黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_58B 牧者の黄金

……行商には常に新参者が参入し、海千山千の都市商人や手段を択ばぬ自由商人らも絶えず他者の利益を掠め取ろうとする。誰も彼もが、油断のならぬ競争相手であった。  

 

―――――――ヴァル・ドレイクの日誌。

 

 

 

 汚染されていない土地と水資源が貴重となり、食糧事情の逼迫している大崩壊後《ポストアポカリプス》の時代。世は再び、土地を治める者たちが最大の権力を握る社会となっていた。流通を担う商人たちもけして軽んじられてはいないが、中世前期の如くに輸送経路がか細く、地産地消が基本となる世においては、地主や市民階級よりも一段、低く見られている。とは言え、かつて民主制の洗礼を受けた多くの土地にあっては、自由主義の形骸(※)も緩やかに影響を及ぼしており、階級や身分の差も基本、穏やかである文化が多いのだけれど

 

※自由主義の形骸と言う言葉でまとめてはいるが、実際には国の文化や民族の道徳、宗教観の影響の方が大きい。しかし、それらを羅列していくと際限がなくなるので、こういう記述とさせてもらう。

 

 

 

 【キャプテン】ヴァル・ドレイクは、ポレシャ市でも隊商を所有している名うての交易商として、周囲から一目置かれていた。辺土の居留地には欠乏しがちな品々を近隣から仕入れての大規模交易を幾度も成功させた堅実な手腕は、市中でも高く評されている。とは言え、実際のドレイク一族の地位は、世間から見たほどには盤石ではなかった。常雇いは三人、よく雇う人夫が他に五人。時と場合に応じて、一族から若者を出したり、他の商人に声を掛けたりもするが、大都市所属の商家や商会、それに名のある隊商と比較すれば、商売の規模とてたかが知れていた。

 

 堅実な商売は、しかし、意外と利益が小さく、そして今以上に商売を拡大できる見込みも薄かった。ポレシャ市の人口は、精々が千五百人ほどで市場としては頭打ちであり、購買力もけして高くはない。いや、そもそも購買力は愚か、市場の需要を埋める程度の供給ですらろくに満たせないのが現状ではあるのだが、誰もが欲する布や木材、獣脂、バター、毛糸、干し草、泥材、石鹸、紙、炭や塩、砂糖、食料品にペットボトルなど、一族の商売は、近隣都市の取引先から確実に売れるだろう日用品や消耗品を大量に、かつ安全に運ぶことで成り立っていた。

 

 しかし、同時にそれらの品目は、他の交易商人や行商人たちにとっても仕入れやすく、そして売り捌きやすい商品でもある。市場の需要を満たせないのに、なぜ、利益が薄いのか。地元ポレシャには少なくとも三人。ヴァル・ドレイクに匹敵すると見做される腕利きの交易商人がいて、ポレシャの市場を奪い合っていたし、大きな販路である市民区画の店舗持ちに至っては、いずれもドレイク家より大身であった。加えて、零細の行商人にも油断ならぬ者が幾人かいて、彼ら彼女らの追い上げもまた、ドレイク一族の商売を脅かしている。

 

 勿論、ポストアポカリプスに仕入れの旅は危険な仕事で、年に幾人かの同業者は死傷したり、荷を失って、引退したり、或いは消息を絶ってしまう。それでも、食べていけるのであれば―――財産を成せる見込みもあるのならばなおさらに、若く野心的な者たちは絶えず参入し、そして抜け目の無いものたちが生き残ってくる。

 

 

 伝統の地場資本である古い血筋の名家や市民の商家。自給経済・物資基盤を確立した土地持ち農民党や武装した牧童衆、放浪の鉱夫団。競争相手であると同時に、時に手を組んで隊商を形成し、時に取引相手となる交易商人や行商人たち。

 旅先においては、組合《ギルド》に加盟している都市商人たちは、隙あらば同業者たちと口裏を合わせて、隊商への売り値を吹っ掛け、或いは、買い叩こうとし、独立の自由商人も愛想よく擦り寄ってきながら、此方を出し抜こうと虎視眈々と狙っている。時に密輸や盗品、禁制品を取り扱う者もいる、油断のならぬ自由商人たち。若き日のヴァル・ドレイクも、そうであったように恐れを知らず、大胆で、野心的な若者たちだ。

 

 現況、ヴァル・ドレイクは、父祖が連綿と受け継いできた物流路と取引先からの信用をそのまま用い、一族の生業を維持し続けていた。誤解しないで欲しいが、そのこと自体に不満はなかった。若かりし日であればいざ知らず、壮年に差し掛かったこんにち、興亡定かならぬ黄昏の世(トワイライトエイジ)において、商売を大過なく経営し、次代に引き継ぐことがいかに肝要かをヴァル・ドレイクは重々、承知していた。

 

 若き日の野心もほどよく鎮まって円熟した年齢に差し掛かったヴァル・ドレイクにとって、だから、サドラン牛の輸送任務と言うのは、それほどに魅力的な仕事ではなかった。成功すれば、確かに大金は得られるだろうが、失敗すれば元も子も無くなる。必要となる牝牛一頭につき三、四千都市通貨(ズールクレジット)、或いは雄牛の六千都市通貨(ズールクレジット)と言う元手も、ドレイク一族にとってさえ、あまりにも過大に過ぎる賭け金で、リスクは引き受けられる範疇を越えていた。しかし、同時に、成功させる自信もヴァル・ドレイクにはあったのだ。

 

 

 サドラン牛の輸送任務に際して、ヴァル・ドレイクは他人が驚き呆れるほどに入念な準備と根回しを重ねながら、取り掛かった。議会からの情報が入ってきた直後から家畜市の主催者である自由都市ズールの高級役人や商会幹部との連絡を取ると同時に、いち早くサドラン氏族に接触を試み、ドレイク側の要望と用意できる金額を伝え、そのまま交渉をまとめ上げた。サドラン牛の面倒を見る牧童と獣医、荷運びの人夫、それに護衛を含めて、ポレシャ市で雇い入れた人数が三十名。その他にズール市においても信用がおけると評判の賞金稼ぎと傭兵を所属する組合の長を通して雇い入れた人数が二十名。さらにはズール都とポレシャ市の勢力圏内では、それぞれの警備隊《ガーズ》に近場の街道筋での随行を依頼しておいた。サドラン牛十頭を連れ帰った利益は、二万から二万五千都市通貨(ズールクレジット)にも上《のぼ》り、役人への若干の付け届けに、ズール警備隊への公的な寄付。合計五十名にも及ぶ隊商の二週間分の人件費を差し引いても、純利益は六千都市通貨(ズールクレジット)から八千都市通貨(ズールクレジット)に達していた。

 

 家畜市にて格安に持ち帰った獣脂やバター、チーズに毛皮、上等な皮革の仕入れも、サドラン牛を用いて常の数倍を購入している。ポレシャ市だけでは捌けないにしても、曠野東部の村や町、交易市などで、数か月から二、三年。日持ちする毛皮などは五年以上もかけて売り捌きながら、元手を回収する予定だった。多いと言っても、牛十頭と人夫二十人分で運べる積み荷。市場が飽和し、値崩れを起こすほどの量ではない。些かの危険を伴うが、東の曠野や砂漠、南方への交易に用いれば、さらに高い値を付けるだろう。【キャプテン】ヴァル・ドレイクは、生涯最大の賭けに対して一抹の不安すら覚えることもなく、当然のように勝利した。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 夜明けと共に飼ってる鶏たちがけたたましく鳴いた。犬たちも吠え出し、しかし、寝坊助な山羊たちは、惰眠を貪っている。反芻動物、とくに山羊や羊は、警戒心の薄いのんびり屋も多く、群れの他の生き物が起きないと動き出さない。

 

 飼い主のエマちゃんは早速、起き出して動物部屋から外の囲いへと通じる扉を開け放った。木の杭と蔦で造られた囲いの壁は、高さ一メートル。外のコヨーテや狼、変異獣でも易々とは越えられない。身体能力的には余裕かも知れないが、自治村を守るように張り巡らされた土の囲いを越えないと、まず、エマの家までやってこれないので、実際には、家禽が逃げ出さない為の囲いであった。

 

 朝四時、辺りがまだ薄闇に包まれたうちから、エマ・デイヴィスちゃんは、ライフルを背負って丘の上にあるドーム型住居から飛び出した。朝一番に行うべきは、自分の地所に張り巡らされた土壁の安保確認である。これは村の住人であろうが、単に住み着いてるだけの他所者であろうが、行うべき第一の責務であって、破られていたら、すぐに腰の角笛を吹かなければならない。

 

 夜間の見回りや寝ずの番もいるものの、人手の乏しい農村での負担と外の脅威の兼ね合いから、警戒は万全とも言い難い。数匹の屍者《ゾンビ》や変異獣が忍び込むだけで、簡単に惨事が引き起こされかねない。担当領域の土壁に劣化や異常がないことを確認してから、エマは村の中心部へと向かった。

 

 泥壁や土壁などを用いた幾つかの農家は、くっ付き合うように建てられている。一番、外周の家屋には、壁の手前にさらに囲いや土壁が設けられているのは、屋上からクロスボウや投石などを打ち下ろせるようになっているのだろう。村長や自警団員などの家に拠っては、常備の火薬代だけでも馬鹿にならない火縄銃を所持している世帯もあるのだ。

 

 ふもとの自治村へと駆け込むと、すでに農民たちが鎌や熊手で豆畑の雑草を刈り取っていた。人力の農具であっても、西暦《キリスト起源》2000年代頃の人間工学の概念や遺産は残されており、農具一つとっても中世の鍛冶屋が作るような素朴な品もあれば、可変性の随分と使いやすい農具も混ざっている。小まめに休んでストレッチを行っているのは、身体の負担を抑えつつ、効率的に仕事をこなす為だ。服装も農具も映画に出て来る中世庶民さながらの様相でありながら、農民たちの頭脳は、精密な時間割や労働力配分を割り出している。辺土には見た目のままに古代や中世まで知性や知識、道徳までもが後退してしまった人々も少なくないが、一見、区別がつかないようでポレシャ近郊の文明地での暮らしは、人がましさを欲する者にとって好ましい穏やかな生活様式であった。

 

 刈られた雑草をかき集めるのは、騒いだり、歌ったりしながらも、農家の子供たちの仕事だった。土寄せや中耕に入る前、まずは大人たちの手によって生い茂っていた雑草が豆畑の脇、朝露をまとったままに熊手でかき集められ、それを子供の手によって、軒下や木陰、簡単な屋根のある干し場など日陰の下にふわりと集められていた。

 早朝の柔らかな風が、広がるように干された雑草から、草の青臭さと共に、ゆっくりと水気を抜いていくのだ。雑草も又、牛たちの餌となる。時々、毒草が入り混じっているが、よく手入れされている畑には、自然の植生よりも随分と毒草は少ないし、大抵はよく区別がつきやすく、取り除けられている。熊手などで草を集めて一箇所に積んだ雑草は、日陰で一日、二日を軽く乾燥させ、黴ないよう注意しつつ、必要に応じて刻んで与えるのだ。若く柔らかい草の方が食いつきが良い。

 

 時おり裏返すことで乾燥ムラを防ぐのは、簡単に見えて大事な過程だ。手で握ってポキッと折れるようになればおおむねヨシ、と見做される。エマもポレシャに移住してきたばかりの頃は、雑草取りの作業や飼料作りの手伝いで日銭を稼いだものだ。

 エマ・デイヴィスも元牧者であるから簡単な飼料くらいは作れるが、それでも農民たちの丁寧な作業には感心させられる事しきりだった。そうして作られる上等な飼葉は、牛飼いや牧場に売れば、物々交換の良い足しとなるのだ。

 

 村の老農夫が語るところでは、日陰で干すにも理由があって、直射日光の強い場所で一気に乾かすと、表面だけが早く乾いて内部に水分が残りやすく、無造作に積むと中で黴が発生してしまうそうだ。一方で風通しの良い日陰で干すと、内部まで均一にゆっくり乾燥し、水分が抜けやすく黴のリスクが減ると聞かされた。また強い日差しは、葉緑素やビタミンなどの栄養分を破壊してしまう為、ゆるやかな乾燥のほうが、牛にとって栄養価の高い草になると、一見、簡単そうな雑草の干し草作りでさえ、数多の試行錯誤と経験知を積み重ねた作業なのだが、これは中世では既に口伝となっていた知恵に過ぎない。中世もまた、古代の叡智の礎の上に成り立った高度な文明であり、そうして連綿と受け継がれてきた掛け替えない歴史と叡智が一度、途絶えてしまった断絶の深さに人の黄昏の時代(トワイライトエイジ)の辺土の淵に生きるエマなどは、胸を締めつけられるような寂寥感を覚えるのだった。

 

 

 

――――

 

 

 

 このところのエマの稼ぎ口と言えば、村共同で乳牛を飼っている牧舎での乳搾りである。牛小屋と言う規模ではない。村の中心に建てられた牧舎には十数頭の乳牛がいて盛んに鳴き声が聞こえてくる。糞尿の処理や匂い、病気などの衛生面や飼料・放牧地へのアクセスなどを鑑みれば、本来は村外れに建てるのが効率的だろう。しかし、コヨーテに狼、屍者に変異獣と脅威は身近に尽きない上、牛泥棒に腹を空かせた浮浪者や放浪者なども一帯を彷徨っているのだ。放牧は村裏手の斜面で行われ、牧舎からは短い柵道が延びているが、高価な乳牛が一匹でも餌食となれば村の存続に関わる程で、一瞬とて目を離せない。放牧する際も必ず、長槍やクロスボウ、警笛を携えた複数名の見張りが付き添っている。

 

 常に人の目がある村の中心の牧舎だが、エマがやってくる頃には、既に床は綺麗に磨かれていた。早朝だとしても、糞尿や泥、汚れを掃除する程度には手入れされている。手を洗ってから、エマは乳牛の前に屈みこんだ。慣れた様子で牛の乳を絞り出す。牛は夜間に乳を蓄える。朝早くに搾ると量も多く、質も良いと言われている。

 一頭に掛かる時間は15分ほど。一時間ほど掛けて40リットルほどの牛乳を搾りだすと、缶一杯に満たされた牛の乳から、3割ほどを手間賃で貰う。複数のペットボトルに取り分けてから、急いで家へと持ち帰った。

 

「起きろ」家に戻ってから、怠惰な山羊たちに混じって、いぎたなく惰眠を貪ってる同居人の尻を蹴り飛ばした。最初の二、三日は食事もろくに取らずに延々と眠り続けたのは、よほどに気疲れしていたのだろう。同情はするが、しかし、甘やかすつもりはエマにはない。

 

「ま、まだ六時前……」時計を見て、呻きながら起き上がった放浪民の小娘に「もう六時だ」エマは槍とクロスボウ、角笛を手渡して「山羊たちと犬を連れて村を土壁沿いに十周して来い」と言い渡した。

「……十周」死んだように呻いている年若い放浪民『リドリーの娘』ミリーに至近までしゃがみ込んで、言い聞かせた。

「お前はこれから旅に出る。曠野では、歩き続けないといけない。さもなければ死ぬ。手持ちの金や食料も貧乏人には余裕がない。予定地まで行かなければ、途中で食料と水が足りなくなる。そうなったら、私はお前を置いていくぞ」

「……分かってる」エマの方が少し年上だが、大して年の変わらない相手に厳しい口調で言い渡され、しかし、ミリーは大人しく頷いた。

「お前は体力が足りない。まずは歩くことに慣れろ。靴の手入れは怠るな。石鹸をよく塗り付けろ」買い与えたスニーカーもそれほど旅に向いた靴ではないが、しかし、水除の油脂なども塗り付けてあるし、穴の開いた靴よりはマシだった。元のボロボロの靴は、捨てずに予備として取ってあるが、もし靴が破れても、補修するための糸や布、ロウなども旅の背嚢には入っている。

 

 怠惰な同居人の出発を見届けてから、エマは固定された自転車を引っ張り出した。

 まずは牛乳を氷冷蔵庫に入れ、代わりに牛乳から分離した液状のクリーム成分を引っ張り出した。十リットルの牛乳から取れるクリームはおおよそ一リットル。これをペットボトルに入れて、自転車の前輪《ホイール》へと取り付けた。ボトル内の空気スペースの量は2割と少し。1キロは手作業に問題ない量であり、エマは勢いよくペダルを漕いで前輪《ホイール》を廻し始める。バターを作るのだ。

 

 バターは生きる基本だ。肉や獣脂を多めに取れない肉体労働者にとって、これほど有難いものはない。濃縮された脂肪と栄養分は、ひと匙で体を温め、過酷な労働に耐える力を与えてくれる。

 塩を一つまみ加えれば保存も効くし、芋にもパンにも分厚く塗って食べれば、腹を空かせた子供たちにも笑顔が戻ると言うものだ。粗末なスープでも、一欠けらを溶かし入れれば、滋養のあるご馳走となる。庶民にとって、飢えと寒さを乗り越えるための糧がバターだ。

 

 獣脂などを入手しにくい廃墟生活者や浮浪者にとっても、バターは重要な食料だった。廃墟暮らしで主食のひとつとなる巨大鼠は肉は食えても、獣脂は使い物にならない。一般に齧歯類は脂肪が少なく、質も悪くて臭みが強い傾向がある。それでも山羊などの乳をかき集め、時間をかけて撹拌すれば貴重な脂肪が手に入るのだ。牛乳バターよりも随分と風変わりで癖の強い味ではあるが、バターは干し麦にも、乾燥トカゲ肉にも、何にでも合う。貧困層が珍重する包み紙に入れた保存用塩バターは、8から12%もの塩分を含んでいる。舌に刺さる塩辛さだが、少しずつ使うその一口、二口が、その日その日の生き抜くための命綱となる。

 

 裕福な市民階級にとっても、重要性は落ちるがバターは常食のひとつだ。焼きたてのパンに厚く塗って齧る、甘く煮た根菜に乗せてとろけさせる、肉を炒める際に一欠片を添える、朝の粥にひと匙落とす。冷蔵庫で保存する牛乳バターの芳醇な香りと共に舌の上で広がる油脂の甘味は、かつての文明を想起させる味覚として、今も愛されている。

 

 本来、バター製造に向いた季節は、涼しい春と秋であるけれども、冷涼なポレシャの地なら、初夏の六月でも朝晩であれば、バター造りは可能である。

 延々とペダルを漕ぎ、飽きたら座り込んで手で回し、大体1時間。液体状のクリームから、個体成分が分離した。バターが出来た。およそ500グラム。保存食にする為、ボウルに入れたバターに50グラムの塩を振りかけて、ヘラでよくかき混ぜ続ける。これで塩バターが完成である。エマ・デイヴィスは、水抜きした後、丁寧に乾燥した油紙へと包んだ。バターは良い。換金や物々交換も出来るし、交易にも使える。牧者の黄金である。

 

 ようやく出来た一塊のバターを冷蔵庫に入れる前に、お守りのようにそっと胸で抱きしめてみる。それから溜息を洩らして、エマ・デイヴィスは大きく身体を震わせた。エマは、歩き慣れている。翌日に疲れを残さず日に二十五から三十キロを歩ける。装備や靴、荷の扱いにも熟達してるし、食事や水、休憩も適切に取れる。銃も上手いと言われるし、杖も、手斧も、ナイフも訓練している。

 

 それでも恐い。文明崩壊後《ポストアポカリプス》の世界。普通の人間にとって見知らぬ土地を旅すると言うのは、並々ならぬ決意を必要とした。エマが歩き慣れているのは、ポレシャ近隣の牧草地や農村と、後は幾らかの南北や東への街道である。自由都市ズールまで徒歩で四日間。慣れぬ同行者の足を考えれば、長くて一週間。

 

 街道筋であるから、おおよその宿場くらいは人伝に聞いているが、それも数年とか、数か月前の情報だった。崖崩れしてるかも知れない。知らない穴があるかも知れない。見知った牧草地やら、近隣の農村だの交易市まで出かけるのとは訳が違う。

 未知の道だ。水場の位置。盗賊や怪物の縄張りや出没しやすい場所。屍者の徘徊の経路。何も分からん。足でも挫いたら、それだけで生死に関わったりもする。

 

 多分、大丈夫だ。多分。ヴァル・ドレイクや【影】のニコラスなどの名うての行商人たちの事を考えてみる。旅をしながら、何十年と無事にやり過ごしてきた。町外れや中町の行商人の中にも、西の丘陵を横断して自由都市で商売している者が幾人となくいると聞いている。斥候のマカロヴァ老人も、近隣の町に気軽に出没しているそうだ。だが、そうした名うての旅人は、詳細な地図やエマの考えつかない強みを持っているのかも知れない。

 

 ズールに所用で出向いた旅人の九割がたが無事に帰ってくる。だけど、逆に言えば、たかが近場の都市に出かけるだけで、出向いた百人のうち、二人か、三人は消息を絶つのだ。「ここで兄を見失った」「三日前にこの道を通った商人が帰ってこないらしい」そんな話は嫌と言う程、耳にする。幼い頃にすぐ帰ってくると気軽に告げて出かけたまま、それきり姿を見せなかった親戚の背中。捨てられたのではない、と信じたい。だけど、熟練の牧者でさえあっさりと消息を絶ちかねない世界なのだと気持ちがかき乱される。

 

 壁に寄りかかりながら、エマ・デイヴィスは目を閉じた。手首に付けたお守りに触れる。翼の付いた杖のお守り。牧者と旅人の守護神であるヘルメスの護符《タリスマン》だ。ありふれた、安い護符に触れているうち、それでも心が落ち着きを取り戻してくれる。エマは臆病かもしれないが、この場合は用心深さとしても活用できる。何か足りないものはないか、考え続ける臆病であれば、悪徳も美点と裏返るはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――ポストアポカリプスにおける機械力衰退と牛の飼育(※読まなくても問題はない)

 

 

 

 農村地帯の牛は、大きく四種類に判別されている。ホルスタイン種やジャージー種などと言った品種の話ではなく乳牛、肉牛、それらの兼用となる原種、役牛と言った、機能・役割に基づいた区分である。十四世紀の中世欧州。牛は労働や肉・乳など多目的で飼われており、飼料も粗末で、選抜育種も進んでいない為、一日あたりの乳量は1リットルから2リットル程度と言われている。これが1800年代の産業革命期に差し掛かると、農業技術の発展に選抜的な飼育も始まり、おおよそ3リットルから5リットル。乳用種の改良が進んだ1950年代には草主体ではあるが飼料や衛生管理が改善され、ホルスタイン種で日に8~12リットル程まで増大していた。2020年代には、一頭当たり25~35リットルまで生産性は向上したが、文明崩壊後《ポストアポカリプス》の時代。タンパク質などの濃厚飼料、発酵飼料、サプリメントなどは不足し、牛の餌は再び、干し草・雑草・豆殻など粗飼料が中心であった。

 

 

 ポレシャ近郊の農村で飼われている牛は、主に二種類。原種に近い兼用牛と、乳牛である。原種の牛は、コストに見合わないので牧舎ではなく、牛小屋で粗末な扱いをされているが、それでも頑丈なので、牧草地の広さと藁の供給に合わせて数を増やすのも容易かった。一方で少数の乳牛は大事にされており、牧舎でコストを掛けて世話をされている。種牛は、遊牧民から借りたり、買ってくることもある。しかし、一方で乳牛の経済的寿命は、労役牛や兼用牛よりも遥かに短い。一頭あたりの乳量は、3歳から6歳の牛で6リットルから10リットル。しかし、7歳から10歳の牛となると乳の量は3割も低下する。どちらの方が幸せなのかは分からない。

 

 原種の牛は、環境に強く、飼料も選ばない。粗食に耐え、粗末な牛小屋での暮らしにも適応し、自前で繁殖できる。役牛も頑強で、やや荒々しい性格ながら、糞尿の処理と換気さえあれば、健康を保て、藁敷きと最低限の遮風・遮雨があれば冬も越せる。中世文明の自給型農村社会で飼うのであれば、極めて適していると言えよう。経済的寿命も長く、十年から二十年働ける個体も珍しくない。雌雄を持っていれば自家繁殖も可能で、多くの農家では、雄牛を共同で飼ったり、交配期に貸し借りをする文化がある。ポレシャ市を例に取ると、農村や農家で飼われている牛の大半が、原種であった。

 

 対して乳牛は、大人しい性格であると同時に極めて繊細で、他種よりも病気に弱く、衛生管理も行う必要があり、また系統管理された品種である為、近親交配には留意しなければならない。文明崩壊後《ポストアポカリプス》の世の中では、来訪する遊牧民から種牛を借りるのが一般的な手法のひとつであった。移動する遊牧民が遺伝資源の流通役(ジーンフロー)になるのは、かつてのシルクロード沿いや中央アジア、モンゴル高原などで見られた文化でもある。

 

 手入れとしては、毎日または1日おきに糞尿を除去し、わらなどの敷料は交換される。牛小屋の湿気や臭気を逃すために、高窓や通気孔の設置など通気の良い構造も重視されていた。消毒までは一般的ではないが、乳牛は高価な為に、定期的に石灰などをまく酪農家も一部にある。搾乳前に乳頭を拭う、洗うといった習慣も根付いており、雑菌の混入を防ぐために、最初の数滴は別容器へ捨てるのも鉄則だ。手搾りだが、器具を使う際は清潔保持も重視されている。汚れた水を避け、清潔な水の供給を心がける。牛に個体識別(名札や耳標)はつけられており、健康管理の記録を取りながら、結核、口蹄疫、乳房炎などへの勉強も、ポレシャ市の近隣で大規模に乳牛を飼うには必要不可欠である。これらは1950年代の水準に準ずる。

 

 黄昏の世(トワイライトエイジ)に、基礎技術が産業革命程度まで後退しても、知識に関しては1950年代から2000年代のものも一部継承されている。時折、発掘される書籍や電子記録のお陰でもあるが、同時に乳牛を大量に飼うには、恐るべき量の藁が必要となる。供給を支えるには機械力が必要だが、しかし、人力が主力まで文明が後退した時代、麦の産地であるがゆえに200haの麦畑は量的には供給を可能とするだろうが、しかし、現実的には藁の運搬能力の上限が、乳牛の飼育数を制約している。運搬に使えるのは数頭の役牛と人手だけであり、輸送距離が短くとも藁の処理や積み込みなど、嵩張りと重量ゆえに、日に何往復もできるものではなかった

 

 

 牛床を清潔・乾燥に保つための敷料と、粗飼料としての飼料である藁は、乳牛1頭あたり、年間500kg~1トン以上を消費する場合もある。10頭の乳牛ともなれば、敷料と飼料で年間5~10トン以上の藁が必要になり、これに対して供給源である200haの麦畑は、1haあたり、小麦収穫後に得られる藁の量はおおよそ2~4トン。最大で400~800トンの藁を生産可能となり、これは理論上、数十~百頭以上をまかなえる規模となるが、現実には刈取り・乾燥・保管の工程がすべてを人力ベースで行わなければならず、また藁の保管に大きな乾燥納屋や風通しの良い倉が必須となる。

 

 簡易な圧縮器具を用いてのプレスで藁の体積を減らし、麦畑での収穫作業の手伝いから藁の保管まで、村全体の共同作業で分担しても、労働量の負担は相当なものとなる。それでも、手間暇の掛からない原種の牛の乳量は日に2リットル。それに対して乳牛の乳量は、6~10リットルに達している。わずか十頭を集約しただけでも日に80リットルの乳量は、充分に集約の価値があった。年間三万リットルの牛乳は、トン単位のバターやチーズの生産を可能とし、保存食、交易品、ポレシャ市への租税代替物としても、自治村の経済的基盤を支えている。

 

 

 酪農家がおっても「素人質問で恐縮ですが……」とか禁止。

 

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