徒弟トリスが、一連の出来事について親方マギーに報告を行っていた。
敷地の座椅子に腰かけたマギーは、擦り切れた服の肩にタオルをちくちく縫い付けながら、深々と頷いてみせた。
「大したことはないと思いますが念の為、ムーア君と打ち合わせて、相手の背後関係を調べてください。廃市街の主な徒党のリストは、2番目の棚の奥にあります」
「はい、親方」とトリスは頷いた。
「しばらくは、ジーナ・
どちらの都合も付かない場合は、休んでも構いません」とマギー。
「分かりました、親方」とトリス。
「レポートにまとめておいてください。客観として時間と場所。相手の人数。
要求が無かったとしても、主観としてトリスが何を危惧したかを書き記してください。他の子らになにが起きたかを情報共有しておきます」マギーの言に「了解しました。親方」トリスは頷き続ける。
「質問、或いは提案などはありますか?」マギーからの問いかけ。
「ありません、親方」徒弟トリスは首を横にふるう。
「レポートは、明日の夕方までに提出しておいてください。」
「はい。親方」問答を終えた徒弟トリスは踵を返して、鍋料理を作っている仲間たちのもとへと向かった。
単価としてはつましい賃金の安手の服を繕う針仕事だが、マギーは手を抜かない。そればかりでは食うにやっととなるが、丁寧な仕事を好む性分である。他人に都合よく使い潰されるのを懸念する明晰さと狡猾な性分、それらと嚙み合わない単純な仕事を好む性情が、マギーに絶えず生き方の矛盾を強いてくる。
今も親方行商人として、内面ではつらつらと考え込んでいる。破落戸《ごろつき》や地回りらが露天商、屋台商人に目を付けて、ショバ代なり、みかじめ料なりを取り立てるのは、古今東西の昔から何処の町や居留地でも耳にする話であった。
山羊の乳を煮る鍋は、湯気を上げながら小屋の天井にまとわりついている。人参やかぶら、根菜類が切り刻まれ、大きなバターの塊も放り込まれる。
大麦や米、白菜も放り込み、蕎麦のパンも焼かれている。
「芋とバターを入れろ!太るぞぉ!」「冬に備えて脂肪を蓄えろ!」少女らがきゃいきゃいと調子っぱずれに脂肪賛歌を歌いながらスープ鍋をかき混ぜると、湯気に仄かな甘い香りが漂った。
豚肉も、以前よりはずいぶん安く市場に出回るようになった。郊外の大型廃墟のひとつに放浪者《ワンダラー》だか、浮浪者《ホーボー》だかの一党が住み着き、試行錯誤の末に豚を飼う工夫を確立したおかげだ。
件の豚飼いたちも上手くいきかけた頃、他所の徒党に抗争を仕掛けられ、拠点と事業を奪われそうになったそうだ。無頼や破落戸どもだって喰うのに必死だ。富んだ者らに隙を見出せば、事業を奪う誘惑に駆られるのもむべなるかな。
ブナやコナラを植えたり、子豚を買い集めて育てた豚を売りに来たりと、幸いと言うべきか、豚飼いたちの動きはひどく目立っていた、と言うより、隠蔽など欠片も考えていなかったのだろう。ポレシャ市当局や自警団もまともな連中のまともな事業と注視していたので、すぐに保護に入ったが、これは例外とまでは言わずとも、間違いなく幸運な事例で、世には不運にも事業を奪われた者たちだっているのだ。
マギーちゃんは脳内に思考を走らせる。中世は、北ドイツのハンザ辺りが豚を飼える北限だった。比較的に平野部が多く、普段の冬は零下十五度前後で、ブナやコナラの林も耐えられる。曠野はポレシャ圏の冬も大抵の年度はそれくらいの冷え込みだ。昨年の大寒波、零下二十度から一時的とは言え三十度に冷え込むと、若木の枝先や小さな芽は凍てつくのだ。豚や他の家畜も身を寄せ合って耐えられたのだろうか?
厳冬期には、家畜も屋内で身を丸める。家畜小屋の床に藁を厚く敷き、薪を絶やさず、命懸けで増やした豚と商売を、破落戸どもは後からやってきて奪おうとする。
(他人の長年の努力の結晶を掠め取るのは、悪党にとってはさぞ気分がいいことだろう)とマギーちゃんは胸の内に燻る悪党どもへの嫌悪に舌打ちを禁じ得ない。
市内では羊肉と鶏肉、養殖された大鼠肉に加え、多少の豚肉も混ざって売られている。豚飼いたちは上手くやっている。さて、マギー自身の商売は?
一応、戦争や犯罪者追跡で手柄を立てた保安官助手の懐に手を入れようと言うのだから、おそらくは新参の破落戸だろうが、侮らない方がいい。
「我々は、徒党として中途半端です。戦力としても、商人団としても、ね。
他人の目から見れば、食い物にしやすく映るかも知れません。
でも、大手になんて早々、成れるものでもありませんしね」近くに侍っているジーナ・Eやニナに聞かせる為か。マギーは低く呟いた。
現状は、中規模勢力のディレンマだ。大手組織のように自衛できる戦力を持たず、同時に魅力的な財産を擁している。――ポレシャ市の税金は少ない。特に外部から物資を持ち込む一部商人には、殆んど税金がかからない。交易の乏しい時代に、危険で利益の乏しい行商に税を懸ければ、物流が死ぬ。人頭税の他、市に依頼された物資の調達と買取が労役代わりか。代わり、行商人や交易商人の生き方は、自力救済が原則であった。
だから、状況を侮らない。相談し、共有し、相応の労力で適切な手を打っておく。
すると、トリスやニナ、ジーナ・Eまでも信頼を向けてくるが、時に責任感に潰れそうになる。頭目は常に独りで相対し、決断しなければならない。マギーには、傭兵稼業や賞金稼ぎの首魁らは到底、勤まるまい。数人の徒弟や身内を抱えたちっぽけな行商一家ですら、双肩が押し潰れそうになるのだ。仲間の命や生活が懸かっている。その緊張感が重荷であると同時に病みつきになるような喜悦でもあった。
ポレシャ圏の人口は、近郊の農民を含めて軽く二千。それ以上の人口も養えるが、食料をだぶつかせない為、耕地を抑えているが控えめな生産。人口は自然増加と選別。勝手によってくる者たちに、少しずつ選別し、影響力を浸透させている。郭外地《フォーブール》には、外部地区が勝手に生まれてる。そうした地区は、防御力を高めないと屍者や変異獣に弱くなる。だから、あまり規制も出来ない。破落戸や無頼徒党も常に新しく誕生している。完全な把握は誰にもできない。恐らくは廃市街の大手徒党ですら。
稼ぐに安全な交易路も存在しているが、かなりの通行税を取られるし、盗賊が減少して街道が安全になれば、交易商人の代わりに街道主の都市や騎士、それに馬借団が幅を利かせるようになる。痛し痒しでもある。
妙な話だが、既得権益が根を張ってない無法の街道こそが、自由商人の楽園だ。都市と無法の曠野を往来して、マギー親方は稼いでいる。物流が安定し、街道が権益となってしまえば、定住の町商人が遍歴の自由商人にとって代わる。境界圏は盗賊の生息地でもある。
マギーは、抜け目のない腕利きの自由商人として評判を保っていた。だが、同業者に嫉妬される程度の稼ぎはあれども、根っこのところは棒手振商人や荷運び人夫と変わらない。いや、命を的にする分、より分が悪い渡り稼業だ。
貴族や騎士には都市や富裕な商人を憎み、軽蔑して、幾ら金を巻き上げても構わない、むしろ善行を重ねるようなものだと考えている輩も少なからず存在している。
盗賊団とて機を見るに敏で、狡猾に密偵も使えば、時には捕まって身代金を支払う羽目に陥る日もあった。隊商の防備が増せば、語らって人数を揃え、より強力な武装を整えて襲ってくる。幾十の盗賊団と抗争を重ねてしまえば、いかな商会も破産してしまう。
何処まで騎士やら盗賊団を出し抜けるかは分からないが、幾らかの幸運に恵まれれば、土地を買えるだけの金額は貯まるかも知れない。時には、近郊に農場なり、市内に不動産を得ての安楽な生活を考える時もある。
或いは、それが上がりなのか。違う気もする。
まず土地を買えるかも分からない。正直言えば、マギーには、屋根の下で暖かな毛布に包まって眠れるだけの今の生活に満足している側面もあった。しかし、それは個人的な望みでしかない。どうしたって身内や徒弟らの面倒を見る義務があった。己を縛る義務感をマギーは嫌いではない。
商売を拡大するとして小さな店は持てようが、隊商や商会ともなると、あまりにも途方もなさ過ぎた。想像もつかない。ならば、考えるべきでもない。目前の仕事を日々、懸命にこなせば、或いは市内で真っ当な商人として店を構えられる時が来るかもしれない。
だが、店舗だけ所有しても、安穏と稼ぎが入ってくる日々を送れる訳でもない。ポレシャ市近隣の農村や隊商、鉱夫団らに伝手を作っておかなければ、店だけ開いても売るものがないなんて羽目に陥りかねない。いずれにしても、自由都市と往来しての危険な行商よりは稼ぎは減るのだ。制度が弱い社会では信用が最大の資本になる。店持ちに成り上がった行商人たちが店を手放す理由であり、生産と物流が乏しい時代に累代の取引相手が貴重な財産となるのは、中世や近世の商人らと同じである。どうしたって裸一貫からの商売での成功とは、遠大で困難な道のりだ。
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一般に緯度が高い土地ほど、竈より囲炉裏が多くなる。忍び寄る寒さに日がな一日、火を焚く必要に駆られるからだ。北方世界では火が生活の――そして家の中心に位置する。だけど、身の回りに燃料に乏しい文明崩壊後《ポストアポカリプス》の貧乏人は、どうしたって衣服の重ね着や、路地や市場で焚かれる公共の炎に寄り集って熱を得るしかない。夜にも身体が冷えれば、夜警たちの傍らに駆け寄って、見張りたちのドラム缶の炎に寒さを凌ぐ
冷涼な高緯度の土地にも関わらず、ポレシャ市の下層地区に竈が多いのは、燃料を節約したいからだ。貧富の差は、暖炉や囲炉裏を所持しているかで見て取れる。曠野の都市や大きな市町には、暖炉税や囲炉裏税が掛かる土地も多く、すると調理にはやはり熱効率のいい竈や火鉢、鉄三脚《アイアン・トリベット》などが庶民に好まれる。
都市や街では、煙突の数で金持ちの人数が分かるとも言われており、ポレシャ市やズール都でも、窓税や屋根税なんて代物もあるので迂闊に立派な家を建てられない。
文明崩壊後《ポストアポカリプス》の世だから、人々も税の誤魔化し方も知っているが、しかし、余裕があれば人はいい家を建てるものだし、それなりに公正な税制のポレシャ市には、富裕層や商人、新興の有力者などに税を払えることをステータスにする者もいる。暖炉税には、燃料を抑制する幾らかの整合性もあるのか。兎に角、暖炉を抱えた豪邸に暮らす生活が、野心家の青少年たちが思い描きうる究極の未来図かも知れない。
いずれにしても暖炉や竈、火鉢が多ければ、火災が発生しやすい環境となるが、市民街区や門前町においては、石造りの建築が多く、建物間の距離にセメントの廃墟が天然の防火帯として火災の広がりを自然と防いでくれる。
下層地区は天幕や泥小屋ばかりで燃えない、或いは大きな火事にならないので、木造建築が多く、建物が密集しがちな中町が一番、火災に弱いのではないかとも危惧されている。地区ごとによって火災への対処も様々で、市民街区と門前町には井戸や貯水槽などの豊かな水源もあって、人力ポンプの消防車が配されている。中町では、火消したちが建物を打ち壊せる権限を持っており、下層地区では、荷物や貴重品だけをすぐに持ち出せるようにするのが火災対策だ。
暖炉や囲炉裏は別にしても、設置する場所が必要な竈は、税の掛からない範疇では相当に上等な設備である。自由労働者や
竈番は、隻眼のリリーである。暖かな芋や野菜に肉のシチューで皆が舌鼓を打ってる中、今も竈の前に屈みこんでいた。
背の低い竈に屈みこんで「いたた」とリリーは背を伸ばしていた。
「合わないですか?」と気づいたマギーが尋ねると、「金貯めたら、もうちょっと大きな竈にしようと思ってるんだけど」などと言う。
「言いなさいよ。明日にでも新しいの作りましょう」とマギーが言うと、「え?でも……」とリリーはびっくりしていた。
「上役に言ったら、なんとかなることもあります。
それと、怪我や後遺症なんかを労働の勲章と思わないでください」マギーは釘を刺した。
「否定はしませんけど、一番いいのは、後遺症無しでやることです。腰は一生ですからね」言いながら、リリーの腰に触れると、かなり筋肉が張ってた。
マギーちゃんに厭らしい気持ちが無かったかと言うと嘘になる、けど、リリーを心配したのも事実である。いつものリリーなら「いややわぁ、もう」などと言いながら、すっとマギーから離れるのが、くたり、と身を委ねてきた。
抗う様子もない。でも、これはなんか、マギーちゃんの気持ちが通じたと言うよりも、寂しくて誰でもいいから温もりが欲しい感じに見えてならない。
(……あれ?リリーの奴、崩れてるな。よくないぞ、これ)とマギーは眉を顰めた。
マギーちゃんはリリーに好意を抱いており、常々、懇ろになりたいと欲望を抱いていたが、しかし、自立した意志を持った恋人が欲しいのであって、駄目になったリリーを抱きたいとは思わなかった。やろうと思えばできただろうし、或いは、それはそれである種の楽しみも味わえたかも知れないが。
パックワインやボトルワイン、それにエールやビールがスープ鍋に足されている。
密造酒や怪しげなどぶろくまで入れている。
肉や野菜のシチューにアルコール分を足して、熱さのままに胃の腑に流し込む。
リジィがランツクネヒトらしく一気飲みしてみせた。賑やかな娘だ。食事と酒、薪と寝床に困らず、日々を乱痴気騒ぎで過ごしている生活が随分、気に入ったらしい。
陽性の気質で無鉄砲だが、それなりに考えているし、気持ちが強い。馴染んでいる。リジィも可愛いな、と最近のマギーは惹かれてる。リリーは身持ちが堅いわりに急激に崩れ過ぎた。勿論、貞操観念の強い堅気娘さんなりの魅力はあるのだが。
マギーちゃんは、友人たちに幸せになって欲しいと考える型の人物であって、リリーを依存させたいとか、都合のいい愛人にしようとは美意識的にどうにも興が乗らない。大体、依存してくる型の愛人は、増えれば増えるほど面倒が増えるのだ。
(……無しだな)と判断したマギーちゃんは、リリーがマシュー君の消息不明を引きずっているのだと悟り、少し深刻だな、こやつめ。と考え込んだ。小奇麗な働き者の娘が触れなば落ちん風情と言うのは、下層地区ではいかにもまずい。
町外れの住人たちは比較的マシだが、外部地区や廃市街から職業的なヒモや女衒、人買いに強引な男、不良に至るまで出入りしてるし、寄ってくる。今のリリーは、誘われたら、あっさりと付いて行ってしまいそうな儚さが漂っていた。そして女衒などの連中に限って、獲物の弱った匂いを嗅ぎつけるし、容赦なく効率的に聞きたい言葉を掛けて、心に入り込んでくるのだ。
いっそ、マギーちゃんが頂いた後に、優しくして内面を立ち直らせるか?
それも面倒、と言うのが正直な気持ちだった。マギーちゃんは薄情ではないが、やらなければならない仕事と優先すべき身内が存在している。リリー一人の為に人生に影響する時間は割けない。かと言って、寄生虫やら吸血鬼の類に友人が食い物にされるのは避けたい事態だった。
でも、マギーちゃんは忙しい。家の修繕や竈の素材の手配など、やるべきことは山積みだ。牧者のイザベル・ミラーやジーナ・Cとも取引しなければならないし、ニナやトリスたちに医者先生たちに医療品を仕入れたとの手紙を届けてもらう。化粧品や小物などに服飾品も繕って、お得意様たちに届けなければならない。鍛冶屋にくず鉄を持ち込んだり、造幣局に銅銭を届けるのも大事な仕事だった。
数日後には再び、自由都市への行商にも出かける。財産もない行商人の人より多い稼ぎには、人より働く必要があるのだ。
太陽が地平線に落ちつつあった。初夏の風が少しだけ冷たくなる。夕陽が下層地区の裏路地を照らし、小さな天幕や泥の小屋の壁を赤銅色に染め上げる。
子供らがまだ遊び足りずに、叫んだり、棒切れを振り回しては路傍や廃屋の屋上を駆け回っていた。労働者らが暮らす廃屋や天幕、泥の小屋の庭先では、炊煙が薄く風に散らされながらも漂っていた。
(……ジョージアめ、こんな時にこそ、傍にいてやればいいものを、なにしてやがる)茜色に染まる空を見上げたマギーちゃんは胸中で罵った。賞金稼ぎジョージアめは、傷ついたリリーに合わせる顔が無いと思い込んだらしく、ここしばらく遠ざかっていた。馬鹿のジョージアめ。正気か。童貞でもあるまいし。どういう思考回路してるんだ。犯罪者相手に発揮してる面の皮の厚さを今こそ活かすすべきところじゃないか。