黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_59D 旅人の地図

 ズール暦275年六月の末。自由都市ズールに、かなり大規模な屍者の群れ(ゾンビホード)が襲来した。

 

 西南の荒野より殺到してきた屍者の大軍を前に、自由都市は六段に渡る防衛ラインを構築し、これを迎え撃った。一部の屍者に最終防衛ラインまで到達されるも、防衛軍は、襲来した屍者の群れ(ゾンビホード)の攻撃を退けることに成功。

 

 屍者の群れ(ゾンビホード)の大部分は殲滅され、一部屍者は方向を転じ、曠野の各地へと四散したものの、もはや大きな脅威にはならないと予想されている。

 破壊された屍者の数は、二千を数え、ズールの喪失した資金や物資、弾薬類は膨大な量に昇るものの、人命の損耗は二百から三百を越えない程度に収まった。

 ともあれ、自由都市ズールは壊滅を免れた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 『赤い蜘蛛』亭は、自由都市ズールの繁華街の外れにあって、一帯でもかなり評判の芳しくない売春宿であった。辺りの売春宿が何処もそうであるように酒場も兼ねているが、出す酒は一口でわかるほどに薄められており、不味かった。その癖にまずまずの値段を取ってくる。揃えている女の幾人かは、値段の割に擦れていない上玉が揃っているが、貧民窟に近い一帯では、迂闊に安宿に泊まった客が姿を消したと言う噂も付き纏っており、騙して連れてきたとか、浚ってきたとか言う評判が常に付きまとっていた。かと言って、出入りする常連も他者への同情心など持ち合わせていないろくでなしばかりで、女に助けを求められたからと言って、衛兵隊に届け出る真似をするような者もいなかった。

 

 悪い噂の幾つかは事実だった。『赤い蜘蛛』は界隈の性質の悪い女衒たちにとっての溜まり場であり、馴染みの主人マルコにはなにくれと無く獲物を融通していた。

 実際に働いている娼婦たちの幾らかは都市の薄暗い裏通りに足を踏み入れてしまった不用心な旅人であったり、職を探して都にやってきた世慣れぬ農村の娘であったが、契約書と暴力で縛ってあるが、しかし、マルコが直接、浚ってきた訳ではない。

 

 赤い蜘蛛亭は同業者の間でも評判が悪いが、マルコは小悪党で、本職の奴隷商人――特に人狩り団との関りは持たないように細心の注意を払っていた。

 そもそもマルコは殺しを好んでいない。旅隊や農村を襲撃して、十数人も殺すような血生臭い連中など、獣の類だと軽蔑している。零落した貴族令嬢を装っている娼婦もいるが、ただの旅の劇団員だし、働いている娼婦の大半も、浚ったと言うよりは甘言と見せ金で宥めすかして連れてきた相手の方が多かった。

 

 縄張りもごく狭い。繁華街のごく一部で、所轄の衛兵隊への付け届けは欠かさないものの警邏を減らす程度の効果しかない。浚った女に詰所に駆けこまれてはお終いだった。衛兵らは容赦なく鋼鉄のこん棒を振り下ろして、マルコの卵頭を粉砕するだろう。だからマルコは、用心深く浚った女たちは、よその町の評判芳しくない同業者に売り払ったり、または目ぼしい女を買い漁っている。一部の売春宿の主人や女衒の間で、女たちを融通し合っているのだ。

 

 

 

 ―――――

 

 

 

 自由都市ズールは、難なく『死の波』を撃退した。総数二千に迫る―――或いは三千とも目された巨大な屍者の群れ(ゾンビホード)も、都市軍の優れた装備と豊富な弾薬の前にあっさりと壊滅したように見えた。

 

 呆気ない勝利にも見えたし、物の分かった者たちにとっては順当な結果でもあっただろうが、しかし、実際に戦地に赴いて屍者たちと相対し、奮戦した兵士や傭兵たちにとっては、死と隣り合わせの地獄めいた一日であった。手袋の奥まで響く銃の反動、絶えることない血と硝煙の匂い、戦友の絶叫と断末魔、次々と迫ってくる屍者の気配が、今も生々しく肌に纏わりついている。

 

 都市防壁の外では、いくつかの小規模な群れがまだ蠢いており、疎らな銃声が響き続けている。当分は警戒を解くことはできないだろう。生き残った兵士たちの顔つきには、喜びの表情より、或いは凄惨な戦闘を乗り越えた緊張がいまだに宿っていた。

暫くは、夜な夜な悪夢に魘される者も絶えないだろう。

 

 とは言え、勝利は勝利に違いない。感染者の発症からの二次感染を恐れたのか。今日の自由都市は、日没後も大通りにはかがり火が燃え盛り、電灯や松明が街路を照らしている。街角の辻々には武装した立哨が配置され、地区境界にはゲートが設置されて、市民区画や商業地区における夜間の往来を制限している。

 

 それでも今日の繁華街は、日没後も盛況に賑わっていた。生き残った傭兵たちは羽振りよく、命の洗濯をするかのように異性の肌に耽溺していた。或いは荒々しく美童を抱く男にもいれば、美少年やら逞しい男を求める女傭兵の姿もあった。中には感染している者もいるかも知れぬと売春宿の主人や、まとめ役の姐さんらは、夜の女たちに値の張る抗ゾンビウィルス薬を配布して目の前で飲ませもした。感染率も、多少は抑制される筈だ。

 

 

 『赤い蜘蛛』亭も、満席に近い盛況であった。珍しく常連以外の客で席が埋まっている。ランツクネヒトや他の傭兵、徴募に応じた騎兵に銃士、警備兵もが入り混じっており、血の匂いを漂わせていまだ殺気立った男たちを前に、強面の用心棒たちも今日ばかりは小さくなっていた。

 

 裸も露わな女たちが舞台の上で踊っている。どの女もそれなりに整った、或いは愛嬌のある相貌を有しており、扇情的な衣装で観客の視線を引きつける。男たちの欲望と熱気が建物に渦巻く中、赤い蜘蛛亭の主人マルコは小刻みにパイプを吹かしている。二階の渡り廊下からは、女たちが啼いている声が漏れてくる。その一つ一つがマルコの元に銀貨や紙幣を運んできてくれる。

 

 幸運に恵まれた鉱夫や廃都探索者《ルインハンター》の中には、気前よく金貨や小粒金を支払うお大尽もいて、女たちに五割の分け前を渡してもマルコの手元には夜な夜な、かなりの金が転がり込んでくる。娼婦たちからは部屋代や化粧台、食費に衣装代などでさらに絞るのだが、今日ばかりは呑気に金勘定ともいかなかった。

 『赤い蜘蛛亭』でも今宵の客層は、荒々しい傭兵や銃士、騎士などが大半を占めており、マルコも店と女たちの安否に神経をすり減らしていた。中には女たちを荒々しく扱ったり、娼婦を連れ出して返さない傭兵団などもいて、繁華街の一部では騒ぎも起きていた。通りや他の店から銃声が響いたり、刃傷沙汰で死人や怪我人が運び出され、全く気の抜けない夜だった。

 

 

 今も、女が気に入った言う傭兵がマルコの前にいて、銀貨の袋をテーブルの上に載せていた。低額紙幣の札束も詰まれてるが、都市通貨は暴落傾向でどうにも気が進まない。銀貨の方は遊牧銀貨や交易銀貨、ギルド銀貨などが入り混じっている。額面以上の価値はあるだろう。

 どうしたものか、と顎を撫でた。身請けの値に文句はないが、ミラは売れっ子だった。とは言え、血の匂いをさせた傭兵を門前払いするのも気が進まない。金よりは命。マルコの信条であり、こういう時にあっさりと人が死ぬことも知っている。

 

 結局、マルコはミラ本人の意思を聞いてみる事にした。「ミラを呼んできてくれ」と下働きの小僧に告げる。

 

 居室に尋ねてきたミラに頷きかけると、歩み寄って「あちらのお客さんがお前を身請けしたいそうだ」と言った。それから、耳元で「しかし、相手は傭兵だし、お前ももう少しで年季明けだろう」と囁いた。

 椅子から立ち上がった男の顔を見、「行きます」ミラが一言で告げた。

 「そうか」と落胆しつつマルコは頷いた。

 金庫から契約書を取り出し、金と引き換えに渡すと「それじゃ、これでお前さんとわたしは何の関係も無くなった。達者でな」と淡々と告げる。

 

 傭兵は受け取った契約書を破ると、ミラが男に抱き着いた。どうやらミラもそれを望んでいる様子なので、マルコも強引には引き止めなかった。

 傭兵とミラが宿を後にすると、マルコは天井を見上げながら、パイプの煙を吐いた。これから女たちがどんな人生を送るかは、神のみぞ知る。と言う奴だ。大概は碌な最期は迎えないだろう。或いは、連隊付き娼婦として戦塵で生涯を終えるかも知れないし、案外、引退した元傭兵の古女房として落ち着くかもしれない。どちらにせよ、新しい娘を探さなければなるまい。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 サドラン牛は個体差がかなり大きな品種である。

 大きな成牛となると1tから1.2tにも達するが、イザベル・ミラーやルーク・アンダーソンが選んだサドラン牛は、まだ若くやや小柄な個体だった。価格はその分、安価に抑えられたがなにも値段だけが購入の決め手ではなかった。

 

 荷役牛は、日に体重の2%から2.5%ほどの飼料を必要とする。つまり、体重600〜700kgの大型荷役牛なら、12〜18kgとなる。水分も重要で、1日あたり30〜50リットル程度の水を飲む。サドラン牛は体格の割にやや小食で我慢強い品種だが、それでも健康を問題なく保ちたいのであれば、平均的な水準は守った方がよろしい。

 

 牛の移動速度は、時速にして3キロから4キロ。1日あたりの移動距離は、無理をさせなければ20〜25キロが妥当となる。小まめに休憩を挟みながらも、数日連続で移動させることが出来るが、さて、ポレシャ市までの旅程は一週間から最長で十日ほどになるだろう。

 

 さて、体重600〜700kgの荷役牛種にとって長距離旅程で問題ない積載量は、体重の20%から25%。およそ120キロから170㎏ほどになる。

 

 

 

 マギーちゃんは、机の上の地図を眺めながら葉巻を吹かしていた。

 自由都市ズールを立ち去ると言うマギーの提案に対して、ポレシャ人たちは一も二もなく賛同した。屍者の群れ(ゾンビホード)如きに陥落するズールとは思ってなかったが、なんといっても数百規模――事に拠っては数千規模の屍者の戦争である。

 残党だけでも都市近郊には数十単位の屍者の群れが今も彷徨っており、盛んに銃声が響いてくる。素早く強力な変異屍者の何匹かが市内へと忍び込まないとも言い切れないし、なによりも防御が手薄となれば、よからぬ輩が蠢動し始めるのも乱世の常だ。後始末が長引けば、強盗や人さらいなどの犯罪に巻き込まれる恐れもあった。

 

 

 マギーちゃんも、ルークやジーナ・(クレイ)も、ズールの市民でもないし、雇われた傭兵でもない。都市防衛に義務もなければ、責任もない立場だから、危ない橋を渡らないのは当たり前だ。極論すれば、ズールの存亡さえもどうでもいい。自分たちが生存し、帰還する事こそが肝要だ。

 

 旅の商隊や傭兵団のいくつかは当然に同じ結論に至ったようで、市門の近くでは撤退の支度を整える隊商や、逆に長期契約を狙っている傭兵団の伝令や使者が入り混じっては往来し、ちょっとした混雑が起きている。一帯がざわめく中、慎重に推移を見守っている者たちも少なくないようだが、ポレシャ人たちは総意で撤退を選んでいた。金より命であるし、既にサドラン牛を得ている。無理して残る理由など欠片も無かった。残るは、帰還計画の立案だった。

 

 ポレシャ公邸の個室に鍵を掛けて、顔を合わせたマルグリット・モイラとルーク・アンダーソン。イザベル・ミラーはそれぞれが所持する地図を慎重に開示した。あまり遠出の経験がなく、ポレシャ市一帯の地図しか持たないジーナ・(クレイ)は、恐る恐る他の三人の地図を覗き込ませてもらった。

 

 旅人にとって秘蔵の地図は、様々な情報が描き込まれている。余り他人に見せたいものではないが、旅の安全性を高めるための妥協を三人とも躊躇う性格ではない。

 街道筋で利用可能な井戸や牧草地。盗賊や部族の出没地点と日時、巨大蟻や巨大蠍、野犬や変異獣の縄張りに屍者の徘徊場所。飼料を買える場所に寝泊まり可能な集落や旅籠の情報を突き合わせて、三人はポレシャ市までの安全で無理のない移動ルートを綿密に組み立てようとしている。牛の体力や荷重量を考慮し、もし目当てが外れた場合の為に余剰を持たせつつ、毎日の行程にも余裕を持たせることも忘れない。

 

 自由都市ズールから北へと伸びた街道筋に関しては問題ない。宿場町が一定の距離ごとに設けられており、多少の値は張っても飼料や水を補給できるようになっている。ポレシャ市の勢力圏内に入っても、水や飼料を補充できる牧草地が点在している。ポレシャ市と睨み合う他勢力の牧者とかち合う恐れもあるが、参事会は護衛として騎兵隊を北上させて寄越してくれると約束していた。

 

 

 旅人の旅隊だけなら兎も角、市直属の騎兵隊が護衛についているのに、ちょっかいを掛けては来ないだろう。他所の市の所属や遊牧氏族であっても、ポレシャ市との抗争理由になりかねない騎兵隊への攻撃は躊躇う筈であった。

 いわんや、小規模の牧者衆にせよ、農村の牛飼いにせよ、小勢力ならばなおさらにそんな自滅的な判断を下す可能性は殆んどなかった。殆んどと言ったのは、荒野(ウェイストランド)では、時折、常識では考えられない判断を下す者がいるからだった。

 

 いずれにしても南北の移動には、さほどの問題はないだろうと見解は一致する。

 危険があるとしたら、やはり、北辺はアルゴー郷一帯の横断に際してと思われた。

 アルゴー郷において、蛮族の斥候が襲撃を繰り返してるとの噂はポレシャ市にも流れてきている。マギーにルーク、イザベル・ミラーにジーナ・(クレイ)が用心して歩を進めれば、そう滅多なことは起こるまいと思いつつも、熟練した旅人でも、ふと消息を絶つのが曠野の旅だ。ルーク・アンダーソンが言うには、幾らかの金を出せば泊まれるだろう宿泊場所にも心当たりがあるとのことで、油断はできないにせよ、安全な宿を確保できるのは心強かった。

 

 残る問題としては、他に旅隊の随員を募るかどうかだが、余り大人数で編成して、足手纏いや足の遅い人員が入るのをマギーは嫌がった。イザベルに同行してくるガイ少年など、戦うことも出来ないだろう。

 

 気心の知れてるエマ・デイヴィスが同行してくれるなら心強いのだが、とルークが呟くも、こればかりは多分に相手次第かも知れない。エマが強く押せば、多分にミリーは頷くだろうと思えるのだが、放浪民の少女はやや内向的で、なにを考えているのかは窺い知れなかった。まあ、ミリーも悪い娘ではないし、同行してくれるならそれに越したことはないが、駄目なら駄目で仕方ないとマギーは割り切った。

 

 ひとまずの段取りがつくと、皆、一息ついて紙巻を吸ったり、お茶やココア、コーヒーなどを入れて勝手に飲みだした。穏やかな空気が流れている。いずれにせよ、今回の旅がそろそろ終盤に差し掛かっていることは、誰もが感じ取っているようだ。

 

 

 

 

 

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