北口の町はずれでは、なおも
瓦礫と人間と巨大蟻の死体が転がる街路に甲高い悲鳴が上がった。
古い廃墟の柱へと昇った女性だった。獲物を捉えようと群がる巨大蟻共が、女性の逃げ込んだ木柱の根の部分へと巨大な顎で食らいついた。錯覚かも知れないが、まるで鋭い斧のように木片を削っていく。同時に、生き残った住人たちからの砲火が、群がって一塊となっている蟻共に降りかかった。
長時間の戦闘に残り乏しくなった弾薬や矢には、兵隊蟻を怯ませる程度の力しかなかったが、僅かとは言え効果を発揮したのはクロスボウで、さしもの兵隊蟻ですら、数本が突き刺さった個体は耐えきれずに地面へと崩れ落ちた。兎も角も、それで稼いだ僅かな時間の間に、女性は隣に聳える廃墟にぶら下がった縄に手を伸ばして乗り移ることができた。
都合よく縄が窓からぶら下がっているものだが、或いは誰かが作っておいた出入り口かも知れない。いずれにしても、
「……弾は?」隣の窓に陣取っているマスケットの射手に声を掛けた。
「あと、三発。その後は、肉弾戦だな」先込め式マスケット銃の銃口に槊杖《ラムロッド》を突き入れて、次弾を込めながら報告する。
顔役の男は、鼻で笑うと、窓口に顔を突っ込みながらくたばっている巨大蟻の頭から、手斧を引き抜いて腰へと吊るした。
手元のマスケットも、弾切れが近い。その後は、手斧で戦うしかないだろう。
「回収できるものは回収しておけよ。特にクロスボウをな」指示を出すが、果たして怪物にはでかい穴を開けるクロスボウが有効なのだろうか。
貫通力の強いライフル弾はあっさり貫通する為に、生命力の強い獣には却って効果が薄いと言う説もあるようだが、効果があろうがなかろうが、兎に角、手元にある武器でも石でも用いて死に物狂いで抗戦しなければならない。対象の肉体の傷口を広げるダムダム弾など、あればどれほど重宝するだろう。
だが、現実に彼らの手元にあるのは、弾切れ寸前のマスケット銃とクロスボウ、弓、粗末な槍に棍棒、ゴルフクラブにクリケットバット。男盛りを過ぎた者たちには、肉体の酷使に呻いている者もいた。
「こりゃ、明日には筋肉痛だな」などとぼやいている壮年の男もいるが、しかし、建物の奥には、逃げ遅れた女子供たちも籠っている。幸いにも、顔役の娘はここには居なかった。他の子供たちを連れて、防壁の内側に避難している筈だ。それだけで顔役の男は、まだまだ頑張ることが出来た。しかし、他の連中は、長時間の戦闘に疲労も蓄積し、士気も落ちているようにも見える。
「……壁近くの連中のようにサッサと逃げた方が利口だったかもしれんな」
クロスボウ。それも決して大型ではなく弦も弱い小型のそれを抱えた一人が、窓の外を睨みながら愚痴のように弱音を漏らした。
壁近くの住人たちもエアライフルやマスケット、クロスボウなどを駆使して緒戦をかなり勇敢に戦っていたが、尽きる様子のない巨大蟻の侵入を前に、算を乱して奥へと逃げ出していった。今頃、巨大蟻のいない箇所の防壁を乗り越え、居留地から遠ざかっているかも知れない。それでも、一時間近くは肩を並べて戦っていたのだ。
「連中は、十年以上もポレシャで働いて、銀貨や都市通貨の蓄えも持っている。他所でもなんとかやっていけるだろうよ」顔役の男は苦笑した。
壁外のお粗末な小屋や天幕とは言え、壁近くの住人たちは家も持っていた。それを捨ててもなお命の方が大事だと、ポレシャから逃げても生きていけると判断できるその生活のゆとりは羨ましく思えた。
「だが、俺たちは冬越えの余裕もない。ポレシャが滅びたらお終いだ。だから、此処で踏ん張るしかないのさ」顔役の男は苦々しくも、何処か開き直ったように明るい口調でおどけるように言った。
巨大蟻も数匹を仕留めて少しは楽になるかと思いきや、北の木柵の向こう側からさらに二、三匹の働き蟻が入り込んでくる。質も量も削ったとはいえ、こうも度々、増援に来られては、不利になるのは矢玉を消費する一方の防衛側ばかりだった。
見れば、巨大蟻どもは死んだ蟻に群がっていた。肉団子に加工して巣穴へと運び出し、それを女王や蛹が食べてふたたび巨大蟻を産み育てるのだ。
苦労して倒しても、時間が経てば新手が現れる。まるで性質の悪い永久機関だと誰かがぼやいた。
「……ふざけた話だなぁ」
「気味の悪い怪物だぜ。まったく巨大蟻ってのはな」
「飼いならしている遊牧民もいるって聞くぜ。俺は見たことがないがな」
「ゾッとしないぜ」
口々にぼやいている渡り人《オーキー》たちに、顔役の男が指示を飛ばした。
「窓のバリケードの立て直し。クロスボウも近くの蟻から回収できるのはしておけ。
それと何か暖かいものを腹に入れておくんだ。今のうちにな」
これが小なりとも居留地の民兵であったり、
ポレシャの民兵だか、守備隊だかが採用しているのは、木製の太いボルトを撃てる大型クロスボウで、巻き上げにかなりの力はいるものの当たれば恐ろしい威力を発揮する。精度や射程よりも威力を大幅に優先した物騒な代物で、怪物相手の籠城を想定しての装備だろう。そんな大型クロスボウが幾つ配備されてるかは分からないが、居留地《ポレシャ》が簡単に落ちるとは、だから、顔役の男も考えていなかった。
ところが、どうにも民兵たちは苦戦している。あっさりと防壁内部にまで攻め込まれて、一時期は応戦する銃声もかなり乏しくなっていた。
(見誤ったかね……俺の眼も曇ったものだ)顔役の男は苦笑を浮かべた。
今は、かなり盛り返したようで激しい銃声が響いてくるが、巨大蟻は続々と内部へと向かっている。居留地《ポレシャ》が持ちこたえられるかは、顔役の男にも分からない。
「しかし、妙な言い方になるが……随分と手慣れてるな」
背中から掛けられた声に顔役の男は振り返った。名前も知らない自由労働者の若い男が、やや小ぶりの両手用クロスボウに鉄製の鏃を嵌めている。
「なにがだ?」怪訝そうな顔役の男に、窓際に寄りかかりながら、自由労働者の若い男が語り掛ける。
「あんたが指揮を執ってなかったら、もうちょっとやられてた。どこかで軍人でもしてたか?」
言われた顔役の男は、苦笑を浮かべた。
「住んでた居留地が襲撃されたのは、これで四度目だ」
曠野の生活には、珍しい事ではなかった。
「それは随分……少ないな。俺は七度目だ」
自由労働者の若い男がにやりと笑って言った。
「正直、逃げ出す羽目に陥るのは、前回ので最後であって欲しいがね」
会話を耳に挟んだ近くの
「これが終わったら、どこかでかい町の壁ん中に引っ越したいものだよ。
それを切っ掛けに窓際で巨大蟻を睨みながら、町はずれに暮らす
「でかい町って何処だよ。ポレシャよりでかいとなると自由都市《ズール》か?」
「自由都市《ズール》の壁のなかで暮らしたい、か。そりゃ誰だってそうだよ」
顔見知りもいれば、まったく交流のなかったものもいる。新顔もいれば、古参もいるだろう。今は運命共同体として小さな建物で怪物と対峙していた。
「もう少し金を貯めたら、自由都市の正規の居住権を買うぜ。俺はよ」
一人の男が言った。
「居住権を?流れ者に買える金額じゃないだろう」
「そこは伝手があってな」男は言い張った。
「こいつ。もう何年も、同じことを言ってるじゃないか」
「いやいや、ホントだって。きちんとした商会との契約でアパートが空いたら」
数人が明るく笑った。変異獣《ミュータント》の群れすら重機銃で薙ぎ払う都市の防壁内で眠れたら、どれほどいいだろうか。安住の地を求めて彷徨う
軽口を叩きあうことで、
「……戦況はどうなってるのかな」自由労働者の男が先にそう言った。
一瞬、沈黙が広がった。顔を見合わせるものもいる。誰もが戦況を気にしている。
「民兵たちの頑張り次第だな」顔役の男はそう答えてから、奥に固まっている暗い人影を一瞥する。
「女と、子供だけでも逃がしてやりたいものだが」
「……俺たちも最後は逃げ出す羽目になるかも知れんな。そうなったら最悪、流民に逆戻りか」自由労働者の男が面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「銃声は増えているから希望はある」
窓辺で耳を欹てながら、顔役の男は頷こうとしたが、ふと、巨大蟻の姿が減っているのに気づいた。それにさっきよりも心なしか、銃声も近づいてきているか?
窓から身を乗り出してみる、と、間違いなく銃声が近づいてきているように思えた。すぐ目と鼻の先の曲がり角から戦闘の響きが聞こえてくる。
「おい!応援が来たかも知れんぞ!」
言って数分もしないうち、街路の端で巨大蟻にクロスボウが突き刺さった。
いつの間に回り込んだのか。横合いの廃墟から、街路の巨大蟻の列目がけてクロスボウと弓の斉射が行われた。
七、八本のクロスボウがいずれも巨大蟻へと突き刺さり、巨大蟻が耳障りな悲鳴を上げた。数人の民兵が物陰から現れると、転がった巨大蟻からクロスボウを回収し、ふたたび装填している。再び巨大蟻が接近してくると、また隠れて斉射を繰り返している。数が揃うと、飛び道具は全く段違いの威力を発揮してくる。
「おう、素敵な永久機関だな」巨大蟻の怪物ぶりに手を焼いていた渡り人《オーキー》が歓声を上げた。
もがいている巨大蟻を踏み越えて、巨大蟻の列が民兵へと殺到した。
先頭には、兵隊蟻の姿も混ざっている。流石に逃げ出したクロスボウの民兵を追いかけ、十字路に差し掛かった巨大蟻どもに後背からさらに銃火が浴びせられた。
夥しい発砲音に混乱したか、動きを止めた巨大蟻に斜め後背からエアライフルが浴びせられ、さらに再装填したクロスボウの民兵たちが再び斉射を食らわせる。
民兵たちは巨大蟻を取り囲むように、かつ味方が射線へと入らないように標的の12時、04時、08時の位置を保持して銃火や矢玉を浴びせかけた。分隊はいずれも、よく訓練された動きを見せていた。真正面から巨大蟻と戦うのを避けて、接近されれば後退し、障害物や高低差を巧みに使って一方的に攻撃を浴びせ続けている。
三隊に別れた民兵たちに半包囲された巨大蟻たちは、獰猛に突き進むもいいように翻弄され、次々と地面へ崩れ落ちている。
「此方も打って出るか?」渡り人の一人が問いかけた。
「いや、やめておけ。向こうの位置からだと、此方は巨大蟻の後ろで射線にでる。
それよりも今のうちにクロスボウを回収しておけ」
顔役の男の言葉に頷いて状況を見守っていると、程なく街路に蠢いていた巨大蟻どもはほぼ一掃されてしまった。
追い詰められていた渡り人《オーキー》や女子供までが喜びに沸き立つ中、出入り口ですれ違いざまに自由労働者の男が頷いた。
「どうやら、逃げる必要はなくなったようだな」
顔役の男もにやりと笑い返すと、街路へと飛び出した。
群衆が助かった喜びに沸き立つ中、民兵でただ一人、青い制服を着こんだ将校が部下たちに資材を運ばせていた。
「北口を封鎖するぞ!日没まで時間がない。急げ!」
カートに運ばれてきた麻袋や木材を用い、破られた木柵の背後に急ぎ、土嚢などを積み上げて出入り口を補修していた。
「俺たちに出来ることは?」
近づいてきた顔役の男を見て、民兵の将校はすぐに頷いてきた。
「老人や女子供は、作業を手伝ってくれるとありがたい。
まだ戦えるものがいれば、外からやってくる蟻たちを始末してくれ」
「すぐに手配しよう」
渡り人《オーキー》の顔役は了承すると、仲間に怒鳴った。
「聞いたか!スタン!」
「了解だ!シャベルを借りるぞ」
素早く作業に掛かり始める渡り人《オーキー》たちに混ざろうと、顔役の男が歩き始めた時、将校が何かを言い淀んだ。
「それと纏まった蟻は大方片付けた筈だが……内部に散った蟻どもを片付けるのは、後回しになる」
まだ追われているものや、閉じ籠った場所で追い詰められている者はいる。だが、顔役の男は平静を保ったまま言った。
「分かった。他にはないか」
民兵の将校は、この際、要求できるだけはしてみようと考えたのか。応援を要請してきた。
「弾薬に余裕があるならでいいが、南に何人か廻してもらえるか?まだ壁の内側で戦闘が続いている。侵入口を奪還しないとならん」
手元のマスケット銃を握って、顔役の男は頷いた。
「俺が行こう。殆んどは弾切れだが、数人は弓やクロスボウを持ってる奴がいる」
朽ちたビルの谷間にいようとも、日暮れが近いのは風の冷たさで感じ取れた。
防壁へと引き返す民兵の分隊に混じって南へと向かう道中、顔役の男は大通りで破られたバリケードを目にした。初期段階で巨大蟻の浸透阻止に失敗した痕跡も残っていた。地面には壊れた武器が転がり、彼方此方にどす黒く変化した血痕が付着している。
(……逃げた訳でもなかったか)
今は真新しい巨大蟻の死骸が転がり、幾人もの民兵たちが駆け抜けていく街路の血だまりに、小さなウサギの人形が転がっていた。
持ち主の姿は何処にもない。顔役の男は瞑目すると、マスケット銃を強く握りしめて歩き出した。