吹き抜け構造の広間には、
アルキス一家の二人が腰を下ろすと同時に、広い絨毯の敷かれたホールでの饗応が始まった。複数の大皿を取り囲むように腰を下ろした列席者たちが、手元の小皿に好き好きに料理を取り分ける形式の会食だった。若い羊の焙り肉にミントと大蒜《にんにく》を効かせたヨーグルトソース。クローブとシナモンをまぶした鶏肉に干し葡萄とアーモンドも加えた炒飯。粗塩を軽く振った豆と焼きトマトのサラダ。砂糖漬けの棗《なつめ》、細かな氷に埋もれたアプリコットや無花果《いちじく》。小麦や雑穀を使い、灰の中で焼いた香ばしいパン。ヨーグルトを水で割って、乾燥したミントと塩で調味した冷たいスープ。蟲卵の塩漬けや甲殻類の味がすると勧められた巨大蜘蛛の料理は口にしなかったが、曠野の地では見慣れぬ多彩な食材も見かけられて、恐らく『レン・ネットワーク』を通じて入手した遠来の産物ではないかとリーニー・アルキスは憶測していた。
果たして、豪商たちも絡みたがっている遊牧民同士の謎めいた商業的な繋がりと、
振舞われた蜂蜜入りヤギ乳酒に口を付けて、少しずつ啜りながら、リーニー・アルキスは列席者たちに油断なく視線を走らせている。それでも目の前の饗応は、幾ばくかの安心感を与えてくれた。少なくとも、話し合うつもりがなければ―――交渉で何かしらの妥協を引き出そうと企図してるとしても、
遊牧民には―――粗暴とは言わないまでも兎角、力に訴えやすい風潮が漂っている。それは恐らく
初っ端にいきなり示された暴力と死体に僅かな怯みと恐れを抱いたリーニー・アルキスも、今は仮にも老舗《しにせ》の店持ち仲買人に相応しい落ち着きを取り戻し、悠然とした態度で遊牧氏族との対話を続けていた。
しばらくは、当たり障りのない話題を選びながら、思惑を推し測ろうと、腹の内を探り合っていた。話し相手は、主に氏族の物資調達担当とされた幹部のコルであった。互いに踏み込み過ぎずに、相手方の求める物資や通貨での取引について軽く触れてみる――現金にも様々な共同体や組織が発行する紙幣や貨幣があって、土地によって価値や信用が異なっている―――勿論、大地の子らが発行している手形での支払いは断った。向こうも、リーニー・アルキス属する組合発行の地区紙幣など御免被るだろう。
姪のメイアは、無邪気にレモンのシャーベットに舌鼓を打っているように見えた。
似たような年頃の氏族の若衆に話しかけられ、話も弾んでいるようで、屈託のない笑い声を響かせていた。一抹の不安を覚えつつも見守っていると、取引を持ち掛けられても、なんら具体的に約束するでもなく、代表とお話しくださいとやり過ごしている。なにも考えてない若者に見えて、手代として立場を踏まえた用心深い振舞いにまずは心強さを覚えた。
饗宴の列席者は、十余人。大所帯の氏族であるからか。思っていたより大勢が顔を揃えている。有力者と思しき面々だが、それにしては装束や身なりに差があり過ぎた。貧しい放浪者の団長と言われれば頷きそうな、やや見みすぼらしい身なりの中高年の男女もいれば、羽振りのいい商人と言われても通りそうな肥えた人物もいる。いずれにせよ精悍そうな印象は共通してるものの、暮らしぶりの苦しげな者もいれば、普段から飽食してそうなものもいる。食い散らかして満足げに吐息を洩らす者の対面、夫婦と思しき末席の二人組は、肉料理を持参した紙袋に包んでいた。持ち帰って子にでも与えるのかも知れない。飢えている者と飽食している者。銀の大皿を用いた饗宴を開ける者と困窮している者が一堂に顔を揃えている。果たして、これはどういう事だろうか、とリーニー・アルキスは思考を巡らせた。
物資調達の担当者コルに戦頭と名乗ったジーク。他にも幾人かは、印象深い人物がいたが、やはり手紙を幾度か交わしたコルが、最も話の通じる相手ではあった。最初に長々とクルチの大祖ヴォルツが子孫にしてブルガ汗、族長《ニウヴ》ルキウス・カッシウスと紹介された青年は――いや、少年だろうか。陰気に沈黙を続けている。委縮してるようにも見えるが、部外者には窺い知れない人間関係があるのか。誰からも話しかけられず、重んじられている様子も見えない。付随する称号からするとやんごとなき血筋が故に族長の座に就いてるとも窺えたが、いずれにしても、殆んど印象に残らなかった。
リーニー・アルキスが話してる最中も、乳製品や家畜の取引に一噛みさせてもらおうと割り込んでくる者もいて、二、三の価格交渉をしてから、後日、改めて店で、と約束の握手を交わせた氏族内の分限者もいた。
アルキス商店を仲介としてチーズとバターの長期的取引は勿論、羊や山羊、家鴨《アヒル》、驢馬、調教済みの猟犬や駿馬、高価なサドラン牛の販売までもが取引品目に含まれており、対するリーニーは、老舗の伝手を通じて一般的な麦や塩の他、鉄のインゴットや乾電池、そこそこ貴重な紙薬莢や新品の後込め式ライフル、リボルバー拳銃にサーベルなどの武器もなんとか仲介すると努力目標を約束させられた。
数百人の安定した顧客を持つことは、或いは、豪商としての出発点となり得るかも知れないが、リーニーは高揚感よりもむしろ畏れを抱いていた。順調だったはずの老舗の同業者たちが道を踏み外すのは、こういう時だ。あまりのめり込み過ぎぬようにしよう、と歓談しながらもリーニー・アルキスは内心、肝に銘じていた。
大規模な取引に気前よく銀貨の袋や小粒金を前払いしてくる者がいる一方で、コルに対して、おずおずと物資や金を無心する者もいた。コルは冷たくあしらいつつも、完全に拒否はせず、勿体を付けながら若干の豆や安い米に麦、塩について若干の配給を考えているとだけ匂わせていた。一度では与えず、二度、三度と懇願されてから与える事で、彼我の上下関係を思い知らせるのは、いかにも世慣れた氏族の有力者らしい振舞いではあるが、赤ん坊の粉ミルクだけは、すぐに一缶を与えたのは、 中々に巧みなやり方だと感心させられる。総じて、リーニー・アルキスは、
ラジオか、レコード。或いは楽器の音楽が緩慢と流れる中、二時間、三時間と会食を続けるうちに船を漕ぐ者や退席する者が出てきた。少なくとも、氏族は長く取引を続ける算段であり、用心深く付き合うならば取引を継続できるだろうと結論に至ったリーニー・アルキスも一度、離席して手洗いに案内される。裏手に配された個室トイレから出ると、案内してきたコルが裏口に立って外を眺めていた。
日が傾きかけた空が、色彩が深く入り混じった艶やかな紫紅を大地に投げかけ、廃墟に泥と木の小屋が混じった箱庭めいた町並みをモノトーンに染めていた。風は涼しく、宴の喧騒とは隔絶された静寂が佇んでいる。旅籠の裏手には紫色の小さな花畑の庭園が広がっていて、隣に立ってみればコルは微かに視線を向けてきた。
「そちらの支払いですが、現金が用意できなければ物々交換でも結構です」口を開いたコルが懸念事項に言及し、次いでリーニーへと告げた値は、随分と妥協した金額であった。有難い話ではあったが、リーニー・アルキスは多少の戸惑いを覚えてもいた。
「なぜ、うちと取引を?」問いかけてみる。
「オスカー老の紹介があったとは言え、そちらの身代なら他にも、もう少し大きな商会とでも取引できたのでは?」とリーニーは言葉を続けてみた。
「もう、お察しと思われるが、我らは小氏族の寄せ集めです」花畑をじっと眺めながら、コルが淡々と応えた。
「元は大きな氏族が別の大氏族と合流した際に、弾き出された残り滓の集まりで、小氏族ごとの持ち物や財産、人数にも随分と大きな差があります」
リーニーは頷いた。宴の最中、妙な取引を持ち掛けてくる者もいた。贅沢品を言い値で購入する者もいれば、麦や芋などの貧しい食料をやたらに値切ってきて、コルやジークが割って入って、追い出した者もいたのだ。
「歯に衣着せずに言えば、アルキス商店は小さな所帯だからよい」やや声を低めてコルが言った。
「大手の商会は、我々の財産をだまし取った後も、恐れは抱かんでしょう。都市軍や数百の傭兵団を動かせる豪商なら、一介の氏族などどうにでも出来るからです」
「小さな商会であれば、騙した時に報復して立ち去ることも出来る」とリーニーが呟き「誤解を恐れずに言えば」とコルが応える。
「なるほど……」リーニーの声音は、少しだけ掠れていた。
「お許しください。貴方を信用していない訳ではないのです」そこでコルが静かにリーニー・アルキスを見つめ、それから裏庭の庭石に視線を戻した。
コルが懐から小さな紫の花を取り出した。
「……【青鹿】亭の本来の持ち主である一家です。少し離れているのは用心棒たちの墓。五人もいたそうですが、手練れの無宿人《ノークォーター》たちに不意を打たれては……」屈みこんで石の前にそっと置くと「二人を除いて、一族の全員が此処に眠っています」
「一人は無宿者の仲間に身を持ち崩し、連中の大義名分となった一家の叔父。もう一人は、曠野に逃げ延び、遊牧民の犬たちに囲まれて眠っていた少女」淡々とした口調で告げながら「私たちの大義名分です」掠れた声でコルが説明した。白兵戦の傷跡が頬に刻まれたコルの相貌は、常に笑みを浮かべているように見える。この時、コルがどのような表情をしていたか、リーニー・アルキスには分からなかったが、取引相手が自分なりの人生観なり、生き方の一部なりとも吐露しようとしていると感じ入ったので沈黙を守りながら、ただ頷きを返した。コルは、腹を割って話そうとしている。信じるか否かは別としても口を挟むのも無粋であり、何を語るか興味も沸いていた。
「【青鹿】亭は、都市に殆んど税金を納めていませんでした。壁外の住人には、そう珍しい事ではない。単に税金を払っても、外郭地区では殆んど見返りは期待できない。壁の外では、己の身は己で守らなければならない。兎も角、忙しない時期だからか、運よく都市は介入しなかった」幸運を喜ぶ言葉とは裏腹に、何の感慨も洩らさず、むしろ突き放したような口調でコルが告げた。
「手に入れた物は確保したい。しかし、税を払うとしても、誰を通じれば、庇護を与えてもらえるか。誰と誰が繋がっているのかも、部外者には分からない。都市は恐ろしいところです」言ったコルは間違いなく笑ってから、青鹿亭の人々に瞑目を捧げて、ゆっくりと踵を返した。リーニー・アルキスもその後ろに続いた。庭園では、紫の名も知らない花が墓前に飾られていて、埃っぽい風に穏やかにそよいでいた。