※題名は18.5ですが、26話です。
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ポレシャの南防壁には、昇降用のゴンドラが設置されていた。壁の外が開拓されるにつれ、防壁内の住人が南に広がる農地と往来する際、あまりにも遠回りとなったために備え付けられた昇降機で、山羊や羊のような小型の畜獣や荷物も運べる積載量を有している。とは言え、動力は人力である。中世で用いられていたクレーンと同様、ハムスターの回し車のように巨大な輪《ホイール》に人間が入り込んでワイヤーを巻き上げる仕組みである為、あまりにも重いものは運べない。
その為、積載量としては一度に二、三人を乗せるのが限界であるが、それでも平素であれば充分に役立っていた。態々、家まで三十分も歩かないで済むだけでも便利と言えたし、急ぎの時には別に縄梯子を降ろしてもらえる。そうでなければ、順番待ちしてる間に、お茶でも飲みながら世間話でもしていればよかったので、今以上の性能も求められなかった。牛や馬など大型の家畜や大きな荷物などは別途、滑車を用いたクレーンで数人がかりで吊り上げている。
防壁の一部を構成する高層廃墟には見張り台が設置され、怪物や略奪者《レイダー》の接近時には、鐘を鳴らして短時間で民兵が呼集される仕組みとなっている。
そうして大型クロスボウの射手が五、六人にライフルマンが二、三人も駆けつければ、防壁から降り注ぐ弾雨は、それだけで大抵の賊や怪物を近寄らせもしなかった。
巨大蟻が押し寄せてきた時も、農地で働く人々が避難する時間は充分に稼げる筈であった。農地には囲いが築かれて多少の足止めは期待できたし、農民は銃火器で武装している。万が一、手に負えない規模の群れであっても、防壁から降り注ぐ大型クロスボウの援護射撃は、群衆が避難するまで充分な時間を稼げるはずだった。
想定を越えていたのは、巨大蟻の数だけではなく動きもであった。押し寄せてきた巨大蟻は南北に伸びた横列を構成していた。蟻の群れは、居留地に対して南側が突出するように斜線を描いており、農民の抵抗に遭いながらも、列の南端の巨大蟻は避難する人々の逃げ道を塞ぐように北へと回り込んだ。
取り残されたのは、南の農地で働いた人々だった。素早く東の出入り口へと向かった人々と、早めにゴンドラで避難した人々以外は、三方を巨大蟻に囲まれた挙句、ゴンドラに乗ろうと殺到し、縄梯子をも奪い合う羽目に陥っていた。
女子供から最優先でゴンドラに載せていたが、巨大蟻が突っ込んでくるともはや混乱で収集が付かなくなっていた。五人も六人も強引にゴンドラに乗り込んでくる為に、人力回転輪の出力では稼働させられない。
「乗り過ぎだ!動かん!何人か降りろ!」
防壁の上からゴンドラの作業員が叫ぶが、ようやくゴンドラの上に乗った人々は半狂乱で罵りあっている。
「ゴンドラから降りろ!」
「うるせえ!誰が降りるか!」
言い争いが起こり、隅にいた女が突き飛ばされる。殴り合いが始まり、体躯に劣る男が相手を睨みつけた。引き抜かれたナイフが煌き、相手の男が崩れ落ちた。
下に降りて、誘導に当たっていた民兵が咎めようとするが、ギョッとする。
小柄な男は、獣めいた凶相を浮かべ、口の端から泡を吹きだしていた。他のものも泣き叫んでいる。
「早く上げてくれえ!」
「上げろ!」年長の民兵が指示をする。
「しかし!」若い民兵がうろたえるも、年長の民兵が断固として命令する。
「いいから上げろ!そこの男は牢に入れておけ。騒乱罪だ!」
ゴンドラがゆっくりと上がり始めた。周辺の農地からは断続的に発砲音が響いてくる。巨大蟻に対して攻撃を加え続けているのに、段々と銃声が迫ってきている。人々は恐怖で発狂しそうになっていた。先に縄梯子を昇ろうとするものの足を掴んで、引きずり降ろそうとする女までいる。
百人を越える群衆に遅々として退避は進まなかった。南防壁では出入りできる箇所が、ひどく限られている。一カ所に足場が作られている他は、頑丈な防壁が何処までも伸びており、数カ所を背の高い廃墟ビルを取り込んでいたが、窓や路地などは木材や廃コンクリート、鉄板を用いて入念に封鎖されていた。変異獣《ミュータント》や略奪者《レイダー》が押し寄せてきても、易々と侵入できないように改築されていたのだが、避難時に人が押し寄せてくる事など想定していなかった。
再びゴンドラが降り始めると、人々が手を伸ばした。
「俺は刺されたんだぞ!」
「待て!女房を乗せてくれ!妊娠しているんだ!」
群衆が叫んだ。大半は働いていた労働者だが、避難してきた近隣の村人や廃墟の住人たちも幾らかは混じっている。ポレシャの防壁に逃げ込めば安全だと、荷物を持って避難してきたのだ。
「順番だ!待て!次のゴンドラに載せてやる!」民兵が怒鳴っている。
「次に女を載せろ!」と年かさの民兵が指示を出したところで、人混みの後方から悲鳴と怒声が響いてきた。
武装農民と民兵が散兵線を形成して巨大蟻を押し留めていたが、遂に止めきれない巨大蟻が銃火を突破して、防壁の間近にまで到達してきた。
「うお!なんかでかいの突っ込んで来るぞ!」
「止めろ!」
防壁上の民兵から射撃されたクロスボウが突き刺さるが、大型のボルトが突き刺さっても揺らぐ様子がない。それまで撃ち漏らされてきた巨大蟻は大半が働き蟻か、兵隊蟻で、かなり損傷していたのが、或いは、ついに防衛線の対処能力が限界を迎えたのか。ほぼ無傷の戦士蟻が人混みへと突っ込んでくる。人々は必死に逃げ惑い、しかし、その為にさらに混乱が波及した。縄梯子を登っていた人間が、焦り過ぎて防壁の内側へと転がり落ちた。
「止まらん!」
防壁の上でクロスボウを構えていた民兵が呻いて射撃を止め、ゴンドラへと乗り込んでいる人々へと警告した。
「ゴンドラ上げろ!急げ!……間に合わん!逃げろ!逃げろ!」
人力を動力としている昇降機は、中世のクレーンのように輪の中に人が入って動力源として動かしている。機械ほどにとっさに止めたり、動かしたりは出来ない。
「早く動け、早く……」
ゆっくりと動き始めるゴンドラを、防壁の上からじりじりして見るが、あっという間に距離を詰めてきた戦士蟻がゴンドラへと乗り上げる。
ゴンドラから逃げ遅れた女性が顎に捉えられ、腰から真っ二つに割かれた。発狂した男性が殴りかかって、巨大蟻の顎に太腿を突き刺されて絶叫した。
凄まじい苦痛の咆哮に、悲鳴を上げて逃げ惑う者もいれば、棍棒やシャベルを手に巨大蟻へと向き直るものもいた。
無傷の戦士蟻を境に、次々に群がってくる巨大蟻の群れ。若干の気の利いたものは、防壁外に聳え立つ廃墟や納屋に逃げ込んだかも知れないが、助かるかどうかは全く運次第だろう。弾薬が降り注ぐも、戦士蟻の外殻は分厚く、効果は限定的であった。エアライフルなど至近距離でさえ正面からでは弾かれてしまう。
「もう無理だ」それを見て、今まで戦っていた居住者が吐き捨てた。
『早く撃て』と、マギーの警告をシエルは取り合わなかった。伝令を走らせて騒ぎ立てたとして、仮になんでもなかったらどう責任を取ればいいのか。
もし、何事もなかったら、厳格な祖母に雷を落とされるのは間違いない。ならば、何もしない方がマシだった。
何匹かの巨大蟻が見えてからも、弾薬が勿体ない。他の農民の誰かが発砲して撃退してくれるかも知れないなどグズグズと理由を付けて躊躇った。
まあ、無能の言い訳でしかない。
祖母に枝の鞭を喰らうのが恐かったのだ。五分、十分と様子見をして、洒落にならない規模の襲撃とようやく悟った時には、他の武装農民たちも発砲し始めていた。
あの時、すぐに伝令に走らせていたら、多少は犠牲者も減っていただろうか。
「お嬢!もう持ち堪えられませんわ!」
シエルの傍らで棍棒を振り回しながら、使用人のレオン爺さんが喚いた。白髪だがかくしゃくとしている老人で、襲撃の騒乱の中で真っ先にシエルのもとに駆けつけてくれた。
逃げ惑う群衆と暴れまわる巨大蟻の混乱の中、爺さんは強引に突き進むと、無人となったゴンドラへとなんとかたどり着いた。
「こりゃ、多分、巨大蟻の巣別れです。斥候かも知れんが……ええい、性質の悪い!」言いながら、近寄ってきてきた働き蟻を棍棒で殴りつけるが、大して効いた様子もなく伸し掛かってきた。
頭を掴んで、カチカチと鳴ってる巨大な顎を近づけまいと頑張る爺さんを助けようと、ハンティングライフルを構えるシエルだが、爺さんが足で働き蟻を思い切り蹴飛ばした。ひっくり返った巨大蟻はすぐに姿勢を整えるも、見知らぬ男が助けに入って蟻の腹に横合いからピッチフォークを突き刺した。
そのままシエルをゴンドラへと押し込ぶと、レオン爺さんは息せき切って叫んだ。
「わしらは旦那と東へと向かいます!なんとか抜けたら議事堂で!」
「分かった!」応じたシエルは、愛犬を抱えて右往左往してる召使い娘ジョーの腕を引っ掴んで、ゴンドラへと引っ張り込んだ。
「上げて!」シエルが叫ぶと、防壁の上でゴンドラ係が頷いた。
ゆっくりとゴンドラが上昇するが、それと気づいた近くの数人が寄ってくる。
「俺を載せろ!」「乗せてくれえぇ!」
三人、四人とゴンドラに次々と飛び乗ってくるので、ゴンドラの動きが停止してしまう。
「六人は、重すぎるんだ!」誰かが悲鳴を上げた。
巨大蟻が地べたを這いまわる中、乗り込んできた男の一人がとち狂って、ジョーの腕を掴んだ。
「お前、降りろ!」
悲鳴を上げたジョーがゴンドラの鎖に抱き着いた。
「その娘から手を放せ!」
狼藉を働いた男へシエルが銃を向けると、横合いから女が飛び掛かってきた。
「銃を寄越しな!」
掴みかかってきた女も死に物狂いか。異様な力でシエルを押し倒して来た。
揺れるゴンドラの片隅、防壁の上で射手がクロスボウを構えているのがシエルの横眼に見えた。
慎重に狙い定めている。出来るだけ動かないで済む体勢を取りながら、シエルは射手が狙いを外さないように祈った。
重い射出音。分厚いボルトが女を側頭から撃ちぬいていた。
女の顔が割れて内容物が零れ落ち、シエルの顔に液体が飛び散った。
痙攣しながら呻いてる女を突き飛ばすと、シエルは召使いに襲い掛かってる男の脇腹に銃口を向ける。
「ま、待て……ッ」叫んだ男に向けて、容赦せずに引き金を引いた。
乗員が四人まで減ったゴンドラが、再び動き出した。なんとか防壁まで上昇した途端、大人しくしていた残り二人が、喚き声を上げて転げ落ちるようにゴンドラから飛び出していった。
シエルは、顔に付着した血液や体液をハンカチで拭き取った。
ゴンドラの片隅で腰を抜かし「お嬢さぁん」と情けない声を上げてるジョーの腕を掴んで引っ張り出すと、ようやく防壁に降り立つことができた。
民兵たちの邪魔にならないように防壁の隅に移動すると、群衆のなかに家族や知己の姿を探したがまるで見当たらない。ただ巨大蟻どもだけが、諦めも悪くゴンドラの真下をうろうろと徘徊し続けていた。
「壁にとりついたぞ!」シエルの真横で民兵が叫んだ。大型クロスボウを構えようとして舌打ちする。クロスボウは真下には撃てない。
ポケットから弾薬を取り出したシエルは、狩猟用ライフルに32口径ACP弾を装填して防壁へと向かった。
引き読めようというのか、召使いのジョーがシエルの袖を引いてきた。
「お嬢さぁん……」犬を抱えて情けない声でへたり込んでる召使いに、壁の内側を指さして冷たく告げた。
「そこで待ってなさい」
防壁を守る民兵たちにも若干の驚きはあったが、焦りは見えなかった。四メートルを越える防壁は、おおよそ二階建ての屋根の高さにも匹敵する。地を這う巨大蟻どもが何をどうしようとも、壁を乗り越えてこられるはずもなかった。
しかし、いかな本能のなせる業か。ゴンドラの真下へとやってきた巨大蟻どもは、そこが防壁唯一の出入り口だと知ってるかのように、仲間を踏み台にして触角を不気味に揺らめかせていた。防壁を這い上がろうとでもするかのように、何体かの蟻が梯子のように積み重なってくるが、精々が三メートルと少し。
民兵が散弾銃をぶっ放すとあっさりと崩れ落ちた。
「下手糞な組体操だな」嘲った民兵たちは銃やクロスボウを構えると、腹を晒してもがいてる巨大蟻ども目掛けて次々と発射した。降り注いだ矢玉を前に、巨大蟻どもが逃げ散って、笑い声が響き渡った。
「よおし!ゴンドラを動かせ!」
再び降ろされたゴンドラに数人の群衆が乗り込んだ。
二度、三度と壁の中に順調に避難させていた矢先、ふたたび、巨大蟻どもが這い寄ってきた。
「もう一度、追い散らしてやれ!」
クロスボウが発射されて、巨大蟻の顎に抱えた茶色い塊へと突き刺さった。
「……は?」
「あいつら、土の塊を盾にしてる!」
巨大蟻どもは、ゴンドラの真下へと次々、土の塊を積み上げ始めた。
巨大蟻どもが抱えていた土くれは、曠野の地面と明確に色合いが異なっていた。
ふざけんな、とシエルは叫んだ。手間暇かけてふかふかにした農地の表土を、価値も分からない巨大蟻が容赦なくどんどん掘っては運んできて積み上げてくる。
シエルは32口径ACP弾を狩猟用ライフルに込めて発射した。先刻のように目と鼻の先に密集してる群体を狙えば外すこともないが、残念ながら土くれを盾にした巨大蟻の大群相手には、焼け石に水だった。
「……畜生!畜生!」
どんどん積み上がっていく土の山に、梯子になった巨大蟻が噛みついたゴンドラが大きく揺れていた。
「ゴンドラが食い破られる!もうだめだぁ」
ゴンドラに乗った人間が叫んで、地面に飛び降りたところを巨大蟻に喰いつかれた。
「鉄製だ。落ち着け!」民兵が叫んでいる。
ゴンドラを上げるのは無理だった。人間たちに加えて巨大蟻が何匹もゴンドラに乗り込んで、回転輪が逆回転してしまう。
引き下げられたゴンドラの上で惨劇が繰り広げられ、防壁の真下でも巨大蟻が団子状に群がって、梯子のように積み重なり、迫ってくる。砂や畑の土を運んできて積み上げてきている。
「ヤバい。登ってくるかも」あまり付き合いのない女の民兵がそう呟いた。
民兵の一人が有り得ない!と怒鳴りつけた。南の防壁は四、五メートルはあるのに。かなり高い。二階建ての屋上くらいある。
変異獣《ミュータント》の群れや略奪者《レイダー》の徒党にも破られたことのない南防壁が、たかが虫けらに破られる筈がない。そう言った民兵自身が、破られることをどこかで予期していたのだろう。表情をひどく強張らせていた。
土の小山は、信じられない速度でどんどんと高く積み重なっている。完成を阻止しようと、ひっきりなしに銃声が響き渡るが、盾のように随伴している戦士蟻には大概の弾が弾かれてしまった。
元が拳銃弾の32口径ACPでは威力が足りないのか。分厚い外殻の戦士蟻は狩猟用ライフルの至近弾すら揺るがない。
「……化け物どもめ」誰かが呻いた。
散弾銃を抱えて飛び込んできた民兵が乱射して退けるも、それが一時の事でしかないのは明白だった。
一時間もしないうちに土の道路は、ほぼ防壁に届くまでに高くなり、巨大蟻どもが梯子になって乗り込んで来ようとしている。
「弾切れだ!弾薬箱ここに持ってこい!」
「駄目だ。弾薬箱は空っぽだ」
「保安官事務所にまだいくらかある筈だ」そして民兵たちは、阻止しようとした乱射であまりにも多くの弾薬を浪費し過ぎていた。
ついに信じられないほど巨大な戦士蟻が、その凶悪な腕を防壁に引っ掛けて乗り越えてきた。
「ポレシャにようこそ!こいつはあたしの奢りだよ!」
息を切らしながら駆けつけてきた屋台の女将が、片手鍋から煮えたぎった油を戦士蟻へと掛けた。
「……効かないかね」女将が呟いて、年嵩の女民兵の一人が親しげに肩を叩いた。
「いや、効いてる。効いてる」
戦士蟻がバランスを崩して外壁へと転がり落ちると、民兵たちは快哉を叫んだが、それが一時しのぎでしかないことは誰にも分っていた。
シエルは低い呻き声を漏らした。外から次々と群がってくる巨大蟻を阻止することは、不可能にも思えた。
【記号説明】
・■:蟻の陣形
・→:蟻や農民の移動方向
・農:農民の位置と動き
図1
(居留地南端)
壁壁壁弩壁弩壁壁
■ ■ 農
■■ →
■ → 農
■ →
■ →
■ →
蟻は南北に長い列、かつ南側に突出した形の斜線陣で西から寄せてくる。
図2
壁壁壁弩壁弩壁壁
■ ■ ☆農
■ 農→
■ ☆農
■
■ ■→
武装農民が反撃。蟻の侵攻を留める。一部農民は、東へと逃走。
南端の蟻は、遮るもののないまま東へ前進。
図3
壁壁壁弩壁弩壁壁
■ ■ ■ 農 ■
■ 農 ↑
■ ■ ■
■
南端の蟻が北へと廻り込み、農民たちが退路を遮断された。