〇03_89B
・屋台商人
街路や市場の一角に屋台を構える商人である。
多くは、飲食物や軽い日用品を扱い、
火を使った料理や、簡易な加工品を提供することも多い。
移動しながら商いする者もいれば、同じ場所を長年利用する者もいる。
市場の外にいる露天商よりも、設備が整っており、多くは専業の商人である。
大きな町や市で市場に屋台を持つ人間は、
大抵の相手から一端《いっぱし》の商人と見做される。
屋台商人は、露天商や雇われの料理人、
工房の徒弟職人などから始めた多くの人々にとって最終的な終着点でもある。
・露天商
土地によって随分と違いが出るが、基本的には市場の外や街路にて、
簡易な店を構えて商いを行う者たちである。
正式な市に出る者もいれば、許可なく路傍に毛布を広げる者もいる。
扱う品も食料や日用品の余りものから、職人の手慰みの品。
あるいは旅人相手の雑貨まで多岐にわたる。
生計を立てている者もいれば、小遣い稼ぎの者もいる。
他所で仕入れた品を売るものもいるし、日常的な物々交換するだけの者もいる。
町や村の人間、大きな市なら近隣農民などが露天商をすることもあれば、
旅人や行商人、鉱夫、旅職工、旅商人や隊商の一団の随員が行うこともある。
変わったところでは、密造酒作りであったり、傭兵が戦利品を売ることもある。
・兼業商人
農民、職人、廃墟漁り、或いは料理人などが市場に店を出したり、
或いは、路傍や酒場の隅などで商売を行うこともある。
薬草取りは、治療師であり、市場では兼業商人にもなる。
税の軽い自由農民や自治惣村の農民は、多くが兼業商人であり、兵士であり、
時には行商人や資本を貯めた交易商人も兼ねている。
・棒手振
籠を担いだり、棒に籠を付けて担いで、足で販売して廻る。
商品内容や野菜が多いが、肉や豆、簡素な料理。或いは水売りなど。
稼ぎは、頭打ちではあるが、扱う品と客層次第では結構稼げる。
また本職を別に持っていて、商品を仕入れた時だけ棒手振となる兼業もいる。
農家の次男、三男や農村から売りに来るものもいる。
また、狩人や猟師などが仕留めた獲物を売りに回ることもあれば、
薬草などを売って回る森の民や山岳民、
茸を売る廃墟生活者や地下生活者もいる。
・荷運び商人
多種多様な商人がいる中で、荷運びを本業としている者たちである。
荷運び人夫に似て、しかし、内実は驚くほどに多彩である。
町や市内、或いは都市内で地区から地区へ荷物を運ぶものもいれば、
町と町を結んだり、村から町、或いはその逆に荷を運んで
生計を立てる者もいる。
いまだ独り立ちするほどの資本や信用はもたず、
徒弟として使われたり、組合や商会に所属しつつも、
金や伝手を蓄積している者もいれば、日当を貰って満足してる者もいる。
他人に雇われているうちにも、ただの荷運びと変わらぬ者もいれば、
腕のいい運び屋や速達の飛脚として名の売れてる者もいる。
数人でリレーする者もいれば、危険な土地に荷を届けるものもいる。
徒歩で一人旅の者、他人の供をするもの。仲間と徒党を組む者。
荷馬車や驢馬を持つもの。他人に頼まれての荷運びだけでなく、
おのれも荷を仕入れて販売する者には、桁外れに稼いでいる者もいる。
同じ荷運びでも、日雇い同然の者もいれば、十頭の驢馬を持つ隊商主もいる。
そうなると、もはや行商人が荷運びも行うと言うべきかもしれないが、
そうした商人にも徒弟の荷運びから身を起こしたものも少なからずいる。
〇これらの商人たちに社会的な信用の差はあるが、
序列や稼ぎの上下は定まっていない。
商業形式の分岐に過ぎず、転換も可能である。
〇おのれの竈を持てる身分 03_89B
一人前である。
竈に税金はかからないが、しかし、徴税官が嗅ぎまわっている。
人頭税を取り逸れない、稼いでる行商人や労働者として目を付けるだろう。
(ガラス)窓税。煙突税。(瓦葺の)屋根税。暖炉税などがある。
大きい暖炉ほどに税金が掛かる。見栄で作ってはいけない。
資源が限られている世界で大きな暖炉を沢山作られたら、燃料が枯渇してしまう。
暖炉や囲炉裏は別にしても、設置する場所が必要な竈は、
税の掛からない範疇では相当に上等な設備である。
自由労働者や
火鉢や
或いは、共用で竈を持つのが普通で、マギーのように自宅に私用の竈を備えて、
朝昼と香辛料の利いた温かい食事を食べられるのは、
相当な贅沢な部類には変わりない。
マギーちゃんは、おのれの竈を持てる身分なのだ。
〇03_86 身分や階級、職業
黄昏の世には、様々な身分や階級、職業があって、
中世欧州さながらの身分も幾つかは復活している。
農場の召使
――飯と寝床を支給されて簡単な仕事に従事し、
月に幾らかの小遣い程度の金を貰う。
村の雑役夫。
耕す畑も小屋も持たず、雇っている家の片隅で寝起きし、
やはり村の汚物の処理や掃除、荷運びなどに従事する。
両者ともに、奴隷でも農奴でもない。自由身分で辞める自由もある。
が、次の仕事が見つかる保証はなく、
他所に行けば、今持っている戸籍も失われる。
粗末な身なりで一生をうだつの上がらない生涯を過ごすしかない。
自由労働者はどうだろうか?或いは、放浪農夫は?
彼ら、彼女らはかなり難しい立場だ。失敗すれば、野垂れ死にも珍しくない。
だが、上手くいけば、それなりに暮らしていける。
農村の相場では、一日仕事で食事と寝床、
それに5通貨ほど村や地域の金で受け取る例が多い。
小さな町なら、日当は10~15通貨になるか、
やはり食事と寝床付きで5~10通貨ほどとなる。
これでは、冬を簡易宿泊所では越えられない。
大抵、集団で薪や食料を持ち合うか、冬場に内職や仕事をする条件で、
町や村の避難所に入れてもらうことが多い。
大きな町ほどに日当は増えるが、それでも限界はあり、
やはり腕に職を付けている者ほどに日当は増える。
ちなみにポレシャ市の日当は、15~25地区通貨。
或いは、市から課される労役の場合、食事付きで12~18居留地通貨である。
〇家の相場 03_88C
市民街区で五千から八千。
門前で三千。中町で二千だが、此処は部外者は難しかろう。
下層地区で五百から八百。外部地区や廃市街はお勧めせん。
まともな家が欲しければ、門前で二千からを見ておくがいい。
〇徒弟のトリスと猫耳ココの賃金 03_86
給与は、週に二日、十通貨を支払った場合、月で八十通貨。
年に千弱。二人で二千。
これを週に三日、十五通貨とした場合、月百八十通貨。二人で四千通貨。
薪や食料を除いても、一家が一年暮らせる金額であった。
(ちょっと多いわな)と、マギーちゃんは週に三日、賃金を十二通貨に上げた。
週三十六通貨。月に百四十四通貨。
トリスとココは、月に144居留地通貨を受け取っている。
徒弟としては、悪くない。もっと貰ってる者もいるがそう多くない。
丁稚には、小遣い程度だったり、手代でも、日に五~八通貨の賃金しか、
貰ってない者も少なくない。
(ただし、薪や食事、服と寝床は店主や親方持ち)
よい親方だと、成長した徒弟を相棒と認め、取り分をくれる人もいる。
当然に腕利きの徒弟に対してのみだが。
親方や店主次第で、丁稚や手代の生活は天国にも地獄にもなる。
〇徒弟 03_89A
トリスとココは、身分的には丁稚であるが、手代の仕事を仕込まれてもいる。
最初は雑用、次に店番。それから仕入れで、最後に取引。
中世めいた
徒弟制度の中で覚えるべき仕事の順番だ。
一口に行商人と言い、親方と言っても、当然に内実は様々で、
荷運びの牛や馬、驢馬を連れたり、荷車に荷運びをする行商人もいれば、
店持ち商人の仕切りに混ぜてもらい、
人夫に近い荷運び仕事で口を糊する者らもいる。
奉公する親方が、徒弟らの人生を大きく左右する。
都市や大型居留地の商家や行商人の下には、三十路や四十路を越えて、
下働きから上がれない手代だって少なからず見かけられる。
一応は大人として手代扱いされてるが、着ている衣服はくたびれているし、
貰える駄賃は小遣い銭ほど。
可愛がられてる丁稚小僧よりも、明らかに雑に扱われている。
それにしたって当人らの器量や人格の問題ではない。
上がり目の少なさが出世の間口を狭めているのだ。
ただ、その小金を貯めに貯めて、親方に付き添った時におのれでも品を仕入れ、
何時の間にやら、対等の相棒に成り上がったり、
独立して見せる手代や徒弟も少なくないから、
本人のやる気次第と言われれば、それまでかも知れない。
兎も角も、徒弟トリスは挨拶は欠かさなかった。
最近、紛失していた銀製ライターが泥だらけで見つかったとかで、
ご機嫌で煙草を吸ってる爺さんは猫耳ココをじろりと眺める。
傍若無人なココにしては珍しく、咳き込んでいる爺さんを苦手そうだが。
ぶにゃあ、にゃごと挨拶らしき唸りをトリスの背中から捻り出してはいる。
〇豚飼い 03_89B
豚肉も、以前よりはずいぶん安く市場に出回るようになった。郊外の大型廃墟のひとつに放浪者ワンダラーだか、浮浪者ホーボーだかの一党が住み着き、試行錯誤の末に豚を飼う工夫を確立したおかげだ。
件の豚飼いたちも上手くいきかけた頃、他所の徒党に抗争を仕掛けられ、拠点と事業を奪われそうになったそうだ。無頼や破落戸どもだって喰うのに必死だ。富んだ者らに隙を見出せば、事業を奪う誘惑に駆られるのもむべなるかな。
ブナやコナラを植えたり、子豚を買い集めて育てた豚を売りに来たりと、幸いと言うべきか、豚飼いたちの動きはひどく目立っていた、と言うより、隠蔽など欠片も考えていなかったのだろう。ポレシャ市当局や自警団もまともな連中のまともな事業と注視していたので、すぐに保護に入ったが、これは例外とまでは言わずとも、間違いなく幸運な事例で、世には不運にも事業を奪われた者たちだっているのだ。
中世は、北ドイツのハンザ辺りが豚を飼える北限だった。比較的に平野部が多く、普段の冬は零下十五度前後で、ブナやコナラの林も耐えられる。曠野はポレシャ圏の冬も大抵の年度はそれくらいの冷え込みだ。昨年の大寒波、零下二十度から一時的とは言え三十度に冷え込むと、若木の枝先や小さな芽は凍てつくのだ。豚や他の家畜も身を寄せ合って耐えられたのだろうか?