七月の初頭であった。自由都市ズール郊外の家畜市で、珍しくもない捕り物が行われた。
「……びっくりするほど隙だらけだな、ヘレン」背中に冷たい銃口を押し当てながら、エマ・デイヴィスは囁いた。ポレシャ市及びズール市双方での指名手配を受けていた【牧者ヘレン】はただ棒立ちになり、肩で小さく息をしている。朝露で湿った砂利が足元で軋む音が、耳にはひどく大きく響いた。
昨晩だが、警備兵の詰所に寄せられたタレコミでは、ヘレンが郊外の家畜市に現れるそうだ。なんとも怪しげな投げ文で文字も汚かった。呼び出されたエマが、半信半疑で取引相手とされる牛飼いの囲いに待ち伏せを仕掛けてみれば、本当にあっさりとヘレンが現れた。しかも、犬のシーザーも連れていない。
ライフルの照準を少し揺らしながら、エマ・デイヴィスは慎重に歩み寄った。同じ西方の出のヘレンが、相当の腕前を持つ手練の牧者であるとエマは承知している。付き添いの警備兵が若干いるが、多分に見届け人の役割が大きく、助力は期待できない。ヘレンは意表を突くような戦い方を好んでいて、油断できる相手でもない。知らない相手ではないが、妙な動きをしたらすぐに射殺すると決意を固めていた。
ヘレンにライフル銃を捨てろと命じる。ヘレンは僅かに眉をひそめ、杖のように見える仕込みライフルをゆっくりと投げ捨てた。ライフルを足で軽く蹴ってから、エマは「両手を上に上げろ」と命じた。
当然にヘレンは数本のナイフを所持している。エマ・デイヴィスのカンマーラーダーは長銃身で精密射撃を得意としてるが、白兵戦では取り回しがしにくい。そして、ヘレンは油断ならないナイフの使い手だった。さて、どうしよう。エマが固まっていると「地面に伏せさせろ」と付き添いの警備兵が助言をしてくる。「じ、地面に伏せて」とエマは命じた。
地面に伏せたヘレンの手を後ろに廻して、手錠を架けた。妙な動きはされなかった。ヘレンは格闘だって中々に手強いから、エマはようやくにホッと息をついた。単独で人一人《ひとひとり》を逮捕するのは、中々に気の抜けない作業だった。警備兵たちは仕事熱心ではないが、指名手配犯ヘレンは、ポレシャ市の暫定追跡者であるエマ・デイヴィスが逮捕しなければならない理由があった。警備兵たちが逮捕してしまうと、引き渡し云々とか、そこら辺に色々と面倒な手続きが生じるのだ。なにはともあれ、手錠を掛けたヘレンに立ち上がるように告げる。
「ふ、普段のお前さまはもうちょっと手強くて、よ、用心深かった。逃げ延びたと思って、気を抜いたのか?」エマは問いかけてみた。
「……エマ。あんたが追ってきたのか」ヘレンがぼそぼそと呻くように呟きながら、見上げた。
「……そりゃ、名前を騙られたからね。何人も殺す羽目になった」恨みがましいエマの言にヘレンは目を瞠った。そんな惨事になってるとは思ってなかったのか。
「牧者ヘレンを逮捕。七月四日。午前九時十五分。指名追跡者エマ・デイヴィスが壁外の交易市で捕縛した」書類を書き込んでいる警備兵がサインを求めてくる。エマはペンを手にして、Emma Davisとサインを描き込んだ。牧者の大半は、放浪民にも拘らず、文字を読み書きできる程度の教養を持っている。定住民との契約には、書類のやり取りが不可欠だからだ。エマ・デイヴィスは大きく吐息を洩らすと、近くの飼葉の山に隠れていたミリーに手を振った。ともかくも、これでポレシャに大手を振って帰れそうだ。
◆◆◆◆
身代金狙いの誘拐を別にすれば、都市の人攫いどもが狙うのは、決まって身寄りが少なく、しかも、足が付きにくい女である。街角の暗闇に息を顰める女衒たちは心得たもので、女を狙う時は、けして市民や正規居住者などは狙ったりしない。ズールの衛兵隊は、怠惰だが無能ではなく強権的でもあった。
まかり間違って、評議員を務める貴族や豪商の娘でも浚った日には下町や貧民窟、外郭地区のモグリも含めた全ての売春宿に重武装した警備兵が押し込んできて、片端から滅茶苦茶にひっくり返すだろう。当局からは当然に補償など一切ないのだから、やられる側としては溜まったものではない。事態を引き起こした発端となった悪党どもが他の悪党どもにどう扱われるかも推して知るべきである。
大規模徒党も不味い。半端な悪党が略奪者や傭兵団、遊牧民に手を出すのは自殺行為で、本職の奴隷商人による報復と来たら、職業的な殺し屋でさえも血の気を失うほどの凄惨さだ。鉱夫団や職人衆、隊商など、都市にとって経済的に重要な取引相手もよろしくない。身内が騒ぎ出せば、衛兵隊がすぐに動き出す。流れの
結局のところ、狙う相手は、弱小の
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遠方の煙は朝日の赤に染まり、空は燃えるような光に覆われている。どこか異界めいた不吉さを孕んだ風景が、世界の縁が裂けるかのように佇んでいた。
都市防壁の彼方から、弔いの煙が十数か所から立ち昇っている。大気に漂う灰の匂いが、ズール市の通りを陰鬱に包み込んでいる。灰の匂いが風に混じってズール市内にまで漂ってくるが、行き交う人々はまるで恐れるかのように口に布を当てて、顔を背けていた。
ズールに到来した屍者は、最低でも二千体。軍隊はこれを撃退したものの恐らくは二千数百に迫る屍の処理は、都市にさえ軽くない負担であった。完全な火葬ではなく、亡骸を骨にする程度であっても、人ひとりを燃やすには三十キロから百キロ近い薪が必要となる。二千体の焼却処理に必要な薪の量は最低でも百トン。二トンの樹木を五十本。膨大な消石灰を用意する必要もあった。薪自体は、自由都市にとって耐えかねる支出ではない。問題は、処理に当たる人員にある。今なお、屍者たちの小さな群れが彷徨う危険な状況に、価値の下落した都市通貨の支払いで数十人からの労働者を確保しなければならない。
「死んだ屍者を燃やすだけだよ!日当30都市クレジット!食事つき!酒に煙草も配給!いい仕事だよ!十日も働けるよ!」市内各所の通りの真ん中で、広告を身体に吊り下げた男たちが叫んでいるも、「誰がやるか!」と野次が返ってくる。流れ者や自由労働者を相手に時には宥めすかし、時には脅かし、囚人を刑期と引き換えの奉仕作業と取引を持ち掛け、複数の手配師たちが忙しく市内を駆けまわっていた。
繁華街の外れにひっそりと佇む『赤い蜘蛛』亭でも、表通りで五月蠅く叫んでいる手配師たちの塩辛声が響いてくる。客の一人が、うるせえと表に向かって喚くも、店を飛び出して怒鳴りつけはしない。万が一にも官憲に引っ張られてしまえば、軽犯罪の刑務と引き換えに、これ幸いと屍者の処理作業へと駆り出されかねないからだ。下層民には世知辛い世相だが、それでも屍者の波に揺るがない都市に暮らせるのは、僥倖と言うべきか。
六月も終わりに差し掛かったその日も、常連の与太者たちは管を巻いていた。どうにも景気が良くないようで、ここ暫くは安酒ばかり注文している。陰気に愚痴るばかりの与太者たちに主人のマルコはうんざりした表情を向けた。
マルコと与太者連中は、昵懇の間柄でもあった。連中、女衒としては中々の手腕をしており、時にマルコも連中から女を仕入れることもあった。この場合の仕入れるとは、いささか強引に拐《かどわ》かしてでも、若い娘を連れてくる事を意味していたが、どうしたものか。腕っぷしが自慢の与太者どもがここ数日は不貞腐れたように陰気な酒を呑んでおり、稼ぎに行こうともしない。
見誤ってお偉方の妻子やら隊商主なりの子女にでも、ちょっかい出したか?―――一瞬、背を冷やしたマルコだが、それであれば女衒どもがこれほどに落ち着いていられる道理はない。とうの昔にズールを蓄電しているに決まっている。
だから『赤い蜘蛛』の主人マルコは大抵、困窮して身売りした女を仕入れるし、丸め込むほうを好んでいる。仮に浚うとしても、農村から出てきたばかりの身寄りのない若い娘か、浮浪《ホーボー》、
馴染まなければ、死んでしまう娘もいるが、その時はその時で仕方がない。
「世の中って言うのは、そういう冷たいもんさ」と嘯くだけだ。マルコ自身がそう扱われてきたように誰も負け犬を振り返りはしない。
そうして勤勉で働き者のマルコからすると、ここ数日の連中の態度はいかにも関心できなかった。持ちつ持たれつの関係と、あまり適当にあしらう事もせずに多めに見ていたが、流石に堪忍袋の緒が切れて嫌味のひとつも口に出てくる。
「お前たち、俺に約束した娘も反故にしておきながら、朝から酒とはいい身分だな」と酒場の主人の掠れ声を受け、薄汚れた男女がため息を洩らして「違うんだ、旦那」と言い訳してきた。女衒どもの苦しい言い訳を聞いてみれば「とんでもねぇ奴に邪魔された」そうで、銃身の破裂したマスケット銃やら壊された槍を取り出して見せてくる。
「銀の腕輪をした
「それこそ犬じゃあるまいな?」とマルコは顎を撫でながら疑い深そうに呟いた。
堅気と刑務所の壁の上を歩いているような稼業については、細心の注意が必要だと酒場の主人は重々承知している。身内が人さらいの犠牲となった連中が雇った賞金稼ぎや探偵は、何時だって界隈を犬のように嗅ぎまわっている。
しかし、それについては心配いらないと女衒たちは請け負った。獲物を追いかけてひと気の少ない廃市街まで追い詰めた所で、屯っていた放浪者どもが横やりを入れてきたそうで、邪魔が入ったのは偶々に過ぎないと口々に言い募った。
「まあ、それならいいさ。新しい獲物もそのうちに都合してやる」マルコが告げると、与太者どもはホッとした様子で顔を見合わせる。
「すまねえ、旦那」と頭を下げる与太者どもに「なあに、持ちつ持たれつってやつだ」人の良さそうな顔で鷹揚に肯きながらも、どうにも業腹が収まらない。
どうにか女を見つけて、然るべき報いをくれてやりたいものだと執念深く算段するマルコの背後で、賞金首どもの手配書が隙間風に揺れていた。
※※※※
鞄に紙束を挟んだ若い小僧たちが、繁華街や下町を縦横無尽に駆けまわっていた。
時には、無人の建物や屋根を駆け抜けて、都市内の最短路を突っ切ったりもする。
19世紀ヴィクトリア朝の新聞小僧《ニュースボーイ》にも似た少年少女たちは、街角や掲示板に広告・告知のチラシを張るのが仕事で、また、時には薄い新聞を市民や旅人に売り歩いたりもする。大都市特有の職業である広告張りと新聞売りは、俊敏で体力に恵まれた少年少女や若者らの稼業で大部分が兼業でもあった。
広場にある掲示板や公共施設。それに酒場や公民館など人の集まる場所に赴いて、壁に貼り紙を張るのが小僧たちの仕事であり、地区ごとに徒党を組んでは仕事を分担している。それぞれの担当地区を縄張りとして、最短一日のうちにも布告が廻るように采配されているのだ。
「こんちわっす!回覧です!」若い小僧が元気よく下町の酒場に飛び込んできた。糊とパテで数枚の手配書を手際よく壁に貼っていくが、客たちは殆んど興味を示さなかった。旅商人やら旅人、
時折、旅の銃士なり、傭兵なりと明らかに堅気ではない連中が賞金首の手配書を剥がし、或いは、小僧に小銭をやって何枚かを買い取っては懐に入れていたが、賞金稼ぎと言う輩は、法秩序の維持に心強い反面、市井では煙たがられてる存在でもあった。
人狩り団や略奪者《レイダー》の小徒党を皆殺しにする凄腕の賞金稼ぎも世にいる一方、時に賞金首と似た赤の他人を連れ去ったり、射殺してしまうので、良民たちには忌み嫌われ、裏社会の住人たちからは恐れられている。いわば、寄る辺のない狼の群れであり、時に腕利きの賞金稼ぎ団が殺し屋や略奪者に落ちた際には、町を丸ごと一つ支配下に置いてしまうこともある危険な存在でもあった。
今も店の奥。新たに入ってきた旅の一団を観察しながら、柱の陰で手配書を一枚一枚確認しながらぼそぼそと会話を交わしている賞金稼ぎどもは、庶民には近づくのさえ躊躇わせるような剣呑な気配を漂わせていた。
古びた賞金首の手配書の横に、新しく手配された賞金首たちの人相書きが貼られていく。壁に貼られた手配書でも大判のものは、諸々のレイダー王や無法者徒党の頭目などだ。伝説的な【曠野の王】の賞金額_200,000Cは、ほぼ冗談のような扱いで、人相書きも黒塗りの不明となっている。
顔写真や人相書きの記された他の賞金首となると、桁が一気に落ちて10000Cや5000C、3000Cの懸賞金となるが、しかし、大判の手配書を配布された彼ら彼女らも、また大物のレイダーの頭目や盗賊団首領、人狩りの親玉には違いなく、千単位の賞金は高額賞金首の区切りであった。
大抵の手配犯の懸賞金は、三百から最大でも二千ほどだが、しかし、賞金を懸けられる時点で 、それなりの悪名を轟かせている証拠でもあった。
殆んどの略奪者《レイダー》や盗賊《バンディット》、無法者《アウトロー》には、賞金など掛かっていない。町や村の間で噂され、犯行や小競り合いの証言が絶えない者たち――たとえ懸賞金が少なくとも、侮れない連中ばかりで、そして三百と言うのは、庶民がひと月は暮らせる中々の大金でもあるのだ。
とは言え、都市に暮らす自由労働者や居住者にとっては、賞金首は縁遠い世界の住人である。酒のあてに壁に貼られた手配書を見渡しては時折、混じっている若く美しい娘などを見つけることもある。
「おお、美人さんだな」酒臭い息を洩らして、まじまじと眺める。
「なにやったんだ?」相棒が尋ねると「詐欺だとよ。銀の腕輪に白い犬を連れてるとか」 そうして酔っ払いたちが貼られたばかりの手配書に目を止めては、ああでもない、こうでもないと言う程度が庶民にとっての精々の関りであった。