黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_72 冬の足音

 風が骨まで染み入るようだ、と旅籠の広間で隅の絨毯に腰かける行商人がぼやいていた。

 尖塔の見張り台へと繋がる螺旋階段に腰かけるマギーは、暇潰しに外を眺めていた。冷たく乾いた風が、揺れる窓から隙間風となって頬を掠める。硝子窓の彼方には、茫漠とした赤と灰色の地平が何処までも続いている。

 枯れた灌木や色褪せた茂みの狭間を黒い影が彷徨っていた。野犬やコヨーテの群れが腹を空かせて彷徨っているようだ。見張りが銃を撃つと、四散して逃げ散った後、立ち止って遠吠えしていた。

 応えるように、灰色狼が何処か遠くで咆哮している。或いは、あの群れも灰色狼かも知れない。道中、一度ならず、襲われた旅人の亡骸を目にした。

 

 

 巨大蟻が腐肉を漁る音が耳にずっと残っていた。銃や槍、剣を携えた複数の旅人の一団を仕留めるほどの野生動物は、熊を除けば、辺りでは灰色狼の群れくらいだ。

 それを考えると、やはり狼退治を行えるポレシャの騎士団は大したものなのだろう。

 

 遠くからは屍者や変異獣の遠吠えや低い唸りもかすかに届いてくる。荒れ果てた冬の街道筋に、最後の稼ぎ時と盗賊団も跳梁跋扈しているが、旅籠の庭先の大樹からは、警備隊に掴まった盗賊の死骸が怨みを指差すように揺れる鉄の檻から腕を突き出している。

 時折は、通りすがりの木立や丘の陰から、浮浪傭兵や無宿人の影もちらりと見えれば、旅人たちは息を潜めつつ足早に進むしかない。美しく、同時に危険な年末の街道に、雪はまだ積もっていないものの冬の気配は徐々に濃密に迫ってきていた。

 

 みぞれめいた冷たい暴風が吹き荒れて、旅人たちは数日の足止めを余儀なくされていた。冬の街道上で足止めを受け、金が足りなくなった旅人たちの末路は推して知るべきだろう。

 行き倒れが増える所以であるが、冬の街道を旅をする者は元より多くない。近隣の農民や馬借、羊飼いなどであれば、多少の無理を押して帰路につくものだし自然、旅籠の顔触れは行商人や隊商、護衛の傭兵、鉱夫団や職人衆などに固定される。

 それも羽振りのいい類の連中だ。マギーたちも含めて。

 

 冬の足音が間近に迫ってきている。十一月も半ばに差し掛かると、旅の空も苦しくなってきた。既に気温は連日が零下まで低下している。凍てつく風は顔を刺すし、井戸水も冷たくてそのままでは飲めないのに喉は酷く乾燥している。

 アルコールで身体を暖めるにも限度はあって、路傍に寝っ転がって朝には冷たくなっているアル中の浮浪者《ホーボー》が増え始めるのもこの時期だ。

 寒いのでビタミンが足りない。レモンが沢山、入った温いお茶を啜る。薪代やお茶代、宿泊費、コーヒーにレモン代が利益に重く伸し掛かるが、今のマギーとニナの稼ぎを上回る程ではない。冬の縮小もあっても精々、稼ぎが目減りする程度であった。

 

 冬は残り三か月と半月。例年なら、仕事に精を出す必要もなく、もうのんびりしていい頃合いなのだが、知り合いである猫耳のココがどうにも気に掛かる為、おちおち簡易宿泊所に引っ込んでもいられない。

 学者に言わせると、今年の冬は数十年来の寒波だそうで、それだけに弱い立場のココを放置は出来なかった。集団が切羽詰まれば、最初に切り捨てられるのは異物であった。足止めに苛立ちつつも、マギーは目を閉じた。雨雲も過ぎ去りつつある。

 明日、明後日には、ポレシャへと帰還できるだろう。

 

 

 

 ――――

 

 

 

 マギーとニナは、予定より数日遅れで、ポレシャ市へと帰還した。

 まずは無言で自宅へと向かう。段ボールハウスが冷たいみぞれ雨、数日に持ちこたえられるか。不安を覚えていたものの、幾重にもタープを張った天幕は、湿り気を帯びていたものの持ち堪えていた。

 とは言え、喜びはさほどない。ある程度は予想通りではあった。

 木製の骨組み。外側にはタープ、段ボールにはニスを塗ってある。さらには毛布。これはかびるかも。とは言え、干して、火で焙ればなんとかなるか。言いながら、のぞき込むと、内部ではココが丸まって寝ていた。

 目を薄く見開いて、マギーとニナを見つめ、なにかを小さく呟いた。

 

 顔色は多少良くない。腹を空かしているようだが、無事ではあった。其処でようやく、ホッとして震える手で髪を梳き、視線を合わせて、お粥を作り始める。

 

 

 隣人のリリーが入れば、と思うが、すぐに首を振って思い直した。リリーは、出不精な性分だし、すでに簡易宿泊所に入っている。場所も遠く、そんなに体力のない隻眼の娘に期待できるものではない。あいつはあいつで無事に冬を越せればいいとしか思わない。

 

 地面はやや泥濘だが、丸太の椅子や石を詰めた木箱にクッションを載せて腰かけながら、鍋を取り出し、火を焚いて、湯を沸かし始める。

 と、そこに徒弟トリスとジーナ・エクルストンがやってきた。スノーゴーグルを付けたトリスは何か言いたげに、ジーナ・エクルストンをチラリと視線を向けた。ジーナ・エクルストンは、平然と口元に笑みを浮かべている。

「ココに食事をやらなかったな?」咎めるような響きのマギーの言葉にも、表情を変えずに「貴女の有難みを知るでしょうね」とふてぶてしく告げる。

 マギーは嘆息した。それでも死なない程度には食べていたし本来、ココの保護の責任を持つのは、所属しているセフ衆の筈だ。

 

 軽く舌打ちしつつ、柔らかなパンを――トリスが山羊の乳を取り出したので、鍋に掛け、パンを浸してココの口へと運んだ。薄く目を見開いて、力なく、もそもそと食べる。ニナが涙を零していた。頬から、ココの額へと滴り落ちると、ココが舌を伸ばして、ニナの頬を舐めた。

(……若い頃だったら、私も泣きたい気分になっただろうな)思いつつ、マギーはもう一度、ココの口に乳を浸したパンをそっと出した。

 

 

 ココを抱きかかえて、マギーは下層地区の浴場へと向かった。ひどく軽い身体が冷え切っている。鼻水を出していた。

 やや熱めの湯を注文して、準備が整うまで、毛布に包まって抱きしめながら待つ。風邪薬はまだ早い。ビタミンの多いレモネードを注文して飲ませてやる。一杯をあっという間に飲み干し、二杯目もすぐに飲んだ。少しだけ元気になったように見えるが、分からない。時々、人は呆気なく死ぬ。特に冬場は。

 

 湯が温い程度には温まったそうなので、一緒に入ると身体を洗ってやる。垢が多い。傷跡も。辛い気持ちになって、マギーは唇で触れた。逃げない。

 ニナも浴室に入ってくる。石鹸と布で優しく洗うと、ココは気持ちよさそうに目を閉じてる。冷えてる小さな身体を挟んで摩り、お湯をかけて温める。

 

 此の侭、抱いてしまおうかな、とも脳裏を掠めた。が、欲情をあっさり抑える、大人だから。金や物欲、情義や恩、理想や安寧と同じく、性を手段として、他者を操ったり支配する手法もある。

 否、人と人が結びつく過程で、逃れられない愛情の一側面でもあろう。

 

 昔、同僚の数人が裏切ったし、逆に敵を引き抜いた味方もいた。マギーも一応の手練手管は知っている。愛しさよりも、それで絆せるかも、との気持ちが強かったが、少し思案してからいまは抑制しておく。

 ココはまだ大人になりきっていない。成熟した大人としては、肉の本質を理解しつつも、同時に抑制し、自他ともに自由意思を尊重するべきと、マギーちゃんは考える。

 

 なにより、ココもいずれ大人になる。思惑や世の諸々を理解できる時が訪れる。庇護から為された行為でも、支配された性は心の傷になる。

 ココは、もう十分に傷ついていた。尊重は礎になる。生き延びれば。多分。マギーちゃんとて、過去にあまり感心できない行為はしてきた。

 だから、都合よく若年者の操作や支配に走らず、愛情の本質や友愛、信頼を重視する生き方の方がいいと今は素直に考えている。

 

「抱けばいいのに」とジーナ・エクルストンも裸で入ってきて、やなことを言う。

 だから、マギーちゃんは、おのれの人生観を淡々と語って言い聞かせた。

 ニナも、ジーナ・E(エクルストン)も大人しく聞いてはいた。人生観を語れる相手がいるのは、ある意味で恵まれてるとは思う。

 とは言え、ココは生きるか、死ぬかの境界に立ってるのは間違いないし、自尊心を挫かれるくらいによくない境遇に置かれてる。

 後から自立心を養うなり、或いは最悪、嫌われたり喧嘩別れしても生かすために、一時的に惑わして、依存させるのもありかとマギーも悩まないでもない。

 

 いざとなれば、考えうる如何な手も取るし、手段を選ばない真似もできる、とは告げておいた。セフ衆は、もはやココを託し続けるに値する団体ではないと、マギーたちは見做していた。

 傷だらけの肌に痩せてるココを眺めて、まったく、こんな扱いを受けていい娘ではないと思いながら、兎も角も石鹸を取り出して、ぬくい湯の中で優しく洗う。

 

 例え、人が、電気信号に動かされる儚き肉の塊に過ぎないとしても、なればこそ好きに生き方を積み重ねるのが許されるならば、裏切られる痛みも含めて、綺麗な生き方をしてもいいのではないかと思うのだ。

 性交を道具として手練手管で付け込むよりかは、ココには好きな相手ときちんと結ばれて欲しい。それにハーレムは管理が大変であろうと、昔、ユーリという仲間を見てて思ったものだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 セフ衆は、ポレシャ市とあまり仲が良くない。元は自由農民や富農が多い村人たちは、どうしても流れ者の生活に馴染めなかった。自由民だった頃の感覚がいまだに抜けずに、他の廃墟生活者や浮浪者とも揉め事が起きた時期があった。

 働いて貯めた金で農地を買って、順に生活を立て直し、やがて武装を整え、傭兵たちを雇ってセフの土地を取り戻す。そんな計画はしょっぱなから躓いている。

 

 ポレシャ市やズール都の警備隊に、礼はするから巨大蟻を追い払ってくれと持ち掛けるも、けんもほろろに断られた。

 その礼とて、セフの村と取引する時に多少、優遇してやるのを匂わせるという、具体的な条件も提示しないもので、セフの村に辞を低くして訪れる隊商には通じたやり方は、都や市の担当者たちを怒らせるだけだった。

 

 次いで付き合いのあった隊商を訪ねて、資金援助と傭兵への仲介を頼みこむも、まるで別人のように冷たくあしらわれる。

 激怒した村の代表者たちは、二度と取引せんぞと吐き捨てるも、似たような事例が続き、行商の真似事や日雇い仕事で金を貯めるのも、上手くいかず、生きるのがやっとどころか、持ち出した財産は目減りしていく。

 現実に頬をしたたかに引っ叩かれ、セフの村人たちはようやくに黄昏の世に這い上がるのは容易ではない、と悟らざるを得なかった。

 

 先祖から引き継いできた土地は掛け替えのないものであり、今の己たちは、富農でも自作農でもなく、安定した暮らしを営む農奴や小作人にも劣っているのだと。

 村内の小屋住み農や作男ですら、仕事には困らない。

 つまり、セフ衆は、村から村への浮浪農民や畑仕事を貰えない雑役夫、自由労働者と同じ立場にまで転落していた。それも、態度の悪いよそ者の決して好かれていない自由労働者だった。

 

 元のセフの村人たちは今、ズール都やツァリオ市、他にはポレシャなどの大型居留地に分散して暮らしている。

 今にして思えば、だが、数百の巨大蟻の大群には抗えないとしても、もう少し粘るべきだったかも知れない。

 村の近くに砦でも築いて頑張って、ズールでもツァリオでも強力な軍隊を持つ都市に増援を要請し、空約束でもなんでも気前よく切るべきだったし、浮浪傭兵でもなんでも土地を与えるとでも、常備で雇うとでも報酬をケチらずにかき集めて、死に物狂いで戦えば、巨大蟻を追い払う機会もあったかもしれない。

 

 だが、農村地帯のセフは、合議と納得、有力農民間での公平感を重視していたし、起こってもいない危地に備えようとするものは、責任を論われて、足を引っ張られることも多かった。

 責任の押し付け合いと内輪もめ、助けない他人に罵詈雑言を投げつけているうちに、その時は徹底的に通り過ぎてしまった。

 後の祭りだ。とは言え、苦しくても人生は続いていくのだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 夕陽が地平の彼方に沈み始めるころ、お粥を食べ、お湯に浸かり、長時間、毛布に包まって火に当たった猫耳のココは元気を取り戻して家路についた。

 

 日が暮れかけた町外れの街路を駆け抜けると、冬の夕暮れにも関わらず、まだ人影をちらほらと見かけられる。

 なんでもない夕暮れの一日に見えるが、ココのような農村出で廃墟暮らしをしてきた者には、実際、驚くべき光景だった。住人たちは家路を急ぎつつも、屍者や変異獣を過度に恐れる様子もなく、穏やかに談笑し、或いは別れの挨拶を交わしている。

 

 一見、廃墟に泥の小屋や天幕が点在した平凡な廃市街の光景に過ぎないけれど、農村の外れや小さな集落、廃墟区画に暮らす人々にとって、ポレシャ市の『町外れ』は想像もつかないほど落ち着いた暮らし振りを見せている。

 

 村を失ったばかりの頃のセフ衆――それも村の中心部に住んでいた者たちには、多分、理解できなかったのだ。自分たちがどれほどの恩恵を受けていたかも、ポレシャ市から貴重な機会を提供されて、それを踏みにじったのかも。

 今になって、長老たちは村人たちを労働力として提供しようと市に申し出ていたが、セフ衆に対する審査は以前より遥かに厳しくなっていた。初期に受け入れられ、移住した者たちを除いては、そこら辺の風来坊の方がまだ受け入れられているほどだ。

 

 土嚢の壁を越えたココは、慣れた路地へと降りた。跳躍の着地はほとんど音もなく、尻尾がわずかに揺れてバランスを取る。

 頭上では、廃屋の折れた梁と歪んだ外壁が互いにもたれ合い、夕暮れに照らされて鈍く浮かび上がっていた。常なら、町外れから子どもたちの笑い声も届いてくる時刻と場所だけれど、晩秋の夕暮れには乾燥した空気と、迫ってくる夜の気配だけが漂っていた。

 

 街路にも動く気配は見当たらない。一応のバリケードが張られており、大鼠や巨大蟻、野犬のような野生動物も侵入しづらい地形となっている。

 特に表通りは小さな路地まで土嚢が積まれるか、木柵で封じられており、夜間は木戸で閉じられる。普通の天幕に寝ていても、早々、襲われないだろう。

 裏通りのマギーたちの家は気になるけれど、最近は敷地に杭と囲いが設けられ、土嚢も詰まれていた。

 クロスボウも四台もあるから、本当に運悪く闇夜にでも襲われない限り、万に一つのことはないだろう。いや、今は夜は簡易宿泊所に寝泊まりしているのだったか。

 

 ポレシャ市は下層地区のバリケードは、それなりの高さを持っていて屍者や野犬でも早々には飛び越えられないが、ココの足であれば問題ない。土嚢や木の壁、木柵には取っ掛かりも多くあって、多数が押し寄せてしまえば、鈍間な屍者でさえ抜けられなくもないのだ。

 

 とは言え、下層地区の住人たちも弱点は考慮しており、抜けられた先の大路には再び、二重、三重の土嚢の壁が作られているし、細かい路地は木柵や木戸で封鎖されている。

 土嚢や瓦礫で完全に塞がないのは、子供などが迷い込んだ際に、怪物の餌食となるのを避ける為、視認と開閉できるようにしてあるのだ。

 

 狭い路地は、上階や窓から攻撃できるように工夫されている。

 突破されても、撤退しながら、次の障害で交戦し、変異獣であろうと、屍者の群れであろうと大群なら発見できるだけの見張りもあれば、中心の居住区に到達する前に漸減し、また住人たちが逃亡できるだけの防衛線が、真冬の闇夜以外には機能するように年々、強化されてもいる。

 

 普通なら幾度もの存亡の危機を経て、数多の犠牲と引き換えに防備は築かれる。

 しかし、ポレシャの各地区は、比較的少ない犠牲と歳月で防衛線を構築していた。

 その意味で、ポレシャ市は、下層民に至るまで水準が高い居留地とも言えた。

 とは言え、それは住人たちによる不断の試行錯誤と、目に見えない膨大な啓蒙と教育の結果であった。

 

 ココも見た目ほどに、馬鹿ではない。ずっと壁のうちで過ごし、マギーらと時間を共にしていれば、多少は物事の道理が見えてくる。

 セフ衆の一部界隈に膾炙する『てめえらだけ、安全な壁でぬくぬく暮らしやがって』という罵倒に共感できなくなる。

 廃地区に暮らす廃墟生活者や浮浪者《ホーボー》でさえ、呑気にぐうたら暮らしてるだけでなく、より住みやすく安全な暮らしを求め、住処に工夫を施すものも少なからずいる。

 

 

 日没前にセフ衆の居住区へと帰還しないといけないのに、足取りがどうにも進まない。ココは首を傾げる。お腹は膨れたはずだが。前日までなかった重さが足に纏わりついている。やっぱり体調が悪いのか。

 太陽は動きを止めない。足元から長く伸びた影が色濃く揺れていた。

 冬の夜が迫りくる中、ココは廃屋の屋根の上で立ち止まると、じっと考え込む猫のように佇んでいた。

 

 

 

 

 

―――――

 

 十一月中旬_10790都市通貨

 

 交易は縮小中。

 

 

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