開いた。
「いや、おらんでよかったよ。これでよかった」友人の言に、グレイ医師が怪訝な表情を浮かべた。静寂を破るように、遠く数発の銃声が風に乗って響いてきた。
「多分、何とかできるとしても、殺し屋風情に当てて万が一あったら大損だ」パオロはそう言い捨てると、暖炉の炎を見つめた。
保安官のキャシディは危なげなく追い剥ぎや無法者の集団を追い払い、家畜泥棒を捕縛していた。元隊商員のマギーは、都市の市場や廃墟漁りから、あれこれ物資を調達してくる手腕を持っていた。辺土の居留地には、早々に人材の替わりはいないのだ。例え、曠野の伝説であろうが、グレンデルは所詮一介の殺し屋に過ぎない。大規模な盗賊団の襲撃などであれば兎も角、私闘に首を突っ込んでどちらか片方でも死なせてしまったら、泣くに泣けない。
「朝には人を雇って掃除させなくちゃあ」妙なことを呟いたのは、議事堂の衛兵隊長だった。有力市民の家に生まれたので名誉職にありついた人物で、戦闘よりも備品の補充や管理に手腕を発揮している中年男だが、良くも悪くも職務に忠実で、人柄も悪くない。
「町外れから
「いや、
「殺し屋どもや破落戸らの武器、弾薬もなるべく回収しときたい」言われて、パオロもうなずいた。
「出来るだけ正直な働きもんを使わなくちゃあ」杖を突いた参議が呟いて、誰かが囁いた。
「なら、『渡りの王』でよかろう」
「あの一党か……かなりの人数で、何処ぞに拠点など作っている節もある」杖を突いた参議が言った。
「連中、特に問題も起こしとらん。近隣に開拓村出来ても悪いことはないだろう」別の参議が咳をしながら囁いた。
「それはそうだが、村を作るには武器も必要になる。作業を任せたら、幾らかくすねるかも知れん」杖を突いた参議の言葉に列席者たちは顔を見合わせたり、なにやら耳打ちをしている。
「……マギーがおったらな。数人は手配できるし、監督も出来るしで」パオロは耳の後ろを掻いてから、吐き捨てるように言った。「便利使いできるからと言って、あれもこれもという訳にもいかんだろう」グレイ医師が肩を竦める。
※※※※
市内の見張り塔に三個分隊の民兵が集結していた。ヘルナル中尉の動かせる常備兵のほぼ全員であった。門前町から響いてくる激しい銃声は殆んどが収まり、時折、散発的に銃声が響く程度に落ち着いていた。
二名二組の偵察兵から報告を受けたヘルナル中尉が、いよいよ出撃しようとした直前、議会衛兵が息を切らしながら見張り塔へと駆け込んできた。
「ヘルナル中尉殿、参事会からの召喚状です」議会衛兵の切羽詰まった表情から、ただならぬ事態であることが感じ取れた。
ヘルナル中尉は一瞬だけ、驚きの表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻し「……どういうことかな?」口を開いた。
議会衛兵は一歩前に出て、続けて言った。
「予め言い含められた伝言をお伝えすると、解任の類ではありません」
議会からの召喚に、しばらく黙って考え込むような表情を浮かべたヘルナル中尉だが、やがて頷いた。
ブーツの音を響かせながら、ヘルナル中尉と副官が議会前に足を踏み入れると、参事たちは顔を見合わせ、或いは緊張した面持ちで民兵隊の副司令官を出迎えた。
「さて、諸君。掛かる事態のさなか、私を突然召喚した理由を教えてもらえるだろうか?」中尉の皮肉っぽい口調にやや怯みながらも、一人の参事が口を開いた。
「刺客にグレンデルがいる」
「ふむ、あのグレンデルかね?」
「そのグレンデルだ」
ヘルナル中尉は静かに頷き、少し考え込むような素振りを見せた後、落ち着いた声で応じた。
「知っている。だから、ライフル弾も用意した。それで蒸気騎士の一人や二人に尻尾を巻いて逃げ出すほど、我ら民兵隊は頼りにならんとお考えか?」
「如何にグレンデルとは言え、後装式ライフルの四個分隊の一斉射撃に耐えられはせん」 ヘルナル中尉は、事実を指摘する教師のように淡々とした口調で断言した。
「民兵隊の実力を疑ってはおらん。しかし、彼奴めは想定以上の怪物であった」
「民兵隊の装備では、甚大な被害が出る恐れが……」
「どうか待機してほしい」口々に言う参議たちを前に、ヘルナル中尉は手袋をはめた拳を固く握りしめたが、すぐに深呼吸して気を落ち着けた。居留地の命令系統に従えば、議会の要請はあくまで“要請”でしかない。実戦指揮官として、参事会の掣肘を無視することもできた。
「命令あるまで、此の侭待機!」
だが、ヘルナル中尉は、一人のポレシャ市民として議会の権威を重視していた。副官に向かって短く命じると、参事たちは安堵の表情を浮かべた。
「ありがとう、中尉」
「しかし、市内で好き勝手した連中をおめおめと逃がすのかね?」流石に苦々しい口調でヘルナル中尉が告げると、杖を突いた参事がゆっくりと答えた。
「勿論、幾つかの手は打っておる。グレンデルは予想外だったが、対応しきれぬ事態ではない」
「保安官事務所も動いている。加えて先刻、ポレシャに滞在中の賞金稼ぎや傭兵、用心棒、武芸者たちに声を懸けた」ヘルナル中尉は肥満した参議の言葉を一旦受け止め、思案するように黙り込んだ。
「有象無象であのグレンデルを抑え込めるかね?」
「なに、所詮は単騎だ。金で片が付くなら安いものよ。それに出来なくても構わんのだ。蒸気甲冑の体力消耗は大きい。奴は後どれだけ動ける?一時間?それとも二時間かね?」参議が豊かな腹を抱えながら、可笑しそうに笑った。
「消耗したところを改めて討っても良し。心配せずとも美味しいところは民兵隊が持っていっても構わんよ」
※※※※
冬の夜、門前町は冷たい空気に包まれている。道は凍りつき、街路の両側に立つ家々の屋根にかがり火の小さな灯りがゆらめいている。窓から漏れる光と屋上で焚かれるかがり火が微かに街路を照らし出していたが、人の気配はほとんど感じられない。冬の夜の静けさの下、人々が息を潜めているかのようだった。酒場周辺の街路からは、特にひと気が失せていた。扉は閉ざされ、窓には薄い霜が浮かんでいる。時折風が吹き、塵を舞い上げてはまた静まり返っている。
遠く、酒場の扉から旧式の火縄銃を手にした若い男が、脅えた表情で周囲の様子を伺っていた。隣接する家屋の屋上で燃えるかがり火に照らされた男の風体は、みすぼらしい装束にかなり凶暴そうな面相。間違いなく廃墟の破落戸のもので、ヘイズの手下だろう。慎重に周囲を伺いながら逃げ出そうとしている。
スコープの中心に男の顔を捉えると、隣のリーゼが低く囁いた。
「標準はあったか?」
「あった」リースは頷くと「エイム」低く囁いた。
瞬間、リースの目が狙いを定めた。
周囲の安全を確認してからリーゼが頷き「ファイア」と告げた。
標的は完全に視界に収まっている。リースは標的の動きに合わせて静かにトリガーを引いた。弾丸が空気を切り裂く音と共に、男が脳漿を撒き散らしてその場で崩れ落ちた。一瞬の騒音をかき消すように、静寂が広がる。リースは冷静にレバーを操作し、排莢する。手際はまるで何度も繰り返してきた動作のように淀みなかった。
姉妹は其の儘、闇の中で次の獲物が出てくるのを待ち続ける。それが二人の仕事だったからだ。闇夜に吐き出す息は白い。毛布を被っているが、かなり冷え込んでいる。風がそれほど強くないのだけが幸いだった。
寒さに手足がかじかむが、懐の携帯懐炉で指先だけは温めている。
「どうにもさっきの爆発でこっちも相当やられたみたいだね」リーゼがため息を吐くように告げた。
「……姉さん、状況をどう見る?」
「分からない。戦うべきか、それとも……退いた方がいいかも」リーズは考えてから告げた。
「そうなると前金だけで終わっちゃうね」妹のぼやきに「命あっての物種」と姉のリーゼが応えた。
「保安官が出てきたら?相当な腕だって聞いたけど」リースは少し不安そうに尋ねる。
「キャシディ・エヴァンス。負けるとは思わないけど、仕留めたら賞金懸けられるかも。それは厄介かな」リーゼは静かな自信を滾らせながらも、微かに首を傾けた。
「そっか」リースは頷き、其の儘、闇の中で状況が変わるのを待ち続ける、と突然、リーゼが身体を動かし、僅かに痙攣する。
「……姉さん?」異変を感じたリースが尋ねた瞬間、背中から胸に鋭い衝撃が走り抜けた。
微かな足音が背後から近づいてくる。リースは凄まじい衝撃に身体が動かない。それでも、ライフルを手に取ろうとして、足音が立ち止ると、再びの衝撃が襲ってきた。のしかかってくる姉の身体から体温が失われていく。命が流れ出していく。なのに、リースは声も出せない。
足音がほぼ背後に立った。微かな擦過音が耳に入った。
「その出血では、もう動けまい」若い女の声が響いてくる。
撃たれたのか、だが、音もしなかった。リースの疑問に答えるように若い女の声が応えた。
「このクロスボウ『リーパー』は、20世紀のコピー製品で高い精度を持っている。スコープを付けることによって、50m以内であれば、音もなく、確実に標的を殺すことが出来る」
クロスボウ。音もなく当ててきたのか。「この闇夜……で」ようやっとリースは声が出た。身体は痺れたように重く、指先さえも殆んど動かない。
どうやって当てたのか。
「保安官だからね。建物の位置関係と相互距離は頭に叩き込んでいる。闇夜でも人間大の標的を当てるのは容易い」
「……キャシディ」聞いていた以上に恐ろしい奴、とリースは名を呟いた。すると、声はおかしそうにくつくつと笑った。
「……わたしは保安官助手さ。一番腕が立つ訳でもない。パートタイムの。名もない」クロスボウを装填しているのか。微かな擦過音がする。
「キャシディなら、僅かな明かりでも二百メートルの距離で当てる。私に殺される程度では、キャシディは遠く及ばないな」
ポレシャの保安官は、恐ろしいとは聞いてた……
「ね、ねえさ」指を伸ばす、リースに衝撃が襲ってきて暗闇が舞い降りた。
※※※※
甲高い笛の音が廃墟の方角から響き渡った。モールス信号のように長短を組み合わせた奇妙な音が連続して鳴り、広場に集まった者たちに緊張感が走る。「狙撃手は排除された」と太った保安官が重々しく頷いてから振り返った。
「グレンデル討伐に参加した者には、一人二百クレジット。討ち取った者には、5000クレジットにポレシャの正規居住権、そして市内のアパートに部屋が貸与される」酒場の近くの空き地に集まっていた、多種多様な男女―――賞金稼ぎや傭兵、武装放浪者や狩人らが気勢を上げた。血走った眼をした武装鉱夫や隊商の護衛も混ざっている。大抵、放浪の生活を送っている流れ者にとって、安定した生活と安全を約束する大型居留地の正規居住権は、喉から手が出るほどに欲しいものだった。それが手の届く目前にある。それだけに、報酬を手に入れるための競争は熾烈を極めるだろう。