黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_79 『誰も寝てはならぬ』

 二月最後の吹雪は、吹雪いたり、止んだりで断続的に十日以上も続いた。

 前後の軽い氷雪も加えれば、二週間ほどだろうか。

 

 数十年に一度の寒波と呼ぶに相応しい吹きすさぶ吹雪も、しかし、記録に残る百年に一度の大寒波に比較すれば、対処可能な範囲だと壁新聞は謳っていた。

 ポレシャ市は、事前に大寒波に準じた備えを行い、全ての階層の住人たちに厳重に準備を促していた。市民から正規居住者、そして労働者層に至るまでも例年よりも冬の犠牲者が少なかったのは、損害を読み切れずにコストを度外視して備蓄を放出した為、各家庭や避難所での薪や物資、毛布に余剰が出たからだろうか。

 

 寒波における3か月間の餓死、凍死、野外での行倒れは全人口の0.7%。戦争や襲撃を除いた状況では例年、自然死を含めて一年で2~3%ほどの死者が出るから、平穏な年の冬と殆んど変わらないまでに被害は抑えられたことになる。

 殆んど信じられない数字だがその分、予算にはかなりの打撃を受けてもいる。

 

 市民や正規居住者たちが再びの臨時徴税の襲来を恐れる様子、甚だしかったが、それでも人々の表情には、寒波を乗り越えた喜びが輝いているように見えた。

 

 中世後期十五世紀とほぼ変わらぬ暮らしを営む農村でも、文明の残滓は残されていたのか。技術やインフラ・物流が後退したとしても、甚大な被害を出したであろう中世と異なり、人々の危機意識や人的被害を抑えるという合意の形成は速やかになされた。

 少なくとも一日で往復できる近隣の農場や農村では物資を融通し合い、一時的に市に借款を行い、或いは、避難民の受け入れ申請を行ってでも、事前に可能な限りの対策を整えて被害を抑えようと尽力した。時に零下20度を下回る夜も、元々、高緯度で標高も高く、冷涼な気候であれば、厳寒な冬への備えを住人たちは備えている。

 

 壁外の地区や廃市街に暮らす渡り人(オーキー)に自由労働者、浮浪者《ホーボー》や廃墟生活者たちも、抜かりなく最善は尽くした。例年より犠牲は多かったものの、冬を乗り越えた徒党も多かった。そしてそこまでやっても駄目だったのなら、諦めるしかなかっただろう。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 ココなんです。俺たちは返そうと思って!えぇ。えぇ。盗んだのは全部ココなんですよぉ。お役人さん。ね、ね。俺たちは衆の為に一生懸命、稼いでいる善良な若衆だ。ココと来たら、いつもさぼって、何してるか分からんやつです。仲間たちに聞いてくださいぃ。みんな、ココなら、盗みをやるっていうはずですからぁ。

 

 保安官事務所手前の取調室で、リード容疑者はあらぬことを口走っていた。

 

 素っ頓狂で抑揚の壊れた話し方。目はどこを見てるのか分からない。口の端から涎が垂れてヘラヘラと笑いながら、追い詰められて自我が激しく揺さぶられたのだろうか。それでも垂れ流されるのは、ひたすらの自己正当化とココと言う少女への非難。

 

 どうにもリード容疑者のうちでは、窃盗事件の取り調べに当たる保安官たちが、なんで意見を聞き入れないのか理解できない様子だ。ココを放置したままに自分や仲間たちに対して淡々と取り調べを行う状況に色々と納得がいっておらず、不満を漏らしている。

 

 ココと言う少女が窃盗事件の起きた時間帯、七人からの保安官や民兵の眼前にいた事実は、すでに二度も説明した。三度目はない。

 リード容疑者だが、多大な精神的を負荷を受けた人物が時として陥るように、現実に対する焦点がズレているようにも見えた。が、ポレシャ居留地に精神薄弱状態による無罪判決は存在しない。

 

 そっ、そうだ!トム!トムが知ってます。あいつが相談しに来たんですよ。

 ココが懐中時計を盗んできてしまった。どうしよう。と。

 トムを呼んでください。あいつが盗人だと証明できますから。

 

 うふふぅ、とほほ笑んでいるリード容疑者は、一貫して己は正しく、すぐに釈放されると信じ込んでいるようだ。現行犯を抑えられた他の仲間たちは、すでに潔く複数の容疑について認めているというのに。

 

 セフ衆のトムを保安官事務所に呼び出した。積雪の中、寒さの厳しい季節に廃市街から市民街区までは、片道で一時間以上も掛かるだろう。

「寒い中、すまなかったね」マクロード副保安官の言葉だけの冷たいねぎらいにも、若衆の班長トムは「いえ。とんでもないです」愛想笑いを浮かべるしかない。

 

 すでにセフ衆は一時的な農村からの避難者から、一部は下層地区に。残りは廃市街に流れ着いた難民に転落している。そしてかつて、独立独歩の勢力であった頃の政治的遺産も、今回の窃盗事件で潰えてしまった。慎重に振舞い続ければ、独立勢力の残党としてポレシャ市もそれなりに丁重に扱わざるを得なかったのが、もはや居留地と不仲なだけの単なる廃墟生活者の一徒党でしかなくなっていた。

 

「リード容疑者が君が真の窃盗犯を知ってると……」副保安官の言葉に、トムは舌打ちするも慌てて、「いや、リードの野郎に対してでして」と弁解する。

 マクロード副保安官は、ただ冷淡にうなずいて、取調室のドアを示した。

 

 リードは焦点の合わない目でトムを見つめた。

「待ってたぞ。トム。なあ、なあ。証言してくれ」

 いつも怜悧だった、少なくとも、表面上は冷静さを装っていたリードの変貌に、トムは背筋が冷たくなった。

「なにを?」掠れた声で囁くように言った。

「あいつが全部盗んだって。ココが全部やったんだって!」子供みたいな物言いだった。

 

「なにを……言ってる」トムの絞り出したような問いかけ。

「えっ?え?だから、ココが真犯人だって」リードは幾度か瞬き、トムをじっと見る。

「お前。俺は仕方ないとしても、ココを巻き込むような真似はやめろ」トムの投げかけた諫める言葉に、リードは突然の激昂を見せた。

「なにいってんだぁああ!おまえっ!おまえぇ!」抑揚が外れっぱなしの絶叫が取調室の空気を震わせる。

「ネリが獄中に入っちゃうんだぞ!本当のことをいえええぃ!」

 

 額に冷や汗が滲んでいたが、トムは言うべきことは言うと決めたのか、口を開いた。

「……俺たちなんだよ。よしんば、よしんば三年前にココが盗みを働いていたとして……その時、あいつは何歳だった?今だって十五、か。それくらいだろう。

 だったら、子供にそんなことをさせた俺たちに責任があるんじゃないか?」

 

「俺も、いい加減屑だけどな。

 だけど、捕まったら運の尽きだと諦めるんだな」とトムの言葉に対して、リードは、ブツブツと呻きながら――強烈な異臭が漂い、トムが顔色を変えて後退った。

 リードは、脱糞していた。茫然と見つめるトムの眼前で、そのまま勢いよく何もない空中に向かって喋り始める。

「ママ、みんなが僕を嘘ついてるって責めるんだ。でも、ネリを守んないと。

 あの子、いい子なんだよ。なのに、みんなが虐めるんだ。僕が守るよ。

 うふふ」

 

 人間の精神が完全に壊れる瞬間は、流石にマクロード副保安官も初めて目撃したが、愉快なものではなかった。とは言え、容疑者に対して、副保安官は微塵も同情しなければ、動揺もしなかった。誰を守りたいかは知らないが、他人を犠牲の贄にせず、守るべきものを守り抜いた男女を幾人となく見てきたし、愛する人を失っても強く生きている人々も大勢、知っているからだ。

 

 だから、副保安官からすれば、リードの末路は自業自得に過ぎず、ありふれた悲劇ですらない。いいところが出来の悪い笑劇に過ぎない。

 人は度々、勝者の残酷な振る舞いに対して非難を向けるものだが、ことが帰結に至る以前、敗者が勝者に何をしたかと言う視点が欠けている時も少なくない。

 とは言え、この態では流石に流刑地にも送れまい。都市の精神病棟にでも収容することになるのだろうか。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 吹雪荒ぶ真冬の日にも、簡易宿泊所の寝台の傍ら。なぜかマギーちゃんは小さな机に向かって、書類を広げていた。

 ランタンの明かりと暖炉の炎の下、伊達っぽい眼鏡を掛けて書類に数字を書き込んでんでいる。

「……それ、なんの書類?」寝台に腰かけてニナが尋ねる。

「廃市街の人口統計と供出した薪や食料、毛布の量。どうにも、中古市場に回って回収できそうな毛布が少なくなると予測してる」マギーちゃんは、算盤とメモ帳で二度、数字を確かめてから丁寧な文字で記載している。

 

「建物の中で天幕とか、上着やズボン。或いはマントに生まれ変わる。絶対」

 来年の冬以降、二十年ほどは、廃市街や下層地区、壁外の地区に分厚いコートが流行するに違いない。予測された寒波に対処する為、ポレシャ市は毛布などを放出しており、倉庫はかなり空に近かった。こういう時の為に備蓄していたのだ、と思い切りの良さは、確かに尊敬に値するが、残り2割は拙かろうとマギーちゃんは思うのだ。

 

「なので、冬が明けたら、ズールで出来るだけ安くて、出来るだけ質がいい毛布を、出来るだけ沢山、集めて欲しいなってお願いされた」ペンを回しながらのマギーの言い分に「なんで家に持ち帰って仕事してるの?その書類、機密とかじゃないん?」ニナが呆れたような眼をした。

 

「冬。真冬に動き回れる防寒服持ってる人は、働く義務があるんだとさ」淡々と言ってから、マギーは付け加えた。

「いや、正確には役所に顔出すなら、仕事をしに来てると。

 知らんかった。新参者で成り上がりなので、知る訳がないんだが」

 

 一昨年のファーコートとて、かなり良い代物ではあったものの、真冬を凌ぐには不十分であり、厳冬期には宿泊所に閉じこもって日々を耐え忍ぶしかなかった。

 去年は、二千都市通貨の防寒具の性能を計りかね、今年は、さすが防寒具だ!零下20度でも平気だぜ!と、少しはしゃぎ過ぎて色々と歩き回った。

「道理でやたらに仕事を割り振られるな、と」とマギーちゃん。美味しいお茶が振舞われるので度々、役所に顔を出していたら、こいつはやる気があるな。よし!されたのだ。厳冬期に耐える防寒具持ってる人物は裕福な市民か、それに近い人材で生活と時間に余裕を持っている。普通なら。

 そしてマギーは目端の利いた行商人。手持ち資金にも余裕があった。

 

 役所と言っても、公的な官僚組織と言うより、ある種、近世の職能組合(ギルド)に近い形態を取っている。様々な人物が雑多に出来りし、信頼できる人物に場当たり的に仕事を割り振る様は、小規模な居留地に最適化された組織として合理的とも言えた。ローカルルールを知らずに顔を出した相手に対し、事情を察した者もいようが、色々と余裕がない冬を迎え撃つのに、ポレシャ市役所は、殊勝な心掛けだ。仕事を振ってやろうと予備戦力を歓迎したようだ。

 

 ついでと言う訳でもないが、マギーちゃん。役所の一次資料から、ポレシャ市近郊の農村や農場、壁外の小地区や廃市街における経済力や生産物、郎党や徒党の勢力に武装、血統図や交友関係に至るまで幾つかの情報を入手していた。とは言え、行商にそれほどに役に立つものでもなければ、活用して稼いでやろうとも考えなかったが。

 そこら辺が商人としては、やや貪欲さに欠けているかも知れないが、必要な情報など、当然にある程度は把握済みで所詮、他人の価値観を通しての情報である。忙しくて手が回らないなら兎も角、他所の情報をあまり頼りにしようとは考えない性質でもあった。

 

 と、書類を眺めていたマギーちゃんの手が止まった。一瞬だけ、鋭い視線が室内を走ったのに気づいたのは、傍らにいたニナだけであった。

「ん?」と身を乗り出してニナがのぞき込むと、マギーは一枚の書類を指で叩いた。

 廃墟徒党のセフ衆は、薪も毛布も要請しておらず、冬を越えられる可能性が危険域と判定されている。ココの古巣、と気づいたか。ニナも暖炉の傍で寝てるココを一瞥だけして囁いた。

「ポレシャに支援要請……ああ、もう、冬も終わりか」マギーは舌打ちして、無事だといいが。とだけ呟いた。

「マギー、嫌ってるかと」ニナが首を傾げるも「破滅を喜ぶほどではない。陰湿だが、悪人でもないからね」マギーの言にニナも頷いた。

 

 今から間に合うかとマギーは考え、否、冬も終わると嘆息した。

 布告や手続きを知らなかったか、或いは、端から諦めていたか。

(……愚かな)と瞼を揉んだ。

 門前払いされても、身内の為に頭を下げればいいものを。と思えるのは、ポレシャ市が話が通じると知っており、また過去に部下の為に妥協した経験があったからか。

 いずれにせよ、もう遅い。セフのうちの幾人が冬を越えられるだろうか。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 薄暗い部屋の中央でか細い火が揺れていた。

 炭団子は安い代わりに火は小さい。

 周囲に熱をじんわりと放つような温かさを長時間保ってくれるが、骨の髄まで凍るような冬夜の寒さには、やはり大きく燃え上がる炎を人は欲するものだ。

 がちがちと歯を鳴らしながら、シャツを三枚にウィンドブレーカー。毛布を二重に着込み、抱き合って寒さを耐え忍んでいる。

 隙間には藁屑や土を込めて隙間風を防ぎ、窓は木板や泥で塞いでいる。それでもどこからか冷たい風が吹いてきて体温を奪い取っていった。

 此の侭では酸欠になるかも知れない。だが、寒さで死ぬのと、酸欠になるのとどちらがましだろうか。

 

 廃屋とは言え、壁と屋根が寒さを防いでくれている筈なのに、野外にいるかのように寒さが肉と骨に噛り付いてくる。

 今、寝たら死ぬだろうか。それとも朝には目が覚めるだろうか。

 いや、駄目か。もう数日、吹雪は続いている。

 隅にいた老人が崩れ落ちていた。隣にいた男が手を触れて首を振るい、毛布を取ろうとしたらが、傍らの女が毛布にしがみ付いた。

「寄越せ!爺さんには金を貸してた!」男が言えば、「あたしの毛布だよ!貸してたんだ!」女も言った。蚊の鳴くような呟きで罵声を囁き合っている。

 

 4年も前か。セフの村が潰れる前……トムは、マギーを知っていた。

 時々、ポレシャには買い出しにきてたから、市の片隅の露店でガラス瓶やら布の切れ端。木板や釘を売ってるあの女を見たことがあった。

「雑貨屋で売るより時々、高く売れるんだ」と頑張ってた。

 年下の少女と一緒に座って全然、売れた様子もないで。袖の擦り切れた襤褸シャツに継ぎ接ぎだらけの上着を纏った風体は、金のない渡り人(オーキー)そのもので、それでも楽しげに笑っていたのにトムは見とれた。

 

 その品々は行商ではなく、廃墟を漁って手に入れた品々のようで、そして貧しい廃墟漁り(スカベンジャー)のうちには春をひさぐ女が――男もいるのは、よく知られた話だった。

 村の顔役で富農のゴーランがにやりと笑って歩み寄り、「買ってやろうか」お決まりの声を掛けると、マギーは平均的な金額を提示した。

 ゴーランは札びらを切りながら、マギーの顔を掴んで「それでお前は幾らなんだ?」と尋ねた。

「うわあ、いやな奴だ。こういうのも来るから露店はね。治安のいいところでやらないと駄目だよ」マギーが言い、隣の少女も「いやな奴だね」と真顔で肯いた。

 

 怒りに顔を赤くしたゴーランが太い腕を振り回し、おのれの家で召使にするようにマギーを打擲した。正確には、マギーの腕を。

 一撃を防いだ行商人の娘が立ち上がると、ゴーランより背が高かった。

 富農の男が怯んだのを眺めながら、「おっまわりさーん!」と叫び出した。

 ゴーランは慌てて逃げ出し、マギーや隣の屋台の気のいいおばさん。近くにいた人形を抱えた双子の少女たちもお腹を抱えて笑っていた。

 

 いい女だな、とトムは思った。恋愛的な意味合いではなく。生き方が。

 

 話しかける機会もなく、その後には巨大蟻にセフの村も食い潰されて、ポレシャに逃げ込み、ゴーランは何故か、行商を提案して、セフ衆の財産を幾らか目減りさせてしまい、今は死んだ老人の毛布を奪い合うほどに零落していた。

 

 ココが懐いた頃には、マギーはもう頭角を現していて下層地区では指折りの行商人に成り上がっていた。強烈な眠気に抗いきれず、うとうとしかけてトムは首を振るう。隣の女が身を押し付けてくる。誰もが身を寄せ合い、寒さに耐えていた。

 

(ココは、いい相手に繋がれた……よかったな)空腹と疲労に瞼が下がってくる中、トムは必死に隣の連中の肩を揺すり、互いに眠らないよう……

 

 

 

 

 

 

 ―――――

 

 2月下旬_14523都市通貨

 

 マギー、ニナ、ジーナ・E、トリス、ココには、すでに冬の判定が存在しません。

 ポレシャが健全な限り、自動的に冬を越えられます。

 

 

 

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