ようやく仕事に一段落がつき、刑務所所長マギーは、深々と吐息を洩らしながら、目尻を揉んだ。
開拓地や流刑地からの護送馬車が到着し、『ママ・ディアナ』強盗団の面々が流刑地に輸送されていったのだ。情状酌量の余地がある者たちに関しては、取り扱いをまともにするよう、キャシディやマクロード副保安官、幾人かの参議などが現地の責任者宛てに、手紙を書いてくれた。
この骨折りがどれほど効果を持つかは分からないが、やらないよりはましだろう。囚人連中が他の流刑地に送られる友人や家族と文通できるよう、ポレシャ市には私書箱も設置された。当然に検閲は入るが、それぞれに交流が途絶えることがなければ、刑期を終える十数年後には、再会できるかもしれない。
孤児院を選んだもの。開拓地へ向かうもの。流刑地へと送られるもの。
まだ幼さと期待が混じっている瞳もあれば、覚悟と恐怖に震える肩もある。
沈黙を保ったまま、馬車へと乗り込んで消えていく背中。
――それぞれの人生が、遠くの未来へと繋がっていれば、いいと思いつつ、マギーは一人一人を見送りながら、深く息をついた。
それはそれとして「一日、
食事も、水も、薪まで配給されるし、寝床もある。出勤日はかなり続くので決して悪い金額ではないのだが、激務だった。
書類仕事も多いし、問い合わせへの対応。
手紙に布告の試案。上司や市内の有力者との擦り合わせ。
密造酒製造業への罰金刑の受け取りと釈放の手続き。家畜泥棒の絞首刑への立ち合い。囚人の縁者からの陳情への対処や、慰めの手紙――神経はすり減る一方だ。
仕事の半分は片付いたが、まだ『デザート・ロック』強盗団の面々に、家畜泥棒の一件に絡んだ家畜商の護衛たちも残っている。
商人本人は議事堂の貴賓室に丁重に軟禁されており、サグレー市と手紙が往来しているが、何しろ冬が到来した。裁判の手続き再開も冬開けまで持ち越すだろう。
後半、ニナとジーナ・エクルストンにも「秘書です」「第二秘書です」と強引に通して、手伝ってもらったが、マギーがやるしかない機密書類もあった。
色々とうんざりさせられたが、やらなければ、キャシディ保安官が潰れてしまう。
しかし、取りあえずも、喫緊の課題は終わらせた。前にも似たようなことを言ったような気がするが――これで、少しはのんびりと出来る筈であった。
※※※※
十二月に入って本格的な冬が到来すると、ポレシャ市も、町外れ地区の街角からも、いよいよ人の姿が消え始めた。曠野の地において、労働者層や貧しい人々の多くは、暖かな時期の住居と、冬越え用の住処を使い分けて生活している。
ポレシャ市の下層地区に限った話ではない。自由労働者や
大半の天幕や泥と粘土の小屋。或いは、少し金があるものが好む中世イギリス式のワトル&ダーブの家屋など、それら殆んどが曠野の冬には耐えられない。
元は、温暖な地域に多く見られる泥小屋は、初期コストこそ安いものの毎年、雨と凍結で痛むし、乾湿の繰り返しでひび割れる。壁も薄く、外の冷気が容赦なく室内に伝わってくる。金は掛からないが維持に人手と時間を取られ、薪の消費も少なくない。
北米も高緯度に酷似した曠野の気候には、煉瓦と漆喰の方が向いているのだが、資材の少ないポストアポカリプスの世に、労働者層が入手するには中々に厳しく、初めは泥小屋から、少しずつ建て直していくか、或いは冬の間、住居を移る方式が常道であった。
貧しい人々は、春から秋の間、少々の寒さも服を着込んで対処してしまうが、同時に、冬の足音が響く前から、保存食や薪を貯め込み、また冬籠りの為に丁度良い建物を見繕って、引っ越しの準備を進めておく。
他に同じ建物に目を付けたものはいないか、入念に確認も行い、冬越えの布告をしたり、仲間を募ったりして建物の修繕を行い、割り振りの計画を練っておくのだ。
秋が深まるにつれ、天幕暮らしの者たちは、その小さな住処を目を付けていた建物の奥へと避難させ始める。やがて本格的な寒さが到来すると、入念に準備を費やした人々は、いよいよ住居を移して、厳しい冬を生き残るための耐え忍ぶ日々を静かに迎え入れる。
そうして時に氷点下二十度にも達する冬の曠野においても、コンクリート壁の裂け目を瓦礫、泥で塞いだ廃屋の内部。余裕があれば、さらに毛布や布で部屋を区切り、積み上げた薪で暖を取りながら、寒風に吹きすさぶ外の轟音を子守唄に、天幕との二重の遮断が、人々の微睡みを妨げることはない。
※※※※
マギーちゃんは、日々をぬくぬくと過ごしたい。過ごす予定であった。
お金を稼げれば幸せになれる筈であったが、押し付けられた任務を終えても、仕事が残っている。これはおかしい、と思った。
今は、仲間たちとともに冬小麦の畑へと赴いていた。今年の冬は、零下20度に達するとも予測されていた。大凶作だ。例年の半分の収穫量もいけば御《おん》の字だろう。
勿論、市の参事会は相当量の食料を前々から備蓄に回していた。何とか足りる筈である。来年が通常通りの収穫ならば。
兎も角、冬小麦だ。マギーちゃんはクロスボウを構え、畑に向けて発射した。他の三本も発射され、麦に潜んでいた巨大な四足獣に突き刺さった。甲高い悲鳴を上げ、痛みに暴れまわる四足獣。
路地裏でも見かけられる、巨大鼠であった。時々は、犬や猫、人間の子供さえも餌食となる。そこら辺、巨大化したハダカデバネズミやらと同じだ。大人でも武器を持たなかったり、油断すれば、危うい相手だ。
野犬やコヨーテ、狼ほどには危険ではないとはいえ、度々、人間が犠牲となる。今も冬小麦の畑に潜んでいた。二時間、三時間と歩き回ってやっと二匹。とは言え、これで普通の犬たちを農園に放てる。収穫を終えた畑の土を掘って、モグラや鼠狩りも行うのに、近くに潜む大鼠は邪魔だ。
大鼠の駆除など、ボランティアだ。報奨はスズメの涙。食事を出してもらい、火に当たり、肉を持ち帰る。マギーには、臭くて筋張った肉などいらないが、もっと貧しいものの場合、貴重な蛋白質と喜ぶものも多かった。
マギーとジーナ・エクルストンは、射線と動線。援護射撃の位置まで言葉にせずとも、理解しあっている。残念ながら、ニナはまだそこまでは到達していない。近いうち、自由都市の訓練学校で講義を受けさせるつもりだ。
徒弟のトリスに手間暇を掛けている。時々、路地裏や自宅に近い廃市街に赴いて、怪物たちを射的の的にしていた。時に、ココも入れる。
トリスとココが、集団行動に慣れ、怪物を安全な位置から撃つ。
今は、それだけでいい。
当初は、怪物――特に苦手な巨大蟻に緊張を隠せなかったトリスだが、マギーも安全にはそれなりに気を使ったし、大鼠から巨大蟻、ゲッコーと仕留めるうちに、怪物への恐怖も随分と克服されてきたようだ。
気持ちは分からないでもない。廃墟生活者の武器と言えば、鉄パイプに木の棒、ナイフや包丁、それらを縄で結んだ手製槍。石斧や手作りクロスボウなどが相場だろう。手製クロスボウなど、下手をすれば、垢と汗、脂で堅く固まった大鼠の毛に弾かれてしまいかねないそうだ。
流れ職工から買うそれなりのクロスボウでさえ、毛皮に阻まれて内臓まで届かないこともある。
とは言え、当たり前の話だが、120
ポレシャ市近隣を彷徨う水準なら、かなり強い変異獣でさえ、四台のクロスボウに狙われたら、一溜りもないだろう。火力は力だ。
巨大蟻の兵隊蟻。まぎれもなく危険な怪物を仕留めた後も、トリスからは緊張が消えない。
それでいい、とマギーは判断していた。
緊張をなくしてはいけない。
弛緩しきっても良くないのだ。だが、過度に恐れる必要もない。
これから先、ずっとなのだ。マギーたちは、定期的に間引きをし続ける。
だから、まずは、貧しい人々に根強い、怪物への恐れを払拭する。
恐れ続ける必要はないと認識させる。かと言って、舐め切っても困るのだが。 手間暇とコストを掛ければ、一定の線までは倒せるという思考を植え付ける。
そろそろ、もう少し危険な小型変異獣や屍者に行くか。それとも、野犬のラインで抑えておくべきだろうか?考えて、リスクを取る必要はない、とマギーは結論した。
あれらと戦うなら、できれば良質なマスケットと同じく質のいい黒色火薬が欲しい。
マスケットが手に入るまで待つではない。逆だ。運に恵まれて、マスケットに黒色火薬などの伝手を得られたら、改めて考えればいい。
可能性がない訳でもない。手に入ったら、そうするのも手、と一考はしておく。
が、今は余計なことは考えず、手元の札でできるだけの事をやり、トリスとココには、学べるだけのことを体験させて置くべきだろう。
クロスボウを携える部族兵や浮浪傭兵、無宿人《ノークォーター》なども少なくない。マギーたちは、金を持った行商人であり、無頼にとっては格好の獲物だ。
しかし、クロスボウの使い方に通じていれば、街道や廃墟で襲撃された時、射程や動きも読めるし、対処法も思い浮かぶ。銃の使い方に通じるところもある。
無駄にはならない筈だ。……ある程度は。
なんでもそうだが、手強い名手とは遭遇しないことを祈るしかない。
農民たちは仕留めた巨大鼠を地面に並べ、解体していた。
マギーは、農婦から受け取った大きな鼠肉を、そのままココに与える。猫耳の娘は嬉しそうに「あいあと」と拙く礼を言い、鼠の肉をズダ袋に入れていた。
セフ衆にそのまま、持っていくのだろうか。
それでも、変異体の少女が役に立つと見做されるかは、怪しいところだ。
(この手土産で時間が稼げるといいが……)
マギーは浮かない顔を見せないように、怪訝そうなココへと微笑みかける。
空には灰色の曇天が見渡す限り、広がっている。
十二月に入り、寒さは一層の厳しさを増している。
冷たい雨や氷雪が降る日も珍しくない。
(後、どれくらい、ココに付き合える?)とマギーは考えた。
マギーたちにとっても、氷点下の気候で長時間の活動は厳しい。
活動できる時間は減ってきている。不慮の事故とて起こり得るかも知れない。
冬は、始まったばかり。
残り三か月の冬をココは越えられるか。
或いは、二か月なら越えられるだろうか?懸念するも、ココと視線を合わせているマギーにも、それは分からなかった。
※※※※
猫耳のココは、セフ衆に属している
廃墟を漁って使えそうな物品を探し出し、衆の為に持ち帰るのが仕事だ。セフ衆には、そういう役割に従事する者が十人以上か、それくらいはいて班を組んで廃市街を探索している。
一人はみんなのため、みんなは一人の為。現実にどこまで守られるかは別として、出発前にはそんな標語を口にする。ココは長く喋るのが苦手なので、口にしない。そんなところも阻害される理由の一つかもしれない。
廃墟を五人。三人でもいいが、班を組んで探し回るのが与えられた役割だ。廃墟は底知れぬ深みを秘めている。
ポレシャ市に隣接する数キロ四方の狭い廃墟地域でさえ、奥には計り知れぬ何かが眠っている。それは途方もない価値を秘めた財宝や技術、知識に機械かも知れないし、恐ろしい屍者の群れや巨大な怪物かも知れない。
どのみち、そんな深部を目指すのは、一握りの技術捜索者《テックハンター》や廃墟探索者《ルインハンター》だけだ。ココたちのような素人丸出しの
廃墟にも、人が住んでいる。比較的に屍者や変異獣の少ない一帯。或いは、頑丈な建物の残っている一角などだ。【浅瀬】とも呼ばれている。
居住区と無人廃墟の境界の浅瀬を歩き回り、使えそうな鉄くずや布、ガラス瓶や空き缶など、値打のありそうなものや食べられそうなものを探し出す。要するに、廃品漁りだ。
それも、廃墟生活者や浮浪者たちの捨てたものから、さらに何とか使えそうなものをいじましく拾い上げる、最底辺に近い腐肉漁りと言っていい。
浅瀬と呼ばれる地域は限られているし、他にも廃品漁りはいる。
当たり前の話だが連日、五人、十人が値打物を探し回って、いつも拾えるはずもない。だから、本当の狙いは廃品ではない。
旅人たちの野営跡やら、市民街区のゴミ捨て場を荒らす真似もすれば、危険な廃市街で大鼠や巨大蟻、屍者や変異獣に襲われたばかりの犠牲者は、早めに見つければ、まだ食べ物を持っていることも多く、財布を懐に忍ばせてることもある。衣服は高く売れるし、武器が手に入れば御の字だ。
特に、他の廃墟生活者の、かつての住居を見つけた時は、稼ぎ時だ。値打物が残っていることもある。食料は腐っていても保存食、それに小銭や薪は勿論、布に服、薬缶や食器など生活の道具。椅子や箪笥に櫃などの家具は高く売れるし、トンカチやのこぎりなどの貴重な工具さえ見つかる時もある。
遺棄された理由は様々で、元の住人が出先で怪物に襲われたり、普通に行き倒れたり、或いは、もっといい住処を見つけたり、旅の一団に加わったり、人狩りに捕まったりなど様々であろう。
ココは身軽なので時々、他人の気づかないものを見つける。それでも己のものになることはない。滅多にではなく、一度も。セフ衆は貧しく、まずは共有財産を云々と言ってる。それも納得していた。当初は。
あまり腹が減ってたので、ポレシャの町外れに行った時に、ふらふらと宴会に混ざった。マギーは気前よくご飯を食べさせてくれた。時々は、簡単な仕事を貰って、服や食べ物を貰う。麦や暖かい服はすぐに共有財産になって、ココには回ってこない。
なので、襤褸布を沢山もらって、食べ物はすぐに食べて、そうしたら、セフ衆での扱いが微妙に悪くなってきた。仕事はこなしてるのに。
食べ物の割り当ても減っている。やりたくない死体漁りも、やらされた。思い出すと気分が悪くなる。屍者に噛まれた死体だった時は、嚙みつきをそれこそ猫みたいに飛び跳ねて回避した。それでもセフ衆には、体を売っている娘たちだっている。それに比べれば、マシなのだろうか。
――――――
一口に廃墟の居住区と言っても、やはり千差万別で、土嚢や木柵、木の壁に見張り塔を設け、小さな町に近い扱いを受ける区画もあれば、偽装を施して他の廃墟生活者たちの視線を誤魔化し、街路を徘徊する巨大鼠や巨大蟻、屍者に怯え、息を潜めながら暮らす一帯もある。
セフ衆の拠点は、残念ながら後者に近かった。いい若者たちに昼間をごみ漁りをさせているのは、それだけ仕事にあぶれているからだ。
入り口や窓も塞がれた廃屋に四方を囲まれ、路地も瓦礫、土嚢に塞がれた廃市街の一角が、故郷を失ったセフ衆の流れ着いた最後の居住地だ。
瓦礫の転がる痩せた土壌に当然に作物は殆んど実りをつけない。わずかに豚を飼い、茸を栽培し、鼠や小動物を罠箱で採ることで日々の糧を得ている。
生活は、貧しく苦しい。特に水が足りない。
市内では、井戸水よりもエールの方が安い時もある。
元の農村では、それなりに使えた地下水が、ポレシャ市では制限されている。
セフ衆は、水もエールも買えない。毎日、東の遠い池で水を汲んで何時間もかけて往復している。子供も働く。そして大人の護衛を付ける。
同じように飲料水を汲みにいく市の労働者たちは、後ろをついて来るセフ衆を不愉快そうに睨んでくるが、少なくとも邪魔したり、水源を独占したりすることはない。それだけで随分と有難いのだと、今は分かっている。
セフの居住区では、裸足の子供たちが毎日、重い水瓶やガラス瓶を運んでいた。外の風は冷たく、路地には凍った水たまりが点々と光を反射し、中庭を歩く軽い足音が寂しげに響いている。
外の風は冷たく、子供らの手はあかぎれしてる。路地には凍った水たまりが点々と光を反射し、中庭を歩く軽い足音が寂しげに響いている。
12月に入った今、本格的な冬が到来する前に、できるだけ多くの水を貯めておく必要がある。冬は水汲みでさえも極めて危険で移動に時間も掛かるから、一番寒さが厳しくなる一月、二月には、下層地区でエールなどを買う必要もあった。
それでまた貯めた金を放出しなければならない。
金が必要だと、古老たちは呻くように囁いていた。
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古い石造りの建物が中庭を囲んでいた。壁は灰に色褪せ、ところどころ、亀裂が走っている。中庭の石畳もひび割れ、土が除いていた。窓には瓦礫や泥が詰められ、風除けの布が揺れている。扉は厚いが、しかし古く朽ちかけていた。蝶番は錆に覆われている。
屋根の煙突から出る煙は、屋内で暖を取る人々の存在をかすかに示している。屍者や人狩りが嗅ぎ付けるかも知れない。だから、昼には殆んど火は焚かれず、見える場所にも人影がなく、働く者の姿もまばらだ。
寒さに耐えるために、窓や扉も冬季は閉じられ、かろうじて隙間の明かりがぽつんと浮かんでいる。
住居はいずれも狭く、板や泥で穴を塞いだ室内で静かに日を過ごす。
子供たちは家の中で互いに身を寄せ合い、寒さを忘れるために小さな声で遊びの歌を口ずさむ。外から聞こえる屍者の唸りに、誰もが怯え、屋内で炊かれる小さな火に当たりながら、春の訪れを待ちわびる日々を送るのだった。
居住区全体が静寂に包まれている。建物の内部でさえ、怪物への恐怖による沈黙が漂っている。日差しが戻る春までは、人々は息を潜め、ひそやかに日々を耐え忍ぶしかない。冬の厳しい冷たさのなか、壁のすぐ外を徘徊する屍者の呻きや変異獣の唸りに、セフ衆は眠るように息を潜めてやり過ごす。
皆が貧しい。だから、弱い立場の者ほどに度々、物を盗まれる。
ココはもう私物が無くなるのにうんざりしていて、留守の間は、梯子もない尖塔の上層に毛布などの寝具を置いていた。不安定な足場の床から天井の梁へと飛翔して、毛布を乗せておくようにしてから、誰にも衣類や毛布を盗まれなくなった。
「おっかさんが咳してる」と数日前から、少年は言っていた。
あったかくしなけりゃあ、と辺りを探していたのも見ていた。
そして『野良猫』が塔に毛布を隠しているのを知っている。
中庭に駆け出したはしっこい少年が、屋根に上ると塔の石段に手を掛けていた。
帰って来たばかりのココは、それに気づいた。すべてを知ってた。だから、足を速めた。
ココとて、仲良くしている人間は、何人かいる。仲が良いではなく、仲良くしているだ。権限を持ち、中立的な人間を選べ。他人を悪く言わない人間だ、とマギーは囁いていた。
離れに詰めている料理番。前々から、小動物を採った後は、直接に肉を手渡していた。手柄顔の班長が皆の前で称えられてるのを見てから、馬鹿馬鹿しくなったからだ。特に最近は、マギーの狩りで巨大蟻やら巨大鼠、二足ゲッコーに野犬やらまで仕留めている。肉を度々と持ち帰るココに、肥えた料理番も少なくとも冷たくはしない。元から、誰に対しても公正な態度の男だ。
大きな鼠肉を袋から取り出すと、料理番が肯いた。さっそく、肉包丁で切り出し、焼いて塩で味付けする。料理番の役得に、持ってきたココへの礼でもある。料理中、それほど待つ必要もなく、どしん、と大きな音が中庭から響いてきた。
料理番と顔を見合わせたココは、わざとらしく肉を咥えたまま、そっと中庭に出た。少年が地面に伸びていた。半狂乱の女が縋り付いている。
人々が取り巻き、そして中年女がココを見つけると、指さして叫んだ。
「あいつが突き落としたんだ!あたしは見たよ!」人々が一斉にココを見た。
ココは、冷静に、何時でも逃げられるよう、中腰になりながら、首を振り、自分と料理番を幾度も指さした。
「馬鹿言うな!この子はなんにもしちゃいない!」料理番がむっつりとして怒鳴った。
「大体、今、鼠の肉を持ってきて、俺と話してたばかりだ!」と吐き捨てる料理番には発言力があった。場が冷えた。中年女は、でも、見たんだ。見たんだよ、とブツブツと呟きながら、謝りもせずに屋内へと戻っていった。
料理番は不愉快そうに唾を吐き捨てると、「気にするな……いや、用心しておけ」とココに向かって言い直し、厨房へと戻っていった。
ぼそぼそとした囁きが『野良猫が』と語っていた。向けられる嫌な視線。或いは、しばらくしたら、ココが突き落としたことになってるかも知れない。
料理番は幾らかは庇ってくれるだろうし、古老たちも含め、全員が同調する訳でもないが、嫌われ者への憂さ晴らしに乗る者もいるだろう。
日没直前に塔に登って毛布を引っ張り出し、火の焚かれてる屋内へと入ると、幾人からか、視線が向けられた。
皆から離れた位置にある小さな火の傍に座った。
傍らの火に当たっている集団から、古老の傍で何かを話していた白髪の娘が、ココを眺めた。周辺の若者たちのココへと向ける視線は、嫌悪や怒りもあれば、無関心や哀れみもあった。昔は、一緒に遊んだこともある者もいたのだが。
黒髪の少年が、毛布を二枚纏ったココに視線をやり、一枚、貸して上げられなかったの?と穏やかな声をかけてきた。ココは、火を指さし、床に落ちている石を手に取って、投げるような動作を見せ、自分の額を指さした。それから毛布に包まって、再び、火の傍らに座り込んだ。
ルカは、今でも親切にして、心配してはくれる。だけど、無力で、それだけだ。
皆と仲良くしないと駄目だよ、とココに譲歩を求めることもある。もう、これ以上、譲れるものなど、ココにはなにもないのに。腹を空かせたココがやっと手に入れて二人で食べようと持っていったパンを、毎日、配給を貰える母子が少し腹を空かせていただけで、分け合おう、と悪意なく二つに割った。そして、ココにはついに何も無くなってしまった。
母も、父も知らない。物心ついた時には、村の物置みたいな小屋で寝起きしていた。それ以前は、放浪していたような気もするが、単に村の中を歩き回っていただけの可能性もある。孤独で、阻害されていた変異体の小娘に声を掛け、遊び仲間に入れてくれた。色々と教えてくれた。マギーと出会う以前の常識や言葉の殆んどは、ルカから教わった。
好きだった。恩には感じている。どんくさくて、お人よしの少年が、ココがセフ衆を立ち去らない、最後の理由だった。そのはずだった、気がする。
沈黙し、多分、鼠の獣脂だろうか。炎から立ち昇る臭い匂いを気にした様子もなく、ココはうとうとと微睡んだ。
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12月上旬_11100都市通貨
出ておじゃれ。隠れていても