巨大蟻との戦闘が行われている区域は、既に居留地の北口から防壁一帯まで広がり、今も北口から雪崩れ込んだ巨大蟻が続々と中心へ向かっている。
一見して絶望的な状況下、奇妙な話だが、唐突に潮目が変わった、とマギーは感じた。入り口から流れ込んでくる巨大蟻は、それまでも減ったり増えたりしたにも関わらず、流入する巨大蟻の流れが一瞬途切れただけで底が見えた、と理解した。それは多分、幾度となく死線を越えてきたが故に身に付いた、異様なほどの勘働きがなせる業なのだろう。或いは、単なる思い込みの錯覚かも知れないが。
マギーの足元にいた働き蟻が一匹、また一匹と離れていった。巨大蟻は、比較的に獲物へと執着する怪物だ。同じ獲物へと延々、執着し続ける習性を利用して巨大蟻を狩りたてる狩人もいると聞くが、マギーも詳しくは知らない。それが捕まえにくい獲物《マギー》に固執せず、他所へと向かっている。新たな獲物を求めて移動したのか、或いは近くで他の蟻どもが増援を必要としているのか。
兎も角も、マギーは助かるかも知れないぞと考えた。足元に残った一匹を眺め、また近隣を徘徊したり、ぽつぽつと出入り口から入ってくる巨大蟻を眺めるが、先ほどまでの本流のような勢いは無くなってきている。
そして中央の方から発砲音は衰える事無く、増々と激しくなっていた。
(随分と驚かされたが、ついに戦力が払底したかな?一つ、いいニュース、と)
巨大蟻の襲撃の規模は尋常ではなく、居留地《ポレシャ》が持ち堪えられるかはマギーには分からない。しかし、少なくとも巨大蟻どもに尋常ならざる被害は与えていた。街路には夥しい数の巨大蟻の死骸が転がっており、見える範囲だけでも小型の働き蟻だけでなく、兵隊蟻も少なくない数が息絶えていた。
周囲の蟻も減ってきた。
大型の姿もほとんど見えない。中央へと向かったのか。他の獲物と餌を求めて廃墟へと散ったのか。
(……逃げるなら今のうちか)
マギーは思いつつ、冷静さは失っていない。周囲を見回し、身体の状態を確認してから、良さそうな場所にタイミングを見計らって飛び降りた。
マギーが巨大蟻の背後へと着地し、一気に距離を取りながら、愛用のバットを引き抜きいて振り返った。
「マギー飛び降りた!援護ぉ!」誰かの叫び声が通りに響くと同時に、発砲音と共に横合いをピュンピュンと弾が駆け抜けた。働き蟻の体が弾け、溜まらずにのたうち回った。生き残ってる者たちが援護射撃で仕留めてくれたようだ。
予想外の援護に驚きつつも、手を振って生き残りに応えてから、マギーは身を翻して防壁へと向かって歩き出した。
(……巨大蟻を出し抜けたか。それにしても奇妙に動きが鈍かった)
何故?連中も疲れる?それともフェロモンによる指示が混乱?
マギーの脳裏を様々な憶測が浮かんでは消えた。今はどうでもいい事だった。
それよりニナを探さなくてはならない。路地裏にいないなら、十中八九は防壁内だろう。あとは、生き残りの為にも救援要請しておきたい。来るかどうかは分からないにしても。
「防壁内にいる筈だけど……多分」多少の不安に駆られながらも、マギーは軽快に駆けて徘徊している巨大蟻を躱していった。さして広い街路ではないが、入り組んだ道筋を熟知していれば、目の前を徘徊する怪物たちを振り切ることはさほど難しくはなかった。
防壁に近づくに連れて、木造の小屋や天幕が増えてきた。一帯の奥まった路地では、まだ住人たちがバリケードを築いて激しく抵抗していた。矢やクロスボウが突き刺さった働き蟻が、バリケード前に何匹もひっくり返っている。
数は力だ。まともに戦っては働き蟻と戦うのもおぼつかない住人たちでも、飛び道具を用いる事で力となる。まして十人、二十人が纏まってる場所に数匹で侵入すれば、矢玉の餌食としかなりようがない。
戦士蟻や兵隊蟻が多数の働き蟻を引き連れていては抗するのは難しいが、働き蟻どもが脱落しては、残された巨大蟻も単なる的に成り下がる。
銃撃を受けても殆んど揺るがずバリケードに近づいていた戦士蟻に、20キロから30キロもありそうな石が次々と投げ落とされる。
幾ら強固な外骨格に巨体を有していようが、弱い関節の接合部や触覚を石で潰され、鈍ったところに群がってきた住人たちに斧など叩きつけられては溜まらない。
足を幾本も失った巨大蟻が、忽ちに弱弱しく蠢くだけの肉塊へと成り果てる。
強敵が無力化されると、すぐにバリケードの影から人が飛び出して矢やクロスボウのボルト、地面にめり込んだ火縄銃の鉛玉などを回収していった。
「木柵はとっくに破壊されて、突破されているぞ」
「……何十匹湧いて出たんだ」
蟻の主力が素通りして防壁へと流れていったからか。会話を交わす余裕があるようで、マギーも含めた生き残りがいると収容したり、通り過ぎる際には手を振っている。この辺りでは、住民の大部分が生き残ってるのは間違いなさそうだ。
横手の街路で魂消るような叫び声が上がった。チラと視線をやると廃墟の窓から這い出て地面へと飛び降りたのは、近所に住まう隻眼の娘。悲鳴を上げながら建物から遠ざかった直後に、窓から蟻が顔を出した。
追われているにしても、知人が何とか生き延びているのを見て、マギーはホッとした。掴まらずに逃げきれるかは、本人の努力と運次第だろう。他にも隠れたり、閉じ籠った者たちもいるようだが、逃げ回ることを選択した者たちは、今のところ地の利を活かして少なからぬ人数が生き残ってるのを見かけた。
怪物に襲われた時、戦う以外で生き残る手段は、おおよそ逃げるか、隠れるか、閉じ籠るかの三つに大別できる。
閉じ籠った人間は、逃げ込んだ場所の堅牢さ次第ではあるが、隠れた者たちの末路はどうもよろしくないように思えた。時折、路地の隅や物陰などで巨大蟻が何かを貪っている姿を見かける。逃げ遅れた人間や家畜か、或いは巨大鼠やら野犬の類か。怪物の種類や状況によって、生き残るための正解は異なっている。怪力のゾンビが多数押し寄せてくれば、中途半端な密室に閉じ籠るのは死と同義だし、一方で俊足の双頭狼などに襲われた際は、頑丈な部屋に逃げ込めれば助かる目も残っている。
巨大蟻にしても少数であれば、隠れてる間に警備兵が駆逐してくれたに違いない。襲撃を隠れるだけでやり過ごそうと考えた人々。特に逃げ場のない場所に隠れてしまった者たちは、迂闊さの代償を命で支払った。今回、マギーは命を拾ったが、それは偶々に過ぎない。もう少し蟻の数が多かったら、同じく命を落としていても不思議はなかった。
「……まったく、よくないな。これは」マギーは呟いた。
自分一人だけなら真っ先に居留地から逃げ出したか、一番安全と思われる防壁内へ逃げ込んだ。同様の選択を取ったものは少なからずいる筈だ。それが見捨てられない妹分が一人いると、頭を鈍らせて路地裏をウロウロ探し回り、時間を浪費した挙句に、合流できるでもなく、蟻に囲まれて難儀する有様だった。
中々、物語みたいに上手くはいかないものだ。ニナが無事であることを祈るしかない。焦燥や心配で注意力が散漫になってもまずいのだが、抑制できてるとは言い切れない。守りたい人がいる時のマギーは却って弱くなっているかも知れない。
それでも徘徊している巨大蟻を避けるのは、マギーにとってさほど難しくはない。天幕を押し倒し、家具や食器を踏みつぶしながら迫ってくる戦士蟻に遭遇するも、走って軽く撒いてみせると、マギーは着実に防壁へと迫っていく。
途中で見かける蟻の数も、随分と減っていた。兵隊蟻や戦士蟻は兎も角、働き蟻は、
そこら辺の路地でも、小型の蟻に対してこん棒やフライパン。鉄パイプにギター……ギター?など、手近な武器や道具を振り回して立ち向かっている者たちを度々、見掛けていた。誰もが必死に抗い、生き延びようとしていた。
防壁へとたどり着いたマギーは一旦、足を止めた。廃墟のビルの影から様子を窺う。出入り口前では、ばらばらに解体された牛と、それに群がっている巨大蟻が見かけられる。防壁には梯子が掛けられていた。牛に気を取られてる巨大蟻を迂回すると、マギーは素早く道を横断して、梯子を駆け上った。
※※
子供たちが、居留地でもっとも頑丈な建物の最も奥の部屋に避難していた。ほとんどが十五歳未満。ごくわずかに大人もいた。居住者の子が多いが、長く働いてる自由労働者の子や
「……なんとも高く売れそうな子供ばかりだじ」部屋に入る際に変異獣《ミュータント》の頭蓋骨を抱えた子が立ち竦んでいた。ろくでもないことを呟いたが大人しくしている。
「売られることはないわ。多分最悪、子供だけでも逃がすつもりなのだわ」
こちらは王女さまの判断だった。何故なら、副保安官の長男が小型ライフルを持たされていたし、居留地でも大きな家の次女が、雑貨店の一家の生まれたばかりの赤ちゃんを抱えている。隅で落ち着かなげに座っている大人は、流れの機械工とその女房だった。
ニナは沈黙を守っていた。そう露骨ではなかったが、一緒に来た子のうち数人はもっと手前の部屋へと連れていかれた。大きな都市は兎も角、百人規模の居留地が生き残るには色々と知恵を絞らないといけないのかも知れないが、普段から名簿など作って選別されていたのだろうか。
「勝ってる?」
「……わかんない」
町の議会でもある頑丈な建物の一番奥まった三階の会議室。集められた子供たちが、窓にへばりついていた。
「見える?」
「見えないー」
建物の外から響いてくる銃声はやや散発的になっていた。しかし、閉じた一室にいては、戦況が有利なのか、不利なのかも分からない。巨大蟻をほぼ駆逐して掃討戦なのかもしれないし、或いは議会も陥落寸前なのかもしれない。
「こっち側じゃない」
「裏側」
なにしろ、中央広場と北の住宅街が主戦場なのに、会議室は西側と南側にしか窓がついていない。窓に映る西の廃屋や僅かな住居の殺風景な風景からは戦況は伺えない。時折、視界の範囲内で街路を少数の蟻や民兵たちが横切る程度で、近くからも遠くからも銃声が響いてくるが、分かるのは戦闘が未だ続いているという事だけだ。
ここに来るまでに奔走していた王女さまは、ソファで爆睡していた。小さい子やら揺り籠にいた赤ちゃんやらを運んでいて、気力も体力も限界だったらしい。
「なるようにしかならないのだわ」そう言い残すと、糸が切れたように倒れ込んで寝息を立てている。
父親が心配ではないのか?ニナは思う。絆には様々な形があるのかも知れないが、少なくともニナはマギーが心配でならない。
しかし、扉の前には、保安官助手が二人も見張りについている。
「……軟禁されてるぅ」
守られている。それは分かっていたが、おどけてないと気持ちが折れそうだった。
本当は、不安で頭がおかしくなりそうだ。マギーは南側の畑に働きに出ていて、当初、西南の方角から響いてきた銃声は、今現在、南を越えて南東から響いてきている。武装農民たちやら番犬が何頭もいるにもかかわらず、少なくとも防壁の外では押され気味なのだと推測できた。
父親やお爺さん、お兄さん。場合によっては母親やお姉ちゃんが外で働いていたり、戦っている子供も多かった。年かさの少年少女たちはそれでも幼い子を抱きしめたり、宥めたりしつつ、じっと不安に耐えていた。
議事堂と言っても、居留地で一番大きな建物に過ぎない。セメントとレンガで建てられた文明崩壊前の建物ではあるが、かと言って特別頑丈という程でもない。
巨大蟻が一時に数十も群がってくれば、薄い防衛網など中身と共に忽ち食い破られてしまう。居留地の大人たちはそれを重々承知の上で、広場周辺では守るにマシな議事堂に子供たちを集めていた。
居留地が滅びたと人伝に聞くだけの話と、当事者として大勢の友人や顔見知りたちと共に襲撃の渦中に置かれるのでは、押し寄せる恐怖も、絶望も、まるで違った。一人一人が血の通った人間で、誰かの家族で誰かの友だちで喜怒哀楽を持っている。ニナは心が締め付けられるように苦しかった。そしておそらく、滅びた居留地の数だけ今のニナたちと同種の苦しみを味わった人がいたのだ。
廊下や階下では何人もの居住者たちが絶えず駆けずり回っていて、耳を押し当てれば、扉越しでも途切れ途切れに切迫した声が聞こえてくる。
「食糧庫の守りは?!」
「銃弾を多めに……!持ち堪えて……」
「薬品が足りない……包帯も」
状況は芳しくない。そして此の侭ここで待ち続けるのは御免だった。
なのでニナは、生きてるにしろ、死んでいるにしろ、マギーと合流する為に出来ることをすることにした。
「トイレ。うん、ひとりで行けるよ」
幼児扱いされたのだろうか?流石にそれはないと思いたい。
背も伸びてきているのだ。
兎も角、ニナは華麗な話術で会議室から抜け出すや、そのまま廊下を歩いていく。
「おおきいほう。うんち、超臭い」
オーバーオールの娘さんが、ニナと同じ手を使って外に出てきた。
いや、けして同じではない。似て非なるものだ。ニナは距離を取った。
不安そうにあたりを見回した娘さんは、ところが、ニナを見つけると顔を輝かせた。
(……何処の子だろ。知らない子だ)首を傾げるニナ。
「……お嬢さんを探さないと。逃げてくる途中、逸れちゃった」
ニナの傍へと駆け寄ってくると、そんなことを親しげに言いながら何故かついてくる。
どうやらあちらの認識ではニナと面識があるようだが、ニナの方はとんと心当たりがない。
同じ部屋に避難してきたという事は、居住者か、少なくとも居留地に長い一家の未成年の筈である。偶々、ポレシャを訪れていた旅人などは、また別の建物に避難しているから、(まぁ、害は無かろう)と判断したニナは取りあえずの同行を許容すると、そのまま一緒に二階の窓から外を見た。
「見える?」とオーバーオールの娘さん。
「よく分からない。裏手から鐘がなっている」ニナが慎重に答えた。
「お嬢さん、大丈夫かな」オーバーオールの娘さんが心配そうに言った。
オーバーオールの娘さんの案内で二人は建物裏口までやってきた。流石に表口は歩哨や保安官助手たちが固めていて出入りできないが、廊下には忙しく荷を運んだり、伝令で走り回っている人々がいて人けの少ない裏口では誰かに見咎められることはなかった。
「お嬢さんは、幾つくらい?どんな子?」ニナが尋ねた。
見かけたら保護者が探していたと教えてやるくらいはいいだろう。
「十八歳かな」
「おい、随分と年上」とニナが突っ込む。
「いい歳して迷子になっちゃって」とのんびり喋るオーバーオールの娘さん。
「迷子になったのも逆じゃない?」
「いんや。お嬢さんにあたしから逸れないよう旦那様も重々、言ってたんで」
オーバーオールの娘さんが言葉を続けた。
「お嬢さんはずぼらで、あたしが世話しねえと風呂にも入らないし、布団も干さない」それはそれで年頃の娘としてどうなんだとニナは思ったが、オーバーオールの娘さんは地主の家の召使らしい。お洒落なスカーフからするに多分、そこらの
「そのお嬢さん、大丈夫なのかね?」どうやってマギーを探そうか。そう考えながらも、ニナにとっても喋っていた方が気が紛れる。
「大丈夫だとは思う。銃もあるし、犬もいる」
「……犬がチワワとかでなければ」
「ブルドッグ……とお嬢さんは言い張ってる」
オーバーオールの娘さんの言葉に、ニナが振り返った。
「心当たりがあるよ。南の農地を持ってる家?犬の名前はボス?」
「だから、話しかけたんだよ」と、オーバーオールの娘さん。
「でも、ブルドックにしては小っちゃくない?
ブルドッグって言い張ってるけど、あれどう見てもパグ……」
ニナの疑問にオーバーオールの娘さんが頷いたl。
「んだども、お嬢さまは、子犬だって言い張ってた」
「半年くらい成長してなくない?」
どうでもいい事をつらつらと喋ってから、ニナは我に返った。
「ああ、違う!マギーだよ!
そんならマギーは?今日、働きに行ってる筈だよ」ニナは必死になって聞くと
「あー。早めに逃げ出したから、そろそろ北から廻ってくると思う」
オーバーオールの娘さんの言葉に、やっと安心材料を耳にできた。
「流石、マギー」とニナは少しだけぎこちなく笑った。
「多分、あん人なら大丈夫でしょ。一番、最初に蟻に気づいてたし。
心配なのはお嬢さんだけど、まあ犬が一緒だし。なんとか……」
ワン、と吼える声がした。
二人の足元で、白い犬が尻尾を振ってる。
「ボス?飼い主置いて逃げてきたの?お嬢さんは?」
オーバーオールの娘さんの言葉に、白い犬は嬉しそうに尻尾を振って飛び跳ねた。
「これ、駄犬だぁ」ニナは首を振った。