実際に遭遇したら、その時は運を天に任せるしかない。勿論、マギーは大抵の相手に十中八九、勝てるけれど、白兵戦では常に何が起こるか分からない。鈍重な屍者に噛まれたり、小型の変異獣に腹を裂かれたりと、思わぬ不覚を取ることも起こり得る。だから、逃げられる時は逃げた方がいい。街道を往来するその他大勢の旅人の中から、目を付けられないよう祈りながら、他の旅人が襲われてる間に死に物狂いで走るのだ。もしかしたら、他の傭兵なり、狩人や牧者なりの銃火が怪物を仕留めてくれるかもしれないし、駄目でも時間は稼いでくれるだろう。
他の旅人も見当たらない西の丘陵地帯を横断する際には、多少の警戒が必要となる。それでも見かけるのは少数の野犬やコヨーテ、単独の屍者や二足ゲッコーなど、他愛のない野生動物や怪物ばかりで、慎重に距離を取ればやり過ごすのも難しくない。油断は禁物だが、手練の旅人ならまず不覚を取らない土地だと噂されている。
実際には、植生の乏しい土地である為、変異熊や狼の群れ、巨大蠍などは滅多に遭遇しないが、棲息していない訳でもない。 時折は、喰われた獲物や足跡の痕跡を見かけることもある。年に、一、二度だが。逃げ込める堅牢な建物も無ければ、人家も見当たらない。狩人や警備兵が哨戒している訳でもない無人の土地で、頼りになる命綱など存在しない。仮に大型の熊や狼の群れに追われて鉱山跡などに逃げ込んでも、ホラー映画宜しく、飢えて最後を迎えるか、怪物に殺されるかのどちらかの結末を迎えるに違いない。時々は、そうした旅人や狩人の死体が発見される。曠野に、安全な土地など存在していないのだ。
もう少し、マシな武器を持つべきか。とは時々、マギーも考える。が、それで盗賊団に対抗できるかと言えば、無理がある。正規品でなくともショットガンやマシンガンで武装した盗賊団との間には、途方もない戦力の差がある。旅人の財貨を根こそぎ奪い、奴隷として売り飛ばす盗賊団だからこその武装の充実であり、財源にしろ、調達ルートにしろ、一般人が対抗できるものではない。
それでも、もう少し威力の大きい、例えば、レバー式のクロスボウなどを持てば、弱い変異獣なら射撃戦で仕留められる。多数が出没する経路を選んだりはしないから、旅路だって随分と楽になる。単独の中型変異獣に悩まされることが減るのは、旅人にとって大きいが、荷物としては随分と嵩張る。弾代だって馬鹿にならない。今のように気軽に牽制射撃はしたくなくなるかも知れない。戦闘判断は鈍るだろうか?貧しい旅人にとって、弾代は常に悩みの種だ。行商人としては、積み荷の量に関しても常に考えなければならない。それでも、買えることは買えるが。
火器を買うべきか?しかし、マスケット銃やミニエー銃の黒色火薬は劣化が早い。
マギーが銃弾を手配できたのは、伝手を持つからだけでなく、正規品のボルトをずっと購入し続けている工房の顧客だからでもあった。何かしらの火器を買うとしても、弾薬をどこで買うかも悩ましい。
屋台や露店、行商人のばら売りは信頼性に欠けている。出来れば工房がいい。
しかし、職人たちから購入するならば、一時的な話では終わらない。弾薬を供給し続ける側からすれば、生産したり、仕入れた分は、売らなければならない。
ずっと顧客で居続ける必要がある。だからこそ、常連には優先的に弾薬を廻してくれるのだ。しかし、定期購入となると、マギーたちの稼ぎからみても決して軽い出費ではない。
怪物に襲われた際の手段も大事だが、普通の
勿論、怪物に備えて、入手できるもっとも強い武器を持つと言う選択肢を取る
――――
不意の殺し合い寸前まで陥ったが、それでも嵐は過ぎ去ったと言うべきか。いずれにせよ、マギーは工房の親方と職人たちに頭を下げて回った。迷惑を掛けた事と巻きこんだことに関して謝罪してから、同行していたポレシャ人たちに助力を感謝し、それから、巻き込んだお嬢さんに胸に手を当てて謝意を示した。実際にポレシャ人たちの加勢には助かった。まだ、若干の仲間や伝手があるポレシャ市なら兎も角、ルガリエで単独、或いは少数で行動していたら、相手も引き下がったかは分からない。
苦い表情を浮かべていたコルも、親方に対して二度と揉め事を起こさない事と、ムーテを連れて来ない事を固く約束し、なんとか赦しを取り付けていた。放浪の小さな氏族に対して、大量の紙薬莢弾を売ってくれる工房はそう多くは見つからない筈で、此方も神経をすり減らしたようだ。
工房の親方が鷹揚に肯いたのは時々、敵対する徒党が遭遇した際には、似たような事態を引き起こすからで、銃撃戦までやらかすような馬鹿共に比べれば、回避しようとしたのは幾らかマシだわな、との評価だった。
「何時ものルガリエ」だと苦笑を浮かべつつも、ただし、二度目はないと念入りに釘を刺されたので、マギーは真剣な表情で頷いた。万が一、約束を破ればブラックリストに載って他の工房にも出入りできなくなるだろう。
さて、親方の赦しを得てから、マギーは人質に取ったお嬢さんへと向き直った。
「わたしは、ポレシャのマルグリット・モイラ。貴方には多大な迷惑をおかけしました」
「全くですね」当然に令嬢は辛らつな反応を返してきたが、取りあえずは話してくれた。
「報復されても仕方ありませんが、もし謝罪を受け入れてくださるなら、借りを一つ」マギーはやや頭を下げながら、令嬢に対して穏やかな口調で告げた。
「この先、貴方が困ったり、悩まされることがあった時、呼んでいただければ、スネイクバイトの【ウロボロス】は、全力でお力になります」
「脅かしてますか?」と令嬢は首を傾げた。
「いいえ。貴方がお怒りを露わにするなら、いかな形でも甘んじて受け入れましょう」マギーの言葉に令嬢が考え込み、コルが口を挟んだ。
「受けておいた方がよろしいかと。義理堅い女です。そしてこの先、誰かと揉めた時に切り札があるのは、命を左右することもあります」
令嬢は目を閉じて、数秒経ってスーッと息を吐くと、頷いた。
「謝罪を受け入れます」
マギーは令嬢に恭しく一礼した。
「令嬢に、心からの感謝と謝罪を。貴方の名前をお聞かせください」
「メイア・アルキスです」言ったメイアに、マギーは頷きかけた。
「メイア・アルキス。マルグリット・モイラは貴女の寛大さを忘れません」
工房を先に出た令嬢と付き添うコル。陽光にメイア・アルキスが眩しげに掌で覆ってから、「まったく、死ぬかと思いました」
「ムーテの暴挙と、わたしが余計な口出しをしたことをお許しください。レディ」コルの恭しい言い方に、妙な気分になったのか。
乙女趣味の日傘を広げると、くるくると廻しながらメイア・アルキスは肩を竦めた。
「私の事を、どこかの有力者の娘と勘違いしたのかしらん?」
メイア・アルキスは老舗の家畜仲買人一家の跡取りで、庶民ではないが、有力市民と言うほどの階層でもない。
「……それだけでもないでしょう」コルは首を振りながら、低い声で告げた。
「あれは、昔から善良な人間に対しては、妙に甘いところがある。巻き込んだことは本当に申し訳なく思ったのだと思います」
「善良、ねぇ……そうありたいとは思ってますけど……向こうは私を知ってたのかな?」
「かも知れませんな。抜け目ない女ですから」
メイアが立ち止り、数秒考えてから首を傾げて尋ねかけた。
「随分と評価してるように思えます。貴方は、彼女と殺し合ったのでは?」
「だからこそ。古い敵とは、生半な味方より理解できるものです」とコルは淡々と告げた。
※Tips
貧弱な火器や飛び道具では対処しようがない大型変異獣の群れや悪夢みたいな化け物も、黄昏の世には徘徊している。棲息している場所は大概、人里離れた原野や森林、山岳の奥だが、時に思わぬ廃墟に巣食っていることもあれば、地下鉄や下水道、地下都市など旧インフラより広がる網の目のような暗渠を徘徊していることもある。
かなりの規模の居留地すら滅ぼすような数百の変異獣や巨獣、鎧狼の群れとなれば、それはある種の災厄のようなもので遭遇した際はなるようにしかならない。
※※※※
ズールほどの広大な都邑ともなれば、城壁内部であっても街区ごとに景観や治安、住民の暮らしぶりが大きく異なっている。商業地区では露店や店舗が密集し、高い建物が多い。裕福な市民が多く暮らす居住区は石畳の通りに至るまで整然とし、警備兵が巡回している一方、貧民が暮らす壁近くの一帯には、廃屋や崩れかけた建物が突出し、街路も曲がりくねって建物の影が目立っている。
よそから訪れた無宿人《ノークォーター》や放浪者《ワンダラー》。或いは、いまだに仕事にありついていない傭兵や自由労働者などが仮の塒としている貧民街は、しかし、繁華街と隣接しており、石畳の通りには夜な夜な、酔漢や商売女の喧騒が渦巻き、時折は、スリの被害に遭った酔客の怒号が響き渡っていた。
夕暮れ時、城壁の彼方から差し込む夕陽が聳える尖塔の陰影を市街地へと差し込む頃、南端に聳える『ステンノ』を始めとして幾つかの高層建築の上階に明かりが灯り始めていた。しかし、電気の輝きが届かない真下の貧民街においては、焚火の光が廃屋の中で揺らめいて周囲に踊るような影を投げかけていた。僅かに堅牢な建物は厳重に戸締りが為され、人々は息を潜めている。屋根や壁が崩れ、扉のない建物においては、零落した浮浪者《ホーボー》や
下水口から顔を出した奇怪な小動物が街路に飛び出した瞬間、馬車の鉄輪に牽かれて小さく悲鳴を上げた。彷徨っていた野良犬が潰れて痙攣する小動物を咥えると、素早く路地の影へと消えた。貧民街で敢えて夜に出歩くものは少なく、まして尖塔の根元を固く守っている密輸同盟の不気味な黒マントたちに敢えて近づこうとする者たちはほぼ皆無であった。
繁華街外れに位置する酒場【竜王の吐息】は実のところ、貧民街の古い廃屋であったが、主人が何気ない顔をして道路標識を偽造し、何も知らないよそ者に繁華街の一部だと誤認させて客を呼び込むことで程々に繁盛している。
内装の壁は、ところどころ漆喰が崩れ落ち、煉瓦や鉄骨が剝き出しとなっていた。廃墟を再利用した建物には珍しくもないが、【竜王の吐息】の店主はひと工夫して、壁も、煉瓦も、鉄骨まで同色のペンキを塗り付け、誤魔化しようのない箇所は家具やタペストリーで覆っている為、荒廃もさほどは目立たなかった。流行りの酒場と噂されるだけあって、見た目だけは華やかに彩られている。
夕暮れの街路にまで漏れ出した酒場の明かりの下、賑やかな宴が催されている。デン王国の解放と正統な王家の再興を願う一派が集結して、決起と連帯を誓って気勢を上げているのだ。電灯に代わって錆びたランプが壁面を照らし、歪んだ鉄パイプの梁には色とりどりの布や紙製の旗が垂れ下がっている。【正統なる王《ムーテ》】の名の下に結集した各部族や名家の勇壮な旗印である。窓枠は壊れたままだが、ガラス片やプラスチックを張り付けたのか。炎を照らして鈍く輝いている。
饗宴の最奥にはムーテ・タリウスが座していた。茶坊主どもに阿諛追従される度に甲高い声でキャッキャっと笑い、征服された王国での新たな地位を気前よく約束し、さらには抵抗を続ける高貴な謀反人どもの妻女の身柄までをも与えてやると豪語している。族長《ニウヴ》とは氏族の長であるが、王《ムーテ》の方が権威が高い。例え一欠けらの土地、一掴みの土すら持たずとも、やんごとなき血筋が纏う象徴的な権威には、氏族の実力者たちですら及ばない。有象無象の牧者や食うや食わずの貧しい羊飼いであれば、西方ではそれと知られた一族の若き貴顕が王位を自称し、軍を募るならば、引き寄せられる者たちもいよう。
主賓を取り囲むように円状に座布団が置かれ、古びた寝椅子には、油や煤で黒ずんだ革が張られているも、黄昏の世に贅沢を言ってもキリがないと承知しているのだろう。来賓たちは寛いでいる様子を見せていた。
車座になった席には絨毯の切れ端が置かれ、尻の感触を和らげていた。酒場のカウンターも、崩れかけた木材に金属の装飾を組み合わせたものを磨き上げ、精々、安っぽい煌びやかさを演出している。
真なるデンの王《ムーテ》の呼びかけに応じた勇敢なる戦士たち―――曠野の無法者《アウトロー》や賞金稼ぎ、無宿者《ノークォーター》に傭兵、悪評著しいランツクネヒトもいれば蛮族の戦士も混ざっている。他に放浪者に野良牧者、廃市街の浮浪者どもの頭目に至るまでがはせ参じては、タリウス王に忠誠を誓い、然るべき時節になれば、謀反人どもの頭蓋で酒を酌み交わしてやると酔いに任せて威勢よく叫んでいた。しかし、相応の徒党の頭目どもとなると、口だけは勇ましく誓約しながらも、互いの腹の底を探り合い、また、実際に勝ち目があるかを慎重に推し測っているのが見て取れる。
烏合の衆だ、とルキウス・カッシウスは苦々しい想いで溜息を洩らした。あてにしていた豪商たちの姿は、殆んど見えない。無論、ルキウスは本気で王国を征服するつもりもなければ、出来るとも思ってなかったが、幾らかは興味を示す商人が現れて、援助を申し出てくれるのではないかと期待していた節もあったのだ。言い方は悪くなるが、詐欺同然であろう。
しかして、デン王国征服を掲げるヴォルツが子孫たちの実態が、素寒貧の小氏族に過ぎないとは、都市商人の重鎮ともなれば見抜いても不思議はない。やはり、中々に物事は上手く運ばぬものだ、とルキウスは、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
それでも、こんな小氏族でも加わりたがる者もいるのだ。大抵は、より貧しく小さな牧者や遊牧民の小集団だ。数家族だったり、中には二、三人と言う事もある。
曠野に脅威は多い。屍者《ゾンビ》や巨大昆虫は動きが鈍重なので避けられるが、変異獣や野生動物は何時でもどんな時でも脅威だった。巨大な鎧狼や噛獣《バイター》らに襲われれば、少なくない犠牲を払うこともある。
寄らば大樹――腐った幹でも、少なくとも風雨を凌ぐことは出来ると言うわけだ。大樹が崩れる時に巻き込まれなければ、の話だが、とルキウス・カッシウスは柱の陰で考え込む。こんな烏合の衆で『
それでも、ヴォルツが子孫を慕う者もいる。大半は負け犬だ。幾らかは懐古主義の老人で、一部は不満を持った若者。それと新王国を追い出された連中。デン高原の者どもは皆、真なる王の帰還をお待ちしています、との囁きを聞くほどに王《ムーテ》は上機嫌となり、反対に族長《ニウヴ》ルキウスの気持ちは醒めた。何時かもなにも、シーラと小僧が治めるまでは、デン高原が誰かのものだった事実はない。大言壮語をする気にもなれず、かと言って自棄になれるほどの怒りもなく、王《ムーテ》の周囲に侍って、親衛隊だと気勢を上げている馬鹿だが憎めない若衆が、暴走しないように適度に諫めながら、族長《ニウヴ》ルキウス・カッシウスは安酒の注がれた杯を苦々しい気持ちで口に運んでいた。
野心的な放浪者や無法者。デン王国を追い出された追放者らに、氏族の残党らが入り混じり、貴族を自称する者たちも見た目はきちんとした服装だが、汚れや補修の跡が生々しい。皿やコップも、真鍮や錆びた鉄器を磨き上げたもので、古風な豪華さを漂わせていた。飲み物は、怪しげな蒸留酒や酸っぱいワイン、土臭いエールが並ぶ。食事は保存食や燻製肉、乾燥果実、見た目だけ整えられた野菜の盛り合わせ。香りは濃いが、荒廃した世界の貧しさが滲んでいる。宴会は華やかに見えるが、笑い声の隙間には警戒心も混ざる。誰が敵か、誰が味方か、誰が余計なことを仕出かすか、互いに探り合う空気が漂っている。ムーテは笑みを浮かべ、宴会は盛り上がっているが、背後の暗がりでは古い梁や柱の影が揺れ、一部の者らが目配せや囁きを交わし合っている。あのうちの幾人かは、間違いなく女族長《シーヴ》に通じているだろう。
虚飾に満ちた饗宴は、いつ果てるともなく夜が更けても続き、笑い声の裏に互いの腹を探り合う視線が飛び交っている。ジークやリディアが顔を出しもしないのは、馬鹿々々しいと考えているからだろう。幸いと言うべきか、『
(すべてが茶番だ)族長《ニウヴ》ルキウス・カッシウスは杯を口にしながら皮肉な笑みを浮かべていた。