商会には商会の。店持ち商人には店持ち商人の恐さがあるものだが、下層地区や外部地区の露店商も存外、恐い連中である――門前町やら都市やらの蚤の市と違って、法秩序が弱い文明と無法の境界地帯《フロンティア》においては、自衛の為に徒党を組みもすれば、商品の価値を知らないよそ者に吹っかけたり、買い叩く真似も平気で行ってくる。
これが逆に貧民窟やら廃市街までいくと、そもそも呑気なお上りさん相手に一見の露店や屋台が成立しない。そこら辺の客層だと騙されたと思った瞬間、相手をぶち殺しにかかるからだ――ここで肝心なのが騙されたと思った瞬間である。騙した瞬間ではない。導火線の短い客が、主観で金をだまし取られたと思った瞬間、殺しに掛かってくる。なので、廃市街の露店は、安い品しか扱わないし、買い叩く前にうちだと安くしか買わねえぞ。いいものあるなら他所に行けよ、と警告したりする。客の為ではなく、自衛の為である。閑話休題。
とにかく、中途半端に安全な下層地区だからか。性質の悪い露店商も混ざっている。こちらが保護なり、所属を明確にしていれば、やや吹っかけてくるだけで済みもするが――親方マギーに、吹っかけてくると噂の札付きの露天商相手に値引き交渉してきなさいと嗾けられた時には、徒弟トリスも途方に暮れた。
どのみち普通より高値で上手くもないスープを買わされるなら、定価で旨いスープの店に行けばいいのでは?と思う徒弟トリスだが『これも経験、経験』と親方には色々な奴らの相手をさせられては、個人ノートに不満や疑問を含めて書かされてる。後で理解したら、日時と共に後ろのページに書き足せばいいそうだ。
商人にしろ、職人にしろ、他の評判の良い親方たちも、徒弟に小遣いを与えては、似たような買い物をさせる。完全に自由に遊べる金の時もあれば、こういう訳の分からない買い物をさせる時もあって、しかし、不遇な境遇の徒弟などは、ろくに小遣いや自由時間もなければ、まともに何かも教えられずに、こき使われているだけだ。
だから、賢いと思える大人たちが揃って似たような真似をやらせるのも相応の理由があるのだろうと、酒場の隅で薄いエールを啜りながら、他の徒弟や丁稚たちと意図を推測しあったりもする。恐らくだが、トリスも他の徒弟たちも育て方をよく観察して、おのれの物にすることさえ親方衆には期待されているのだ。
さて、ポレシャ市の商人やら職人やらの徒弟事情がどうあれ、問題は自由市場の来訪者らの身の振り方である。ポレシャ市には時々、近隣封土の小貴族――騎士やら土豪やらの郎党が買い物にやってくる。ポレシャ市は近隣最大の穀倉で、交易商や隊商、行商も抱えたり、寄り付いたりする上、鍛冶屋や鋳掛屋、廃墟から回収した金属加工機械まで所有している大きな町だから、衣服に皮革、鉄製品、書籍や嗜好品、奢侈品に至るまでかなり様々な物品が幅広く入手できる。
そして貴族の郎党は、はっきりと買い物が下手である。やや居丈高で交渉が下手糞。愛想だけ良くて品と値段の良くない商人に引っかかりやすい。手玉に取られている。これが郷士や下級騎士の郎党であれば、世間話の一つもすれば、相場も調べてくるのだが、下手に領地を抱えた貴族の徒党となると買い物の仕方もろくに知らない。
こういうところ、貴族が商人を憎み、蔑む理由なのかもしれないが、まともで正直な商人を探そうともせずに、口先相手に引っかかって恨むのはやめて欲しい。
勿論、貴族の荘園やら農村、或いは城下町にも商店があってお抱え商人もいるかも知れないが、武力と圧力に逆らえないお膝元の商人との取引と、都市のように生き馬の目を抜くとまではいかずとも、商人の立場が強い自由居留地圏での取引を一緒に考えてる時点で、思考力が硬直している。いや、想像力がないのだ、と親方マギーは他の商人たちとケタケタ笑い合っている。親方マギーは時折、貴族めいた優美な仕草を見せる癖、貴族が嫌いと見える。或いは、単に隊商員時代、領地貴族に痛い目に遭わされただけかもしれないが。
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蚤の市でも外れに位置する露店や屋台は、正規の許可を取っておらず、品質の保証が為されていない。この場合、正規の許可とは市当局の認可した地区自治会から、公式な書類として提出・発布された半合法の自由市場――の取り締まりに任命された顔役や寄り合いの些か怪しげな許可である。それでも兎も角、金の流れが可視化され、かつ公的な元締めに集められてると言う以上、ポレシャ市の範疇では責任者が明確にされてもいる。
一方、法的なポレシャに属さない私的な縄張りでは、公的な手数料としての場所代は徴収されない。代わりに値段は安くなる。保証が無くて値段が安いと言っても、そこは一応、ポレシャ市内の自由市場。外部地区よりは幾分かは上等だし、廃市街とは比較にならない旨い食べ物が売っている。とは言え、味が落ちても、トリスは一から材料を使って作っている飯屋を好んでいる。どんなに旨くても怪しい屋台の雑炊やスープは御免なのである。『仕入れ先』が市民区の食堂裏手のゴミ箱だとしても客には分からないからだ。
何かしらを言いつけられた少年――恐らくはフードの人物に仕えるあまり地位の高くない小姓だろうか。垢抜けない印象の少年は、自由市場に並んでいる町外れ地区の露天商たちと、外部地区の露天商たちを見比べてから、いかにも買い物慣れしていないよそ者がよく引っ掛かるように、売り込みの威勢が良く、愛想を振りまいている外の商人らの露店の方へと寄っていった。
仮にもポレシャの行政地区である『町外れ』の商売人たちであれば、旅人からぼるにしても限度があり、また粗悪品を売りつける事もないだろうが。トリスの見たところ、いかにも封建領土の間抜けな小僧らしく、表面上の愛想に振り回されて、どんな客が立ち寄ってるかも観察していないのだ。小僧の寄って行った屋台の主は、外部地区に暮らす商人や
見た目、愛想だけは良さそうだ。だが、切っ掛けがあれば豹変する。今まで客――それも浮浪農民や自由労働者、孤独な
或いは、真面目な農民なり庶民だった頃、支配者に踏み躙られ過ぎて、今さらまともな統治が行われる土地にたどり着いたところで、捩れてしか受け取れないのか。
過去に残酷な境遇に浸り過ぎ、他人にも不幸を振りまかないと気が済まないか。弱肉強食の生活を送るうち、誰かを食い物にする捕食者としての行動が報酬系として脳髄に刻まれてしまったのか。いずれにしても他者には、もう救えぬ者たちだ。どうしたって、腐った林檎も町に紛れ込んでくる。時に浮浪傭兵や無宿人《ノークォーター》、元略奪者《レイダー》や盗賊ですら、穏健な暮らしをしたいと過去を隠して、紛れ込もうとするポレシャに、けして馴染まぬ危険な異分子たちだ。
連中も、そろそろ所払いを言い渡されて然るべき頃合いだ。ポレシャは――選別にも時間を掛ける。悠長だが仕方ない。手続きにはどうしたって時間がかかる。勘違いや敵対者の誹謗中傷一つや二つで動かないと言う事でもある。追放や取り返しのつかない刑罰には慎重だが、同時に良民を守る為に容赦なく執行する。大地を彷徨う寄る辺なき人々の間で、それでこそ、と囁かれる土地の一つだ。そして、聖なるサグレーやらノーラ自由市などとも、追放者の通告書は回し合っている。
札付き商人らの屋台は、脇にそれた路地の奥まった場所にあった。影が差す狭い路地は、ご丁寧にも周囲の露店や屋台は仲間内で固めており、通りからは見通せないようになっている。
(あ……そっちは、良くないってば)心の中で呟いたトリスは、哀れな少年が罠に掛かるのを危惧し、憐れむ程度には同情心は持っていたが、しかし、廃市街でも札付きの浮浪者《ホーボー》共から怨恨を買ってまで助けようとは考えなかった。
店仕舞いの終わった猫耳ココも、懸念するように、にぁと小さく鳴いていた。
「分かってるよ、危ないけどさ。なにも出来ない」スノーゴーグルの下で目を細めた単眼娘トリスや猫耳ココは変異者で、ポレシャですら差別と言わないまでも、立場的な取り扱いに多少の不利もあるのだ。だって、ただの流れ者や旅人と違い、トリスや猫耳ココはずっと町で暮らしていかなければならないのだ。
町で暮らす者には、薄暗い孤立する場所には近づかないのが鉄則であって、浮浪者《ホーボー》連中もまさか命までは取る程の悪漢ではないから、金なりを奪われても聊かの授業料として甘受するしかあるまいと言うのが、トリスやら世慣れした徒弟の少年少女が考える、哀れな他人を見捨てて正当化する理由だった。
小姓の少年は、匂いに誘われるように並んでいる軽食の屋台を見回していたが、値段の安さに惹かれたのか、やや外れの雑炊の屋台へと近づいて行った。本人も相当に疲労し、腹を空かせているのだろう。重い足取りを引きずるように屋台の前に立つと、財布を取り出した。
小姓が雑炊の皿を指さし、屋台の店主と何かをやり取りしていたが、突然に凄まじい怒声が上がった。なにごとか、と通行人たちの足取りが止まるも、奥まった路地だと知ると、ああ、と言いたげな表情で通り過ぎていった。
ごく僅かな農婦やら、牧者の少年やら、善良なよそ者が心配そうに蚤の市の一角に注目を集めていたが、浮浪者たちが視線を遮るように壁を作ると、肩を竦めて通り過ぎていった。
人影に阻まれた路地の奥まった袋小路では、屋台の主人が恐ろしい剣幕で震え上がる小姓を怒鳴りつけている。
「ふざけんな!ガルダ紙幣じゃねえか! こんなものを受け取れるか!?」叫ぶ屋台商人。
「ど、どうして。ポレシャ圏でも使える筈……」口籠る小姓だが、薄汚れた大人たちが被せるように罵声を浴びせて、委縮させる。
「ガルダ領が滅んだのを知らないとでも思ってるのか!ああ!?」
「……ガルダが滅んだ?」茫然とした童の小姓が呟きを漏らしていた。
「俺を誤魔化すつもりか!?ああ!」
通貨が実際に無効だとしても、意図的な詐欺でもないのに屋台商人の態度は過剰だった。
「ひどい大根演技だ。最初から嵌めるつもりだったよ」喝破したトリスは猫耳ココに低く囁いた。
近くの瓦礫に座ってる二人の若い娘を浮浪者たちは嫌そうに眺めるも、睨みつけたり、こん棒を持って追い払おうとはしない。
トリスと猫耳ココは、地区の有力な武器商人の徒弟だからだ。マギーの姐さんは、女ランツクネヒトだの、スネイクバイトだのを飼っている。破落戸どもだって、他の暴力を抱えた徒党は恐ろしいので互いに不干渉を保っている。
怒鳴り始める前から店仕舞いし、瓦礫に座って茶を飲んでいた他所の身内を追い払うのは、揉め事になりかねない。だから、互いにいない者として扱うのだ。
「見せな!」喚いた店主が小姓の財布を取り上げた。
中身を除き「ほぉ!たんまりあるぜ!盗品か!悪い小僧だ!」にんまりと笑う。
「返して!」抗議の声を上げた少年がいきなり頬を張られた。それでも取り返そうと掴みかかる。「大人しくしてな。こいつは罰金。そう、偽札で俺を騙そうとした罰金ってやつだ」屋台店主の仲間によって少年が取り押さえられる。
「潮時かな」トリスが背嚢を担いで立ち上がった。傍らで、ぶにゃあ、と鳴いて猫耳も歩き出した。介入して助ける、と言う意味ではない。これ以上、傍観はしない。犯罪を座視したことになるから、立ち去るのだ。通りを見れば、今さらながらに童が姿を消したことに気づいたか。連れの若い娘が通りを足早に歩いては、視線を彷徨わせていた。
よそ者の一団をそれとなく観察して、一連の経緯を把握し、親方に報告する。徒弟トリスがすることはそれだ。他の親方も、気の利く徒弟に似たような役割を自然と与えている。町中には、だから、細かな区画ごとに親方衆や
先日、トリスと猫耳ココがその日の市場の風景や商品の動向などを報告した時、偶々、居合わせた同業の親方などがおのれの徒弟の気の利かなさを嘆いたことがあった。間抜けな親方は、間抜けな徒弟しか抱えないものだ。何故なら、報いない親方の下では、誰だって敢えて間抜けとして振舞うし、なにも報告を上げないからだ。
大抵の自由居留地には、自警団や職能集団、ギルドや徒党による低強度の諜報網が張り巡らされている。高度文明の抜け殻として、手法自体は洗練されており、20世紀前後の諜報の本を熟読してる自警団員や親方も居るのだ。ただ、活かしようがないから、中世的手法に収まっているだけに過ぎない。
足早に離れるトリスたちが、最後にそっと物陰から様子を窺った。
と、小姓が店主に、胸倉を掴まれた。何かに気づいた店主が暴れる小姓の胸を掴み、にやりと笑った。小姓が押し倒されて、髪留めが外れた。甲高い悲鳴の漏れた口を塞がれ、手足を抑えられる。同性愛か、男装の少女か。分厚い財布は取り上げられ、紙幣が捨てられると、掌に落ちた銀貨と銅貨に零れ落ちそうな笑顔を浮かべる性悪の屋台商人たち。
件の破落戸商人どもは、明白に一線を越えてしまっていた。小姓めの財布から思わぬ大金を目の当たりにし、ただでさえ乏しい理性が揮発したか。
見るに耐えず、トリスは思わず顔を背けていた。いずれにせよ、助けを呼ぶにもいささか遅きに失した感があるが、それでもしないよりはまし、と傍らの猫耳ココと視線を交わした。人を呼ぶにもっとも近い場は何処か。市場を取り仕切る露店商らの詰め所。相棒へと頷くと、猫耳は荷物を置いて、四足で地面を走り出した。
自由市場の開く時間帯は常時、顔役の誰かしらが廃屋の壁に張った天幕に詰めている。連中、そこで茶やエールなどを呑んでは駄弁っているのだ。しかし、ココが事情を説明し、そこから周囲に使いを走らせ若衆を集め、さらに駆けつけてくるまで早くて十分から十五分。仕方ない。それでも現状、トリスはリスクを冒してる。
性根の腐った破落戸の類など、得てして通報者を逆恨みしかねない。
しばらく用心は必要だろうと、ため息を漏らした。古来より、善行には何かしらの報いがあると言われている。誰かを助けて、餌食にしていた捕食者と敵対するのもある意味、報いの一種なのかしらん。初夏の日差しの下、徒弟のトリスはぼんやりと自問した。
※※※※
巨躯の男が自由市場の人ごみを搔き分けながら、走ってきた。
筋力と速度とは基本的には相反する要素であって、疾走とはいかない。それでも巨漢は息を切らす様子もなく走り続けており、路地の近くで物陰から様子を窺っていた徒弟のトリスは、巨漢の接近に気づくとギョッとしたように目を瞠った。
巨漢は鉄兜を被っており、一瞬だが面相が分からなかった。
「……ジョージア?」茫然と呟いているトリスに対し「少し離れてな」と告げたジョージアは、夏の夕暮れのうだるような暑さに汗だらけになりながらも狭い路地へと踊り込んでいった。
小姓はくぐもった悲鳴を上げながら、必死になって藻掻いていたが、複数名の大人が体重まで使って抑え込む力には抗すべくもない。財布を奪った上、卑しい笑みを浮かべた悪漢たちは、小姓の服を引き毟っていた。
「よぉ。こいつは男か?女か?」小姓の顔を掴んだ一人が、首を傾げた。
「どっちでもいいじゃねえか。突っ込んじまえば同じよ」誰かが言うと、違ぇねぇ。と賛同の呟きが漏れた。
「ひひ、さくらんぼみてぇだな」小姓の胸に歯の抜けた口を近づけようとした男の顔面を飛んできた石礫が直撃する。
悲鳴を上げのたうち回る仲間を他所に、残りの札付きの露天商どもが一斉に立ち上がり、木箱の飛来した方向を睨みつけると「おう、間に合ったようだ」多少の汗を拭きだしながらも、元賞金稼ぎのジョージアが路地の入口に笑顔を浮かべて佇んでいた。
自力救済が曠野の掟とは言え、自由市場は半ば、ポレシャ市の行政区画に属しており、比較的に治安が保たれている。悪行を見かけた他の露天商やら通行人の誰かしらが、自警団なりに通報したり、助けを呼んでも不思議はない。
それを悪漢共とて警戒はしていたに違いない。だけど、普通は自警団なり、自由市場の露天商組合。或いは、まともな類の仕切り役がやってくるものだ。それがなぜか、元賞金稼ぎの傷顔《スカーフェイス》ジョージアが駆け込んできた。
「てめえ、傷顔《スカーフェイス》のジョー!どういうつもりだ!」屋台の主が喚いた。
「ジョーじゃねえ!」ジョージアも喚いた。
「邪魔するつもりか!てめえ!」殺気立って、周囲を取り囲む
「どういうもなにも、こいつが俺の仕事よ」ジョージアは頭に被った鉄兜を軽く叩きながら、嘯いた。
「議会衛兵ジョージアさんだ。制服は間に合ってねえがな」