黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_58C 隊商の帰還

 交易商人の【キャプテン】ヴァル・ドレイクが、ポレシャ市に帰還した。十頭もの毛長牛を連ねた長い隊列が嘶きながら、ポレシャ市北口にあたる下層地区のバリケードからゆっくりと入場し、荷を背負った人夫たちの行列が牛たちの横や後ろに続いている。

 隊商の接近を知らせるラッパが高らかに吹き鳴らされ、市内へと響き渡っていた。荒野を踏破し、危険な旅を終えた隊商の帰還に、居留地の人々は老いも若きも沸き立ち、貧民も裕福な者も、ちょっとした出し物のように街路へと群がっている。

 満載された積み荷――獣脂や石鹸からバターにチーズ、毛皮や塩、砂糖など日常で不足がちな物資が程なくして市中に出回り始めるに違いない。ひどく安価という訳ではないが、それなりの品が程々の廉価で出回る事を、配給を受けられる市民層は別にしても、庶民層は期待した様子でざわめいていた。

 時折、建物の二階の窓や屋上から、帰還した隊商に向かって野の花びらが撒かれる。列の先頭を歩くヴァル・ドレイクは、人々の歓声に応えながら度々、手を振り返し、或いは、下層地区や中層区画、門前町の有力者を前に立ち止っては抱き合い、何かを囁いては握手を交わしている。一方で市民たちは、防備の整った堅牢な建物の窓越しから、興味深げに騒ぎを眺めていた。

 

 

 

――――――

 

 

 

 マギーは泥のように眠っていた。昨日一日を西の丘陵地帯の調査に費やし、居留地に戻ったのは日没直前の夕暮れ時。夕闇の中、疲労困憊のまま、湯を沸かして体をざっと洗うと、そのまま寝床に沈み込んだ。本来であれば、あまり感心できる振る舞いではない。一応の市内に属し、木製のバリケードや土嚢によって守られてはいるものの、荒野《ウェイストランド》に面した町外れという地区は、いささか危険な場所で野生動物や屍者《ゾンビ》、変異獣などが稀に忍び込んでくることもあった。

 

 旧文明の廃墟として、兎も角も屋根や壁の一部、或いは骨組みだけ残された建物も少なくない。廃墟に布を張っただけの部屋や天幕住まいの渡り人(オーキー)や自由労働者など、無防備に寝ているところを毒蛇や屍者《ゾンビ》に噛まれたり、変異獣や狼、熊などに襲われて其の儘、犠牲者となってしまう痛ましい事件も何年かに一度は起きたりする。勿論、曠野や廃市街などよりずっと安全だが、それでも住処の壁や守りが薄いものらは、夜間に見張りを付けるのが鉄則――――とまでは言わずとも望ましいには違いない。とは言え、仮にもバリケードが設置され、危険な街路も封鎖されてる下層地区であった。怪物の侵入とてそうそう起きるものではなく、大抵は自警団に速やかに対処される程度に治安も良い。日中などは其の儘、路傍で寝ている自由労働者や酔っ払いの姿も見かけられるし、危険な廃市街暮らしの浮浪者《ホーボー》が、安全な寝床を求めて廃屋に忍び込んでくる光景も珍しくない。

 

 まず、大丈夫。ではあるものの、常のマギーであれば夜間の見張りも欠かさなかった。同居人のニナや徒弟のトリスに、仲間のジーナ・(エルクストン)も連日の丘陵探索に疲労困憊で、マギー同様に段ボール製天幕の寝床で爆睡していた。連日の探索に地図は少しずつ補完されているも西の丘陵地帯の面積に比せば、到底、完璧とは言い難く、また日帰りである為、奥に進めば進むほどに測量などに費やせる時間は減少していくのだ。マギーも見張りの欠如が、危ういとは承知しているが、丘陵地帯の地図の補完と秤に掛け、数日だけ危険を冒すことにしていた。

 

 丘陵の探索とて連日ではない。日帰りできる時間的距離を割り出しながら、日没前に帰還する鉄則を守り続けている。下層地区の段ボール天幕で寝泊まりする渡り人(オーキー)の行商人に、疲労の蓄積は命取りになる。広大な丘陵地帯には迷路のように数多の経路が存在し、危険な野生動物や怪物とて棲息している。見知らぬ怪物の縄張りに踏み込まぬよう、探索は慎重に進めているものの、どうしても神経も削ってくる。危険な土地を探索する緊張も、また体力の消耗以上に気疲れを感じさせてくれた。

 

 丘陵地帯の地図の作製が明日に繋がるのか。本当は、マギーにも強い確信はなかった。多分、地図は作成できるだろう。恐らく、商売に繋がるだろう。多分と恐らくを積み重ね、内心に不安を覚えつつも、ニナや他の部下の前ではそれを洩らさず、自信に満ちた態度を保ち、利益に繋がると断言を行う。勿論、十中八九は上手くいくと踏んでいるからこそだが、それでも、絶対などないのだ。

 

 同時にマギーは柔軟さも維持しようと努めていた。本当に危険な状況であれば、危機を認めて共有し、対策も練るが、こまごまとした試練であれば、それは仲間に一々、不安を抱かせない為、信頼を醸成するために頭目が飲み込むべきだった。

 

 マギーは常に、自分がどこまでの責任に耐えられるかを図っていた。三、四人の小さな徒党で、上手くいけば儲けものの計画。失敗しても僅かな時間と金銭の浪費で済む。重責ではない。この程度であれば、楽に飲み込める。文明崩壊後《ポストアポカリプス》の時代。誰もが闇の中、明日の見えない不安と恐怖を抱えながら、少しずつ歩みを進めている。恐らくは小なりとも徒党を率いるものは、すべからくこのような孤独や恐怖に一人で立ち向かっているに違いないのだ。

 

 道は、一つではない。同じ時間と労力を用いて、金を稼いだり、家を建て増しする選択肢もあった。今日の夜にでも怪物に襲われりしたら、壁を作っておくのが正解だったとなる。しかし、西の丘陵地帯には複数の経路があるが、熟練した旅人や行商人でも時折、消息を絶つ程度には難所だ。長期的に見れば、地図作製も利点となると思いたい。行商稼業は順調だけれど、その為に自分や仲間が危険に踏み込み過ぎては、本末転倒になってしまう。

 

 

 隊商の来訪を知らせるラッパの音が、出入り口の方角から吹き鳴らされていた。

 目を覚ましたマギーは、響き渡るラッパの音に少しだけ表情を強張らせ、「……誰?この時期に予定は無かった」しばし考えこんだ。それから太陽の位置で昼近くまで惰眠を貪っていたことに気づくと、小さく溜息を洩らした。「ここまでかな」と唇の端の涎を拭う。地図の作製も焦る必要はない。ズールとポレシャの往来で、幾らかでも時間的距離が縮まった。今は、それで満足するべきだろう。

 

 

 

―――――

 

 

 

 大規模な隊商が都市の来訪に先立って、先触れを出すことは珍しくもないが、地元に所属する小規模な隊が帰還しただけなら大袈裟に過ぎるだろう。出入り口に混雑が起こされる程でもないと判断したのか。ヴァル・ドレイクは伝令を出さずに其の儘、直帰したし、 地平線に隊商を認めた見張り塔でも、ラッパは吹き鳴らされたものの、到着までの三十分間、なにかしらの出迎え準備をした訳でもなかった。

 

 マギーと仲間たちが居留地出入り口を見渡せる場所に陣取るには、充分な時間で在って、物見高い浮浪者《ホーボー》やら渡り人(オーキー)、農民らが集まった路傍の人込みをやや強引にかき分けながら、顔見知りが拠点としてる小さな劇場跡の一室に見物場所を設けた。

 

 劇場跡は浴場も経営しており、下働きの小僧を見つけたマギーは、数枚の地区紙幣を手渡して大量のお湯を注文した。ついでに、上階で湯船に入ると言う贅沢を楽しむのだ。旅人にとって一番、恐ろしいものが水虫や疥癬である。廃市街やら曠野の小村ではお湯と石鹸を用意できず、皮膚病を患ってる放浪者や農民なども多い。幸い、ポレシャ市近隣は水源に恵まれ、廃墟生活者や浮浪者《ホーボー》までも身綺麗にしている者が多いが、(週に一度は身体を拭くこと。など法令で定められている)、大抵の居留地では水量はもっと乏しいのだった。

 

「皆の衆、身体をようく洗うのだよ。特に足。指の間も石鹸で」お母さんみたいなマギーの指示でニナやトリス、ジーナ・(エルクストン)が朝風呂代わりに石鹸で身体を洗い出す。運悪く、昨日、マギーの家で食事をご馳走になり、其の儘、寝泊まりした猫みたいな小娘のココが湯船でマギーに身体を洗われて、ぶにゃあ!と叫んでいた。隣人のリリーもいたが、興奮した様子で隊商の行進を眺めているのは、行商人のマギーと違って、廉価で出回る商品の量が、生活の質や生命線に直結しているからだろう。

 

 近所のメアリなども連れてきてやっても良かったが、しかし、下の子らの世話をしてるし、弟たちに裸体を見せて変な性癖を植え付けてもよろしくないので、リリーだけである。兎に角、隣人のメアリやらアーサーやらも、見たければ、きっと勝手に見に来るだろう。昼時なら、働いている時間かも知れないが。

 

 隊商が見えてきた。「……二番手は、ヴァル・ドレイクか」ジーナ・(エルクストン)が双眼鏡を覗きながら、報告してくる。見慣れぬ毛長牛に所属を示す旗が翻っていた。確かに【キャプテン】ヴァル・ドレイクの旗だ。

「……この辺土の町で、よくあれだけの隊商を差配できるものだな」ジーナ・(エルクストン)の呟きにマギーも素直に賛同していた。きっと、一生涯掛かってもマギーはあれだけの隊商は編成できまい。

 行進は、パレードと言ってもいいほど、それなりに華やかで勇壮に感じられた。勿論、ありふれた町のたかが知れた小さな隊商ではあるのだが、それでも危険な荒野を越えて、大量の物資を仕入れてきた勇者たちの帰還には、住民たちから言祝がれるだけの栄光に値するものがあるのだろう。黄昏の世(トワイライトエイジ)には貴重な花が時折、隊商に向かって放り投げられる。近くにいた随員が拾い上げて、誇らしげに帽子に付けたり、胸元に飾っては、歓声に手を振り返している。路傍には、憧れの目で見上げたり、追いかけてる少年少女の姿もあって、旅には標準装備の甘い飴玉か、キャラメルなどを隊員が投げ与えることもあった。きっと恐らく、あの中の幾人かは隊商の隊員を目指すだろう。

 

「クレイさんがまたうるさく騒ぎそう」隊商を見物してるニナがぽつりと呟いた。先を越された依頼人のジーナ・(クレイ)は、焦れているに違いない。地図が完成すれば、牛を持ち帰るのも不可能ではあるまいが、しかし、確証がある話でもないのだ。こうなれば、さっさと依頼を果たしてやる方がいいかも知れない、とマギーも思い始めていた。

 

 先頭を行く壮年の男が【キャプテン】ヴァル・ドレイクだろうか。眺めていたマギーだが、ふと、視線が合ったような気がした。大通り沿いとは言え、窓辺からはかなりの距離がある。ヴァル・ドレイクと思しき男は、意外と鋭い視線でマギーのいる場所をじっと見つめ、動こうとしなかった。敵意だろうか。それほど単純な感情にも思えないが。傍の男が何やら耳打ちすると、ふいっと視線を逸らし、やっと通り過ぎていった。マギーはヴァル・ドレイクの顔も知らなかったが、(ふむん?警戒されているかな?……向こうは、私を知っているのだろうか )と微かに目を細めた。ヴァル・ドレイクの方が遥かに大物だが、なにしろ地場の大手商人。新進気鋭の―――つまりは目障りな同業者であれば、多少なりとも意識して顔と名前くらいは調べていても不思議はなかった。

 

 湯船に浸かりながらマギーが「累代の地元商人には敵わんな」とぼやいてると、裸体のニナとジーナ・(エルクストン)が寄ってきて抱き着いた。

「マギーならそのうち、もっと大きな隊商を編成できるようになるよ。きっと」ニナが無邪気に信じ切った様子で囁いてくる。

「……買い被るものだなぁ」苦笑したマギーは、しかし、いまはまだ何者でもない。下層地区の行商人としては多少、羽振りが良いが、それだけだ。だけど、五年後。十年後は、違うとニナたちは信じているようだ。

 受け流すマギーに、ジーナ・(エルクストン)も告げる。「少なくとも、私はそう信じてる」重たい期待だが、マギーは面白そうに微笑んだ。リリーとココは蕩けた表情で隣の湯船に沈み込んでいる。トリスは女の子といちゃつく性癖は無いようで、離れた場所で転がり、涼んでいた。まだ二十歳を幾らか越えたばかりのマギーも仲間たちも、おのれの限界を知らず、未来への恐れも知らない年齢だった。

 

 

 

※※※※

 

 

 

 

 近々、自由都市へ向かうエマ・デイヴィスに、牧舎の管理人が一通の手紙を託してきた。付き合いのある遊牧民の代理人宛で、そろそろ種牛を借りたいという伝言も添えられていた。

 エマの目的は本来、詐欺事件の容疑者となった知己ヘレンの追跡と捕縛である。とは言え、あまりに出発を先延ばしにしていたら、ヘレンが自由都市からさらに他所の土地へと姿を晦ますかもしれない。

 かつて腕利きの牧者であったエマ・デイヴィスが村で重宝されている大きな理由のひとつが銃の名手であることだが、ヘレンの腕もさほど劣ってはいない。もとより、少人数で家畜を守りながら曠野を彷徨う牧者たちは、熟練の旅人であると同時に、一般には『戦う人』とも見做されていた。

 

(……勝てるかは分からんな)とエマ・デイヴィスは漠然と思っている。ヘレンは結構、腕が立つ。おのれを弱いとは思ってないが、特に銃を用いての闘争は、読み合いや地勢でどうにでも転ぶものだし、先制、奇襲に伏兵などの戦術も大きく作用する。刃物を用いての白兵では、ヘレンの方が上かも知れない、とも思っている。それに旅する牧者は意外なつながりを持っているものだ。ヘレンに此方の知らぬ仲間がいる可能性だってあるのだ。とは言え、不安は抱いていない。普段は臆病であり、用心深くもあるが、いざとなれば、なるようにしかならぬ、とストンと心が落ち着くのもエマの奇妙な心の形だった。

 

 兎も角、屍者やら変異獣やらを狙い撃つのとは、また、別格の相手となるだろう。エマも、ついでの【リドリーの娘】ミリーもあっさりと死ぬやも知れない。エマは、臆病を自認する癖、それも良し、と肝が据わっていた。ヘレンは友人である。少なくとも多少、気心が知れた、とエマ・デイヴィスの方は思っていた。それがあっさりと裏切られ、自分の名前を騙って詐欺事件を働いた。もやもやするのだ。何故、自分が名前を騙られ、ミリーの父親たちと死闘して殺す羽目に陥ったのか。腹の奥の深いところに、会って聞いてみたい気持ちが蟠っている。これを放置したままでは、死ぬまで心がざわつくだろう。

 

 兎も角も、ヘレンを追う、とエマは決めた。追って捕まらなかったら、それはそれで仕方なし。ズールは広大な都市で人ひとりを探すのは、牧者間の伝手と繋がりを用いても難しいであろうし、また、他所に赴いていれば空振りとなるはずだ。何時までも執念深く追うつもりはエマ・デイヴィスにもない。ただ、一つの区切りはつくだろう。エマは、ただ、自分自身の為にけじめをつけたかった。

 

 

 

 

 ポレシャ及び近郊の農村で飼われている牛はほぼ二種類。原種に近い兼用牛と、乳牛である。原種の牛は、コストに見合わないので牧舎ではなく、牛小屋で粗末な扱いをされているが、それでも頑丈なので、牧草地の広さと藁の供給に合わせて数を増やすのも容易かった。一方で少数の乳牛は大事にされており、牧舎でコストを掛けて世話をされている。種牛は、遊牧民から借りたり、買ってくることもある。しかし、一方で乳牛の経済的寿命は、労役牛や兼用牛よりも遥かに短い。一頭あたりの乳量は、3歳から6歳の牛で6リットルから10リットル。しかし、7歳から10歳の牛となると乳の量は3割も低下する。どちらの生が幸せかは、エマには分からない。そもそも牛がそう言った事を考えるかも分からない。

 

 村の小さな牧草地では、柵の向こう側で牛たちがのんびりと草を食んでいた。遠目に交尾している牛たちもいる。子牛は財産になるので、自然交尾が成立する環境が維持されているようだ。乳牛や肉牛などと違い、原種に近い汎用牛は血統を注意深く管理する必要も薄い。それでも、牛の交尾を目撃したミリーが、「ぴゃあ」と頬を赤らめて首を振った。近くで農作業していた年増女たちが「おう、色気づいて」と笑った。家畜の種付けや出産を幾度となく目にしたエマは、「春だねぇ」とのんびり呟いた。

 

 近くで枝を振り回していた農民娘たちが、「なんだよ、初めて見たんか?牛だぞ、牛!」「ムッツリやねぇ」いまだチャンバラ遊びに興じている精神年齢の分際で、揶揄うようにケラケラと笑いながら田舎道を遠ざかっていった。揶揄われたミリーはムスッとしつつも、荷物を抱えたエマの後ろについて歩き続ける。

「……ちょっとビックリしただけですよ?」誰も聞いてないのに恥ずかしげに言い訳を始める。「初心なネンネでもあるまいに」とどうでも良さそうにエマは呟いた。

「だって……」と呟くミリー。放浪民には貞操観念を笑い飛ばす奔放な女たちもいれば、命に関わると慎重に相手を選ぶ女たちもいて、恐らくミリーは後者に属しているようだ。エマもこれまで恋人がいた事はないが、動物のそれは何度も見てきたし、今さら、衝撃を受けたりする筈もない。それよりも考えるべき事があった。

 

 バター包みを抱えたエマ・デイヴィスが向かったのは、ポレシャ市の町外れだ。渡り人(オーキー)や自由労働者が多く暮らしている下層地区で、木製のバリケードと土塁に守られている。各出入り口には、火縄銃やクロスボウで武装した自警団員たちが屯っていて、二階建てほどの高さの見張り塔も建てられており、鐘とラッパが備えられていた。敵襲時には鐘が打ち鳴らされ、隊商や遊牧民の来訪や帰還時などには、ラッパが吹き鳴らされる。つい先刻、そのラッパが吹き鳴らされたばかりだ。

 

 ヴァル・ドレイクの帰還。恐らく自由都市までの北回り街道、その詳細な地形を網羅しているのだろう。門前町の大物であるヴァル・ドレイクは、伝手もない牧者娘が飛び込みで会えるような相手ではなかった。エマがなんとか会えそうな相手で、望ましいのは、サドラン牛の買い付けを成功させたニコラス『影男』カフマンか、斥候のマカロヴァ老だろう。派手さは無いが堅実な仕事ぶりのニコラスは、穏当な性格と聞くし、マカロヴァ老人は丘陵越えの実績を持っているが、しかし、その二人は先日、自由都市から帰還したばかり。ニコラスは持ち帰った品々の売り込みに奔走しており、マカロヴァ老人は冒険後の休息を兼ねて療養中だった。実際、屯してる市内の酒場に会いに行ったものの老人、完全に酔い潰れている。「……おれぁ、休暇中だ」と顔を赤らめて呟くばかりで話にならなかった。まったく、真っ先にこの二人に声を掛けた炭焼きの娘は、本当に上手くやったものだ。

 

 

 となると、二番手に上がるのは、【蛇】のマルグリットあたりだろうか。

町外れに暮らしている行商人の一人で、西の丘陵を越えられる旅人でも群を抜いている。熟練の斥候としても知られており、他の行商人が数か月。多くても月一程度の自由都市との往来なのに、マルグリットは月に二度、多い時には三度も西の丘陵を越えていると噂され、ことズール方面の地理に関しては、市内でも最良の道先案内人の一人と目されている。

 

 近隣でも金属片を探す鍛冶師や流れ職工、狩人に薬草探し、行商人などが時折、西の丘陵に足を踏み入れてはいるが、 一言に丘陵地帯と言ってもだだっ広く、それぞれの熟知する活動範囲も違えば、目的も異なっている。やはり、当てにできるとしたら、【蛇】のマルグリットだろう。

 

 残念ながら、エマ・デイヴィスには、【蛇】のマルグリットとの伝手など無かった。案内人を雇えなければ雇えないで仕方ない。エマ・デイヴィスも旅の素人ではないのだ。それでも出来れば、案内人が欲しかった。文明崩壊後《ポストアポカリプス》の大地に、慣れた同行者がいるのといないのでは、生還率がまるで違ってくる。

 

 元々、容疑者ヘレンを捕らえるように、と無茶ぶりをしてきたのは放浪者の共同体《コミュニティ》であるが、取り仕切っているのは保安官事務所だった。

 いずれかの斥候と紹介の労くらいは取ってくれても罰は当たるまいと押しかけてねじ込んでみれば、見知った保安官助手キャメロン曰く「お前の知ってるスネイクバイトが、【蛇】のマルグリットだ」と意外な言葉を告げられた。あの恐ろしいスネイクバイトの一人。かつての『大地の舎人(キーパーズオブランド)』と『青葉衆《グリンリーフクラン》』の抗争で、僅かに十数名で手練の『護り手(ガーディアン)』たちを含む、七十人近い戦闘員を鏖殺し、大地を血に赤く染めた伝説の賞金稼ぎたち。

 

 正直言えば恐い。実を言えば、エマ・デイヴィスは当時、『大地の舎人(キーパーズオブランド)』に雇われていたのだ。五、六年ほど前だったと思うが。その頃のエマは、雇われの小娘に過ぎず、戦力外で戦闘には参加しなかった。もし、傭兵として売り込んでいたら、きっと殺されていただろう。当時、追い詰められていた『大地の舎人(キーパーズオブランド)』氏族には、銃や刃を手に取った女子供もいて、そしてスネイクバイトは全く容赦しなかった。ほんの些細な疑わしい動きをして殺された下働きの娘もいたのだ。今朝まで笑い合っていた同僚や友人、そして味方の戦士たちの破裂した頭蓋に膝を埋もれながら、エマ・デイヴィスは必死に命乞いし、命を拾った後は一目散に逃げだした。自分が戦士として生きられないと悟った瞬間だった。

 

 スネイクバイトは、百人近い賞金稼ぎの結社(バウンティハンター・ギルド)だった。解散して曠野に散ったならば、ポレシャ程の大きな町に残党の四、五人いてもおかしくないが、寄りによって頭目格の一人かとも皮肉な巡り合わせに嘆息する。

 

 とは言え、エマは多少、見知った知己が戦場で死んだからと言って、仇を討とうと考える人種ではない。武器を手にしたものであれば猶更。剣を取るものは剣によって滅ぶものだ。今さら、復讐などは考えていないが、向こうはどうだろうか?エマを覚えているとも思えないが、エマの方は忘れていない。あの蛇のような瞳を忘れたことは一日もなかった。

 

 いずれにしても、キャメロン保安官補は紹介状をくれた。手土産代わりに塩が多めのバターを抱え、エマ・デイヴィスは、【蛇】のマルグリットがいると言う、大通り沿いの浴場へとやってきた。下層地区とは言え、お湯と薪を贅沢に使えば料金は馬鹿にならない。会員制のこうした店舗が出来始めたことが、【蛇】のマルグリット個人の羽振りの良さを示すだけではなく、拡大傾向にあるポレシャ市の繁栄の兆しにも思えた。

 

 

 建物の入り口では、クロスボウや鉄パイプを持った男女が見張りをしていたが、キャメロン保安官補の紹介状を見せ、マルグリットに会いたい。と旨を伝えると、武器を預けることを条件に、暫く待たされたものの中へ通された。

「マルグリットさんがお会いになるそうです。三階の一番奥です」案内係の丁稚に従って廊下を進むと、子守唄のようなものが聞こえていた。途中の待合室ソファで隻眼の女性が猫のような耳を生やした少女と大きなサングラスゴーグルを掛けた少女を静かに歌いながら、寝かしつけている。

 

 同行する放浪者の娘ミリーが、一瞬だけ、羨ましそうな表情で立ち止りかけたが自嘲するように首を振ってから足を速めた。三階の一番奥、上等な個室が設置されてる厚手の布のベールが垂らされた入口へとやってきて、エマは軽く息を呑んだ。

「……緊張してるの?知り合い?」ミリーが少し緊張した声音で問いかけてきた。

「恐い奴だ……泣くなよ?」警告してから、エマは出入り口のベルを鳴らし、音もなく五つ数えてから、ベールを退かしてそっと内部に踏み込んだ。

 

 部屋には若い娘ばかりが三人。少女が卓の傍でピッチャーからコップに水を注いでおり、窓辺には若い女が抜身の短剣を握りながら風に当たっていた。少女の方は、やや怪訝そうに二人の来客を眺めている。 娘たちの上気した肌と漂っている生々しく雰囲気に若干の抵抗感を覚えながらもエマが視線を巡らせれば、見覚えのある女が壁際の椅子に腰かけ、鋭い視線でエマとミリーを眺めていた。右手はエマから見えない位置に隠されているのは、手斧でも握っているのだろうか。随分と背丈は伸びていたが、血と炎の記憶に刻まれた印象深い相貌を見間違える筈もなかった。相も変わらずの鋭い視線に、微かな怯みと複雑な感情を抱きつつ、エマは手にした紹介状を掲げた。

 

 

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