黄昏のガンダルヴァ   作:猫弾正

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03_88A クロムの社

 季節は初夏に入った。

 

 取り立てて、特筆すべき出来事は起こらない。マギーとニナの行商は順調であったし、徒弟のトリスと猫耳のココも穏やかに日々を過ごしている。かつてのココの仲間であるセフ衆も、何処に去ったのか。町中に見かける事も稀となっていた。

 ジーナ・エクルストンも、リジィも、ついでにジョージアも四六時中、飯を食いに来る。リリーが楽しそうに作り、他の娘たちも、何故か、ジョージアも手伝っている。

 

 マギーは、大工と人夫を数名雇い入れて、家を古い建造物の傍に移した。家そのものを分解して、頑強な廃墟に面した場所へと移動させたのだ。コンクリート壁を一面に当て、さらに新しい壁を作って、三方向に頑丈な壁を作った。

 怪物が押し寄せてきても、容易くは壊されない壁が三方向。残り一方向は、薄い木の棒に段ボールの壁だが、いずれは分厚い木材と金網の壁を作る予定だ。

 いずれにしても、これで幾らかは枕を高くして眠れるというものだ。

 

 他には、ルガリエ地区から燧石銃《フリントロック》を何丁か仕入れたが、火縄銃《マッチロック》よりも売れ行きが悪い。機械部品の信頼性だろうか。恐らくは、火縄銃《マッチロック》が不発も殆んどなく、壊れにくくて修繕しやすいからか。

 火縄銃《マッチロック》は装填速度がおよそ30秒。燧石銃《フリントロック》は20秒から25秒だが、渡り人(オーキー)や労働者、農民たちは、多少の性能差よりも信頼性の高さで選んでいるようだ。いずれにしても売れ行きがまるで違った。

 

 燧石銃《フリントロック》の売れ行き不振とは裏腹に、自由都市や牧者衆から仕入れた羊皮紙は、それなりの金になっている。ポレシャ市が牧者衆から直接、仕入れるのかと思いきや、行商人を使った方が一括よりも安く付くそうだ。小規模な田舎町にとっては、契約で利権を発生させないための知恵なのだろうか。

 

 いずれにせよ、マギーは現状、都市《ズール》通貨で月二千ほどの利益を上げていた。

 徒弟たちの賃金や生活費を引いての金額であるから、自由に使える金額である。

 ポレシャ市でそれなりの賃金を貰う自由労働者の稼ぎが週に六十ほど。都市通貨に換算すれば五十ほどだから、マギーは多分、一般的な労働者の十倍以上も稼いでいる。他の労働者や渡り人(オーキー)は、五十から食費や薪、水に服代、石鹸や洗濯代などを支払わないといけない。

 

 黄昏の時代の庶民は、明日をも知れない境遇だから油断できないが、それでも今の収入なら、大きな邸宅を借り、お手伝いさんを雇い入れて安楽な生活だって送れるだろう。いまだ三十にも届かぬマギーの価値観では、あまり魅力的な生き方ではなかったが。他の行商人や露店商、或いは店持ち商などに比べて、この二千がどの程度の順位に位置するのかは、マギーにも、まだ分からない。殆んどの行商人や露店商は越えていると思うが、一方で店持ち商人や隊商主らが、どれほどに稼いでいるかも想像は付かなかった。

 

 多分に、映画やアニメによく出てくる20世紀後半から21世紀の庶民の方が、マギーより遥かに豊かな生活を送っていたには違いない。ポレシャの富裕な市民層にしても、近代、或いは近世の先進地域の市民と比較しても、どちらが良い生活を送っているかも分からない。もっと、マシな未来もあっただろうに、と、つらつらと思い耽る時もマギーにはあった。

 

 兎も角、そんな訳で食事は大抵、八人から、時に近所の双子と老人が顔を見せたり、若夫婦がやってきて十人。十五人と賑やかに食事をすることも多かった。

 マギーは近隣の住人たちに大きなパンの塊を渡し、困ったことがないかを度々、親身になって尋ねている。

 

 他者を見下して悦に入る為の施しではなく、隣人を味方につけておく為の戦略、かつ、賑やかな食事をそれなりに楽しんでいるマギーにとっては、言わば取引だから双方は対等で、パンを供給する限り、隣人たちもそれとなく警告はくれるだろう。噂話を聞くのも一方的な施しではなく、取引と分からせる為。人とは存外、敏感な生き物で、見下されていれば何処かで察知するものだ。

 

 善良な人がしばしば終わりの見えぬ貧困との戦いに疲れ果てるのに対し、成功者への妬みを幾らか抑える為の必要経費と考えるマギーは、疲労も覚えない。逆に言えば、他者に微塵も期待してない訳だが。ともかくも心底、見下す気持ちはなかったので――侵入に備えたいと言う動機が故の施しだから―――相手だって、真情の心配と受け取れば、悪くは思わない。ローマの金持ちが近隣の貧民に施しをした理由と全く同義で、商人マギーは自然、近所で信望を集め、頼れる人物と見做され始めていた。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 クロムの社を造る為、マギーはいささかの大金を払って曠野にあった石柱を運んだ。自分にもそんな感性や信仰心があることが意外であったが、ただ石柱を立てて、強かった敵の、捨てるに捨てられなかった武器を地面に突き刺した。

 

 クロム神がそんなものを望むとは思わない。

 クロムは弱者を嫌う無慈悲な神だ。

 人に授けるのは、生まれる際の勇気と戦う力のみ。

 

 これは形のあるものに縋りたい、弱き人の為の社だ。

 

 ルキウス・カッシウスの剣。ルキウスの記憶はマギーが覚えている。

 いずれ、マギーが死ねば、誰の記憶からもルキウスの名も強さも消えて無くなるだろう。それでいい。そんな事を酒場で誰かに語った気もする。

 暫くして、ツヴァイヘンダーが突き刺されていた。

 

 近くの小屋に、片手と片腕を失った廃兵の老人が住み着いている。

 かつてのクロムの信奉者だった老兵を連れてきた。

 彼が、神官と言う事になるのか。

 マギーは時々、寄って茶を飲み、幾らかの喜捨をして立ち去るだけだ。

 他のクロム信奉者が近寄るとも、手心を加えるとも思わない。

 

 その日も、クロムへの参拝を終えて、町外れへと帰還すると定期市が開かれていた。五日に一度とか、或いは週に一度。下層地区では定期市が開かれて、近隣の農民が野菜を持ち込んだり、或いは肉屋が豚肉や羊、山羊などを販売している。

 逆にポレシャで肉を仕入れて、近くの小さな居留地へと運ぶ商人なども多い。

 

 外部地区や廃市街から客も訪れ、古着や廃墟のガラクタに木工細工や木の玩具なども売られ、ちょっとした賑わいも見せている。町外れはポレシャ市の一部であり、バリケードの設置された出入り口で人の往来を監視しているため、あからさまに怪しい集団などは入り込みにくい。

 

 と、風景に混じっている異物にマギーは目ざとく気づいた。

 茶店やら、物陰。木箱の上や辻など目立たぬ場所に、何組かの見慣れぬよそ者が入り込んでいた。年恰好や性別、年齢は様々で、変異者である小人やら猫耳、犬の顔をしたものまでいる。風体は、革鎧に弓を背負った部族戦士の女、ライフルを携えた無宿人、マスケットを抱えた二人組の浮浪傭兵など様々な連中で、よく鍛えられ、抜け目のない目つきをしているが、しかし、凶暴さや邪悪さはそれほど感じない。

 

 厳しく無情な顔つきは、むしろ善悪問わぬ法の手先として恐れられ、忌み嫌われている賞金稼ぎのものだろう。実際に通りすがる通行人たちに鋭い視線を投げかけては、手元の手配書を捲っている。マギーを見て、何度も手元の手配書を捲って、首を傾げていたのは気に食わないが。

 

 丁度、自警団の巡邏が通りがかったので「よっす、タリー」とマギーは親しげに呼び止めた。

「あ、マギー」軍服コートのマギーを見上げると、年少のテイラーは少し嫌そうな顔を浮かべた。表情もやや強張っている。

「なんだい。子供の頃は可愛いかったのに。キャラメルやったのに」テイラーの反応にぼやいたマギー。内心、傷つきつつも、見慣れぬよそ者連中について尋ねてみると、流石に地区の出入り口でもチェックはしたらしい。

「ああ、賞金稼ぎ。ちゃんとライセンスも持っていましたよ」

 首を振りながら、自警団テイラーは丁寧に教えてくれた。

 

「ふむん?賞金首でも追ってるのかね」かつてマギーも賞金稼ぎを生業とした時期があったが、宛所もない流浪生活こそ思い出したくもない記憶であった。

 今にして考えれば、どうしてあのように不安定な日々に耐えられたのかも分からない。或いは、裏切りと決別で終わってしまったが故、楽しかった幾らかの思い出も葬り去ってしまったのだろうか。今では、思い出すことも殆んど無くなっている。

 

(……まあ、いい。時は流れるものさ)

 現役を離れて久しく、知った顔の賞金稼ぎもいなければ、凶悪犯が近隣に逃げ込んでいるとの警告も保安官から受けてない。ならば、問題もあるまいと、マギーはタリーに別れを告げると、再び定期市の散策へと戻った。

 

 途中で自警団のジーナ・E(エクルストン)が飼い主を嗅ぎ付けた愛犬のようにやってきて、マギーに合流してくる。可愛い奴だ。

 まだジーナ・E(エクルストン)を養えるほどの余裕はなく、また、仕事も与えないのに完全に抱え込むのも良くないとマギーは考えている。幾らかの小遣いはやっているが、普段は、自由労働者として働いているようだ。

 マギーに腕を絡ませて、幸せそうにうっとりしつつ、「商人の徒弟が親方を怪我させて、金を奪って逃げたそうです」最近の下町の噂話を教えてくれる。

 

「賞金が懸かりました。親方が五百。親方が掛け合って、親方衆が渋々、三百。

 合計で八百居留地通貨。大金ですね。探しますか?」ジーナ・E(エクルストン)が尋ねてくるも

 大金かな?と、普通に稼げる金額と思ったマギーは、他人と金銭感覚がズレてきていると自覚し、やや危険か、と瞬きした。この危惧は日記にでも書いておくか?でも感覚のズレと言っても、元の感覚をどう温存すればいい?と、思考を走らせる。

 

(……いや、これってそもそも修正するべきか?)

 金銭感覚が拡大しているからこそ、小口取引では感じにくい資金の流れや損益計算を把握できるし、都市通貨や隊商レベルでの仕入れ、販売に心理的な耐性を持って大きな金額を動かせる。

 戦略的思考や心理耐性がマクロな取引に耐えうる骨格に育ったとも見做せる訳だ。収支のバランスシートが健全で、これからも続く可能性が高いなら、自然と適応した感覚を、無理して庶民水準に戻す必要はないとマギーは結論した。

 

「……転落した時が恐いけどね」大金を扱う感覚は残しつつも、贅沢に身を浸す必要はないと自戒も口にしておくと、ジーナ・E(エクルストン)はよく分からない頓珍漢な返答に瞬いた。

「御免、なんでもありません。私は興味ないかな。ジーナは好きにすればいいさ」マギーが囁きかけると、ジーナ・E(エクルストン)も「なら、私もどうでもいいかな」ほほ笑んだ。

 

 

 

 ※※※※

 

 

 

 隻眼のリリーは、『町外れ』地区の定期市を巡っていた。昔は品揃えも乏しかった定期市だが、最近は農民やら行商人、鍛冶屋に木工職人、廃墟漁り(スカベンジャー)などがよく商品を持ち込んでくる為、一見して随分と賑やかになってきている。

 

 定期市は、早朝の涼しいうちに開かれる。

 まだ低い初夏の陽光が行き交う人々を斜めに照らしている。

 廃墟の瓦礫や泥の小屋、段ボール天幕の影が、妖精の指のように地面に伸びて、空き地に疎らな露店や屋台に覆い被さっていた。

 

 廃屋に店を開く露店商らもいて、壁際には棚板が渡され、鍛冶屋の釘や鍋、のこぎりに蹄鉄、ナイフなどが無造作に置かれている。

 旅商人らが大きめの店舗を開いた天幕も、色彩も布地もまちまちで、継ぎ当てだらけの帆布《タープ》や、お下がりと思しき軍用布。長く旅してきた隊商と思しき色褪せた布が混在して朝の風になびいていた。

 

 近隣の農民たちが籠や荷袋を足元に置き、根菜や葉物野菜、果実やベリーを並べている。今が旬のものも多く、一年でも旨いものを食べられる時期とあって労働者たちの財布の紐も多少は緩んでいる。奥の天幕には、どぶろくや密造酒も並んでおり、行商人は小箱を開き、安物の宝石などあしらった指輪や装飾品を並べていた。門前町に並ぶものに比べれば鍍金の安価な品だが、それでも若い恋人たちがのぞき込んでいる。

 

 客層に金と一見の客が多い門前町の市場と比べると、下町の定期市は、人の声は低く、呼び込みも控えめだ。実際には、日用品の石鹸やら野菜、酒などは、おおよそ購入する常連が決まってる。

 まずは何時もの顔見知りに何時もの量を売り、それから余剰品があれば、他の客に売りさばかれる。短い挨拶を交わし、品を確かめ、金と商品――或いは酒や食べ物、煙草や弾薬と廃墟で拾った釘や衣服が交換されていた。

 

 偶には、ひったくりや喧嘩沙汰も起きるが、自警団が見回っている為、治安はそれほど悪くない。上位組織の市民兵がおおむね秩序だってるので、聊かの援助と支援を受けている自警団も自然、粗野ながらも弛緩はしていなかった。

 

 廃墟漁り(スカベンジャー)は、比較的に様々な品を安価に売っているが、一見するとやや客が少なかった。廃墟で調達してきた品々に拒否感を持つものは、労働者や渡り人(オーキー)でも少なかった。とは言え、廃墟漁り(スカベンジャー)も実は、普段から危険な廃墟にばかり潜っている訳でもない。

 大半は、日雇い仕事をしたり、行商人の真似事もして稼ぎつつ、仕事の一環として廃墟に踏み込み、或いは、行政や隊商の依頼で、廃市街の人の少ない街路や大型建築物の地図を作製している一団もおり、話してみれば、意外と気のいい者たちも見かけられる。

 

 とは言え、荒事稼業に身を窶す職業には変わりなく、売っている古着や家具には血痕がべったりと付いていたり、携えているエアライフルからクロスボウ、ネイルガンにサプレッサー付きの自動拳銃など、警戒されるのも止む無き放浪の民が廃墟漁り(スカベンジャー)である。

 

 居留地や農村、旅籠などが変異獣や盗賊の襲来によって壊滅したと聞けば、すぐさまに潜り込み、警備隊による屍者の群れ(ゾンビホード)の掃討直後に、いの一番に発生地へと乗り込んでは、惨禍の家屋を荒らしまわる漁り屋としての一面もあれば、人々から酷く蔑まれ、忌み嫌われてるのも無理からぬことではあった。

 とは言え、廃墟荒らしは、廃墟生活者やら浮浪者《ホーボー》、乞食なども少なからず行うし、また浮浪傭兵や自由労働者、渡り人(オーキー)などが戦場跡を荒らしもすれば、ある意味、黄昏の世には珍しくもない日常的な風景でもあった。

 

 廃墟漁り(スカベンジャー)たちが売ってる品々も別に旅人や村人を襲って奪ったものではなく、廃墟に行き倒れとなった人々の遺品を漁り、或いは、廃墟生活者らの廃れた住居跡から持ち帰った者に違いない。夫婦物の廃墟漁り(スカベンジャー)の膝の上で、ニコニコとほほ笑んでる幼児にまで罪を見出す気はなく、リリーは商品から大きなスープ鍋を購入した。

 

 最近、食費が掛からない。食事を作る代わり、食材と薪、水代は同居人たちに出してもらっている。

 自由労働者の家計にとって出費の大半を占める食費と、あとは身体を洗うお湯代も浮くのはリリーにも大きかった。働く日数を減らして料理の時間に当て、あとは蒸し風呂やら石鹸、衣服を買ったり、調理器具と本、酒に煙草も少しマシな品を呑んでしまえばトントンで、懐に余裕ができた訳ではないが暮らしは上向いている。

 まあ、なんとかなると、リリーは高をくくっている。

 或いは、人生を自棄になってるのかも知れないが。

 

 あどけない表情を向けてくる幼子は可愛いかった。

 子供から目を離さない廃墟漁り(スカベンジャー)の夫婦と、赤子時代の夜泣きなり、近所の赤子を世話した際に大変だったなりとどうでもいい世間話を交わしてるうちと、壁に貼られた新しい手配書が目に入った。

「ああ、それ。商工会かなんかが張れって持ってきて」夫婦がうんざりした様子で肯いた。

「逃げた徒弟にしては大層な賞金やねぇ」眺めてリリーが呟いた。

「まったく賞金稼ぎどもが勝手にテントの奥まで踏み込んでくるもんだから堪んないよ」文句を言い出した夫婦を他所に、リリーは「あれ?」と首を傾げた。

 

「ちょっと知っとる顔に似てはるわ。まあ、他人の空似やけど」

「へぇ、そいつは気を付けた方がいいよ。賞金稼ぎどもは、徒党を組んだらなにするか分からないしね。身分証はしっかりと持ち歩かないと」

 賞金首に似てる旅人がとんだ災難を被る話は、あちらこちらで聞かれている。暴力に慣れ、また卓越もしてる賞金稼ぎどもが、庶民に恐れられてる理由の一端だった。

 

「やあ、その子は田舎におる筈やし」けらけらと笑ったリリーが鍋を抱えて、露店を立ち去った。裏通りに帰ろうと近道をしてる中、狭い路地からうめき声が聞こえてくる。

 

「ゾンビかも知れんし、病人かも知れん」

 そこは黄昏の世の住人。用心深く入口からひょいとのぞき込むと、物陰に小柄な人影が隠れるように蹲っていて「リリー姉さん。助けて」蚊の囁くような声で助けを求めてきた。

 

 

 

―――――

 

6月上旬_14866都市通貨

 

 

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