自称・引退した賞金稼ぎである『骨喰《ほねは》み』ジョージアには、二つの苦手なものがあった。騎士と強化人間だ。
レスラーと言う職業がある。プロレスラーではない。
近代的なプロレスが勃興する以前の時代、中世から近世に掛けて格闘士たちは大道芸人の一座に同行することが多かった。時にサーカスの一員として各地の祭りや市を巡り、力自慢の芸を見世物として観客を楽しませ、賞金の掛かった試合で稼いでいた。こうした試合を見せる闘士たちは、巡回
文明が衰退し、テレビやネットの希少となった黄昏の時代、中世や近世の時代にあった見世物や巡回芸人の多くが再び復権しており、巡回
各地を巡業して現地の闘士と試合もする。格闘を見せるだけではない。
大力巨漢として大岩や二、三人の成人男性を持ち上げたり、町々の腕自慢と相撲やレスリングを行い、或いは、町の住人や農民たちに賞金付きの試合を挑んだり、棒術や格闘のテクニックを教授して礼金を受け取ることもあった。巡回格闘士たちとは半分芸人でありながらも、半分は武芸者と言っていい立ち位置にあった。
ジョージアの父親は、
ジョージアも長身だが、父親はそれにもまして魁偉な巨漢であり、しかも均整の取れた体つきをしていた。
闘士は誰でもそうだが、身体の鍛錬を怠らなかった。特に怪我をしないよう、試合前には入念な柔軟体操を行った。
図体の大きさの割に素早く、柔軟な関節の持ち主で、ボクシングや柔術なども大得意。綽名の通りに、牙と爪を封じた熊とレスリングを行うのが十八番《おはこ》の大見世物で、都市や大きな居留地では、興奮した観衆が雨のごとく硬貨や紙幣を降らせたものだ。母親の腕から仰ぎ見る父親は、伝説の英雄のようで、幼い頃のジョージアは、
クーやミロンと言った大きな町では、数人の成人男性を軽々と持ち上げ、観客の喝采を浴びながら、野良試合を行っては祭りを盛り上げて見せた。サドレーの聖誕祭では、御前試合に集まってきた同業相手に七人抜きを達成し、今でも語り草になっているそうだ。祭りや定期市では、腕自慢の村人や兵士らとの勝負を披露しては、拳や投げ技の応酬で群衆を興奮させる。腕前を見世物として披露する演出にも長けていたのだな、と気づいたのは、ようやくに父の年齢に届こうと言う頃だ。
ジョージア――竜殺しより取ったゲオルギウスは、巡回格闘士には成れそうにない。指一つで相手の喉を潰し、組めば関節を破壊し、堅い地面へと叩きつけるよう反射神経で動けるよう、幾度となく条件付けを行ってきた。身に染みついた技は既に殺しに偏り過ぎていた。
武士が戦場で使った徒手格闘の柔術、合気、空手に古来よりのレスリングと拳闘を組み合わせた騎士たちのハイブリッド徒手武術とは、全く致命的な代物で、銃弾の飛び交う戦場ですら、無手となった騎士を侮れない存在にしている。
文明崩壊後《ポストアポカリプス》の騎士は、殺戮者としてより洗練され、銃も扱えば、毒物や爆発物に関する知識を持っている者もいる。ジョージアの技の半分は父親から引き継ぎ、残り半分は騎士に叩き込まれたものだ。
ジョージアが十歳を幾らか過ぎた頃、人生の大きな転機が訪れた。
サゴールは、一帯でもそれなりに大きい居留地だ。五年に一度の交易市が開催されると、大きく金や物が集まってくる。遍歴の商人や職人、それに芸人らにとっては一稼ぎする好機だ。大道芸人の一座に同行して訪れた時点で、近隣より人々が集まった辺境市《フェア》はすでに大変な賑わいを見せていた。
数多の天幕に幌馬車が停泊し、色取り取りの三角旗が風に流れている。遊牧民や牧童らが馬や驢馬、羊や山羊を連れて来訪し、隊商や行商人が屋台や露店を開き、漂泊民《ジプシー》が占いを行い、怪しげな媚薬や惚れ薬、これはよく効く傷薬などを販売している。近隣の農民に職工などが鍛造した刃物や鍋を羊や豚と物々交換を行い、恋人を連れた若い男が銀の指輪を買っては贈り物をしている。農夫や貧乏巡礼が通りを行き交っては出店を覗いて、買いもせずに、あれこれと訳知り顔で論評していた。
流れ職工に武装鉱夫団。廃墟漁り、傭兵、娼婦、芸人の同業者と遍歴の芸人は顔馴染の面々と旧交を叙《じょ》しては、旅した土地の噂話や知人の消息を交換する。
大道芸の一座に同行してサゴールを訪れた父ウルススも、五年に一度の辺境市《フェア》の賑わいを見て、大きくうなずいていた。祭りの仕切り役に挨拶して一角を借りた一座の者たちも、祭りに出遅れまい。今が稼ぎ時と気合を入れて見世物を行い始める。
組体操や火を噴いて見せる者。剣を呑み込むもの。ジャグリングを行なう者もいて、行き交う観衆も一人、二人と足を止めて、見入り始めた。中でも、ウルススの軽やかに舞ってみせる姿は、まるで熊の化身が乗り移っているかのようだ。
だが、久しぶりに訪れたサゴールが、自由居留地として地位を脅かされつつある事。リンゲル城砦の旗騎士《バナレット》コナー・マクガイアが一帯で影響力を増しつつあるとの不穏な噂を、旅から旅の遍歴芸人が聞き流していたとしても、それは無理からぬ事ではあったのだ。
今、思い返してみれば、幾つかの兆候は確かに見えていた。
辺境市《フェア》の入口に、マスケットを抱えた見慣れぬ兵たちが立っていた。
旅人が、旗を見上げて一瞬だけ顔を曇らせ、屋台の主人が税について小声で愚痴を漏らしていた。若者が何者かの視線を避けるように連れの娘を後ろに隠し、農民は厭そうな顔で騎兵に道を開けていた。
そして占いを商う漂泊民の老婆が乱暴に兵に追い払われてたこと。
サゴールは畑や家畜を中心とした農村でもなければ、交易路の宿場町でもない。曠野の地によくある牧民と農民が混ざる雑多な辺境村だ。人口は三百から四百。市と言うには足りないが、程よく豊かで平和な村だった。
ズール都のように防壁もなければ、五月蠅い参事やギルドもおらず、ポレシャ市のような自警団や傭兵を抱えてもいない。要するに、曠野の自治惣村サゴールは強欲な有力な騎士が狙うのにまったく手頃な獲物だった。
最初に税を課し、次に兵を送り込み、最後に代官がやってくる。
旗騎士《バナレット》とは、大身の騎士だ。
男爵――と称するほどの大勢力ではないが、砦や町、荘園や二、三の村を抱え、独自の紋章を描いた旗《バナー》を掲げている。大物と言っていい。
弟の
そしてブラックハウンドのジュドー。
忘れられない名前だ。
※※※※
徒弟トリスと猫耳ココは、ポレシャ市の登録労働者である。地区の名簿に登録された労働者と、勝手気ままに移り住んだ流れ者の違いは何かと言うと、登録には僅かな手数料が掛かる上、毎年の更新料が取られるのに加え、対価ありとは言え、市から色々と労役を割り振られる事だろうか。
全然、お得に見えない!かつてのトリスはそう思ってたし、親方マギーに登録するよと告げられた際には、猫耳ココもぶにゃあ、と首を傾げて鳴いていた。
実際に登録してみると、色々とお得がある。
配給される食料や薪を安く買える。配給の癖に無料ではないが、生活は楽になる。
あと、労役も商人の徒弟枠なので免除されてるが、市内での少年少女の軽作業は、比較的に安全だし、きちんと賃金が出る。大人も当然にだ。つまり仕事にあぶれる日が少なくなる。後、商人の徒弟向けの倉庫作業や荷運びもある。職工の徒弟や農地に市内での土木など、志望によって色々と仕事の経験を積める仕組みとなってる。
貧困層――と言うか、曠野の庶民は、冬越えに避難所やら簡易宿泊所に泊まるのだが、これが向こうの指定した場所で冬越えすると簡単な作業を割り振られる代わりに割引される。
計算してみれば、登録料よりは大分、得をしている。ただし、市の労役は食事と寝床は手当てされる代わりに賃金が安いし、さほど楽でもない。これなら抜け目のない、或いは骨惜しみしない若者なら、登録しないでおのれの腕一本で稼いでいる方が得と踏むかも知れない。
手続きも面倒であるし、なんとも微妙なラインではあるのだ。社会性を見てるのだ、と親方マギーの示唆が無ければ、トリスは登録しようとは考えなかったに違いない。
居留地に対して、私は社会に合わせますと示す為の登録なのだとマギーは語った。
そういう視点は持ち合わせてなかった為、トリスはまずびっくりした。
移住してきて登録する一家などは五年、十年経っても大抵、居座っている、と言うか。小さな泥の家やら頑丈な廃墟内に部屋など持ったり、狭い路地の一角にそこそこ大きな天幕を工夫したりしている。
一方で、面倒くさがって登録しない一団など、十年も経てば、大半が他所へと移っているか、遅ればせながら登録するようになっていた。不思議なものだ。表立った標語などないし、兵士がうろついてる訳でもないのに、いつの間にやら行儀良くなっているのだから、もしかしたら凄いのかも知れない。
兎も角、登録していると色々と細かい役得がある。例えば、門前町の蚤の市で人通りの多い正規の場所を割り振られるとか。なにげに衛兵の見回りが多いとか。いや、これは親方マギーの手回しかも知れない。ともかく、良い親方に就いたトリスと猫耳ココは、かなり値の張る商品を扱っている割にトラブルに巻き込まれる経験は、ほぼ皆無と言ってよかった。少なくとも、トリスとココたちは。
その日のトリスとココは、門前町ではなく、町外れ地区の露店通りに店を開いていた。下層地区での商いに高級品は扱わない。安めの石鹸にリボン、布に針と糸。簡素な裁縫道具。そして、トリスの収入源である針金を用いた小動物用の箱罠と、紙巻き煙草である。
トリスは、この紙巻煙草を廃市街に流通してる小銭で手先の器用な知り合いに作らせ、丁寧な仕上がりのそれを一本あたり2~3居留地通貨で常連らに売っている。
「……暴利じゃん」と愚痴ってる浮浪児には、不満なら他の仕事を探すとよいね、とあしらっている。暇してる奴に金と仕事を分けてるのだから、これは善行だよ、とトリスはムフーと鼻息を漏らした。
実際のところ、煙草の売れ行きはあまりよろしくない。
夏至祭が近づいている以上、売れ筋は石鹸、リボンやら綺麗な当て布、フリルであったりして、よく分からんが親方に持たされた品々が時節の売れ筋なのには、再び感心したんだが、『これはキミ、商売の基礎も基礎であるよ。しっかりなさい』と珍しく叱られてしまった。そんなこと言われても、凹むトリスは、生き残るに必死な廃市街育ちなのだ。
ところが、ココ。農村で育った時節に覚えてたと言いだした。一人だけ要領のいいところがある奴だ。裏切りの猫耳にもめげず、トリスは今日も商売に励んでいる。
近所のおばさんたちも、夏至の祭りには心浮き立つのか。買いもせずに品物をのぞき込んでは何十分もの井戸端会議にトリスの精神力は枯渇する。
知り合いのお婆ちゃんみたいにリボンと口紅を買っておしゃれするのも、悪くないかもしれない。どうせ黄昏の世、他人の目なんか気にして生きても仕方ない。
初夏の露店通りには、常の面々が顔を出している。隣の露店には廃墟漁りが拾い物やらスクラップを売ってるが、幾らかは使えそうな代物も混ざっている。例えば、スポンジなどは汚水や雨水を飲用に濾過するフィルターの材料となったりする。
炭や小石、砂利と砂をセットで売ってる鉱夫などもいるし、機械部品や鉄くずを売買する逸れ職工や鍛冶職人も立ち寄っては、噂話を交えつつ、物々交換を行っていることも多い。そんな時はトリスも聞き耳を立てるが、あまり大した噂話などは入ってこない。興味を惹いたのは、ずっと南の土地で戦争が続いてるとか、そんな話くらいだ。
夏至の強い日差しの下。近づく祭りにはしゃぐ子どもたちの声が響き渡り、ラジオで音楽が繰り返し流されていた。吊るされた赤いリボンが風に流れる。何処からか、祭り用の鈴の音が鳴り響いている。下層地区の少女が、試しに当て布を頭に巻いていた。立ち並ぶ屋台では、鼠や蛙の串焼き、粥やスープの香ばしさが漂っている。甘いクッキーや揚げ菓子の香りも鼻腔を刺激するも、時折は焦げた肉や乾いた土埃の臭いが入り混じった。穏やかなざわめきの下、市の労働者と旅人、廃墟民たちが入り混じっていた。
商売が一段落し、怠惰に欠伸していたココが猫耳をピンと立てて、市場の入口へと視線を向けた。そろそろ店仕舞いかと肩掛け鞄に商品を入れ始めていたトリスも、つられて視線を向けた。
見慣れぬ一団だった。近隣でも有数の居留地ポレシャ市は町外れ地区に初見の来訪者は珍しくない。だが、この連中は明白に異質な、馴染まない空気を漂わせていた。
薄汚れた革鎧を着込んだ、やはり旅塵に塗れた数人の男女。
煮固めた革鎧とは、意外なほどに黒光りするもので、ペラペラの皮の上着などとは一目見るだけで全く質感が異なっていた。金属にも見まがう硬質の光沢に、金属の輪が幾つも縫い込まれており、修繕された痕跡も刻まれている。若干の寒気と共に戦闘の為の装束だと見る者に理解させる凄みを漂わせている。
だが、それも入念に手入れされていればこそだ。一行は憔悴していた。真新しい欠けや損傷は放置され、顔や腕に杜撰に巻いた包帯には血が滲んでいる。深い疲労も見て取れるが、装束にこびり付いた泥濘と無精髭、落ち窪んだ眼差しの昏さは、単なる疲労だけとも思えない。
武装した五人。いや六人か。その五人が中心に守るように正体の分からぬ小柄なフードの人物を除けば、装備は、ほぼ共通規格で統一されていた。これは実は結構、珍しい。小規模な浮浪傭兵団や隊商の護衛団など、手に入りやすい装備や使いやすい武器を選ぶことが多いからだ。
腰に使い込まれた剣を吊るし、背中には槍とライフルを背負っている者もいた。一定以上の高性能銃に共有する、滑らかに加工された金属部分からするに最低でもミニエー銃か、或いは後込め式ライフル銃だろうか。どちらにしろ、使うものが使えば、マスケットとは比較にならない精度を有している。
初老の人物が一人。若い兵が二名。だが、一人は戦闘に役に立つまい。目の部分に血の滲んだ包帯を巻いている。女兵士も一人。まだ若く、体力に劣っているのか、口を半開きにして喘いでいる。
そして最後、これは一人だけ異なった装備の、金属製の胸甲を纏った偉丈夫がいるが、左腕が失われていた。失ったばかりと見え、きつく巻き付けた包帯に血が滲んでいた。それでも立って歩いているのは、大変な精神力だが。変異獣や屍者も彷徨う曠野をどれほどの距離、歩いてきたのだろうか。
過酷な旅路だったに違いない。敗残の落ち武者。それとも脱走兵。そんな単語をトリスは想起した。
一団は、浮浪傭兵の類などではない。護衛にしても、商家や農場程度が雇える程度の装備ではない。どこかの正規軍だろうか。
トリスの目には、なんとはなしに貴族の私兵に見えた。それも常備兵とか、正規兵の類だ。親方の供で行商する際、時々、貴族の郎党を見かけるが、統率された歩きかたというか、纏っている雰囲気が共通している。そんな推測をココに耳打ちすると、猫耳も頷いた。ココは、舌を仕舞い忘れている。緊張している証だ。とは言え、トリスにもそれほどの自信はない。もしかしたら全然違って、どこぞの小国の正規軍かも知れない。ポレシャ市からズール都に掛けての曠野の南東一帯には、大した豪族や騎士領、領邦などは見当たらないからだ。
普段は商業的な利害から対立し、足を引っ張り合う自由都市ズールや交易に名高いツァリオ市、壁に抱かれたポレシャ市にノーラ自由市、聖なるサグレーから腐敗したゴルミーズ、評判芳しくないノランに至るまでが、こればかりは一致団結して貴族勢力――騎士や豪族の伸張を許さないからだ。
現状のポレシャ市は、貪欲なズール都にちょっかいを出され、図々しいスージ市と牧草地を争い、宗教脳のサグレー市と聖職者任命権で揉め、腹黒いゴルミーズの陰謀を警戒している。ポレシャ市に限らず、他の全ての都市も近隣の都市と手を結びつつ、なにかしらの些細な問題――商圏、関税や通行税、市場の取り合いや牧草地争い、橋梁や渡し場の所有権、商隊の優先権に宗教問題など――を抱えているが、こと相手が貴族となれば、すべての問題が棚上げされる。
茫漠たる地平に人が居住する地域がモザイク状に散った
昔、一人の貴族が野心を起こして複数の町を征服、支配した時代がある。この時点で残りの貴族も蠢動し始めていたが、各地の有力市は都市同盟軍を発起し、全てが焼かれた。全てが。貴族の名は抹消され、子孫は一人も残ってない。古代ローマで最悪の刑罰である存在抹消刑《ダムナティオ・メモリアエ》が誉ある家系に適用されたのだ。以来、曠野の地においては、実力者である男爵たちや名目上の統治者を称する侯爵さえも身を慎んでおり、 全ての都市と居留地が黄金の自由を謳歌し続けている。
なんとなれば、千年前から伝わるズールの
夏夜に揺れる炎に照らされながら、親方マギーの脳髄を揺らすような語り口での講談を思い出しつつ、ポレシャ市に貴族の私兵が入り込むとは珍しいことだと、トリスは商品を背嚢に仕舞いながら、それとなく自由市場に似つかわぬ兵士たちの一団を注視していた。