黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_58K 無宿者 ノー・クォーター

 曠野は冷涼な土地だが、夏に差し掛かれば、蒼穹の日輪が揺らめく熱気を地に投げかける日も訪れよう。自由都市ズールの石畳みの街路は、常ならぬ熱気と尽きることない人いきれによって混み合っていた。

 

 廃墟の高層ビルを含み、塔高きズールの壁内人口は五千人。周辺の集落や農場を含めて一万前後。黄昏の時代(トワイライトエイジ)の辺土としては、膨大な人口と言える。そして恐らく、交易市に訪れた一時的な滞在者も、数千を数えるだろう。歴史愛好家には中世のトロワ市やファイフ市、カレー市らの年次交易市や王宮巡幸を連想させただろうか。大規模な旅人たちの来訪による賑わいは、文明崩壊後《ポストアポカリプス》の世界には滅多に見られぬ光景であり、普段の喧騒を遥かに上回っていた。

 

 

 時ならぬ陽気に、マギーの肌は汗ばんでいた。上半身を開《はだ》けたまま、気だるい様子で紙巻の紫煙を吹かし、時々、手にした小説のページをゆっくりと捲っている。綺麗な本は、些か高価な代物として所有者は富裕な市民層に多かった。その意味では、稼ぎの良い行商人にとっても、身の丈を越えた嗜好かもしれないが、書物のもたらす知識や慰めを求め、多少の無理をしても買い求める農民や労働者なども少なからずいる。

 

 テーブルに置かれた冷水のコップの中で、溶けた氷が音を立てて転がった。何時もの定宿ではない。ポレシャ市が提供する宿泊所は、文明崩壊前の建物を修繕した堅牢な施設だった。通りに面した三階の部屋には優美なガラス窓が備えられ、風通しもよい。宿泊施設の中でもかなり上等な部類の個室に入っているだろう。扉には鍵も掛かる。ざっと調べれば、清潔なベッドには南京虫もいなかった。微かに焦げた松脂の匂いが部屋に染み付いているのは、燻蒸を行ったのか。樟脳には劣るが、松脂も防虫効果は持っており、なにより冷涼な曠野でも手に入りやすい。

 

 数日をこの部屋に寝泊まりする。高所から眺める夜景がマギーには少しだけ楽しみだ。電気が通った都の夜景は、荒野《ウェイストランド》や廃墟の幻想的で恐ろしげな夜とは、また異なる美を見せてくれる。出来るなら、夜の都を散歩したい気持ちもあったが、マギーは以前よりも感覚が鈍っている。防壁内とは言え、夜の街路にて万が一、変異獣や走屍に襲われては洒落にならないので、夜間は大人しく閉じ篭っているしかあるまい。

 

 大交易市の開催中、ポレシャ圏からやってきた商人や旅行者に特例で解放されていた宿泊施設だが、身分や階層、手持ちの資金で待遇には随分と差もついていた。羽振りのいい市民や裕福な商人はいい個室を割り当てられる一方、牧者たちは大部屋泊まり。名もない行商人となると庭先や大部屋の隅、廊下の端を宛がわれるだけでも上等なようだ。

 

 部屋に入る際には、扉の傍らで廊下に寝ころんでいた行商人の親子連れが恨みがましい目で見つめてきた。そんな目で見ないで欲しい。ご同輩とは言え、マギーは一応、下層地区では指折りの行商人で役人の紹介状も持っていた。そして宿泊所の管理人たちだって、文明崩壊《ポストアポカリプス》の物騒な世情に、あまり怪しげな旅人を入れる訳にもいかないのだ。

 

 

 窓枠に肘を載せながらマギーは雑踏を眺めた。なにやら勘違いしたのか。膝下の街路では、田舎者っぽい青年が笑顔で数枚の紙幣を掴んで、やや卑猥な言葉を投げかけてくる。人によっては高級娼婦にも、退屈した有閑婦人にも見えたかもしれない。

 

 しかして正体と言えば……まあ、悪党でないとは言い切れない。大勢殺した。大半は同類の悪党で、残りはそれにも劣る屑。そして幾らかは、戦う人や同業者。無辜の人は殺していない、多分。他者の依頼による稼業《ビジネス》ではあったし、可能な限りは合法の皮を被るよう賄賂を惜しまず、また法的な手続きを怠らなかったお陰か……いまだに法の内側を歩いてはいる。その手間暇――僅かな労力を惜しんだ幾人かの同業者は、今は賞金を懸けられる側に転がり落ちているので、判断は間違ってはいなかったに違いない。そもそもが護衛や用心棒、賞金稼ぎの類が、傭兵や無法者《アウトロー》よりも上等な稼業と断言できるほどマギーも厚顔でもなかった。どちらにせよ、マギーもかつては無宿人《ノー・クォーター》※、無頼の賞金稼ぎであった。

 

 

 場合によっては、忌避されても仕方がない過去だ。放浪者の娘【リドリーの子】ミリーも、恐怖と嫌悪が滲んだ目を向けてきた。エマはなんとも思ってないようだし、ジーナ・(クレイ)は相変わらず、何を考えているのかよく分からない。兎も角、帰路は同行するか分からない。ミリーが離脱するなら多分、保護者のエマもだろう。まあ、この二人は元々、員数外だったのでそれほど問題はない。

 しかし、過去の悪名が度々祟るが、とは言え、マギーは衆に冠絶するほどの悪党でもなかったのだ。多少は名が売れていたが、都市圏に何十人といる二つ名持ちの一人に過ぎない。足を洗った後は、真っ当な行商人として日銭を稼いでいる。小商いは思ったよりも向いていたようだが、かと言って、一廉の商人になれるなどとも思いあがってもいない。

 

 今、多少なりとも人より稼いでいるのは、一重に幸運に恵まれただけだ。勿論、諸々の工夫は重ねたし、市場の需要を調べて知恵も絞った。買い付けと売り込みは、ひたすらに足で稼いだ。しかし、それを含んでも、マギーと同じか、それ以上に努力を重ねただろうに燻っている者たちもいる。だから、運が良かったのだとマギーは結論していた。

 

 どう転がるかも分からず、幾らかでも生活の足しになればいいと始めたがらくたの売買は、当初、当然のように思うようにはいかなかった。先行き不透明なまま、数か月の間、日雇い仕事に励んだ方がマシな時期が続いたが、マギーは揺らがなかった。

 利益目的なら、却って焦燥に駆られたかもしれないが、実際のところ、亡き師オーの背中を追いかけたのが主たる理由であったからだ。どうせ、副業を持つなら行商がいい、と。行商、店舗持ち、隊商頭、商会主――一口に商人と言っても、各々には隔絶した格差が聳えていて、多少の努力や才能、幸運で埋められるものではない。腕のいい行商人以上にはなれないと身の程も弁えている。地を這う名もない行商人として終わるとしても、足で日々の糧を得られるならば、けして悪い生き方ではない。人生をそう生きて終えようとマギーは決めていた。

 

 

 行商を始めてから二、三年が経ち、今は中々に上手く回っていた。寝床や食べものに困ることもなくなった。人並みの暮らしに満足してはいるが、幸運が、何時まで続くかは誰にも分からない。

 なら、余裕があるうちに次の手を打つべきだろう。できるだけ堅実な手を。そして大きく稼ぐよりも、小まめに商いを重ねる方が生き方として好ましく感じられた。交易市の合間にも、マギーは小さいが小回りが利きそうな隊商や話の通りそうな商店を廻っては、商談を持ち掛けていた。勿論、商いの基本はおろそかにせず、買い付けの合間を縫っての軽い営業に過ぎず、大抵はけんもほろろにあしらわれるが、稀には幾ばくかの反応を見せる商人もいた。日々は亀の歩みであったが、そのままならなさをマギーは楽しんでもいたのだ。これでいいと思っていた楽しき日々に、しかし、過去が地の底から這い出してくるような気配を感じている。

 

 大勢の人が集まる時期ならば、昔馴染みと顔を合わせる機会も生じる。中には、マギーを怨んでいる者がいてもおかしくはなかった。そしてなにより―――嫉妬がある。マギーはたかが行商だが、上手くいってる行商人でもあった。多分、下層地区で五指に入るくらいには稼いでいる。近隣の小さな居留地や集落には、二十年、三十年を費やして商売に励みながら、生活の苦しい行商人も少なくない。子を奉公や人買いに売る者もいれば、景気のいい時期に購った家財や装飾品などを買い叩かれる者もいる。人生の過半を費やしながら人並み以上に報われる事少なく、目と鼻の先で二十代の小娘が軽々と飛び越えていったら、引きずり降ろしてやりたいと歪んだ情念を向ける者とていよう。どれだけ理不尽であろうが、不条理であろうが関係ない。妬む奴は妬むし、憎む奴は憎む。嫉妬とはそういうものだ。誰もがそうとは思ってないが、憎悪を滾らせる者は絶対にいるとマギーはよく知っていた。

 

 行商人たちの屯する庭先を通り過ぎた際も、時々は、背中に鋭い視線が突き刺さるのを感じてもいた。だけど、マギーには少しばかり心当たりが多すぎた。古い馴染の仇敵の誰かだろうか?それとも、若くて稼ぎのいい同業者を気に入らない商売仇のいずれかかも知れない。 

 誰の怨みも買わない方法もある。世界の片隅で小さくなって、なにも挑戦しなければいい。それが嫌なら、戦って生きるしかない。これはなにも相手に喧嘩を売るとか、敵対するとか言うことではない。負の感情を向けられることを受け入れ、立ち向かう覚悟の話だ。いずれにせよ、おのれの生き方を貫くなら、真っ当な人生であっても、絶対に軋轢は生じるし、敵も生まれるものだ。殺し合うとも限らない。逆説的だが、その場合、さらに覚悟が必要になることもある。生涯を戦うことになるからだ。誤解を恐れずに言うなら、マギーの生き方は、古代ローマや西部開拓時代の荒々しい益荒男《ますらお》のそれだった。女の子だけど。

 

※※※※

 

 

 

 ポレシャ市が自由都市ズールに所有する低層ビルは、ズールの関係各所からも一応の公的施設として扱われていた。秩序や制度の瓦解した文明崩壊《ポストアポカリプス》の世。文明最盛期の規模で比較すれば、小さな町と村でしかない両者の交流を大使館や領事館と呼ぶのは、市政の当局者らに気恥ずかしさが付き纏ったのだろうか。しかし、人口千人に達する大型居留地が、近隣最大の自由都市との関係の為、安定した連絡や利害調整の場を設けるのは、ある意味で必然であった。

 

 王国や連邦など名乗りばかり大仰な小国が、雨後の筍のように生まれては潰える時代。ポレシャも、ズールも一応は民主主義の衣鉢を継いだ土地柄ゆえか。他所の村や集落、農場のように共和国や帝国を名乗る厚顔さに恵まれなかったのは、むしろ幸いだったと、同行者のエマ・デイヴィスなどは皮肉っぽい口調で賞賛していた。

 

 いずれにしても、ポレシャ公邸である低層ビルの敷地は本来、吹きさらしのままに長年、放置されていた。軒先や隣地との境界は、沢山の木箱や土嚢、木材が積まれて壁代わりとなっている。太い柱や剥き出しの鉄骨が所々、張り巡らされた敷地内は本来、見通しの良い空間であったが、現在は物干し場や集会場、天幕を張った貧乏人向けの簡易宿泊地としても利用されている。

 

 

 布で遮られながらも、風が吹くたびに土埃が舞う打ちっぱなしの敷地は、事実上の出張所でありながら、木箱の影では薄汚れた布に包まった人々がいぎたなく眠り込み、或いは、鍋でなにやらを煮込んでいる雑然とした生活空間が広がっていた。

 野心を胸に都市へと乗り込んできた牧童やうだつの上がらぬ行商人、それに――兎にも角にもサドラン牛を持ち帰れば大金が手に入ると信じているポレシャ近隣の農民や労働者、渡り人(オーキー)たちの姿もあった。

 

 慣れぬ土地と人々の喧騒に委縮し、陰気に沈黙している【リドリーの娘】ミリーの視線の先。隣に天幕を張り終えた行商人の老人がひどく楽しげに笑っていた。

「見なさい。誰も彼もが一獲千金の夢に踊らされ、まるで熱に浮かされたように交易市を這い廻っている」【狐】―――と名乗った老商人が、欲望に右往左往する人々をそう揶揄して、くつくつと笑いながら、怪しげな鍋の中身を掬い取った。まるで嘲笑を浮かべた老妖精が人間たちの渇望と希望、愚かしさと必死な願望が入り混ざった生き様を鑑賞してるようにも、ミリーは見えた。確かに、こんな成り行きでもなければ、身一つの流れ者ミリーは、けっして大家畜市の渦中に紛れ込むことなど、なかったに違いない。

 

「お師さま、お師さま。折角の宿泊施設ですよ。もっといい部屋に泊めてもらいましょうよ」灰色の天幕に駆け込んできた少女が転がる鈴のような声で訴えてくる。

「愚かな子猿め。高い塔の上階に泊まるようになれば、人は自然と他を見下すようになる。しかし、地べたの天幕に泊まれば様々な噂が耳に入ってくる。 今、この瞬間を無駄にせず、よく学んでおけ」年若い弟子に穏やかに説明しながら、鼠めいた肉にかぶりついている【狐】の横。案内人であった腕利きの行商人マルグリット・モイラとその連れのニナが上等な部屋へと泊まってくれたのは、それでもミリーからすると有難かった。

 

 陰気に黙り込んでいるミリーの近くでは、エマ・デイヴィスが銃の分解整備を行っていた。なにかしらの部品が摩耗しているらしく、ぶつぶつと呟きながらジーナ・(クレイ)と武器商人を探そうと相談している。

「……き、狐に気を許すな」エマ・デイヴィスが珍しく、話し終わったミリーに口を挟んできた。鋭い目で老商人を眺めている。

「あ、あの老人は、ポレシャ市でも三本の指に入る旅商人だ。マ、マギーとは年季が違う」エマの言葉に、【狐】が目を細めて、不気味に笑った。

 沈黙していたジーナ・(クレイ)がエマ・デイヴィスに口元を近づけ、「……意外と評価、低いんだな」ぼそぼそと囁いた。

「しょ、商人としては、新参もいいところだろう」エマの感想に、一言一言を考えるようにゆっくりとジーナ・(クレイ)が答えた。

「長期的に計画を立てている。視野も広い……あれは見習いたい。個人的には【狐】より上ではないかな、と思ってる」

 エマ・デイヴィスは、意見に拘泥する気はないようで、そんなものかな、と言う感じで肩を竦めた。それから牧者二人は、周囲にいる牧者の装備や連れてる獣などについて、値踏みするように低い声で批評し始めていた。

 

 二人は結構、気が合うようだ。そして、観察の観察を怠らない。そして周囲の行商人や牧者、一握りの農民や渡り人(オーキー)にも鋭い視線でさり気なく他者を観察している者がいた。また、我関せずと他者に注意を払わずに、隣り合ったものらと熱心に情報交換や商談をしている者たちもいる。新しい仲間や旅の連れを探しているものや、古い知り合いと再会したり、連れと落ち合っている者もいるようだ。

 したたかに立ち回っている者たちがいる一方、勿論、愚か者もいるのだろう。考えなしに群れて浮かれ、騒いでいるだけに見える者らもちらほらと見かけた。しかし、誰が稼ぎ、誰が失うかは、最後まで分からない。欲望の渦は、賢者にも、愚者にも、幸運にも、不運にも、開かれているようだった。

 

 

 

 

―――――――

 

 

 ※ 無宿人 ノー・クォーター 造語 

 

  Quarter

 

  1)四分の一・15分、25ペニーなど

  2)保護・情け・命の猶予 (例:戦場での「命乞いの余地」)

  3)一角・地区・エリア  (例:the French Quarter)

 

  No Quarter = 情け無用・捕虜を取らない・生かしておかない

  Quarter = もともと居住・駐屯・猶予・避難の意味があった。

  

  No Quarter = 敵に対して情け無用

  作中での造語として → 自分に掛かる時は、寄るべき処を持たない無宿人の意。

  転じて、敵には容赦しない武装放浪者、無宿者の意となった。

  無法者ほど社会から外れてないが、危険な存在。

 

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