時刻は、正午を過ぎていた。都市防壁に寄り添うような小さな街バシカで、曠野との境界に立ったコルは、埃っぽい風に目を細めた。不毛の大地から吹き寄せる風は、季節を問わず冷たく乾いていた。陽光が乾いた砂埃を金色に染めている。近くに佇んでいた鍛冶師の老人が喉をざらつかせたか、軽く咳をこぼした。
振り返れば、周囲では舗装の崩れた広場や瓦礫の山に絡む雑草が土の色に褪せている。遠くの穴の開いた屋根や崩れた塔が陽炎にぼんやりと浮かび、ひとけの少なさと静寂を際立たせている。
衰退した時代の、荒廃した土地の欠片を眺め、(それでも我らの土地か。都市の不興を買って追い出されぬように出来るだけ長く……叶うなら安住したいものだが)とコルは息を吐いた。
町外れ。他所の居留地と変わらず、頑丈な木柵が連なって街路を封鎖している。ほんの少しバシカから離れた大地には、不出来な案山子が地面に並んでいた。
コルが、両手に剣を構える。短い剣だ。柄は握りやすく、 鍔は大きい。「これはグラディウスだ!」神妙に地に座っている氏族の少年たち、そして若干の少女を前に説明する。「古代ローマで使われた非常に使いやすい剣だ。特に至近距離の突きで威力を発揮する」
グラディウスの柄には革が堅く巻かれている。鞘から抜くと手の中で重心が掌に落ちる。刃は短いが太く頑丈で重みが心強い。戦士の武器だ。コルは幾つかの突きの動作を見せる。「幾らかは改造してある。鍔が大きく、頑丈で敵の刃を受け止めやすい形となってる」
歩きながら、氏族の少年少女たちを見下ろした。本来、訓練を始めるべき年齢を大分越えた青年や若い娘も混ざっていた。過酷な放浪生活に訓練する余裕を持てなかった者らもいる。だが、誰もが切羽詰まった、言い換えれば真剣な目でコルの講義を聞いている。これは、良い兆候に思えた。
「ローマ戦士たちは楯を連ね、右手にこれを握って蛮族と戦った。だが、我々はレギオンほどの人数はない。これを片手用の武器とし、もう一本を守りとして構える」
都市防壁の上、巡回中とおぼしき都市軍軍曹が立ち止って、コルたちを指さしながら、隣の軍曹に何か言ってるのが、遊牧民の視力で見えた。アサルトライフルを携える都市の将兵として、およそ二千年の開きがある刀剣に頼る遊牧民を嘲笑してるのかも知れない。しかし、都市軍のように火力に恵まれた軍隊は別として、黄昏の時代に白兵戦の武器は、いまだ廃れていない。むしろ、弾薬も火薬も潤沢でない辺土で最後に身を守るのは短剣や槍の穂先だ。だからこそ、コルは若者たちに武器の使い方を教授している。
「銃には対抗できない。クロスボウにも、弓にも、多人数の投石にもだ。遮蔽の取り方は教えたな。これは地を踏み締めて戦う戦士たちの武器だ」コルは歩きながら、幾つかの型を木製の案山子に向かって披露した。笑う子供はいない。狭間胸壁に立ち止ったもう一人の軍曹が、双眼鏡を取り出して此方を観察していた。
「騎兵の武器ではない。大勢の味方がいるレギオンの武器でもない。だが、心強い武器だ。市街地で、路地で、室内で、貴重な弾薬を使い果たした時、敵が殺到してきた時、グラディウスは必ずお前たちを助けてくれる!」
観察している都市軍兵士が増えているのに気づいた。軽んじられるのもまた危険だが思ったよりは、侮られていないのか。流石に、危険視はされないだろうが。
「これから一人に二本配る。両方とも、本物よりもやや軽い。だが、それは良い鋼を使ってるからだ。剃刀のように鋭い。気を付けろ。簡単に臓物が零れ落ちる」
木箱に入ったグラディウスを配っていく。副手用の二本目はやや小さい。恐る恐る取る少年少女もいれば、目を輝かせている少年や少女――うむ、少女もいる。
「戦闘でグラディウスが優れている点は一つ、扱いやすく頑丈で、歩兵戦に向いている点だ。短く斬り、そして突く。早く馴れよ、長く使える」
まずは馬を持たぬ若者たちにも戦う力を与え、戦力化する。例え今は未熟でも、隘路や閉所に拠っての市街戦に訓練を受けた剣歩兵は手強い存在となるだろう。
「サーベルは習えないんでしょうか?」少年の一人が手を上げて、尋ねてきた。
「サーベルは、さらに薄くて良い鋼が必要となる。高価だ」コルは告げた。
グラディウスは、安価で揃えられる。耐久性に優れ、整備が容易で、携帯性に秀でている。基本的な動作は限られているが、いずれも有効な型で、習熟が早い。
「グラディウスは、安く揃えられ、小柄な女子供や老人でも扱いやすい。騎乗用のサーベルは、お前たちが大人になった時に与えられる。それまでは木剣での訓練を行う。勿論、お前たちが父親や兄から習うのは自由だ。家族伝来の装備があるなら、遠慮なく携えておけ」史実において騎兵がサーベルへと移行したのは、製鉄技術と加工技術の向上も理由のひとつだった。近代型のサーベルは、昔の遊牧民が好んでいた大型の曲刀《シミター》よりも薄い。威力においては劣るが、より使いやすい。使いやすさと威力のトレードオフだとコルは説明する。大型武器の持ち主は大抵、見掛け倒しだが、時に熟練した使い手がいると、おのれの頬に走った亀裂のような傷に触れながら、子供たちを見回して告げる。
銃を持った相手には無謀に思えながらも、潤沢な銃弾を用意できるのは富裕な都市軍か、領域を統治する軍団に限られている。大抵の傭兵団や大型居留地でも銃弾は節約する傾向にあり、蛮族や辺境の村となると精々、少数のマスケットで弾薬の供給にも乏しい。とは言え、教練するコルの立場としては、判断が付かない子供のうちには、本物の戦士や軍人たちと相対しないよう願うしかない。
白兵戦に長けた剣や槍、弓矢は、いまだに有効な武器として生き残っている。曠野の大地の上で、都市の狭い路地で、地下深い暗渠で、薄暗い森で、廃墟の片隅で――互いに弾薬が尽きた者同士の死闘が人知れず行われる時、使い手の腕と判断力だけが、生と死の境を分ける。グラディウスは粘り強く頼りになる、踏みとどまる者の刃だ。
そうしてコルが数時間の教練を終えた頃には、十数人の都市軍兵士が都市防壁の上から教練を眺めていた。いや、それ以外にも建物の屋上などで自由労働者や傭兵、他所の牧者と思しき者たちなども此方を見物していた。都市軍には三、四人の超人か、準超人の強化人間がいると耳にしていた。
十人からの略奪者《レイダー》の一団を殲滅してみせたとも言われているが、それぞれが豪商や貴族お抱えの虎の子のようで滅多に姿を見せず、兵士の殆んどは常人で構成されている。だが、鋭い眼差しで教練を眺めていた古参兵や軍曹こそが都市軍の屋台骨に違いない。コルが片手をあげると、手を振り返してくる者もいた。
いずれにしても冷めやらぬ胸中から熱い吐息を洩らしたコルだが、近くの物陰から此方を眺めている子供らを見かけた。行動を共にしてはいるが、氏族ではない放浪民や牧者衆の子らだった。地元バシカの子もいるようだ。大人たちは対立せずとも緊張しつつ対峙しているのに対して、子供らはすでに一定の交流はあるのだなと苦笑を浮かべる。途中から気づいていたが、やはり危険な曠野に生きる身として、武器の扱い方には興味を覚えたのか。
頷いたコルは、望むなら教練に加えてもいいかとも思案する。子供らに、交流は持たせて悪いことはないだろう。或いは、幾人かは将来氏族に加わるかも知れない。(……次世代への種となればいいがな)
黄昏の世に水浴びはちょっとした贅沢だ。だが、世には創意工夫に溢れた人間もいるもので、湖や河と言った水源から水を運んできては、近隣の集落や外郭地区で格安に提供することで、一財産築いてみせた一党がいる。
巨大な樽を幾つも積んだ牛車が指定の場所までやってくると、上に飛び乗った若者たちがポンプを盛んに動かし出した。農業用のため池に向けてホースから猛烈な勢いで水が飛び出す。ため池に我先に飛び込んだ若者たちは、身体に水を浴びて悲鳴を上げた。コルも水を浴びる。傷だらけの屈強な肉体にも水が弾けた。
1tほどの水が4日に一度、水屋によって運ばれてくる。代わりに氏族が提供するのは人手だった。ポンプでの作業を手伝い、水源地で護衛する。族長《ニウヴ》ルキウスが都市の水屋まで赴いて取り決めた取引で(……若は中々にやる)とは、満足げに微笑みを浮かべるコルの贔屓目ではない。頑迷な長老連も黙らせるだけの指導力をルキウスはここまで発揮し続けている。氏族もようやくに当て所ない放浪が終わり、ともかくも根城を手に入れた。ここから、続くといいと切に願った。
水を浴びながら、男も女もなく、若者たちは誰もがはしゃいでいた。裸になるものも多い。そう言えば、と思い起こす。ルキウスの愛人レニの身にも、幾つもの傷が刻まれていた。手伝いに向かわせた老女の見立てでは、裂けた皮膚に骨の歪みも残っていた。戦の傷ではない。鞭で打たれ、棒で打たれ、長く惨く扱われたのだと、老女は告げた。恐らくは奴隷の身に転落していたと誰でも気づかされる。
ポンプの水も尽きる頃、強張った表情のルキウスが近寄ってくるのに気づいて、コルは一礼した。少し迷ってから族長《ニウヴ》は「……レニが帰ってこない」掠れた声で囁いてくる。ルキウスは、まだ愛人レニの存在を公にはしてないが、堂々と連れ帰った為に噂としては流れている。
「いつ頃?」コルが問うと「朝に出かけて、もう夕刻になる。先刻、取引先の遊牧民の処に使いを走らせたが、顔を出していないそうだ」
「警備隊には届けを?」
「レニは、風来坊だ。住人登録もしていないと聞いている。探してはくれんだろう」失う恐怖に怯えながら、しかし、族長《ニウヴ》ルキウスは冷静さを保っていると見えた。
「すぐにジークとリディアを呼びなされ」少し考えてからコルは告げた。
ルキウスが躊躇するも、「腹背定かならぬ者たちではありますが、しかし、人手が足りませぬ」コルの言に族長は「分かった」と頷いた。
さて、まだ単なる愛人としか見られないレニを害するものが氏族内にいるだろうか。それとも闇深い自由都市の陥穽が不幸な娘を吞み込んだのか。或いは、郊外にいる奴隷商人や人狩りの仕業かも知れない。コルは瞳を細めて聳え立つ都市防壁をじっと見つめた。風が砂埃を巻き上げ、遠く聳え立つ巨塔が、大地に暗い影を投げかけていた。
※※※※
石積みの巨塔が天を突くようにそびえている。崩れ落ちた外壁がところどころ補修され、往古の建築技術で積み上げたコンクリートと、後世の人間が木材や鉄板で継ぎ足した歪な側面が、密林蛇の斑模様のように入り交じっていた。まるで巨人のむくろだと、ヒルダは見る度に不吉な印象を受けた。
曠野に最大の都邑ズールには、数多の塔が聳えたって大地を這いまわる人間や家畜たちを見下ろしていた。太古の巨大遺跡に寄り添うように築かれた七、八階の巨塔は、それでも、文明崩壊《ポストアポカリプス》後に生まれた市井の人々にとって雲を突く宮殿のようにも感じられた。
地方でも一、二を争う大都市で塔の頂に暮らすには、どれほどの金が必要なのか。懐の財布に触れながら、ヒルダは考えてみる。ヒルダはランツクネヒトだ。金次第で戦う傭兵で剣士。賞金稼ぎで幾つかの土地では賞金首。盗賊団に入った時期もあれば、警備隊に務めたこともある。時々は剣闘士もやる。数日前の屍者との闘争の報酬で、紙幣と貨幣でたっぷりと財布が膨らんでいる。
聳え立つ歪な巨塔の基部に開けた大広場は、石畳が綺麗に敷き詰められてる。一見すると美しい広場だが、季節は真夏。所々、雑草が割れ目から青く伸び、地面は雨水に削れ、でこぼこした浅い溝が縦横に走っている。それでも、外見を取り繕える富裕な都市は、ヒルダの知る限りでは数えるほどしかない。
門前の広場は、人いきれの熱気が渦巻いている。隊商の荷車が幾十も並び、家畜が荷をつなぎ止め、鈴の音を鳴らしていた。色取り取りの天幕が風に揺れ、露店では乾いた果実や鍛え直した武具に銃器も並んでいる。廃墟から拾い出された錆の浮いた機械部品や美しい陶器に家具、今は貴重な電子部品までが商品として積まれていた。
時折、大量の羊毛や木炭を載せた馬車が、白煙を吐き出している大型工房へと吸い込まれていく。自由都市ズールが蒸気で動く機械群と維持、修理できる技師たちを抱えているとの風評は、どうやら事実らしい。市井の噂によれば、大工房の機械は短時間で百人の熟練した働き手より多くの糸を紡ぐそうだが、ズールの富の象徴であると同時に、数多くの蛮族や盗賊、無法者の野心を妖艶な美女の如く誘い、無謀な襲撃へと駆り立てている。自由都市や商業都市で常に腕利きの傭兵が求められる所以であった。
火器主体の盗賊団や無法者相手に火力で劣るランツクネヒトに出番があるかと思いきや、黄昏の世には貴重な銃弾を節約する為、食い詰めた放浪民や乞食たちが粗末なこん棒や槍を与えられ、時にはした金と引き換えに突撃を強いられるもする。
しかし、マスケット銃とは言え、一応の火器と白兵での威力を誇るランツクネヒトは、緊迫する情勢下の大型居留地に長期滞在を要請されたり、留め置かれることも少なくない。雇い主が商業都市ともなれば、待機状態でも半給や三分の一程度の給料が支給され、勿論、戦時には全額が支払われる。とは言え、そう言ったある種、破格の待遇を受けられるのは、団長がある程度、信用を築いた二百から三百人規模の大隊《バタリオン》か、最低でも五十人からを揃えて名の売れた小隊《プラトーン》級の兵団に限られる。そして、そんな大手傭兵団はけして多くはない。
傭兵の過半を占める五~六人から十人程度の兵団は、精々が食料や薪の提供と引き換えに斥候に当たるか、金を払って分割して滞在を許されるかだ。そして、大半のランツクネヒトは、史実と違って大きな戦での合流がなければ、少人数で行動している。曠野において十人分の糧食と薪、住処の都合はかなりの難事であるし、殆んどの村落にとっても馬鹿にならない負担であった。
傭兵団を大きく成長させるか。さもなくば名の知れた一党に加入するのは、大概の傭兵の望むところであるも、名の知れた団ほど古参を大切にし、安定した仕事に死傷者は減り、当然に少年少女の頃から仕込んだ従兵や従卒らに世代交代を担わせる。
結果、ヒルダのような十人足らずの小規模徒党は、仕事に事欠き、時には日雇い仕事、時には商人の護衛、そして家畜泥棒や畑荒らしに農場からの略奪と言った盗賊稼業で糊口を凌ぎながら曠野を放浪する羽目に陥っている。ランツクネヒトが定住民に嫌われる所以だ。
だから、傭兵たちは辺境地帯や自由都市を好んでいる。小競り合いが絶えない危険な辺土は、一丁でも多くの銃と一振りでも多くの剣を欲しているし、都市には多くの雇い主がいて絶えず人手が求められ、戦力や護衛の需要に応じて日々の糧を得られる。都市や辺境では傭兵や冒険者、牢人たちは比較的安定した報酬と生活の保障を手にできる一方、戦闘や襲撃における死傷のリスクも常に伴っていた。
やはり都市は良い、とヒルダは思う。大型居留地であれば、廃市街やら貧民窟の安宿に潜り込めもするが、ズールほどの都邑になれば、もはや隠れ潜む必要さえなくなる。弱小徒党が幾つか入り込んだとて、軍隊を抱えた都市をひっくり返したり、乗っ取るなど到底、出来る筈もない。結果、小さな徒党には自由な出入りが許される多くの自由都市が、傭兵たちの根城と化していた。時に衰退した都市が数多の傭兵や無法者に寄生され、割拠する悪党の楽園となる事もあるが、それもまたよしだ。
大広場には同業者の傭兵や無宿者《ノークォーター》に、物々しい鎧をまとった略奪者《レイダー》の姿さえも見かけられた。食べ物の露店や屋台も数多く並んでいる。食欲をそそる獣脂と香辛料の混ざった焼き飯の匂い。焼けたばかりのパン。乾燥させた河魚。瑞々しい果実。隅の方では、鉄の大釡に豆が煎られている。豆が焼ける芳ばしい香りが一際、ヒルダの食欲を刺激した。相当に評判がいいか。或いは、匂いに誘われたか。見れば絶えず客が入っている。
スリに気を付けつつヒルダも列に並んだ。男と同じくらいの長身にツヴァイヘンダーを背負い、切れ目の原色シャツとズボンは、一目でランツクネヒトと見て分かる派手な装束。周囲の者らは、嫌な表情を見せながら、やや遠巻きとなった。
客層を観察すれば自由労働者や行商人に農民、職工。紡績工場の労働者なども並んでいる。持参した入れ物に焼き豆を入れてもらう客もいれば、大きな紙袋で買い込む者もいる。広場の外れでは、従者や徒弟、下級の召使といった身分の低い者らが石垣に座り込み、袋の豆を分け合っていた。地位の高い者に仕えたり、大農場、商会、工房などで働く彼ら彼女らは、賃金は雀の涙ほどの代わりに食事や寝床の提供を受けている。曠野は厳しい土地だ。野垂れ死にと背中合わせの自由を生き抜くもよし。束縛されようとも、都市での安全な日々を選ぶもまたよし、だ。
ヒルダは、袋一杯の豆を買った。都市紙幣と小さな銅貨で支払いを済ませる。群衆にも多分に、ひったくりの小僧や巾着切りが混ざっていようが、ランツクネヒトを狙うものは余りいない。曠野の傭兵の大半は、あっさりと殺し、無造作に鉄火場へと赴く。特にランツクネヒトは命の軽い傾向が強いと風評を得ている。それでも食い詰めれば、イチかバチか狙ってくる愚か者も出るだろう。今のように。
ヒルダの背後で、悲鳴が上がった。マントを羽織った女――部下のカリンが、小汚い小僧の―少年か、少女かは分からないが――腕をひねり上げていた。
「ヒルダ姐さん。財布狙われてたよ」カリンに、ヒルダは「ああ」と頷き返した。
「違う。おいら、豆を見ていただけだよぅ!」哀れっぽい悲鳴を上げながら、小僧が訴えかける。
「手を伸ばしておいて、なに言ってやがる」とカリンが毒づき、「本当かい?」ヒルダが尋ねると同時に、小僧の腹は大きく鳴った。嘘か、真かは分からないが、なんとなく面白くなったヒルダは、クックッと笑って「放してやれ」とカリンに命じた。
広場の端の石階段に腰を下ろしながら、ヒルダは小僧に向かって「お前、地元の人間かい?」尋ねかけた。
ランツクネヒトに囲まれながらも「ズール生まれのズール育ちさ。そこら辺の田舎者とは違わぁ」豆を貪りながら、小僧が太々《ふてぶて》しい頷きを返してくる。顔にはまだ素直さが残っている年齢だが、薄汚れた肌や服装には、見るからに街路暮らしの年季が入っている。
持ち歩いてる白鑞《ピューター》の皿に豆を山盛りに載せる。小僧があまり美味そうに豆を喰ってるので、ヒルダも口に運んだ。程よい堅さの淡白な味わいに塩味が効いて、これは飽きない味だと感心した。
「何か面白い話を聞かせな。そしたら、見逃してやるよ、小僧」ヒルダの言に「ただで聞かせろって?」小僧が鼻で笑った。
「痛めつけても良かったんだよ。図々しい奴」マントの女が脅かすが、苦笑したヒルダは銅貨を取り出し、「話次第で小遣いもやる」と指で弾いた。
「銅貨かよ」器用に受け取りながら文句を言う小僧だが、銅貨は大切そうに懐の帯の下にしまうのを見て、ヒルダは薄く笑った。
「面白けりゃあ、もう何枚かやるよ」