黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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終末世界の過ごし方_27 勝利と代償

 これほど大規模な怪物の襲撃を経験したのは、保安官にとっても三十年か、四十年ぶりのはずだ。咄嗟に思い出せないのは、ある程度の年齢に達すると十年の違いなど大した意味がなくなるからだ。

 居留地《ポレシャ》に暮らす大半の人間は、まだ生まれてないか。物心つくか、つかないかの頃にその変異獣《ミュータント》の侵攻は起こった。

 何処とも知れない遠方から侵入した数百匹、或いは千匹にも達するかも知れない変異獣《ミュータント》の大群《ホード》は、行く先々で集落や農場を食い荒らし、曠野において猖獗を極めていた。

 当時、これも恐れられていた略奪者《レイダー》・鉄血党の城塞にまで襲い掛かって、これを滅ぼした変異獣《ミュータント》の大群《ホード》は、次なる目的地として自由都市《ズール》の穀倉地帯へと襲来した。これに対して自由都市《ズール》は傭兵を主力とした大規模な討伐隊で迎え撃ち、猛威を振るっていた大群《ホード》を撃破殲滅することに成功する。

 討伐隊の手から零れ落ちた分派の一つによって当時、暮らしていた居留地が壊滅的な被害を受けたことも、母方の伝手を頼って当時は小さな入植地に過ぎないポレシャに避難してきたことも、もう遠い記憶の彼方だった。

 

 だからなんだ。という訳ではない。強大な都市の参議連中のやり口に文句がある訳でもない。そもそも連中が戦わなければ、故郷もポレシャも滅んでいた。だから、損害を受けた討伐隊が追撃せずに、さっさと都市へと引き返したことに恨み言なんかない。自分を守って死んだという父親の背中ももう覚えてないし、母も随分と昔に亡くなっている。

 ただ、父親と母親の縁を結んだというフラッシュ・ゴードンの記録端末だけは、捨てる気になれずに何度も繰り返して鑑賞していた。

「……ヒーローはいいものだ」

 保安官は、取って置きの葉巻を吹かしながら、暗い部屋でお気に入りの映画を眺めていた。それから仮に自分がいなくなった時、誰もこの映画を見なくなるのは寂しいと思い、しばし考えてから映画を見る目がある少女を思い出した。

 

 階段の上から、一応、副保安官の老リーマンが叫んでいた。

「おい!保安官!蟻どもが動き出した!日没に乗じて、こっちを襲ってくる気だ!」

 映写機から記録端末を取り出すと、胸ポケットに入れて立ち上がる。映写機は金庫に放り込んだ。運が良ければ、齧られないで済む。

 

 屋上に出た保安官は、陽気に口笛を吹いた。

「嫌な予感ほど当たるものだな!おい」

 屋上の縁で松明を掲げてみれば、あたり一面を埋め尽くすほどの巨大蟻の波が保安官事務所目掛けて押し寄せてきている。

「どうなってやがる!日没前よりも増えてやがるぞ!」

 喚くリーマンと保安官助手の若い男女が四方に向けて狂ったように発砲しているが、銃撃を食らわせるとごく僅かな間だけ退くも、別の方角から這い寄ってくる。

「日没とともに突然押し寄せてきやがった!」リーマン爺さんは手練の手管で二連ショットガンをリロードしてはぶっ放してる。

「出入り口塞がれて、逃げ場が無くなった蟻どもが集まってきやがったのさ」保安官は笑いながら、狙い定めたウィンチェスター M1895から38-72弾を発砲した。

 すでに被弾していた戦士蟻が下あごから顔面を撃ち抜かれて、昇りかけていた壁を他の蟻を巻き込んで崩れ落ちていった。

「知ってたんですか?あんた」若い保安官助手が、頭がおかしいのかとでも言いたげな眼差しを向けてきた。

「小僧《キッド》!滑車で逃げろ!一人分くらいの体重は支えられるだろう」

「冗談を!この場で一人いなくなったら支えきれません!」

 若い保安官助手が叫んだが、保安官が怒鳴りつけた。

「生意気言うな、卵の殻をつけた青二才が!お前のキレたお袋さんに俺を殺させる気か?さっさと行け!」

 若い保安官助手は数瞬、保安官を睨むように凝視したが、グズグズしてる暇はないと頷くと「お先に!」と滑車の縄へとしがみ付いた。

「動かせ!」滑車の向こう側で縄を動かし始める。

 対岸の屋上には、居留地に暮らす若造どもが何人か雁首揃えていた。せっかく松明を配るよう命じて遠ざけたのに、どいつもこいつも銃声を聞きつけて戻ってきたようだ。保安官を見て、ぎゃあぎゃあと五月蠅く喚いていた。気の利いた連中なので、何も言われないでもロープを動かして、保安官助手を救い出そうとしている。

 

 ロープの直ぐ真下は、数十匹もの巨大蟻が蠢いている。地獄のような様相に、若い保安官助手は下を見ないように必死にしがみ付いていた。ロープが大きく揺れる。ギイギイと幾重にも重なる蟻どもの不気味な鳴き声を切り裂くように、数多の銃声が響き渡る。

 保安官は、手持ちの弾薬を使い切る勢いで押し寄せてくる巨大蟻の頭を吹き飛ばしていたが、どう見ても呑み込まれるのは時間の問題のようだった。

 

 四方から押し寄せてくるそのさらに外周では、民兵や保安官助手たちが騒いでいるが、居留地から兵力を集めて来ようにも間に合うまいし、させるつもりもなかった。

 保安官事務所に備蓄していた弾薬も、私物を含めて必要ギリギリまで分配した。民兵たちが巨大蟻どもを撃ち始めたが、大して効いている様子は見えない。

 距離を取りながらの一撃離脱は少数の巨大蟻には中々、効果的な戦術だが、大群に対しては迂闊に刺激しても、襲い掛かってくるだけでさして有効とは言えなかった。

 巨大蟻に対して効き目の薄い散発的な攻撃を仕掛けた挙句、民兵たちは反撃を喰らって後退していた。一々、保安官が指示しないとまともに蟻と戦う事も出来ない連中に不安を覚えてしまう。

「下手糞だな、もう少し考えて戦え」保安官は苦い顔でつぶやいた。巨大蟻が市内に散るのは、望ましい事ではなかった。

 横目でちらりと見るが、若い保安官助手がようやく縄を渡り切ろうとしていた。僅か十七、八メートルの縄を引っ張るのに随分と掛かったものだ。

 

 保安官は、もう一人の保安官助手を呼び寄せると、ポケットから映画の映像端末を手渡した。

「こいつは、ニナにやってくれ。絵の上手い少女だ。それとジェイクの馬鹿が生き残ってたら、俺のキャビネットの裏を見ろ、と。スターウォーズも悪くなかったと伝えてくれ」

 伝言を託された保安官助手は、口の端を歪めて保安官をじっと見つめた。

「……保安官。あたしには?」

 保安官は、腰の拳銃を手に取った。

「おふくろのコルトだ。誰かがこいつを使ってくれたらこんなうれしいことはない」

 保安官助手の求めていた言葉はそうではなかった。

「すぐ後に脱出するんですよね?」念を押した質問に、ウィンクする。

「まあ、ベストは尽くすさ。俺だって死にたい訳じゃない」

 黙り込んだ保安官助手を滑車へと押しやった。

「世話を掛けたな。キャシディ。いい女になれよ」

 背中を引っ叩き、滑車までの援護射撃にいよいよ激しくウィンチェスターライフルを撃ちまくった。

「さあ、俺の作戦で女を殺させないでくれ!行け!」

 あと数十秒を持ち堪えればいい。しかし、それが困難だった。逃げ場を無くした巨大蟻どもは狂ったように殺到してくる。保安官事務所屋上の土嚢を乗り越えて、次々と雪崩れ込んでくる。

 

 散弾銃の弾が切れたリーマン爺さんが、リボルバーを撃ちながら、しかし、足を噛まれて横転した。「リーマン!」保安官が叫んだ。

 リーマン爺さんは何とか巨大蟻を仕留めると、倒れたまま笑って略式の敬礼をした。対岸を見ると、最後の保安官助手がマギーに片腕で引き上げられていた。保安官が頷いた。

「まあ、こうなったか。ベストは尽くしたさ」

 ぼやきつつ保安官は弾の切れたウィンチェスターを投げ捨てると、松明を大きく振って押し寄せてくる巨大蟻どもににやりと笑いかけた。

 ニナがじっと見ている。保安官は不敵に笑ったまま、大きく手を上げて、大昔のプロレスラーであるスタン・ハンセンみたいなハンドサインを掲げた。

 それから階段へと松明を投げ入れる。

「くたばれ、化け物ども」

 導火線に火が点り、暗闇に置かれた火薬樽を照らした。

 マギーが保安官助手を抱きかかえながら、もう片手でニナを引っ張って床へと倒れ込んだ。直後、保安官事務所に群がっていた数十匹の巨大蟻を巻き込んで、凄まじい爆音と爆風が広場を吹き荒れた。

 

「保安官が……吹っ飛んじゃった」ニナが呆然と呟いた。

 マギーは、ひいひいと呻きながら、ニナと保安官助手を片腕で引っ張って、屋上を這いずり、階段へと転がり込んだ。直後から、空へと打ち上げられた瓦礫が落ちてきて屋上に当たる音がする。

 

 

 或いは、他にもっといい手があったかも知れない。保安官が居留地に乗り込んできた巨大蟻の大半を道連れに吹っ飛んで、既に衰えの見えていた怪物の戦力はこれで払底したが、そんな手を取らないでも保安官が指揮を執れば普通に勝てたかも知れない。

 

 だが、保安官にも誰にも戦場の黒い霧を見通すことは出来なかった。巨大蟻の残りの兵力がどれくらいあるのかも分からない。郊外にまだ蟻の予備兵力があって、再度の攻撃を仕掛けて来ないとも言い切れず、一方で居留地の残りの弾薬量にはかなりの不安があった。若干のガソリンと火薬を引き換えに、兵隊蟻や戦士蟻を含んだ数十匹からの大集団に打撃を与え、混乱させるのは、割の合う取引だと保安官は考えたのだろうし、実際に効果も大きかった。

 ただ、保安官が死んだ直後の居留地の人々の嘆きと驚き、混乱と言ったらなかった。せめてリーマン副保安官が生きていれば混乱も収まったかも知れないけれど、二人揃って爆発に巻き込まれてしまった。駆けつけてきたシエルなど、泣き喚きながら生き残った女保安官に掴みかかった程だった。

 

 爆風に触角が傷ついたのか、爆発を生き残った巨大蟻が狂ったように駆けまわっていた。フェロモンが消えうせたのか、仲間同士で噛みつきあう個体さえ見かけられた。幸い、生き残った数は多くなかったが明らかに狂奔していた。

「これはいけない」混戦状態に陥った広場を目にするや、巻き込まれるのは不味いとマギーは一目散に逃げだした。勿論、ニナの手を引いている。

 

 いち早く広場を離脱したマギーは、そのまま議事堂の頑丈な壁に駆け込むと、さらに上の階へと逃げ込んだ。ニナを一番、奥の部屋へと放り込むと、バットを出したまま、廊下の奥に椅子を置いて座り込んだ。

 星明りだけが差し込む闇の中、時折、響いてくる銃声や叫び声にまんじりともせずに一夜を過ごしたが、何が起こるという事もなく夜明けを迎えた。

 

 窓から差し込んだ払暁の光に気づいて、マギーは立ち上がった。やはり寝なかったニナが駆け寄ってきて腕にしがみ付いた。誰にとっても長い一日を越えた。二人で議事堂を歩き回れば、幾人もの民兵たちが疲れ切った様子で部屋や廊下の長椅子などで寝込んでいた。名前も知らない、顔は知ってる生き残った民兵が、肩を強く叩いてきて喜びの笑顔を見せてきた。

 

 今なお煙り漂う広場へと足を踏み入れてみると、居留地の空に薄く黒煙がたなびいている。防壁内の他のどこかでも火災が発生しているのか。火を使ってたところに乱入したのかも知れないし、巨大蟻を火を使って撃退してるのかも知れない。

 

 兎に角、広場には夥しい数の黒焦げの巨大蟻が転がっていた。巨大鼠や野犬が群がって齧っている。

「……後であまり増えるのも恐いなあ」とニナが呟いている。

 信じがたい事だが、焼けた蟻の匂いが芳ばしい。

 涎を垂らしてふらふらと近寄りかけたニナを、マギーが止めた。

「……だって、人を肉団子にして食べたかも知れない」けれど、屋台も食堂も開いてはいない。すると、居住者の一人が、破られた倉庫の前で炊き出ししている事を二人に教えてくれた。

 

 分厚い木製扉が切り刻まれて破られた倉庫前は、人混みで大変に混みあっていた。

 地下水と薪を使って、塩味の強い麦粥が大量に作られては配られている。居留地を滅ぼされたら、井戸や農地の権利もなにも無い。蟻の顎に袋が破られて、いささか品質が怪しい麦とは言え、惜しげもなく鍋に放り込まれている。二人で並んで暖かいお粥を腹におさめた。と、僅かに酸味が感じられて、顔を見合わせる。

 

 せっかく生き残ったのに、蟻の毒とかで全滅とか起きたら洒落にもならないな。思いながらそれでもお代わりしていると、女性保安官がやってきて、ニナは情報端末を受け取った。踵を返した女性保安官を呼び止めると、ニナは代わりに在りし日の保安官を描いた似顔絵を手渡した。

 

 銃声は昨晩からずっと、断続的に響いていた。それでも二、三十分に一度、数発を発砲する程度の間隔となったのは、戦士蟻とはほぼ遭遇しなくなったからか。

 いまや、強力な銃弾は戦士蟻や兵隊蟻へのとっておきとなり、働き蟻は回収して再利用可能な矢やボルトで片付けられていた。集団ではなく孤立した、或いは二、三匹相手であれば、弾薬も使わずに片付けられる程度には民兵たちは巨大蟻相手の戦術を確立していたし、住人が屋上から石や焼きレンガを投げる程度でも、働き蟻程度であればそれなりに効いた。エアライフルや小型クロスボウでも数人集まっての待ち伏せで、兵隊蟻を仕留めるような者たちも出てきている。ニナとマギーに出来ることなど、もう無さそうだった。

 

 防壁内への巨大蟻の流入はすでにほぼ途絶えていたし、居留地内に侵入した巨大蟻の纏まった集団も大半が失われたようだ。特に猛威を振るった北の町はずれでは、逃げ回った人々を追い掛け回して、巨大蟻がバラバラに散っていた。巨大蟻の習性で、敵を打ち破ると獲物として追いかける為、より多くの獲物を捕獲し、狩りたてる動きへと移行する。巨大蟻が破壊された箇所では敵の存在を知らせる警戒フェロモンを出し、獲物の多い所では追撃の為の匂いを放出する。特に居留地での追跡劇では逃げ回る人間たちを追いかけるうちに、林立する建物と複雑な路地に拠って巨大蟻たちは広く薄く分散していた。

 

 そして現在。一旦、散った巨大蟻が獲物の反撃に再集結しようとしても、無数の壁や建物、瓦礫に阻まれて野外のように簡単には集まれずに、夜明けからの反撃で次々と各個撃破されていた。

 

 北口の戦いや南口の奪還は、昼頃には完全な掃討戦へと移行しつつあった。若干の怪我人は出ても、死者が出ることもなく、そこから先の作戦は、農地へと偵察に出掛けた部隊の情報次第だそうだ。彼方此方で休んでいる民兵を見掛けたが、巨大蟻は殆んど見かけなくなっていた。

 

 時折、僅かな働き蟻が街路へと迷い出て来るが、居留地の住人たちは瓦礫や石を屋上に小山のように積み上げ、通りがかる巨大蟻へ次々と投げつけている。五、六匹の働き蟻の小集団でさえ、次々と投げつけられる石に外殻をへこませ、体液を流し、挙句の果てに駆けつけたクロスボウの射手に良いように仕留められていた。

 流石に戦士蟻ともなれば、石礫など物ともせずに巨体を揺るがして街路を闊歩し続けるが、分隊規模の民兵が駆けつけては一撃離脱を繰り返して、少しずつ耐久力を削っていった。巨大蟻が追いかけるもバリケードで足止めされ、居住者は窓を開き、或いはバリケードや建物の背後に回り込んで、しつこく一撃離脱を繰り返している。

 

 マギーとニナは、碌な武器もなしに恐怖の一日をなんとか生き残った。そしてポレシャでの巨大蟻襲撃に関して、彼女たちの物語は此処でほぼ終わる。居留地の各所で生き残ろうと足掻き、死闘を繰り広げている人々にとって、戦いはまだ終わってはいないが、二人は襲撃を切り抜けた。多分、幾らかの報奨を受け取り、冬も越えられるだろう。

 

 公的な書類における最終的な死者行方不明者は38名に昇った。重軽傷者は78名。数字からは、居留地から逃げ出して後日、無事を確認できた人数は除いてある。犠牲者の大半は壁外の住人だが、居住者も少なからず含まれていた。中には居留地から逃げ出して帰ってこなかったものもいるだろうし、家族や知己がおらずにカウントできなかった行方不明者もいるので、正確な人数は分からない。

 

 後にマギーは、小さな勲章を貰った。他にも何人かの自由労働者や渡り人(オーキー)が貰った安っぽいブリキ製の勲章だが、しかし、この後、ポレシャでの生活に多少役に立つかも知れない。

 

 お腹も膨れた。二、三日は無料で食べさせて貰えるそうだ。肉や乳製品の供給は、数年間、大幅に低下する見通しで、今年度の収穫から他所に売る余分の麦もなくなったが、住人や労働者を食べさせる分は残っているし、値上がりも抑えられるとの事だった。

 

 とにかくも、生き残った。家路に就いた二人は道中、それとなく知人の安否を確認しながら歩いた。無事な子もいたし、安否の分からないものもいた。家が血塗れに染まっていた隣人一家もいた。

 

 南の壁外からは、もうもうと煙が立ち上っている。払暁からの反攻で、雑穀畑が焼き払われていた。麦畑にどれほどの巨大蟻が潜んでいるかも分からないし、柔らかな表土を食い荒らされて新しい巣窟を設営されてもたまらない。この際に女王蟻が根付いたと見られる雑穀畑を焼き払うか否かで、激しいやり取りが議会であったし、扉を破られた倉庫への補償に破られなかった倉庫への臨時徴税、配給と報償で居留地はまた大きく揉めもしたが、兎に角も迅速な勝利が優先された。武器が損耗し、残弾が非常に乏しくなっていたという継戦能力の低下が大きな理由であった。

 

 後日の話となるが、焼き討ちに生き残った女王蟻は、居留地を引きずり回され、投石まで受けたがなおも生きていたので、少しでも損害を穴埋めするために自由都市《ズール》への大商人へと売り払われることになる。

 

「……ついてない」

 路地裏へとようやく戻ったマギーだが、塒の正面バリケードが激しく攻撃を受けて損壊しているのに衝撃を受けて、茫然と呟いていた。

 だが、やがて気を取り直すと、ぶつぶつと呟き始める。

「いや、襲撃が昼で幸運だった。

 これが夜襲だったら、多分、入り口近くの私たちの家は……」

 マギーは言いかけて、少し考えてから首を振った。

「いや。音で気づいたかな。コンクリートの道なら足音もする。裏口から逃げたから多分、助かったか」

「また、変なときに変なことを考えている」ニナが呟いた。

「夜襲だと、被害も甚大だったかな?」ああだこうだと考えながら、バリケードの奥を覗き込んで、マギーが眉を顰めた。

 

 路地の奥、他人の家に勝手に入り込んでいる何かがいた。

「なにかいるよ……蟻ではない」

 ニナの呟きに、薄闇から掠れた声が返ってきた。

「あ……す、済まない」

 マギーがバリケードを揺らしつつ唸っている。

「ああ、だから蟻に攻撃されたのか。勝手に逃げ込んで、もう……」

 ところが待てど暮らせど、奥の人影は一向に動く気配が無かった。

「ちょっと!早く開けてよ!」

 

 目が慣れてくると、二人の家に居座っているのが若い男だと分かった。何故か、媚びた笑顔を浮かべながら動こうとしない。

「え、えへ」

「えへじゃないよ!開けなさいって!」「開けろー」

 マギーとニナが抗議しても男は動こうとしない。異常を感じて顔を見合わせた。

 怪我でもしてるのか、様子が変だった。仕方ないので、固定してる瓦礫をどけて、自分たちでバリケードを動かし始める。

 

 近寄ってみると、男の背後。瓦礫と瓦礫の狭間に灰色のシートが掛けられていた。

 マギーがそっとシーツを捲ると、血の気の失せた若い娘が蹲っていた。手足の数カ所に血の滲んだ包帯を巻きつけている。

「蟻……は?」と怯えた様子で、恐る恐る問いかけてきた。

 若い男が片手に持った楽器は壊れていて、座り込んだ地面は流血に赤く染まっていた。青年は蒼白の顔色で、力なく笑いかけた。

「……やっつけたみたいだぜ」

 娘が若い男の首に抱き着いた。

 

 ニナは、点々とした血の跡を視線で追いかけ、バリケードへと振り返った。裏側にはべっとりと血痕がついていた。

 深手を負いながら、バリケードを設置して恋人を守り切ったらしい。

「……やるじゃん」マギーが賞賛すると、若い男は血塗れの顔に誇らしげな笑みを浮かべた。

 マギーは、しゃがみ込んで男の服を捲って、傷口を調べた。傷はそう深くないものの複数あって出血も多かった。

(……助かるかどうかは、半々かな)思いながらも、手持ちの包帯を巻きつけて止血を行うと青年に肩を貸した。

「議事堂で手当てして貰える、頑張りなさいよ」マギーが告げた。

 青年が力なく頷くと、マギーは疲れきった重たい体に力を振り絞って、巨大蟻の骸が転がる瓦礫だらけの道を歩き出した。

 

 

 

 

 ポレシャでの巨大蟻強襲の顛末は、これにて終わりである。

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